もと料理係と聖ベーゼクトの日
お久しぶりの料理係です。
5月末の「キスの日」に合わせるつもりが大遅刻です。
よろしくお願いいたします。
おはようございます。ピアです。
一介の料理係だった平民の私が王太子アラステア様の婚約者となって、今はお城で暮らしています。
マナーとか勉強とかに明け暮れつつ、毎日頑張ってます!
さて、そんな私ですがもともとしがない村娘。討伐パーティーの料理係になる前は食堂で働いてましたし、家事だってやっていました。身分の高いやんごとなき方々とは接する機会もないような生活、いわば接する文化自体が違います。
なのでいろいろとカルチャーショックも多いわけで。
「え? 聖ベーゼクトの日よ?」
私は目を丸くしました。側仕えの侍女さんたちが聖ベーゼクトの日の行事なんて知らない、っていうからです。
聖ベーゼクト。この国の建国直後、まだ落ち着かない国情のせいで苦しい生活を強いられていた国民たちに炊き出しをしたり怪我や病気を治療したりと献身的に働き、愛を説いたと言われている人。清貧を貫き奉仕を続けた彼はいつからか「聖」を冠して呼ばれるようになった――――と教科書に書いてありました。
でも、平民の間では聖ベーゼクトは「恋愛の守護聖人」として覚えられているのです。というのも、彼がとある恋人たちを結びつけたっていいつたえがあるからです。
その昔、領主の娘が家臣の男の人に恋をした。男も彼女に恋をしていた。けれど男は当然娘の親である領主夫妻はいい顔をしないだろうとこの恋を諦める選択をし、領主のもとを去る。
けれど娘は諦められない。男を追いかけ、男が身を寄せていた教会にたどり着く。そこにいたのが聖ベーゼクト。聖ベーゼクトの説得で男は娘の心を受け入れる決心をする。そしてこれまた聖ベーゼクトの手引きで娘は大きなペアルの木の下に男をよびつけ思いの丈を告白、男はそれを受け入れて自分も愛していることを伝え、彼女に口づけを落とす。
その後聖ベーゼクトの協力も得て領主夫妻を説得し、見事二人は結ばれた。めでたしめでたし。
――――とまあ、そんな少女心をときめかすラブストーリーなのです。
なので聖ベーゼクトの日はペアルの木の下で告白するのが市井の女の子達の一大イベントとなっています。告白が叶ったらペアルの木の下でキスするのが習わし。あ、キスといってもほっぺやデコチュー、それも無理なら手にでもオッケーですよ!
なんですが!
侍女さんはそんなのは知らないと言うわけです。
「え、やりません? 女の子から告白してオッケーだったらキス、とか」
私がそう言った途端に侍女さんからキャーッ! と黄色い悲鳴が聞こえました。ステキ。とか顔を赤らめているのが初々しいです。
いろいろ話していくうち、どうやら貴族の間では知られていないことがわかってきました。庶民のお祭りみたいなものなんでしょうか。
そっか、侍女さんたちもみんな身元のしっかりした貴族の子女ですもんね。
そこまで考えている私は作業をしていた手を止めました。
あれ、ということはアラステア様も聖ベーゼクトの日をご存知ない――――?
実はここは厨房、私は聖ベーゼクトの日のお祝いのためペアルの実でタルトを作っているところだったりします。
計画はこうです。
①アラステア様にペアルのタルトを差し入れ、ペアルの枝を高い位置に飾る。
②枝の下で改めて私からアラステア様に愛、愛の、告白など……!
③アラステア様も気がついてくださって「ああ、聖ベーゼクトの日だったね」なーんて言いながら私を抱きしめておでこにキス、とか
きゃー!
でもアラステア様が聖ベーゼクトの日を知らないなら話は違います。私、まず聖ベーゼクトの日についての説明からしなきゃいけないじゃないですか。つまりはキスのおねだりをしなきゃいけないっていうことで――――
「む……無理だぁ」
タルト生地を作るためにボウルに入れた小麦粉とバターの塊に手をついてがっくりうなだれてしまいます。その途端に塊だったバターと小麦粉がさっくりきれいに混ぜ合わされこねられて、寝かせまで済んだステキなタルト生地が完成します。魔法体質め! 空気読んで!
出来上がった生地をタルト型に敷き詰め用意してあったアーモンドクリームを流し込んでオーブンでひと焼き。
ああせっかくの聖ベーゼクトの日。楽しみにしてたのになあ……
少しショックを受けつつペアルの実にナイフを入れたらあら不思議。次の瞬間には皮がむけたペアルが。それを鍋に入れ、砂糖と水を加えてコンポートをことこと……煮なくてもあっという間に完成。
料理に没頭して気を紛らわせたいときには私の魔法体質は不向きなようです。
「で、でもピア様。ほら、すごーく美味しそうですよ! 普通に差し上げるだけでもアラステア様がどれだけお喜びになるか」
「――――そうだよね。うん、頑張って作って美味しいのを差し入れします」
がっかりはがっかりだけど、そんな気持ちで作ったものを大好きなアラステア様に差し上げるわけにはいきません。ほら、美味しくなぁれって思いながら作りましょう。
焼きあがったタルトは魔法体質でさらっと冷まします。地味にこれは便利。冷ますのって時間がかかるもんね。
タルトにカスタードクリームとスライスしたコンポートを飾り、冷やして完成です。
「うわあ……コンポートつやっつやで、バターと甘い香りがふんわり。美味しそう〜」
侍女さんたちからとろけそうな声が上がります。大丈夫、ニ台焼いたからね! 私がアラステア様に届けに行っている間にみんなで食
べてね!
きれいに飾り付けたタルト、ナプキンにフォークとお皿、熱々のお茶をワゴンに乗せていざアラステア様のもとへ――――! でもペアルの枝を持っていく度胸はない! なので枝はなしの方向です。
「ピア! どうしたんだい?」
執務室へ入ると、アラステア様がにこやかに微笑まれます。ああ、これを見るために生きてる! って感じがします。
「アラステア様、タルトを作りましたからお茶になさいませんか?」
「そうだね、ちょうど執務も一段落したところだからいただこうかな」
そう言って執務用の机を離れ私に勧めたソファーのとなりに腰を下ろします。えへ、しあわせ。
「今日はペアルでタルトを作ったんです。ペアル、お好きですよね」
「ああ、好きだよ」
ペアルもピアもね、と耳元でささやかれて「うはあっ」と胸の奥にどきどきがふくれあがってきます。ちょっとどぎまぎしながらタルトを切り分け、フォークを添えてアラステア様に渡します。淡い黄金色に煮上がったコンポートが層を成している断面がきれいです。そんなに甘くしなかったから、きっとアラステア様にもお口にあうはずです。
「ん……うまい」
「本当ですか! よかったあ」
うれしくておもわず顔が笑顔になってしまいます。私はポットから湯気の立つお茶を真っ白なカップに注ぎ、アラステア様の前に置きました。薄手のカップには鳥の模様がレリーフのようになっていて、アラステア様のお気に入りなのです。
タルトを食べ終わったアラステア様が私を見てにっこり笑いました。
「ペアル、だね」
「はい、ペアルです」
「そう、ペアルだよ」
「――――?」
「だから、ペアルなんだろう? 聖ベーゼクトの日といったらペアルだよね?」
あれ……? なんだかようすがおかしいぞ。
「ピア、私から言ってもいいけど――――やっぱり君の口から聞きたいな、今日は」
今日は?
って、やんごとなき方々は知らないはずじゃないんですか?!
途端にがーっと顔が真っ赤になるのがわかりました。きっと耳まで赤いことでしょう。つまり、アラステア様はご存じということで――――
そう思ったら、いつだって言えるはずのひとことが言えなくなってしまいました。なんだ私、乙女か! 乙女だけど!
「ピア?」
「~~~~……ああもうっ」
度胸だ! 女は度胸!
包丁一本でドラゴンの前に飛び出していった私なんだから、婚約者に告白するのなんて簡単なんだから!
私はタルトを運んできたワゴンの下、カバーのかけてあるところからペアルの枝を取り出しました。やっぱり持ってきちゃったのです。それを見たアラステア様はにっこりして私から枝を取ると、片手で私の腰を抱き寄せてからもう片方の手で件の枝を頭の上にかざしました。
ここまでされてやらないわけにはいかない! いけ! ピア! アラステア様の笑顔のために! お膳立てはバッチリだ!
「だ――――大好き、です。アラステアさ――――」
けれど最後まで名前を呼ぶことはできませんでした。アラステア様の腕の中で言葉を唇から唇へと吸い取られてしまったから。
ペアルのタルトよりも甘い甘いキスに蕩けそうなほど幸せ、です。
そうして聖ベーゼクトの日のイベントは無事コンプリートされたのでした。
ハッピーエンド。
ところでどうしてアラステア様がご存じだったかというと。
「ああ、それはね、以前ジャンゴから聞いてたんだよ。ああ、実際にペアルの木の下で告白されたこともあったとか言ってたな」
ジャンゴさん……! あなたでしたか!!
その瞬間、ジャンゴさんにはクレソン(ジャンゴさんはこれが大の苦手)たっぷりのパイを差し入れすることが私の中で決定したのでした。
やつあたり。




