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SLUMDOG  作者: 朝日龍弥
九章 邂逅
87/418

ステカーの宝石

「ネイサン、大丈夫?」


 コナーはネイサンの傷を圧迫し、アイシングを行う。


「大丈夫よ。コナーちゃん。ありがとう」


 ネイサンはコナーからコールドパックを受け取り、傷口付近を冷やす。


「アンタも災難だったねぇ。額の傷は派手に見えるとは言うが、軽視していいもんでもないよ」

「診ていただいてありがとうございます。バレンシア船医長」


 深々と頭を下げるネイサンに、バレンシアはにべなく答える。


「なんてことないさ。殆どコナーがやってくれたしねぇ。ベッドは空いてるから、少しゆっくりしていきな」

「では、お言葉に甘えさせて頂こうかしら」

「ああ、そういえばさっき、今話題のレオン一等兵が船医室の前で立ってたよ」

「え!? いたんですか!?」


 コナーは無言でドアを見つめ、いつまでたっても入らないレオンを想像し、部屋の中に招き入れようと立ち上がった。


「ああ、でもあの図体で扉の前にずっと立たれても邪魔なだけだし、追い返してやったけどねぇ」

「えぇっ!?」

「怪我もしてないのに船医室に来られても治療の邪魔だろう?」

「そしたら、僕だって……」


 もっともであるがと、コナーはレオンの事を考え、言い淀んだ。


「コナーは治療する側だろう?」

「治療はバレンシアさんがする予定じゃ……」

「アンタの方が普段からパール一等兵を見ているだろう? だったら、細かい異常に気づけるはずだ」

「確かに! 一理あります!」

「まぁ、そうは言っても、ここにいる間は好きに部屋をみるといい。アンタにとって物珍しいものが多いだろう? 私は奥にいるから、何かあったら呼びな」

「は、はい! ありがとうございます!」


 バレンシアは手を振りながら、その場を後にした。


「随分と仲良くなったじゃない? 一体どんな治療を受けたのかしら?」

「え?」


 小首をかしげるコナーに、ネイサンは口元が緩んだ。


「まぁ、いいわ。コナーちゃん元気そうだし。あの時焦ったわよ? 泳げないなら先に言っておいた方が良かったんじゃない?」

「だって泳いだことないですもん。僕もわかりませんでしたよ! 皆さん上手に浮いてたし、浮かぶんだって思うじゃないですか……。それに! 僕だってビックリしたんですからね!」

「そうよね。溺れた自分が一番焦るわよね」

「それもそうですけど、僕が言いたいのは戻ったらあんな状況になっていた事ですよ!」


 目角を立てるコナーに、ネイサンは肩を浮かせる。


「それは私達だって同じよ。でも、あれは私が悪かったわね。あの子は私達にはわからない空気も感じるから……」


 普段から物言わぬレオンが何を感じ、何を考えているのか。ネイサンは失念していた事実に目を伏せた。


「それに、私もこの部隊に入って、ちょっと麻痺しちゃってたのよね。まるで普通の人のように接してくれるあなた達といる事で、私や、あの子に浴びせられる視線を忘れてしまっていたわ……」

「あの……ネイサンも、その……」


 言葉に詰まるコナーに、ネイサンは微笑んだ。


「私は奴隷では、ないわよ? といっても、きっと変わらないわね。奴隷商で買われた訳じゃないから、私にはそれが入っていないってだけ。売春屈時代に入れられた商品の証は腰に刻まれてるけど」

「……その、なんて言ったらいいか」

「いいのよ。気にしないで。誰にでも、後ろ暗い過去はあるものよ。私たちはそうだったってだけ」


 ネイサンの言葉に、いよいよコナーはかける言葉が見つからなくなってしまった。


 ネイサンの言う通り、志願した少年兵の中には、後ろ暗い過去を持っているものが少なからず存在する。普段は明るく、気丈に振る舞うネイサンもその中の一人。


 コナーはバレンシアが用意してくれた椅子に腰掛け、蹲る様に身体を丸めたネイサンの背中をさすった。


「あら、優しいのね……」

「そんなことないですよ」


 コナーの体温を感じ、ネイサンは色々な熱を思い出す。それは、今までの中で、一番優しい熱を帯びていた。


 アイシングの冷気を感じながら、ネイサンはふと、自分をじっと見つめる紫暗の瞳がよぎる。


「コナーちゃん。良ければ、私の話を聞いてもらえるかしら?」

「え? その、無理に話さなくてもいいんですよ?」

「いいのよ。自分語りなんて、柄じゃないし、謎めいた女はミステリアスで魅力的だけど、誰かに話を聞いてもらいたい時ってあるでしょ?」


 ネイサンは目を伏せた。


「ただ寄り添って、聞いてほしいの。あの子の事も」

「……レオさんのこと、ですか?」


 寂しそうに空を見つめるネイサンを見て、コナーは静かに答えた。


 その答えに、ネイサンもそっと頷く。


「あの子はね。初めてあった頃から、ああだったのよ。まぁ、今よりずっと無口で、何を考えているのかわからなかったけど」


 ボロボロの服を纏い、一点を見つめる、人形の様な彼を思い出す。


「私がいた売春窟はね、私みたいな子が多かったわ。私達の"父様"は人攫いを雇って、私達に色を売らせていたから。奴隷は買わないのよ。でもね、ある時突然、一人の奴隷を買ってきたの。あれは、私が父様の知り合いをもてなした夜だったわ……」




    *     *     *




 中央と呼ばれる都市のはずれにあるスラム街、サウザー。


 ここは夜の街としても有名であり、軍も容認する売春窟や、カジノが夜の街を賑やかにしていた。中でも有名な売春窟”ステカー”は、娼婦よりも男娼で名を馳せた店である。


 サウザーに住む者なら、一度は聞いたことあるナンバーワン男娼。見目麗しい少年の源氏名は”パール”と言った。


 その日も彼は、"父様"と呼ばれる支配人に紹介された男をもてなし、客を満足させ、最悪の仕事を終える。


「あー気色悪い。シャワー浴びたい」


 いつも通りの仕事といえど、嫌なことには変わりない。


 ここに連れてこられた子供達は少年少女、関係なく色を売ることになる。


 逃れられない運命に、絶望し、頭のネジが外れる者も多い。


 自害する者、逃げる者。もうこれしか生きる道がないとして、必死に仕事をするものもいる。


 前者が正しいのか、後者が正しいのか、パールにとっては、もうどうでもいいことだった。


 湯の出が悪いシャワーを浴び、しなければならない事を終え、嫌悪感を抱きながらも、どうしたって変わらない状況に身をまかせるしかない。


 ――私はまだいい方。父様のお気に入りだから。色々と気を使ってもらえるし……


 そう言い聞かせるが、嫌なものは嫌だ。


 パールは大きく息を吐くと、珍しく上機嫌な男が声をかけてくる。


「おお! パール! 今日も頑張ったな! 偉いぞー! お客様は大満足だそうだ! 流石は俺のお気に入りだなぁ」


 男はパールに口づけをすると、嫌らしい笑みを浮かべる。


「あら、父様。今日は一段と上機嫌じゃない? 何かいいことでもあったの?」


 ステカーの支配人であり、娼館の子供らに父と呼ばせているこの男は、自分のことをウアスと名乗っていた。


 歯を見せて笑うたび垣間見える上顎犬歯の金歯と、突き出した鷲鼻が印象的なウアスは、パールの質問に、更に機嫌を良くする。


「おー! お前が頑張ってくれたおかげで、こいつを買えたのよ! おい!」


 ウアスの呼びかけに応じ、薄暗い通路からパールよりも背の高い少年が歩いてくる。


 作り物のような、変に色抜けした髪と瞳の色。感情の色までも欠落してしまった様な無表情な顔には、僅かに幼さが残っている。ボロボロのタンクトップを着ていて、肩の奴隷紋が目立つ。


 首や手足に枷が付いていたような後が残る少年を見て、パールの中で衝撃が走った。


 自分でもわからないが、その少年を見たときに何かを感じた。自分の運命を変えるような何かを。




     [666972810/1587130008.jpg]




「父様……。その子は?」

「こいつはなぁ! お前が今日もてなした客の商品でよ、お前も聞いたことあるだろ? 奴隷商で有名なアームス商会の品だよ! アームス商会が運営するヴァルトニル闘技場で見つけたのよ! 名前はレオンと呼ばれてたな」


 愛想もなく、ピクリとも動かない少年を見て、パールは少し不気味さを感じた。


「どうしてその子を? 最近足抜けもいないし、人手が足りないわけじゃないし。それに、父様はいつも奴隷を買わないでしょ?」

「まぁ、聞けって! こいつにお前と同じ仕事をさせるつもりはねぇよ。この間雇ってた用心棒が死んじまっただろ? その前に雇ってた奴は俺の商品と一緒に逃げやがったし、まぁ、ぶっ殺したけどよ? 俺はなぁ、パール。強くて、絶対俺に逆らわない用心棒が欲しかったんだよ! そこで、こいつだ!」

「この子が用心棒? 子供じゃない。大丈夫なの?」

「その点は問題ねぇよ。こいつはヴァルトニル闘技場の剣闘士を五年やっていたわけだが、一度も負けたことがない!」


 ――そりゃあ、そうでしょ。負けたら死んじゃうんだから


 パールは心の声をしまい、凄いのね、と驚いてみせる。


「俺が初めてこいつを見たとき、ライオンと闘ってたんだ! 斧一つでライオンを殺す場面は圧巻だったんだぜ? こいつが初勝利を飾った相手もライオンだったらしいぜ?」

「だから”レオン”なのね……」

「そう! そうなんだよ! 俺は思ったね! こいつが欲しいってな! だが、アームス商会の会長に話を持ちかけても、一向に首を縦に振らねぇんだ!」

「その会長さんがさっきの人だったのね?」

「そうだ! そいつが、会長のアームス・ヴァルトニルって訳よ! パールは本当に頭がいいなぁ!」


 興奮で熱が冷めやらないウアスの話など、この際どうでも良かったが、話を聞き、パールは目の前の少年に尚更興味が湧いた。


「アームス商会なら、奴隷商で有名だし、躾もちゃんとしてるんでしょ? 奴隷なら父様の言う事に絶対逆らわないし、父様はいい買い物をしたわね」

「そうだろう! そうだろう! 最近はパールに悪戯する輩も増えてきたからなぁ、コイツには基本的にパールに付けてやるからな」

「いいの? そんな事して。他の警備がずさんになってしまうんじゃない?」

「心配するなよ。他にも用心棒は居るしな。ヤベェ奴が来たらコイツに殺らせるが、基本的は今まで通りだ」


 上機嫌の男はレオンの髪を掴み、頭を引っ張り上げるが、痛がるそぶりもない。されるがままの姿を見て、パールは肺一杯に淀んだ空気を吸い込んだような不快感を覚えた。


「……そう。私に専属ボディーガードがつく以外はね」

「コイツを買えたのもパールのお陰だからな! 明日からお前の仕事に付けるからな」

「わかったわ」

「おっと、いけねぇ、ちょいと武器商人と話があるからまたな。おい! さっき言ったことちゃんとやれよ!」


 顔を見るだけで、黙ったままのレオンに、ウアスは舌打ちをした。


「喋れなくてもいいから、返事の仕方ぐらい教えておけよ。ったく。じゃあ、後でなパール」

「はーい。テッドによろしく伝えて」

「あの小生意気な武器商小僧の事を、偉く気に掛けるな?」

「そんなんじゃないわよ。早く行って。商談に遅れるわよ?」

「わかったよ」


 男はパールに別れの口づけをし、急ぎ足で階段を下りていった。


 ウアスが行ったのを確認し、パールはレオンに向き直る。


「ねぇ、あなた。レオンでいいのよね?」

「……」

「良かったらここを案内してあげましょうか?まだ来たばかりでしょう?」

「……」


 レオンはパールの顔をじっと見るばかりで反応する様子がない。


「私、結構人の表情を読むのは得意だけど、あなた、本当に無表情ねぇ。表情筋死んでるんじゃないの?」

「……」

「まぁ、いいわ、付いて来たかったら来なさいな」


 そう言ってパールが歩き出すと、レオンは静かに後を付いてくる。


 それをパールは了承の意だったのだと受け止めた。


「ねぇ、あなた、父様に何を言われたの?」

「……」

「私の見張り?」

「……」

「ふーん……。そうなの」

「……」

「あなた、本当に喋れないの?」


 立ち止まり、下から覗き込むパールに、レオンはついに重い口を開いた。


「ナイ……ヒツヨウ」


 声を聞き、驚いた様子で自分を見るパールに、レオンは眉を顰めた。


「喋れるじゃない! ちょっと驚いたけど、良かったわ。私、大体の人は平気だけど、女も男もマグロは苦手なのよね。まぁ、男は少ないけど」


 眉間の皺をさらに深くしたレオンを見て、パールは嬉しそうに笑った。


「まぁ、いいわ。喋れるなら、私の話し相手になってちょうだい」

「シゴト……チガウ」

「じゃあ、何が仕事なの? 喋れるなら言ってみなさいよ」

「シゴト……コロス。コロス、マモル、ユウセン、パール」

「んー。言いたいことはわかったわ。つまり殺す事が仕事で、私を守る事が優先事項って事ね」


 黙る行為は肯定の意だと取り、パールは続ける。


「まぁ、父様は私を見張りたいって言うのもあるんだろうけど。いいわ。じゃあレオ、私の心を守るために話し相手になりなさいよ。それくらい良いでしょ?」

「……ココロ?」

「そうよ。身体が無事でも、心が壊れちゃったら、結局人ってダメになっちゃうものよ。だから、コレもあなたの仕事の一つってところかしら」


 パールはウインクをしてみせる。


「わかった?」

「……ダク」

「……あなた、変な喋り方するのね」

「マエノバショ、イウ、テタ」

「ええと……まぁ、良いわ。ついてらっしゃい」


 パールは、ウアスの思惑が何だろうが構わないが、面白いものが来たと心躍らせた。


 ステカーの中を案内している際に、館の男娼仲間に挨拶回りをしていると、一際声色の高い声が聞こえてくる。


「今なんて言った!?」


 アジア系の少年が、長髪を振り乱しながら頓狂な声を上げていた。


「だから、お前、今日シルバーとショーケースだってよ」


 そう答えた褐色の肌を持つ短髪の少年は、大きく溜息を吐いた。


「えぇー!! 聞いてない! 絶対ヤダ!!」

「シフト見ろよ。パールじゃないんだからさぁ」

「だって、アイツ下手くそなんだもん! オニキスとが良かったぁ!!」

「俺はラピとだから」


 駄々をこねる長髪の少年に、褐色の少年はいたって冷静に答える。


「またアイツ!? ズルい!!」

「わかった、わかった! 終わったら相手してやるから、黙っていけよ」

「ヤダーー!!!!」

「もう、あんた達、何してるの?」


 見かねたパールが割って入ると、二人の関心は直ぐにレオンに向いた。


「パール、そいつ新人? 大丈夫なのかよ?」

「仕事できなそー。愛想は大事だと思うけど?」


 二人の少年は、レオンを訝しげに見上げる。


「大丈夫よ。この子は私たちと同じ仕事はしないもの。この子は新しい用心棒よ」

「げっ……。見張り役かよ」

「仲間じゃないね」


 あからさまに嫌そうにする二人に、パールは大きく息を吐いた。


「そう言わないの。この子はレオンよ。レオン。黒い子がオニキス。こっちの髪の長い子がアンバーよ」

「おー」

「よろしく〜」


 無反応のレオンに、二人は何とも言えない顔をする。


「愛想ないにも程があるだろ!」

「騒がないでよ。オニキスの声、耳痛い」

「はぁ? 喧嘩売ってんのか!? さっきまでお前――」

「はいはい。そこまで。じゃあ、私、レオンを案内するから」


 火花散らす二人の間に入り、またねと手を振った。


「ほーい」

「はーい、まったねー!」


 ヒラヒラと手を振る二人を後にし、パールは案内を続けた。


「あの二人の言う通り、愛想は大事よ? 少しは笑ったら?」

「……」

「ねぇ、ちょっと屈んでくれない?」


 言う通りにレオンは背を屈めると、パールはレオンの口角を、無理矢理指で引き上げてみせる。


「……ぷ、ふふふふ! 可笑しな顔! なんだかね、これからあなたとは上手くやっていけそうな気がするわ」


 パールの顔を見て、レオンは目を細めた。


「さぁ、行きましょ!」


 上機嫌に前を行くパールに、レオンはただ付いて行く。


 しかし、この時パールはわかっていなかった。自分が感じた、レオンの不気味さの正体に。少年の機械的な異常に。


 ある晩、いつもの様に客を取り、もてなしていた時だった。


 ――父様の知り合いだから、それなりにもてなさなきゃね……


「パール。本当にお前は綺麗だなぁ……」

「ありがとう、旦那様。そう言ってもらえると、もっと綺麗になれるわ」

「やっぱり最高だよ、お前は」

「ありがと」

「なぁ、もっとぶっ飛ぶくれぇ最高な気分になりてぇと思わねぇか?」


 その言葉に、パールは一瞬眉を顰めた。


「……そそられる話だけど、ルールがあるのよアギーレさん」

「固いこと言うなよパール。ここの娼婦連中は結構裏でやってるって話じゃねぇか。やってみろよ。びっくりするぜ?」


 その客は白い粉の入った袋をちらつかせる。


「……前にそういうのでおかしくなった子を見たことあるわ」

「これは大丈夫だって。やってみろって」

「ごめんなさい。それだけはお断りするわ」

「おい、そんな態度とって良いのかぁ!? 俺はお得意様なんだろぉ? ウアスの旦那を立てないとマズイんじゃねぇのかぁ?」

「それはそうだけど、それとこれは話が別よ」

「ッチ。めんどくせぇなぁ! 飲めって言ってんだろぉ!」

「ちょっと! ヤダ! 離して!」


 完全に男の焦点は定まっておらず、力づくでパールを押さえつける。


「嫌! やめ――」


 パールは、自分に覆いかぶさった男の後ろに立つ影を見た。


 その瞬間、男の首を横断するように斧が突き立てられた。男は斧を突き立てられた勢いで、パールから引き剥がされる。


 斧は頚椎に引っかかり、首を半分通ったところで止まっていた。


 顔に男の血が垂れ、初めて人の死を目の当たりにしたパールの顔は、真っ青になっていた。


 震える身体を起こし、後ろの壁まで後ずさった。なるべく死体から離れたかった。だが、それだけではない。


 何よりも、男を殺した無表情の少年から離れたかったのだ。


 レオンは男から斧を引き抜くと、広がった傷口から血が吹き出す。勢いはそれほどなかったが、レオンが大量の血を浴びることには変わりなかった。


 真っ赤に染まったレオンの顔がパールへ向くと、パールは恐怖で動けなくなる。


 赤い顔をした少年の、嫌に煌々と輝く紫暗の瞳。


 ゆっくりと斧を持ったまま近づいてくるレオンを見て、声も出せないほどの恐怖に支配される。


 レオンは血の付いたパールの顔を拭おうと手を出した。


 パールは顔を背け、目をぎゅっと瞑った。


 一度目を閉じてしまうと、怖くて目が開けられない。頰に圧力を感じ、レオンが自分の頰の血を拭っているのがわかる。


 震えるパールからゆっくりと離れ、レオンは殺した男の襟首を掴んで部屋から引き摺って行く。


 部屋から出た音がして、目を開けると、部屋は辺り一面赤黒くなっていた。パールは震える自分の肩を抱き、目を閉じる。


 いつもより鼓動がよく聞こえた。


「……生きてる」


 生きていることを実感し、段々と落ち着いてくる。


「部屋が汚れちゃったわね……。父様、なんていうかしら……」


 そう呟くと、外から悲鳴が聞こえてくる。


「あれは、アンバー? やだわ、あの子どこまで引き摺って行ったのかしら……」


 先程までと打って変わり、逆に冷静になって来たパールは、ゆっくりと立とうとするが、腰が抜けてしまっているのか、足に力が入らなかった。


 バタバタと音がする中、ウアスの怒鳴り声も聞こえてくる。


「一体何をしてるんだテメェは! コイツはいい金ヅルだったってのに! しかも、死体を引き摺って来るんじゃねぇ! 客が逃げるだろうが! 派手にやったんだ! パールは無事なんだろうな!?」


 部屋に近づいて来る足音と声を聞き、パールは男に呼びかける。


「父様こっち、私は無事よ!」


 声を聞き、部屋に入って来たウアスは、部屋の状況を見て顔をひきつらせる。


「うおお……。パール。無事だったか」

「ええ。でも、情けないわ。足に力が入らないのよ」


 パールはウアスの後ろに立っているレオンを見て一瞬固まるが、気丈に振る舞ってみせる。


「へっ。無理もねぇさ。この有様を見りゃあな」

「さっき、アンバーの悲鳴が聞こえたけど……」

「ああ、アギーレの死体を見てな。ああ、クソ……。いい薬を流してくれてたのによぉ……。店の外まで引き摺って行きやがって」


 顔色一つ変えず、その場に立っているレオンを見て、ウアスは舌打ちをする。


「それはやり過ぎだけど、その子を責めないでやって?」

「随分肩を持つじゃねぇか」

「だって私、アギーレさんに殺されかけたんだもの」

「なんだって!?」

「俺のものにならないなら殺してやるって……」

「そうか! それじゃあ仕方ねぇな。怖かったな、パール」


 事実とは違う、パールの嘘に、ウアスは血相を変え、死んで当然だと(のたま)った。


「父様。次は、レオンが殺したらどうすればいいか、ちゃんと教えてあげたほうがいいわ。レオンは言われた通り仕事するんだから、ちゃんと言うこと聞いてくれるわよ」

「そうだな。俺も初めて紋付奴隷買ったしな。あそこまで機械的だと思わなかったが、パールの言う通りだ! お前は本当に賢いなぁ」

「そうでしょ? ねぇ、父様? 私シャワーを浴びたいわ。血生臭いし、こんなに血塗れだと可愛くないわ」

「おお! そうだな! オイ! お前は廊下の血を拭け! 血を一滴でも残してみろ? 飯抜きにするからな!」


 ウアスの命令を聞き、レオンはゆっくりと歩き出し、部屋を出て行く。


「チッ、暫くこの部屋は使えねぇな……。おお、そうだパール。立てるか? 俺が連れてってやろうか?」

「大丈夫よ父様。力が入るようになって来たから、自分でいけるわ」

「そうか、じゃあ俺はこの騒ぎをなんとかしに行くからな。ったく、面倒ごとを増やしやがって!」


 不満を零しながら、ウアスは部屋を出て行った。


 パールは壁を支えにゆっくり立つと、備え付けのバスルームに入る。シャワーを頭から浴び、身体の血を流す。


 血を流して暫くしても、鼻腔にこべりついた血の臭いが落ちない。その臭いに酔い、何度も吐きそうになる。


 湯気で曇った鏡を手で拭い、そこに映る自分を見る。


「……ひっどい顔」


 パールは血の気のない顔を見て、死体を思い出す。


 ――とっさに父様に嘘をついてしまった……。あんなに怖かったのに、何故? 私はレオンに助けてもらった事を感謝しなければならないから? でも殺す事はなかったわ。どうしてあの子は何の感情も持たずに人を殺せるの? 狂ってるわ……


「……ふふ」


 パールは自分の考えを嘲笑った。


 ――狂ってるのは、私も同じよね……


 シャワーの音だけがバスルームに響いていた。




    *     *     *




「それがレオとの出会い。あの子と私の関係の始まり」


 ネイサンは自分の過去の一部を吐き出し、大きく息を吐いた。


 コナーはその話を聞き、ぎゅっと口を結んだ。


「そんな……事が……」

「でも、あの子を怖がらないで。あの子が誰かを殺す事に一切の躊躇がないのは、生きるためだったから。あの子は特に主人の命令に忠実だったから。本当は優しいのよ? アンバーやオニキス、他の子達にも優しくしてくれていたし。自分を殺して殺して、そうして感情が空っぽになってしまったの。それが奴隷」

「ネイサン……。話してくれてありがとうございます。でも大丈夫ですよ。僕らはもう、レオさんが優しい人だって知っています。それに、ネイサンの事も」


 その言葉に、ネイサンは目を見張った。そうしてから、柔らかく微笑んだ。


「……コナーちゃん。聞いてくれてありがとう。私、ちょっと休むわね」

「はい。おやすみなさい」


 コナーはカーテンを閉め、静かにその場を離れる。


 ネイサンは横になり、身体を小さく丸めた。


 肩を小刻みに震わせ、そうして溢れ出た感情が、頬を伝った。

どうも、朝日龍弥です。

語られるネイサンとレオンの過去。

宝石たちを、特に富を象徴とするパールを守る獅子としてのレオンが誕生した瞬間ですね。

彼らの過去はこれから徐々に開示されていきますので、よろしくお願いします。

因みに、ネイサン・パールのパールは源氏名です。


次回更新は、11/13(水)となります。

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