翳り
ロッキー山脈を形成する山々の麓に、大昔に栄えたと思われる廃坑跡地が点在する。そんな廃坑跡地には、幾つもの廃屋が聳え立つ場所がある。
ゴールドラッシュやシルバーブームなどで栄えた鉱山近くには、村や町ができるのは必然であり、そんな過去の遺産が、今では陰鬱な廃屋を乱立している所以である。そんな中でも一際重苦しい雰囲気を持った廃屋に、一人の男が訪れていた。眼鏡をかけた男は、正に血の海といった廃屋の中を躊躇せずに進んでいた。
「チッ。何が簡単で楽に稼げるだよ。そんな旨い話があるわけねぇだろうが」
男は一番奥の部屋を覗くと、数人の男が下半身を露出したまま、眉間を撃ち抜かれているのが目に入った。更に部屋の中へ歩を進めると、二人の男の死体に目を止めた。
「オイオイ、ひでぇ事しやがる。股間をぶち抜かれるなんてな。何したらこうなるんだよスラッグ。だからあれ程遊びすぎるなって言ったのによ……」
男は頭を撃ち抜かれ、片手が吹き飛んでいる男の死体を見て頭を振った。
「お前までやられるなんてな。アダラ、お前が付いていながらなんてザマだよ。ガキの扱いはよく知ってるって言ってたろうがよぉ……。というか、本当にこれ全部ガキがやったのか? あぁ……クソが……」
男は片手で頭を抱え、下を向いていると、軽い足音が聞こえてくる。次第に近づいてくるその音は、男のいる部屋の前で止み、やがて二人の子供が入って来た。
一人は十代半ばくらい、整った顔つきをしている。もう一人は齢十もいかないくらいか、顔全体に斑点の様な傷跡が目立つ三白眼の幼年。二人は人種も顔も違い、血縁関係は無さそうであるが、白髪紫暗の瞳と、共通の風貌をしている。
「キッケルさん。生存者はいない様です」
少し長めの髪を持つ少年は、中東の三竦みの一人、キッケルへと報告をする。
「二個小隊全部か?」
キッケルは微動だにせず、少年に聞き返す。
「全部だと、ヒース言った」
ケロイドの幼年がそう言うと、キッケルの瞳が眼鏡の上から覗き、冷たい目で見据えた。
キッケルはゆっくりと近づくと、幼年の腹を容赦なく蹴り飛ばした。後ろに吹っ飛んだ幼年は、老朽化している机や椅子やらを巻き込み、埋もれて行った。
「お前には聞いてねぇよ、クソガキ。ヒース。ちゃんと躾しろって言っただろうが。スラッグがいねぇからって手を抜くんじゃねぇ。俺はアダラやスラッグと違ってガキは嫌いなんだ」
「申し訳ありません」
ヒースは顔色一つ変えずにそう答えた。
「もうここに用はない。ここにいるメリットも一つもない。すべき事をとっとと済ませろ」
そう言うと、キッケルは外へと向かった。
「はぁ……。ノア、動けるかい?」
廃材に埋もれていた幼年は、何事もなかったかの様にひょっこりと顔を出す。
「仕事」
「そうだよ。今日の僕らの仕事は、ここを燃やす事だ」
「あいつらもか?」
幼年はアダラとスラッグの死体をじっと見つめた。
「うん。全部燃やそう」
「ヒース?」
首を傾げた幼年は、少年の後ろ姿を見つめた。
「あ、ううん。なんでもない。なんか悔しいなぁ」
「何が悔しい?」
「僕ら以外の子供が、平然とこんな事をやってのけちゃったことが……かな?」
幼年は黙したまま少年を見据える。
「何?」
「ヒース、嬉しそうだ」
「ふふ。そんな事ないよ。この二人が死んだって、僕らの生き方は変わらないしね。ただ強いて言えば」
少年は愉快そうにスラッグだったものを見下ろした。
「僕らの仕事が減ったってことかな?」
「仕事は増えたぞ?」
幼年は、よく分からないと言ったように眉を顰める。
「そういうことじゃなくて……まぁいいや。とにかく、これから少しは楽に寝れるかもしれないってことさ。お互いにね」
「よくわからない」
「はは。ごめん。さて、ルーカスとトウマを呼んで準備しなきゃね。ノア、車からガソリンを少しずつ取ってきてくれる?」
「わかった」
幼年は静かに頷き、外へと出て行った。
一人残った少年は大きく息を吐くと、蛆が湧き、腐敗が始まっている二つの死体へ歩み寄った。
「ざまぁみろよ」
少年は薄ら笑うと、部屋の隅で鈍く光る何かが目についた。
拾い上げたそれは、血で汚れたドッグタグだった。
「ショウ・マクレイア、ねぇ……」
少年はそれを首から提げ、口笛を吹きながら部屋を出て行った。
* * *
昼下がりの宿舎で、少年兵部隊の衛生兵達は休む間も無く、忙しなく動いていた。一個小隊に割り当てられている衛生兵は少数で、部隊全体を診るには人手不足であった。
治療はそう単純ではない。軽傷の者から重傷の者まで様々だが、厄介なのは身体的な物ではなく、精神的な物である。
ここにいる約三割の少年兵が、長い間続いた緊張状態で、極度の疲労感を感じ、情緒不安定になっていた。この症状に陥っている半数以上がウェーダー出身者であり、命のやり取りというものに縁がなかったものが多かった。そうでなくとも、初めての実戦を経験した少年達は、精神をすり減らしていた。
敵の脅威が過ぎ去ってから三日程度、アスペン街の拠点に滞在したのち、少年達は宿舎へと戻ってきた。これは精鋭部隊衛生兵長である、パウルス・リドナー准尉の助言を受けての行動であった。助言は功を奏し、精神をすり減らしていた者たちはゆっくりと自分を取り戻していくことができた。
戦場で己の自信を打ち砕かれ、劣等感に塗れたジャックも、身体の傷とともに精神状態も快方へ向かっていた。彼の中の、”ある”罪悪感を除いては。
ジャックは、自分が足を引っ張り、第三部隊が埋め合わせをすることになった結果、ショウとソルクス、そしてコナーが拷問にあい、ショウは未だ目を覚まさないと聞いていた。
拷問内容を聞いたジャックは、それ以来医務室など、医療関係の場所に足を踏み入れる事が出来なかった。それどころか自室から出ることさえ阻まれた。
彼はコナーに会うのを恐れていた。今まで暴言をぶつけ、暴力を振るい、そして終いには女の様だと笑い者にして来た彼だが、コレは笑えなかった。
コナーは今どんな状況なのか。コナーには戦場で助けられてから顔を合わせていない。気にはなったが、会うのは躊躇われた。だが、部屋にこもるばかりでまともに治療を続けなかった為、彼の受けた銃創は膿み始め、陰鬱な部屋の中では気分さえ悪くしていった。流石に不味いと思い、治療を受けに行く為に、ジャックはとうとう外へ出た。
部屋を出て、外の空気を吸い込んだが、当然気分が晴れるわけもなく、それどころか、コナーに鉢合わせてしまうのではないかと気が気でなかった。
辺りを気にしながら歩いているうちに、よくよく考えれば、あんなことがあった後で、コナーがフラフラと宿舎の中を歩き回っている訳がないと思い至った。今までのコナーならそうだと考えたジャックは、何を悩んでいたのかと吹っ切れ始め、医務室へと向かう足取りは次第に軽くなっていった。
現在、宿舎の医務室には人が入りきらない為、隣の物置きを整理し、臨時で解放している状態だった。
ジャックは臨時の医務室の方へ足を運ぶと、そこには忙しなく動いている小さな影が見えた。その姿を見た瞬間、ジャックは理解できず硬直してしまった。絶対にいるはずないと思っていた人物が、そこにはいた。
「あれ? ジャック?」
その場から逃げるより先にコナーに見つかってしまい、ジャックは後ずさった。コナーは眉を顰めながら近づいてくる。
――そりゃあそうだよな
ジャックは何を言われても仕方がないと腹をくくった。
「もう! 何で戻ってから一度も顔出さないんですか!? ヤコブさんから聞きましたよ!? 部屋から出て来ないって! あれから碌な治療も受けてないでしょう!?」
「……は?」
「ほら! ちょっとこっち来てください! 傷の具合を見ますから!」
そう言って、コナーはジャックを空いているスペースに座らせると、三角筋を外し、左肩に巻いている包帯を解く。
「うわ! 傷口が膿んでるじゃないですか! 包帯替えてないでしょう!? あ! 抗生剤も飲んでないですね!? もう、何で直ぐに来なかったんですか?」
ジャックは戸惑いを隠しきれず、コナーの顔を何度も見ては首をかしげた。
「傷口洗いますからね」
コナーは生理食塩水で傷口を洗い始める。
「抗生剤を途中で飲むのをやめると、耐性菌が出来てしまうので、今度はちゃんと飲んでくださいね? あと! 包帯は毎日交換してください! ヤコブさんにも伝えておきますから!」
「何……で……」
ジャックは青い顔でコナーを見やる。
「え? ああ、ヤコブさんは今休憩中なんです。みんなで交代で診ているので今は僕が――」
「何でお前が俺なんかを気にかけんだよ」
「ジャック?」
「ほっとけばいいだろ! お前を散々殴った奴だぞ!? バカにして来た奴だぞ!? それにお前は! 俺のせいで! あんな……事に……」
言葉にするのが恐ろしかった。ジャックはコナーの顔が見れず、顔を俯かせる。顔を合わせる事になったら謝罪しようと思っていたのに、余りにも普通に接して来たコナーに腹を立て始めている自分がいる事に、嫌悪感を覚える。
「ジャック」
コナーに呼ばれ、どんな罵倒が飛んでくるのかと考えながら、ゆっくりと顔を上げた。
「放ってなんておけないよ。僕は第三部隊の衛生兵長だもの。それにジャックが僕を殴ってたとか、そんなことは、もう気にしてないよ」
「……は?」
「だから、僕は大丈夫!」
満面の笑みで笑ったコナーを見て、ジャックは言葉が出なかった。
「はい! 終わったよ! あんまり状態が良くないから寝る前くらいにもう一度巻き直したいな。ヤコブさんに伝えておくから、今度はちゃんと来てね」
「コナー! ちょっとこっち来てくださいっす!」
「はい! ちょっと待っててクラーク! じゃあジャック。また後でね」
ジャックはぼんやりとコナーの後ろ姿を見て、目を見開いたまま固まっていた。
「ん? ジャックじゃないか?……どうした?」
薬を運んでいたエリックが、ジャックの異様な雰囲気を見て足を止めた。
「いや……あいつ……」
「ああ、コナー二等兵か? あんな事があったと聞いて心配はしたが、良くやってくれている」
「あいつ……普通だよな……?」
「は?」
エリックはコナーを見やり、頷いた。
「普段通りかと言う質問なら、その通りだが?」
「気色悪りぃ……」
「ジャック、お前……」
「何であんな普通にしてられるんだよ。だって、いつもなら……」
「ジャック?」
普段、動揺している姿など人に見せないジャックが目を泳がせているのを見て目を細めた。
「気色悪い、ねぇ……」
コナーの様子を観察していると、慌ただしく重い足音が廊下に響き渡り、足音を立てている人物が急いでいるのが伝わってくる。
「大変だよ〜! 急がなきゃ〜!」
身体から煙を出すほどの勢いで、カールソンが医務室に駆け込んで来た。
「ぜぇ……ぜぇ……。痩せちゃうよ〜。お腹減ったよ〜」
「ど、どうしたんすか? そんなに慌てて。ここには食べ物ないっすよ?」
カールソンの慌てぶりにクラークは呆れ半分に話を聞く。
「隊……隊長が……ぜぇっ……」
「え? 何すか? よく聞こえないっすよー?」
「隊長が……目を……目を覚まし……ぜぇっ……」
「ショウさんが!?」
コナーはカールソンの言葉にいち早く反応し、大慌てで医務室を出て行った。
「コナー! こっちがまだって……行っちゃったっすね」
「いいじゃない……ぜぇっ……行かせて上げた方が……ぜぇっ……。所でさ……」
「何すか?」
「ドーナツない?」
「もー! カールさんもたまには働いてくださいっす!」
クラークが声を上げると、カールソンは気だるそうに答える。
「だって僕、人より食べてないと死んじゃうし〜」
「説得力ないっすよ……」
「どうしたんだ?」
クラークが大きく溜息を漏らしていると、荷運びをしているランスが不思議そうに声をかける。
「あ、ランスさん。お疲れ様っす! ランスさんも怪我してるのにすいません」
「これくらいいいって! 年少組のお前が頑張ってるし、俺の傷なんて大した事ない方だし、これくらいしかできないからな。他に何かできる事ないか?」
「大丈夫っすよ。カールさんにも手伝ってもらうっすから」
カールソンは駄々をこね始めた。
「え〜僕やるの〜?」
「カールは曲がりなりにも衛生兵だろ? 後でなんか食い物持ってきてやるから頑張ってくれって。な?」
「できれば今食べたいけど〜、うん。頑張ろうかな〜」
「よし。頼んだぞ?」
ランスの説得に、カールソンは渋々了承した。その手腕に、クラークは舌を巻いた。
「流石っすねー」
「そんな事ないさ。他に手伝える事あったら言えよ?」
「あ! じゃあ、ソルさんに隊長が目を覚ましたって伝えて欲しいっす! あの人どこにいるかさっぱりだし、無線もつけてないっすからねー。見つけたらで良いっすから」
「え? ああ、それなら任せてくれ」
ランスはそう言って近くの窓を開け、軽快に外に出ると、一本の木に向かった。
「おーい! ソルクス!!」
ランスの視線の先を見ると、仏頂面で不貞腐れたように太い枝に腰掛けているソルクスが見えた。ソルクスはランスの呼びかけに、不機嫌そうな面持ちで振り返った。
「隊長が目ー覚ましたってー!! 行かなくて良いのかー?」
ランスが言い終わると、ソルクスは火が付いたように木から飛び降りた。
「それホントか!?」
「本当だ、本当。早く行った方が」
ソルクスはランスが言い終わる前に走り出していた。
「おーい! 隊長は尉官宿舎の方の一階会議室にいるからなー!」
ランスの言葉を聞き、ソルクスは急ブレーキをかけて尉官宿舎の方へと方向転換して行った。
「よくソルさんがあそこに居るってわかったっすね?」
窓からひょっこりと顔を出していたクラークが、感嘆の声を漏らした。
「ソルクスは一人の時、訓練場で組手荒らしか、基本はああやって木の上にいる事が多いみたいってロニーが言ってたからさ」
「ロニーさんはソルさんのお目付役みたいなもんすからね。よく逃げられてるみたいっすけど」
ソルクスの所在に奔走するロニーの姿を思い浮かべ、クラークは苦笑した。
「と言うか、あの高さから飛び降りるなんて、怪我人のすることとは思えないっすね」
「ははは。そうだな。隊長もそうだけど、特にソルクスは俺たちとは違う次元で生きてるみたいだよなぁ」
「違う次元? 次元てなんすか?」
「ん? ああ、クラークには難しかったかな」
その言葉に、クラークは頬を膨らませた。
「ランスさん、バカにしてねぇっすか?」
「いや、そんなつもりじゃないけどさ。そういえばクラーク」
「ん? 何すか?」
「仕事しなくて良いのか? カールのやつ寝てるけど」
ハッとして振り返ると、カールソンは心地よさそうに鼾を立てていた。
「あ! もう! カールさん! こんなとこで寝ないでくださいっす! そこは患者の寝るとこっすよ!?」
「ん? 何? ご飯?」
「何寝ぼけてるんすか! 早く起きてくださいっす!」
「あれ? ご飯じゃないの? 仕方ない。これで我慢しよう」
カールソンは目の前にあった缶詰を開け、口に頬張り始めた。
「あれ? 何食べるんすか? ってソレ!! 栄養補助食じゃないっすか! それも患者のっすよ! 何勝手に食べてるんすか!」
「味は薄いけど結構いける」
「感想述べてないで仕事してくださいっす!」
「ははは!」
「ランスさんも笑ってないで止めてくださいっす!」
そのやり取りに、暗く陰鬱だった医務室には和やかな空気が流れ始めた。
どうも、朝日龍弥です。
今回から後篇が始まりました。
後篇もよろしくお願いします。
次回更新は、6/5(水)となります。




