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SLUMDOG  作者: 朝日龍弥
一章 少年兵第三部隊
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伸びしろ

 アルガ・ペトロフという人物は軍人として輝かしい功績を残しながらも、軍へ入隊してからその階級は准尉のままである。


 軍人でありながら争いごとを嫌う平和主義タイプ。彼は優しすぎるのだ。


 自ら武器を持つことを得意としない彼は、現在彼が指揮官として教鞭をとっている少年兵第三部隊の彼らにも対面では後れをとるやもしれないほどだが、指揮官としての彼は軍最高司令官の元帥、大将が一目おくほどの実力を発揮する。


 順当にいけば、中将あたりの階級まで登りつめていてもおかしくはない。


 彼の昇級が見送られることに疑問を持つものも多く、その理由を知るものは限られている。


 現場で、しかも最前線で指揮を取るのは下位尉官、だから前線で指揮をとるためだけにペトロフが昇級を辞退していると言う話が有力である。


 彼は元来、中央の陸軍本部でただじっと座って報告を待つのは性に合わないと言う性格である故、その噂話にも真実味が出てくる。


 部下を育てることが上手い彼の実力は〝軍隊の父〟などと称せられるほどで、それは彼が教えた下士官が、彼と同じ階級、もしくは自分の上官まで登りつめているという事実が物語っている。前線では機転を利かせ、部下たちは多くの戦果をあげている。彼は名将なのだ。


 そんな彼は今、艶やかな青空の下、木々生い茂る尉官宿舎の一角で優雅にハーブティーを飲みながら、今日も自分が受け持っている少年兵第三部隊の名簿を見ながら各個人の何処を、どう伸ばすかを考え、筆を走らせている真っ最中である。


 軍から派遣された教官はペトロフを含めて四人と、それをまとめる戦場経験の一切ない中将閣下が一人。中将閣下の命令で、少年兵部隊の指導は各教官に一任されている。好きに指導してよいという何とも投げやりな命令に呆れつつも、禁止事項はあるが、自由度が高いこともあり、ペトロフにとってはやりやすかった。


 時刻は午後二時。太陽が丁度南中高度に達した頃。


 資料をまとめ、ハーブティーを淹れる。


「ふむ。そろそろか……」


 ポツリとつぶやき、ティーカップを持った瞬間、凄まじい勢いで右斜め後方の茂みからソルクスがゴム状のペイントナイフを携えて、ペトロフの首めがけて飛び出してきた。


「もらったぁああー!」


 ソルクスがペイントナイフをペトロフの首に走らせようとしたその時、ペトロフの右手側から淹れたてのアツアツのハーブティーを顔面に思いっきり食らった。


「っっあっちぃいいいいいい!!」


 思わぬカウンターを食らったソルクスは、近くにあった水瓶に思いっきり顔を突っ込んだ。


「ぷはっ。あー死ぬかと思ったー。なにすんだよー! こっちはゴムのペイントナイフだってのにー!」

「これが実戦だったら死んでいたよ? イグルス二等兵。君にこの課題を与えてから丸四日。君は一度も私にナイフを当てられていない」


 ペトロフは新しくティーポットからハーブティーを淹れ直し、相も変わらず優雅に茶を楽しんでいる。


「ちっきしょー! 次はゼッテー殺ってやるかんな!」

「威勢だけはいいね。言ったろう。忍耐だよ。もう一度確認するけど、君の勝利条件は私に気付かれずにナイフを当てることだよ? まだ私を殺る気満々の殺気が刺さるように伝わってくるし、何よりあの大声はないよ。もらったー! ってやつ。あれじゃあ気配を消してる意味がないじゃない。君のナイフ格闘術にステルス技術が加わればよりレベルアップできると思うんだけどねぇ……。これじゃあ当分褒美の焼肉はお預けだね」

「うー……。肉ー……」

「さて、私はマクレイア二等兵の様子を見てくるとするかな。イグルス二等兵はさっき私が言ったことを反省しなさいね。まぁ、今までよりも君の気配はわかりづらくなったと思うけどね。この調子で精進しなさい」

「むー……」


 頭に枝や葉をくっつかせたまま、腕を組み、座った状態で考え込むソルクスに優しく声をかけながらその場を後にする。


 第三訓練所で組手や銃器の訓練をしている少年兵達の中心に、黒髪の少年の姿が見える。


 大勢の組手の相手をしているショウは、ぎこちないながらも教える立場になっている。これが、ショウがペトロフから与えられた課題の1つである。教える側になることで、他の少年兵達からの畏怖の念を和らげ、打ち解けさせる。彼の硬さを和らげさせる目的と、人と多くコミュニケーションをとらせるためだ。兵の士気も上がり、練度も上がる。なにより部下を気にかけられる上官に、信頼される上官になるために欠かせないことだ。


「精が出るね、マクレイア二等兵」


 ペトロフに声をかけられ、ショウはすぐに敬礼をする。


「徐々にではあるけど、慣れてきたみたいだね。一旦小休憩を挟もう」

「承知しました。注目! 今から三十分間の休憩をとる! 各自、水分補給を怠らないように! 全体! 休め!」

「「サー・イエス・サー」」


 ショウの指示で少年達はそれぞれ休憩を取り始める。


「中々様になってきたじゃないか」

「いえ、俺……小官はまだまだです。なかなかペトロフ准尉の様にはいきません」

「いや、それでいいんだよ。なにも私になれとは言っていない。君は君なりに教鞭を取ればいい。それに始めから百をしろとは言っていないしね。できなくて当然なんだよ。君はもう少し自分に余裕を持った方がいい。君一人で戦争できるわけじゃないんだよ。マクレイア二等兵」

「……肝に銘じておきます」

「まぁ、君は天才肌だからね。言葉遣いもここ一週間で大分良くなった。さぁ、小休憩は三十分しかないからね。そろそろ始めようか」


 そう言ってペトロフが取り出したのは、縦横8マスずつに区切られている市松模様の盤だ。これがショウの2つ目の課題。ペトロフとチェスをすること。


 二人は演習場の隅にある木陰に腰を下ろし、駒を並べ始める。


「さぁ、先手は君に譲るよ。今日はどんな風に攻める?」

「……」


 時間制限は三十分。どれだけ相手を切り崩せるかを考える。


 ショウは少し考えてから駒を動かし始めた。


 数手駒を動かし続けていくと。ペトロフは感心した様に頷きながら楽しげに駒を動かしていた。


「……ふむ。やはり君は筋がいい。チェスを始めたのが一週間前だとは思えないほど上達している」

「……。俺は……小官はまだ准尉と会話しながら出来るほどじゃありません」


 たびたび考え込みながらチェスの駒を動かすショウと、喋りながらでも少しも時間をかけずに駒を動かすペトロフとの差は歴然である。


「まぁ、そうは言っても。君はすごく伸びがいいよ。こんな中年のオヤジの余興に付き合わせてすまないねぇ」

「……いえ、これも兵を動かすにあたって……重要な訓練だと……小官は思っていたのですが」


 自分が喋っている間に三手以上も進む戦況に、ショウは顔をしかめる。


「まぁ、そういう意味も込めて君とチェスを指してはいるよ。でもね、やっぱりチェスの強さと、それとは必ずしも比例しないんだよ。でも戦況を正しく、素早く理解する基礎にはなる」

「チェック」


 静かに確実にキングを取りに行くショウは、早い段階で王手までもっていった。今、ここでここのタイミングで、という固い意志が伝わってくる力強さがあった。


 ショウの一手を見て頷きながらペトロフは、顔をほころばせていた。


「君は戦術を素早く正しく組み立てる事に長けている。そしてそれをやり遂げようとする力強さがよくわかるよ。でも――」


 コツッと馬の形をなした駒が、チェックをしていたショウの駒を倒して静かに置かれた。


「詰めが甘い。早い展開と戦術を重視しすぎて自ら穴を作ってしまった。まぁ、三十分という短い時間でここまで持っていけただけでも、及第点だがね。まずは焦らず頭を整理して、君のやりたいことを成すために、今の状況が適当かどうか見極めなければね」

「……。そのためには戦況を正しく理解するのが大切」

「その通りだ。そのためにやっているわけだが。いやはや、君との対戦はとても楽しいよ」

「……」

「悔しいかい? その気持ちは大切だ。でも自信をなくすことはないよ。とてもいい手だった。君はまだまだ成長するよ。私が君に勝つことができるのは、単純に経験の差だ。君はたかだか一週間で私に勝とうとしているのは負けず嫌いでいいことだが、身の程をわきまえないとね」


 そう言って微笑むペトロフから逃れるように、ショウは盤上に視線を落とした。


 柔和なペトロフの雰囲気と違い、鋭く確かな駒の動かし方を思い出す。いくらやっても勝てるイメージができないと、ショウは小さく溜息を吐いた。


「君が私くらいの歳になった時は、きっと私は手も足も出ないだろうけど、そうなるにはまず君の出来ることと、出来ないことを知らないといけない。君は一人の人間である以前にまだまだ子供だ。もっと他人を頼りなさい。自分一人でできることなど、たかが知れている。そこで君に出しているもう1つの課題が意味をなしてくる」


 ペトロフの視線を追う様に、ショウは辺りを見回した。


「イグルス二等兵とばかりいないで、もっと仲間に目を向けなさい。そして知りなさい。自分ができないことを補ってくれる仲間がいるということをね。戦争は独りでは勝てないよ。マクレイア二等兵」

「……はい」

「さて、そろそろ時間だね。彼もそろそろかな?」

「彼?」


 ショウがそう呟いた瞬間、木の上から赤い影がペトロフの後方、首をめがけて音もなく飛び込んできた。


 ――もらった!


 ペイントナイフを振り抜き、標的の首にピンク色のペイントが付く事はなく、標的はタイミングよく右にずれたため、標的を失ったナイフが空を切り、バランスを崩しそのまま地面に頭から突っ込んでしまった。


「ぐへ!」

「マクレイア二等兵に気づかれないまでにはなったか。君なりに成長してるね。感心感心。だが、君も知っているだろう? ナイフは第一撃よりも、それを補う第二、第三撃が大切だということを。気配を消すことのみに集中しすぎて大切なことを忘れてしまっては本末転倒だよ。まぁ大抵のものはさっきので、大丈夫だろうけどね」

「くっそー! 痛ってー!! あーもう! 今度こそ殺ったと思ったのにー!」

「まぁ二人とも、焦る事はない。君たちはまだ右手と右足を一緒に出して歩こうとしている幼児のようなものだからね。そのうち自然とできるようになってくるさ。歩くことをやめなければね」

「俺、ペトロフ准尉の言ってることたまに全然わかんないであります」

「イグルス二等兵、君もそのうちわかるようになるさ。さ、訓練に戻りなさい。他の者が待ちくたびれているやもしれんよ」

「「サー・イエス・サー」」


 第三訓練所に戻る二人の背中を見送る。


「子供の成長は恐ろしいものだ。本当によく似ている」


 どこか懐かしさを感じながら、ペトロフは再び二人の成長をかみしめた。




    *     *     *




 今日の訓練を終え、少年兵第三部隊はそれぞれ宿舎に戻る。


 彼らの楽しみは毎日でる質素な食事だった。


 悪環境のスラム街と違い、水は濁っておらず、食べ物があるという事実だけで幸せなことだ。しかし、その日の炊事当番によって味が変わるので、ちょっとしたいざこざはよくある。


 普通の軍人の宿舎に比べたら十分の一程度の設備で、良い環境とは言い難いが、スラムを生き抜いてきた彼らにとって天国と言っても過言ではない位の設備にかわりはない。


「うっめー! 芋ってこんなにうまいもんだったんだなー! パンも付いてるし! 今日はスープもあるぜ!」


 そう言いながら口の周りをぐっちょり汚しながら、片っ端から口の中にめいいっぱい詰め込むソルクス。


「飲み込んでないで少しは噛めよ。良い加減詰まるぞ」


 そう言いながらも口元を汚しながら食べる姿は、ショウもあまり変わらない。


「いいんだよ! 食える時に食わねーとな!」


 ぐいっと袖で口元を拭いて、ニシシと笑ってみせる。


「それもそうだな」


 ショウも同じような仕草で口元を拭き切る。


「なー! 水浴び行こうぜ!」

「そうだな」


 そう言って席を立つ二人の様子を、少し離れた席から一人の少年が首をかしげながら見ていた。


 二人は外に出ると、宿舎の裏手にある水道へ向かった。


「いやーしかしよー! 茶色くない水で体洗えるなんてなー! しかし不思議だよなー。水に色付いてないなんて。頭かゆくならねーし。本当すげーよな!」

「それは俺も思った。泥の味しないし。変な匂いもしない。無味無臭って奴なんだろうけど、とてつもなく美味く感じる」

「だよなー!」


 そう言って水浴びをする二人の元に、一人の透き通る金髪をした少年が恐る恐る近づいてきた。


「あ、あの!」

「んあ? なんだ? お前? なんか用?」


 入隊してから初めて自分たちにまともに話しかけてきた人物を見て、二人は首をかしげた。




     挿絵(By みてみん)




「ど、どうして、外で、水浴びをして、いるんです、か?」


 小柄でおどおどとした少年を見て、またまた首をかしげる二人。


「悪い、質問の意味がわからない。ただ汗を流しているだけだが?」


 今度はショウが少年に問いかける。


「だって、あの、中には共同のお風呂がありますし、わざわざ外で浴びる必要があるのかな、って」

「「……風呂!?」」

「は、はい! すみません! あの、いいんです! お二人が、水浴びがいいなら! おせっかいを、すみません!」

「おい!」


 必死に謝る金髪の少年にソルクスが両手を少年の両肩に乗せる。


 すると、ビクッと怯えるように、少し長めの前髪からのぞく青い瞳がギュッと閉じられた。


「ひぃ! ごめんなさいぃい!」

「……風呂って……なんだ?」

「………。……はい?」


 ソルクスのその問いに金髪の少年はフリーズした。


どうも、朝日龍弥です。

一章を分割しました!

次回から新キャラのターン!

お楽しみに!


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