天才科学者
持続的な焼けるような痛みと、凍りつくような寒気に襲われ、ショウの意識は度々どこか暗い場所へ持っていかれる。その度にコナーやソルクスの声に引き戻される。
鉄臭いものが胃から迫り上がり、口の中を満たしていく度に呼吸がしづらくなる。
だんだん身体の感覚がなくなっていくのがわかる。それはショウの体に否応無く”死”という感覚を感じさせた。
その中でふと頭によぎったのは、化け物の頭を撃ち抜いた瞬間だった。あの時確かに聞いた。”タスケテ”という苦しみ悶える女の声。あれは何だったのか。
再び強い眠気に襲われ、意識が遠のいていく。
コナーとソルクスの切羽詰まったような声を聞いたあと、ショウの意識は完全に闇に掬われて行った。
「……ん」
瞼が重く、ゆっくりと目を開けると、ショウは医務室のベットで横たわっていた。
「俺は……生きて……るの……か……?」
ハッキリと意識があるが、体は痺れているのか動かしづらい。しかし、嫌という程感じていた痛みがまるでなかった。
生きているという実感がなく、本当は死んでいるのではないかと思わせるくらいに綺麗さっぱり痛みから解放されていたのだ。
ショウは身体を起こそうとして左肩から上腕までに痛みが走り、やっと生きているのだと感じる。
右腕には点滴の管が走り、輸液のために固定されているのがわかる。
ふと自分が寝ている足元を見ると、そこには死んでいるかのように眠っているソルクスとコナーの姿があった。
二人の姿を見てホッとして力を抜いくと、そのまま枕に頭をうずめる。
「んん……」
ショウが動いたことで、コナーの金色の長い前髪から、スッと青い目が覗く。数回瞬きをして、確かにショウの意識が戻ったことを確認すると、コナーは勢いよく飛び起きた。
「ショウさん!!」
「どうした!?」
その声を聞き、鼾をかいていたソルクスも飛び起きる。
「ショウさん! よかったぁ! 本当に良かったぁ!!」
「目が覚めたのか!? 俺の声聞こえてるか!? この指は何本に見える!?」
ずいっと顔を近づけて来る二人に、若干気圧されながらも、ソルクスの質問に答える。
「……三本だ」
「違う! 三本だ! うん? あってる! あってるぞ! 本当に大丈夫か!?」
「大丈夫だ! とりあえず落ち着け! お前が大丈夫か?」
「落ち着いてなんていられませんよ! ショウさんが化け物を倒したあと、化け物から受けた傷と毒で何度も死にかけたんですよ!? 体が大丈夫なはずないです!」
今にも泣きそうなコナーに対し、ショウは冷静に自分の体の状態を分析する。
「まぁ確かに、あちこち痺れてるような感じで、起き上がるのもしんどい感じがするが――」
「へぇー思ったより元気だなぁ。あんたタフだねー」
不意に聞き覚えのない声が聞こえ、ショウは声の主の方を見やる。
ベッドを仕切っていたカーテンの隙間から、何やら白衣らしきものを着た黒髪の少年が、椅子に座っているのが見える。首からゴーグルをかけ、何やら机の上で作業しているのか、しきりに手が動いているのがわかる。
「あの状況でピンピンしてるなんてなぁ、大の大人でもきついってのに、体の痺れの後遺症しかねぇーのか。まぁそれもそのうち取れるだろうしなぁ。元気すぎてつまんねぇーの。手術失敗しとくんだったなー」
気の抜けたような声の主が、フラスコから色のついた液体を試験管へと移すと、スッと色が抜けて透明になる。
「でーきた。皮膚から毒が浸透していった奴と違って、あんたは血管から毒が直に入ってるからな。ホラ、あんたのために作った薬だ。味わって飲みな」
くるっと椅子を回してこちらを向いた少年は、歩くのが面倒なのか足で床を蹴り、椅子を転がして移動する。
ショウに薬を差し出す黒髪の少年は、見た所この中の誰よりも幼く、場違いな風貌をしている。
確かに見覚えのない少年だと考え事をしていると、少年は不思議そうに首をかしげた。
「何だ? 飲まねぇーの? あ~。さては、あんた薬が苦手だな? あの被験体を前にして果敢に立ち向かった男が、薬が怖いなんてねぇ! ハハッ! 笑える!」
ニヤニヤと、どこからとなく苛立ちがこみ上げて来るような顔をしている少年に、普段冷静なショウもペースを乱される。
「……この腹立つガキはどこの誰だ?」
「ああ、こちらは舎密倞さんと言って、ショウさんとソルさん、あとジャックの治療をしてくださった方です!」
「ハカセっていうらしいぞ! あとテンサイらしいぞ!」
コナーとソルクスからの紹介を受け、舎密は自分を指さす。
「因みに舎密が姓な。この腹立つガキがあんたの命の恩人ってわけだ。まぁ、俺がしたのは今にも取れそうなあんたの左腕をくっつけてやったくらいだな。骨にヒビ入ってたが神経系はひとまず問題なさそうだし、全治一ヶ月ってとこかな? この赤いやつなんて、あんたを助けろって掴みかかってくるもんだから大変だったんだぞ?」
「……そうか。俺が生きているのはお前のおかげか」
ショウは舎密に対して失礼なことを言ったと、反省した。
「まぁ、礼を言うならコナーだっけ? こいつに言えよ。俺がつくまでに解毒処理と応急処置をちゃーんとしておいてくれたおかげで、あんたの命は拾われたようなもんだからな。とっさの判断でタンニン酸溶液が頭に浮かぶなんてな! しかも、初めて処置したってんだから及第点だよ! まぁ、処置はよかったが、被験体の毒が出血毒じゃなかったら死んでたかもな。アハハ!」
「舎密さん! 笑い事じゃありません! 僕の行動が評価されるのは嬉しいですけど、結果論ですから!」
腹を抱えて笑う舎密に、コナーは少々腹を立てた。
「悪い悪い。楽しくってな。瞬時に毒だと判断し、それが出血毒の可能性も踏まえ、感染症やアナフィラキシー等の処置もしたんだぞ? 医療の知識も浅いただの一般兵が初めての処置でできる芸当かよ! こんなに面白いことはないだろ? コナー、あんた軍人よりも科学者に向いてるよ! 俺の助手にしたいくらいだしな!」
舎密が一人で子供らしく無邪気な表情で喋り続ける事に、三人は完全に置いていかれる。
その中でショウはある疑問を舎密にぶつける。
「なぁ、お前がさっきから言っている”被験体”ってのは俺が殺した化け物の事か?」
「ん? ああ、化け物ねぇ。まぁ、そうだけど?」
「”被験体”ということは、あれは何かの実験で、ああなったってことなのか?」
ショウの言葉に、舎密は少々考えた末に、答え始める。
「んー実験のことは軍事機密だって言ってたが、まぁ、あんたらも軍人の端くれだし、現に目撃してるし、知っててもいいだろ。あれは俺が作った試作品。第一号だよ。人間と動物を合成できるのかっていうね。いわば”キメラ実験”ってとこかな」
「人間と!?」
「動物を合成するなんて! そんなこと!」
ソルクスとコナーが声を上げると、舎密は心底楽しそうに喋りだした。
「できるのかって? あんたらも見ただろう? あの被験体によって証明されたんだよ! 物質と物質が化合して合成するように人と動物が合成できることがな! まぁ、遺伝子の組み換えを、生きている人間に施すからまだまだ研究段階だけどな」
楽しそうに、半ば興奮気味で話し続ける舎密に、三人の顔がこわばっていく。
「しかし勿体無かったなぁ。もう少し実験の仕様があったんだよなぁ。まぁ、合成して生きてたから成功例ではあるけど、あれは失敗作だからなぁ……。意識が本能の方に持ってかれて言うこと聞かないし。もともと人間の方の意思が弱かったからなぁ。まぁ、今度はもっとちゃんとしたの作ればいいだけの話だし――」
「……は……」
「ん?」
「お前は……人間を何だと思ってやがる!?」
「ショウさん!!」
コナーの制止も聞かず、ショウは動きにくい体を動かし、右腕で舎密の胸倉に掴みかかる。
しかし、舎密は臆することなく首をかしげた。
「何を怒る事がある?」
「何!?」
「あんたが怒っているのは実験に人間を使ったからか? それともこの実験が発端で自分と部下に危険が及んだからか?」
ショウは舎密の物言いに憤慨した。
「天才科学者か何か知らないが、お前がやったことは非人道的だってことは、お前より頭の悪い俺でもわかる! 人の命を使っておいて、まぁいいかだと!? ふざけるな! 化け物になった人は苦しんでたんだぞ! 人の命に次なんてないんだよ!!」
「だから? それの何が悪い?」
舎密はショウの言葉に心底うんざりした様子で答える。
「お前はっ!」
「じゃあさ、逆にあんたに聞くけど、実験に使うのは人間じゃなきゃいいのか?」
「何?」
舎密は目を細め、ショウに問う。
「人間じゃなきゃ実験に使っていい。人間じゃなきゃ殺していい。人間じゃなきゃ食べてもいい。人間じゃなきゃ他のどの生物を使ってもいいとでも思ってるのか?」
三人の沈黙を他所に、舎密の独白は続く。
「あんたに使われた薬や治療、ましてや相手を殺すための道具や毒だって、殆どが動物実験を通して行われてる。そこらへんで出回っている化粧品や体にいいと言われているものまで、だ。それにあんたらが糧として食ってるのは何だ? 家畜だろ? 人間がどの生物より上だから、他の生物の命を踏みにじってもいい? それこそ頭が悪い。どの生物も命がある。それは人間もそこらへんにいる虫も変わらない。あんたが道徳を語るのか? 虫を殺すのには何とも思わないのに、人間はダメなのか? 非人道的? ハハッ。あんたらさぁ……」
舎密はすっと目を細めて不敵な笑みを浮かべて口にする。
その言葉を聞いた瞬間ショウの我慢は限界を迎えた。
動かせないはずの左腕を使って舎密の頬を思いっきり殴り飛ばした。傷口が開き、血が滲んでいく。
「ショウさん! それ以上は!」
コナーがショウを抑える。
「止めるなコナー!」
「駄目です! 傷口が! それに舎密さんに手を上げてはマズイです!! ソルさんも見てないで手伝ってください!」
「コナー止めるなよ。俺もこいつぶっ殺してぇ」
「ソルさん!」
「あー、いーよいーよ。俺、軍人とはソリが合わないし。しっかし痛えーな。本当に怪我人かよ。軍人怖ー。あーそうそう、この薬ちゃんと飲んどけよ。そんなに元気なら要らないかもしれないけどな。じゃあもう行くわ。面白いサンプルも手に入った事だし、俺も忙しいんでね」
薬の入った試験管を立てかけ、頬を腫らした舎密はそのまま出ていく。すると、何か思い出したかのように、ひょいっと頭だけ戻した。
「ああ! そうそう! コナー! 俺の助手の件、考えておいてくれよな」
そう言い残し、ドアの向こうへ消えて言った。
三人は、暗い表情になり、しばらくの間沈黙が続く。
「……コナー、もう放してくれ」
「あ、はい……」
コナーはショウを放し、ベッドに横になるように促す。
「しっかしよー。何かこう言い表せないけど、ムカつくやつだ!」
「できればもう二度と会いたくないな」
「何でしょう……。間違っているとも、正しいとも言えないですね……」
全員の頭に舎密に最後に言われた言葉がよぎる。
――あんたらさぁ……。人を殺すのが仕事だろう?
「くそっ!」
拳を強く握りしめ、なんとも言えない悔しさに、苦渋の表情を浮かべる。
すると軽快なノックの音がして三人は顔を上げる。
「やあ。本当に元気そうだね。マクレイア上等兵」
開け放たれたドアから、呆れ顔で入ってきたペトロフの顔を見て、三人は反射的に敬礼の姿勢になる。
「ああ、そのままで。怪我人に無理をさせられないからね。と言っても、舎密博士を殴り飛ばすくらいの元気は、あるようだがね」
ギクリと肩をすくめるショウに、ペトロフは大きな溜息をつく。
「まぁ、彼も悪いところはあるが、手をあげるなんて君らしくないね。それほどまでペースを乱されるなんてね」
「……返す言葉もありません」
ショウはペトロフの目をまっすぐ見れず、目を背けてしまう。
「でもよ! どーしたらあんなんになる訳? 頭にくるっていうか……。頭いいんだろうけどさ、何かこう……な?」
「確かに、他人とはズレてる感じはしますよね……」
「科学者ってみんなあーなのか……」
三人が顔を見合わせ、訝しげな顔をするのを見かね、ペトロフ准尉は口を開く。
「私もよくは知らないんだがね。彼は今回の事で初めて研究所から出たらしい」
「初めて?」
「そう、産まれてからこの八年間研究室で育ち、物心ついた頃から研究に没頭し、今は博士号をいくつも持っていて、我々が敵対するS派との戦いに、重要なキーパーソンとなる者だ」
「あいつって、そんなにすげぇーのか?」
ペトロフの言葉に、ソルクスは首をかしげる。
「私も科学には疎いから、そこまでわからないが、凄いのは確からしい。君たちが昨日見た偵察型ドローンを作ったのも彼だ」
「あの動物を模した機械のことですか?」
コナーの問いに、ペトロフは頷く。
「そうだ。今回こっちに来る事になったのは、そのドローンの試運転の結果と逃げ出した被験体の回収が目的だったそうだよ。まぁ、ジャック上等兵の治療の件もあったけどね」
「被験体……。ペトロフ准尉は知っていたんですか?」
ショウの言葉に、ペトロフは表情を変えずに答える。
「人間があのような実験に使われている事をかい? いや、この間のジャック上等兵の件を中央に報告したところ、彼が派遣されると聞くまでは知らなかったよ」
「それって――」
「それ以上は駄目だ。不信感を抱く気持ちはわかるが、軍に入った以上従わなければならない。理不尽なようだけどね。それが現実なんだ」
「……」
ショウは奥歯をかみしめ、やるせない気持ちでいっぱいだった。
「話が脱線してしまったが、私が言いたいのは、彼は君たち以上に世間知らずの子供という事だ。君たちよりも幼く、時に危険な程に好奇心旺盛な、ね……」
ペトロフの言葉に三人は重く口を閉ざす。
「さて、コナー二等兵。マクレイア上等兵の傷の確認をして、昼からマクレイア上等兵に代わり、訓練の指揮を頼むよ」
「ぼ、僕がですか!?」
コナーは驚いて頓狂な声を上げる。
「ソルがやるよりマシだろ?」
「俺、指揮とかガラじゃねぇーしなー」
「マクレイア上等兵がいなくても、ある程度は部隊全体が動けるようになっていないと実戦では不利になってしまうよ。マクレイア上等兵は一人しかいないからね。戦力分断した時も誰かが指揮を取らなきゃならないから、いい訓練になるよ。何より衛生兵も視野を広く持たなければならないからね」
「は、はいぃ……」
コナーは肩にずっしりと重りが乗ったように項垂れる。
「頼りにしてるぞ、コナー」
「コナーならできるって!」
「が、頑張ります!!」
ショウとソルクスが背中を叩くと、コナーの顔は花が咲いたように明るくなった。
「なーなー。俺はー?」
「ソルクス一等兵も、治療に専念しなさい。この機会に座学の時間を増やそう」
「えー!? お、俺は元気だから大丈夫だよ!」
「何を言ってるんだ。君も肋をやっているだろうに。元気なら、観念して私と座学をしなさい」
「えー……」
「では、ソルクス一等兵はこのまま私が預ろう」
そういうと、逃げようとするソルクスの首根っこを掴んで、引きずっていく。
「あー! 離せー!」
「こら、ジタバタしない。マクレイア上等兵、今は体を休めなさい。これは上官命令だ。君は働きすぎる」
「……サー・イエス・サー」
「では、失礼するよ」
「ショウ! コナー! 助けろー!!」
「おう、がんばれよ」
「嫌だー!!」
ソルクスの声が段々と遠のいて行く。
「ショウさん。包帯替えますので」
「ああ、頼む」
「あと、これも……」
コナーは舎密が作った薬をショウに手渡す。
「……ああ」
気がすすまない感じはするが、一刻も早く復帰するために一気に喉に流し込む。
「!? うぇっ……」
ショウは吐き気を我慢し、喉にこみ上げてきたものを無理やり飲み込んだ。
「だ、大丈夫ですか!?」
「クソまず……」
「ふふっ。良薬は口に苦しですからね」
はにかむコナーの顔を見て、ショウは穏やかな気持ちになる。
「ありがとな。コナー」
「え……」
「コナーのおかげで、俺は生きていられる」
突然の感謝の言葉に、コナーは驚いた顔をしたあと、顔を俯かせる。
「そんな……。元々は僕のせいで……」
「それはいい、みんな油断してたんだ。それに、コナーがやられていたら、今頃ここにお前はいない。誰もコナーのようにできない。これからも頼りにしているからな」
「は、はい!!」
コナーは嬉しさのあまり、包帯を巻く手に力がこもる。
「痛っ!」
「す、すいません!!」
慌てて包帯を巻き直し始めるコナーを見て、ショウの硬い表情が解れ、フッと笑った。
どうも、朝日龍弥です。
ついに出てきましたね。彼。
ルビが降ってありますが、舎密はセイミと読みます。彼が天才科学者であるということでつけた名前です。
元々は化学特化型にしようと思っていました。
どういうことかわからない人は舎密って検索してみてね!
彼は今後も物語の進行に大きく関与してきますので要チェックですよ!
ということで次回から四章です。お楽しみに!
次回更新は8/8(水)となります。