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SLUMDOG  作者: 朝日龍弥
三章 枯れ尾花
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這いまわるもの

 コナーが見たと言う白い影を追い、食堂の廊下に差し掛かると、廊下に何者かの咀嚼音が響いていた。


「これが”消えた食材の謎”だったんですね」

「とんだ大食らいがいたもんだな。まぁ、今までのを考えれば、どうせそんなことだろうとは思ったけど」

「誰だよ! 俺たちの飯食ってんの! 取っちめてやる!」

「そんなに大食らいの人いましたかね? 普段我慢してる分、抑えきれなかったんですかね?」


 三人は下士官の誰がこんなことをしているのかと、呆れと空腹で苛立ち始めていた。


 ショウは一応バレないように今まで通り、気配を消しながら拳銃を抜き、静かに近づく。それにソルクスやコナーも続き、この咀嚼音の主の正体を垣間みようとした。


 ショウが食堂を覗いたところで、ピタリと石のように固まった。それと同時にショウから異様な緊張感が伝わってくる。


「ん? どうし――」

「シッ!」


 気を使って小声で声をかけたソルクスに対し、ショウは左手でその口を抑える。


 振り返ったショウの顔はいつになく険しく、食堂にいるのが下士官の仲間ではないことが二人に伝わる。


 ソルクスとコナーも臨戦体制をとり、小窓から中の様子を伺う。


「なん、だ? あれ?」


 暗い闇の中で不確かだが、三人の目の前には、黒髪長髪をした女のようなモノが映った。


 だが、それを人というにはあまりにもおかしかった。


 全体的に皮膚は白く裸であるが、鱗のような物で全身が覆われている。口は耳まで裂け、歯は鋭く黄色い涎を垂らし、手には水かきのようなものがついているが爪も鋭い。下半身は爬虫類の何かのように尾が付いており、足も手のようになっていた。


 三人は見たこともない異形の姿のそれに、ただならぬ恐怖を感じた。”化け物”。それ以外でこの姿を形容できる言葉はないだろう。


「ショウ。どうする?」


 ソルクスは小声で指示を仰ぐ。


「……。この距離なら仕留められる」

「殺るのか?」

「恐らくジャックを襲ったのもあいつだろう。あいつが今も寝込んだままなのは奴に何かされたからと考えるのが妥当だ。殺した方がこっちの安全も確保できる」

「だな」

「コナー。お前も銃を抜け」

「は、はい。えっと……」


 コナーは突然自分に振られ、真っ白になった頭をリセットしながら、拳銃を抜こうとした。


 しかし、コナーの手は恐怖と緊張感で固まり、安全装置がかかった拳銃がこぼれ落ちてしまった。


 拳銃が落ちたことで、甲高い音が食堂と廊下に響き渡った。


 化け物はぐりんと首をこちらに回すと、血走った目でこちらの姿を確認した。


「グギャアアアアアア!!」


 気付かれたと思った瞬間、ショウは迷いなく引き金を絞った。


 数発撃ち込むが、予想だにしない動きで狙いが定まらない。


 外しはしたがショウの的確な射撃で、化け物は食堂の窓を割りながら外へと逃れる。


「チッ!」

「外出たぞ!」

「ショウさんすみません!」

「いい! 後にしろ!」

「俺が行く! お前らはここにいろ!」


 ソルクスは素早い動きでナイフを抜きながら後を追う。


「ソル! 深追いするな! コナー、行くぞ!」

「え?」

「一人でいるのは危険だ! 奴が一体とは限らない! ソルが一人でどうこうできる物じゃない!」

「は、はい!」


 ――僕も何か役に立たないと!


 ショウとコナーは、一足遅れて外に出る。


 あたりは暗闇と林で視界が悪い。


「これじゃ、とても銃を撃つなんてできませんよ!」

「俺はソルに当たらないように援護射撃をする! コナーは俺の後ろを頼む!」

「わ、わかりました!」


 二人はどこから化け物が出て来てもいいように、背中合わせに銃を構える。


 銃声と窓の割れた音が宿舎全体に響いたせいか、ちらほらと宿舎に明かりがともり始める。


 林の中から木の枝が折れる音や、重いものがぶつかる音が聞こえ、ショウは化け物をどう処理するべきか考えを巡らせる。


 ――得体のしれないアレをどう処理する? 三人で早々に片づけるか? そもそも、ソルがいるとはいえ、出来るとは限らない。騒ぎを聞きつけて来る増援を待つべきか?


 そんなショウの考えなどつゆ知らず、ソルクスは自分一人で倒そうと躍起になっていた。


 ソルクスは得意のナイフ格闘で応戦するが、逃げ足の速い化け物に苦戦を強いられていた。


「クソが! チョロチョロしやがって!」


 相手の体は小さくはないが素早く、こちらの武器にリーチがない分、攻撃が当たりにくい。


 しかも相手は人間ではない。


 化け物は人の動きをしないが、かといって動物的かと言われるとそうでもない。つまり何をしてくるか全く予測ができないということだった。


 化け物は逃げるだけでなく、口から黄色い液状のものを吐き掛けてくる。


「汚ったねぇなぁ!」


 ソルクスはそれを避けながら、化け物との距離を詰めていく。


「うおらぁああ!!」


 木の上から飛び込んできたソルクスの斬撃を、化け物は硬い鱗で覆われている尾で受け止める。


 硬い尾に阻まれ、ソルクスの一撃は難なく防がれてしまう。


「なめんじゃ! ねぇ!」


 ソルクスはそのまま空中で体を捻り、かかと落としを相手の腹部にくらわせ、化け物が怯んだところで、すかさず顎に回し蹴りをお見舞いする。


 ソルクスの攻撃に、化け物は堪らず林から飛び出した。


 しかし、そこはショウの射線上。


 ――とらえた!


 一発の銃声が響き渡り、化け物の悲鳴が聞こえ、ショウは確かな手ごたえを感じる。


 銃弾は相手の左胸に着弾し、化け物は後ろに仰け反って倒れ込んだ。


「す、すごい……。あの一瞬で……」


 コナーが驚きのあまり息を呑んでいると、林の中から騒がしい音が聞こえてくる。


「うぉら! まだまだー! って、あれ?」


 化け物を追って林から躍り出たソルクスは、倒れている獲物を見てキョトンとしていた。


「うまく誘い出したな、ソル」

「あー! ショウ! 俺が殺ろうとおもってたのにぃー!!」


 ショウを指さしながら、ソルクスは地団太を踏む。


「そういう作戦じゃなかったのか? まぁ、被害が出なかったんだからいいだろ? 他の奴らが来る前にケリがついてよかったろ」

「お前は本当においしいとこだけ持って行きやがって!」


 獲物を横取りされたソルクスは、怒りが収まらず、顔を真っ赤にする。


「いいじゃないですか、ソルさんのおかげで、ショウさんが仕留められた訳ですし」


 コナーがすかさず(なだ)めると、ソルクスは鼻高々に頷いた。


「そう! 俺のおかげ! お前だけの手柄じゃ無い!」


 ソルクスは両手の親指を自分に向け、胸を張る。


「はいはい。わかったから――」


 相変わらずだと、ショウがいつものようにソルクスを軽くあしらおうとした時、ソルクスの背後で確かにソレは動いていた。


「ソル!!」「ソルさん!!」

「っ!?」


 ソルクスが後ろを振り向くと同時に、硬い尾で脇腹から勢いよく掬われる。


 肋骨が軋む音がし、ソルクスは勢いそのままに、木に叩きつけられた。


「っが!!」

「ソルさん!!」

「コナー! 前に出るな!」


 思わず駆け寄ろうとするコナーをショウが制止するが、時すでに遅く、化け物は動かないソルクスから標的を変え、コナーを見た。


「あ……」


 睨まれたコナーは、今までに向けられたことのない殺気にあてられ、容易に想像できてしまった死のイメージ、死の恐怖というもので足がすくんでしまった。


 化け物は牙をむき出し、黄色い唾液を垂らしてコナーに襲いかかった。


「コナー!! 逃げろ!!」


 ――くそ! 射線にはコナーがいる。攻撃を受けた反動で近くにいるソルは動けない。コナーも動けそうにない。間に合え!!


 辺りに血が飛び散った。


 コナーの顔にも、真っ赤な液体が降りかかる。


「あ……あ……」


 それが自分の血でないということは、目の前に映る黒髪の少年の背中で、コナーは嫌という程に理解できた。


「ショ、ショウ……さん……!」

「ッぁあ!」


 化け物の牙がショウの左肩から二の腕にかけて食い込んでいた。そこから熱く鋭い痛みがし、ショウは顔を歪める。


 みしみしと骨が軋む音が、近くにいるコナーにも伝わる。


 化け物は、すさまじい力でショウの左腕に齧り付いて離さない。


「ク、ソが! そんなに……喰いてぇーなら……」


 痛みに耐えながら、ショウはいつもより重く感じる右腕を上げ、化け物のこめかみに銃口を押しあてる。


「鉛玉でも喰ってろ!」




     挿絵(By みてみん)     




 近くで鳴り響く破裂音と共に、化け物の脳漿(のうしょう)が、辺り一面に散らばる。


 一瞬で脳の電気信号を失ったその体は、力なく重力に任せて崩れ落ちた。


 ショウの腕に深く齧り付いた牙は離れることを知らず、ショウもその重みに耐えられずに倒れこむ。


「ショウさん!!」「ショウ!!」


 辺り一面に広がっている脳の破片を潰すことも厭わず、ショウに駆け寄るコナー。


「ショウさん! 今外します!」


 コナーは、ショウから化け物の死体を引き剥がそうとする。


「っうあ!」


 深々と刺さった牙を抜き、重い音を立てながら、化け物の頭は自分の脳漿の中に落ちた。


「ショウさん! 腕を診せてください!」

「うっ……。俺は……大丈夫だ……怪我はないか?」

「平気です!! ショウさんが庇ってくれたから……。すみません! ……僕、あの、僕の……せいで!」


 コナーは目を赤くしながら、ボロボロと涙をこぼしていた。


「気にするな……お前が無事ならそれでいい……。それより、ソルを診て、やってくれ。ソル! 生きてるか!?」

「なん……とかなー……。肋いってるかも……頭いてぇ」


 ソルクスは脇腹を抱えながら手を振って見せた。


「こんだけ騒ぎを起こしたんだ……。すぐに、ペトロフ准尉達も、来る、はずだ。それにしても……」


 ショウは息絶えた化け物を見て、眉を(ひそ)めた。


「ショウさん、出血がひどいです! 早く医務室の方へ移動しましょう!」


 コナーは止血帯を取り出し、急いで止血に取り掛かろうとする。


「わかったよ。でも止血くらい、自分で――」


 医務室に向かうために立ち上がろうとしたショウは、自分の視界が歪んでいく事に気が付いた。


 ――あ……れ? 夜だから……か……? 目の前が……暗く……。


 ショウはコナーにもたれ掛るように、膝から崩れ落ちた。


「ショウ!!」「ショウさん!!」


 二人の悲痛な叫びが静かな夜にこだまする。


「コナー! ショウを!」

「わかっています!!」


 化け物の脳漿(のうしょう)から場所を変えるためにショウを引きずっていき、仰向けにする。


 ――呼吸はあるけど荒い。腕の傷は……ッ!


 肩から腕の傷は紫色に変色し、腫れ上がっていて、血が止まらない状態だった。


 傷口には化け物の黄色い唾液がこべりついていて、ショウの顔がみるみるうちに青くなって行く。


 ――ジャックとの症状にかぶるところがあるから、これは恐らく毒の一種? でもなんの? ジャックに外傷はなかったはず……。わからない……。どうすれば? このままじゃ……ショウさんは……。


「コナー!!」


 ソルクスの目一杯の呼びかけに顔を上げる。


「今ここでショウを助けられるのはお前だけだ! 応急処置でもなんでもいい! 手を動かせ!」

「は、はい!!」


 ――ジャックと同じなら、少量ならなんてことはないはずだけど、ショウさんは何倍もの量が血液中に入ってしまったはず……。一秒でも早く毒を弱めて手当てをしないと!!


 コナーは素早く左肩を止血し、医務室に走った。


「コナーちゃん! さっきから銃声が聞えるんだけど――」


 医務室当番をしていたネイサン・パール二等兵は、年少の衛生兵を守るように拳銃を抜き、身を潜めていた。


「説明は後です! 今すぐ外科処置の準備をしてください!」

「わ、わかったわ!」


 コナーの指示を聞き、ネイサンは初めてのことに戸惑いながらも、準備に取り掛かる。


 指示を終えたコナーは、すぐに生理食塩水と書かれた輸液パックと輸液管を取り出し、抗生剤、ステロイド剤、タンニン酸溶液を持ち出した。


 手が震え、何度も手に持っているものを落としそうになる。


 コナーがショウのもとに急ぎ戻ると、また一段とショウの顔色が悪くなっていく様子を見て、一刻の猶予もないと感じる。


 まだ実際に人相手に治療をしたことのないコナーは、不安と恐怖で体が動かなくなっていく。


 しかし、それでもやるしかないと覚悟を決めた。


 コナーは出血毒の可能性を考え、止血帯を取り、傷口をタンニン酸溶液で洗浄し始め、排液をする。


 続けて抗生剤とステロイド剤を筋肉注射した後、ショウの右腕に駆血帯を巻き、鉗子で止め、留置針を持つ。


 未だに手が震え、コナーは自分の右手を押さえつける。


「落ち着け。大丈夫。僕が助けるんだ!」


 コナーは息を大きく吐き、静脈に留置針を挿入する。


 ちゃんと挿入できているか確認し、コナーは輸液を開始する。


 緊張で震えていた手はいつの間にか止まっていた。


「コナー! ショウは大丈夫なのか!?」


 ソルクスが無理を通して起き上がり、ショウの安否を問う。


「わかりません! どんどん輸液をして、血中の毒の濃度を薄めないといけません! それに、外科的な処置も必要になります! 医務室に急ぎましょう!」

「わかった!」


 ソルクスは痛みが走る体に鞭を打ってショウを運ぶのを手伝おうとすると、駆け寄ってくる人影が目に入る。


「コナー二等兵! ソルクス一等兵!」

「ペトロフ准尉!!」


 騒ぎを聞き、尉官宿舎からペトロフと他三名の尉官が駆けつけてきた。


「これは!?」

「どういう状況だ!?」


 驚いて固まるニコラスとバーグを押しのけ、サイラスが前に出る。


「見ればわかるだろ! 怪我人がいるんだ! 代われ! 俺が担ぐ! 先生!」

「わかっている! 彼を呼ぼう。近くまで来ているはずだ! コナー二等兵、先に行ってマクレイア上等兵の治療の準備をしてほしい!」

「はい!」


 コナーはペトロフの指示を聞き、医務室に急ぐ。


 ペトロフはショウの後を追おうとするソルクスを制止した。


「ソルクス一等兵! 君は私の背に乗りなさい!」

「俺は大丈夫だよ!」

「歩くのも精一杯のくせに強がるな! 今はその時じゃない! 素直にいうことを聞きなさい!!」

「……ッ!!」


 ペトロフに強く叱られ、ソルクスは流されるままに背負われる。


 そんな中、ペトロフの言うことに異議を申し立てるように、バーグが口を挟む。


「ペトロフ! お前の独断でアイツを呼ぶなんてできねぇーだろ! 一度中将に通して――」

「そんなことをしていたら! あの子は死んでしまう! 閣下が許可など出すわけないだろう!? もしそれで裁かれることになろうと、私は後悔などしない!!」


 切羽詰まったような、怒りのこもったペトロフの威圧感に押され、誰も口を出すものはいなかった。


 そこには軍人として、上司としてではなく、ただひたすらに少年を助けようともがく一人の男がいた。


どうも、朝日龍弥です。

この作品がSF(空想科学)というジャンルで登録されている理由の一つが出てきましたね。

この作品のSFの方向性は生物科学です。

この点を踏まえていただけたら、色々なことが見えてくるかもしれませんね。

次回、ショウはどうなるのか……。コナーは? ソルは? そして准尉たちが言っていたアイツとは?


次回更新は8/1(水)となります。

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