不気味な笑い声
窓を叩く風の音、明かりも消え、しんと静まりかえる夜の宿舎は、その不気味さを一掃際立たせる。
「な、なあ? 今なんか聞こえなかったか?」
「た、確かに……ド、ド、ドアが閉まる音がしたような……」
「隙間風だろ? ってかお前ら……」
「な、何だよ?」
「ビビりすぎだろ……」
ショウは自分の後ろにべったりとくっついて歩く二人を改めて見て、呆れかえってしまう。
「ビビってなんかねぇーよ! この俺が!? はあ!? ビビる? 笑わせるぜ! ビビってんのはコナーだけだろ!」
「えぇっ!?」
「静かにしろよ……。みんな起きるだろ」
「起きればいいさ! 俺たちだけに見回りさせるなんて! 腹は減ったし、眠ぃーしよ!」
「いや、順番だからな……。ペトロフ准尉も見回ってるから……」
「と、とにかく! 早く見回り終わりにしましょう!」
腹の虫を鳴らしながらショウの一歩後ろを行く二人は、得体の知れない不気味な〝幽霊″と言われるものに、完全に震えあがっていた。隙間風の音で小さく悲鳴を上げるコナーと、その悲鳴に怯えるソルクス。
本来なら一人で行う見回りだが、ジャックの件があったため、三人で行う事をペトロフも了承している。
就寝時間の二十二時~一時、一時~四時、四時~六時と、見回り時間を三つに分け、人の良いペトロフは最初と最後を、ビビりな二人を含む三人は途中の三時間を担当にして動いていた。
「そ、そういえば……。この先は七不思議とされる〝不気味な笑い声”がする場所ですよね?」
「不気味な笑い声?」
コナーの問いかけに、ショウは首をかしげる。
「あ、あれだろ? 誰もいない、使われてない、真っ暗な部屋から不気味な笑い声がたびたび聞こえてくるっていうやつ! その部屋に入った途端、笑い声が止まって静まりかえるっていう!」
「お前らほんとに、その宿舎の七不思議とやらにお熱のようだな……」
震える二人を見て、ショウは嘆息した。
「だ、だって! 怖いじゃないですか!」
「その部屋に誰かいただけだろ? 就寝時間後に出ているんだから、罰則を与えなきゃな」
「何でショウさんはそんなに普通でいられるんですか!」
「普通も何も、幽霊なんているわけない」
「だ、だよなー! いるわけが無いんだ! だってもう死んでんだぜー?」
ショウの言葉に乗っかるソルクスを、コナーはジトっと見やる。
「ソルさん……必死ですね……」
「あいつは基本物理が効かなくて、殺せないものは怖いと思ってるからな」
「なんですか、その殺せれば問題ないみたいな考え方……」
――ヒヒヒヒ
「い、今の!? 聞こえました!?」
「あ? 何が?」
「なにか聞こえたのか?」
――ヒヒヒヒヒヒヒヒヒ
「こ、これって……」
「ぶ、不気味な……笑い声!?」
「この笑い声どっからするんだ?」
怖がる二人に対し、ショウはいたって冷静に声の行方を探る。
「あ、あの部屋からです!」
笑い声がする方を照らしてみると、今はほとんど使われていない物置部屋があった。
「よ、よし! コナー! 見てこい!」
「えぇっ!? ぼ、僕ですか!? ソ、ソルさんは怖くないんですよね!? ソルさんが見てきてくださいよぉ!」
「こ、怖くなんかねぇよ! だけどよ! 恐怖心のコクフクってことでお前が行ってこい!」
ソルクスはコナーの背中を押し、前に行くように促す。
「うう……ソルさんだって怖いくせに……」
「今なんか言ったか!?」
「お前ら静かにしろよ。俺らが見回りに来ているのがバレるだろ。俺が見てくるから、お前らここにいろ」
一向に進まない二人のやり取りに呆れ、ショウは一人、歩みを進める。
「え……ショウさんが、行く?」
「ああ! それだ! それがいい!」
この時二人は一瞬自分が行かなくてもいいという安心感に包まれた。
部屋を見に行くショウの背中が遠のくに連れて二人は、残されるのが自分たちだけという事実に気づく。
――あれ? ショウが見に行くとなると、もし他の七不思議に遭遇したらどうなる? コナーは間違いなくその場で気絶するだろ? そう考えると、ここにコナーと二人きりで残されるということは、実質一人残されるのと同じことなのか?
――ソルさんと二人きりになったら、僕だけ残して逃げることは絶対ないと思うけど、今のソルさんは雰囲気に呑まれてるし、いつもみたいに頼ることはできないと考えておいたほうがいい気がする。そうすると実質僕一人? 無理無理無理! 今の僕には無理!
「おい! ショウ!」「あの! ショウさん!」
「ん?」
「俺も行く!」「僕も行きます!」
言葉が重なって二人は顔を見合わせ、眉間に皺を寄せる。
「コナー。怖いなら残ってもいいんだぜ?」
「ソルさんこそ、残って見張っていてくださいよ」
ショウはそんな二人を見て、呆れ顔をして溜息をつく。
「もう行くからな」
「おい! 待てって!」「あ! 待ってください!」
慌てて後に続く二人と共に、普段使われていない物置部屋のドアノブに手をかける。
ゆっくりと音を立てないように回し、ドアを開ける。よりハッキリと聞こえる笑い声と、確かにある気配を感じる。
――ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ
物が積まれ、まるで迷路のようになっている部屋を、バレないように明かりを落として進む。すると、奥の一角に、ほんのりと明かりが見える。
ショウはハンドサインで二人に待ての指示を出し、音もなく拳銃を抜く。
――ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ
積み上げられた物を背にして、声のする方へゆっくりと近づいて行く。
なんとも言えない緊張感が、待機している二人にも伝わって来る。
ショウは角に差し掛かると、ナイフを出し、反射する人影を確認する。
ショウは意を決し、角を出て、銃を向ける。
「手を挙げろ! さもなくば撃つ!」
「おや?」
「ん?」
銃を構えた先にいたキツネのような顔をした少年を見て、ショウは張り詰めた緊張感を解く。
「これはこれは隊長殿。こんな夜更けにどうしたんです? ハイ」
「……ヨダ。お前こそこんな所で何してる」
その名前を聞いて、後ろで待機していた二人も、声の正体に間の抜けた顔をしている。
ヨダと呼ばれたキツネ顔の少年はニヒルに笑った。
「ああ、私はちょっと野暮用で、ハイ」
「おいおい! お前かよ! 俺はてっきり――」
「幽霊かと思いましたかねぇ?」
ヨダは口角を引き上げ、笑いをこらえるように口に手を当てた。
「はぁー!? 幽霊!? 何それ? お前そんなの信じてんの!?」
「ソルさん……分かり易すぎます……」
「ソルさん、目が泳いでますよ、ハイ」
そんなやりとりを聞きながら、ショウは改めてヨダの居座っている場所を見渡す。
照明と小さなテーブル、何日もここで寝泊まりしているとわかる毛布と布だけの寝床、壁にかけられた軍服。
「ヨダ……お前。ここを自室にしてるのか?」
「いやはや、自室というには、かなり見すぼらしいかもしれませんねぇ、ハイ。しかしながら私とした事が、割り当てられた共同部屋から追い出されてしまいまして、ハイ」
ヨダは両手を広げ、困り果てたような顔をする。
「追い出された!? 今度は何やらかしたんだよお前!」
「ソルさん、ヨダさんが毎回何かやらかしているみたいな言い方、よくないですよ?」
「なんと慈悲深いお言葉。まるで聖母のような慈愛の心。やはりあなたは女神と謳われるだけありますねぇ。コナー」
「何で女神なんですか! せめて男にしてください!」
大げさとも思えるヨダの物言いに、コナーは頬を膨らませる。
「女神と呼んでいるのは私が最初ではないので、私の発言に訂正を求めても無駄かと、ハイ」
「で、何したんだ」
ショウは一向に進まない話にしびれを切らした。
「ああ、その話でしたねぇ。実の所、私、ある依存症でして」
「「依存症?」」
コナーとソルクスが首を傾げながら声を合わせる。
「ハイ。私は幼い頃から人を騙すことを生業としていまして、ハイ。定期的に、スマートに、人を騙していないと気が済まなくてですねぇ、ハイ。同室の二人と賭け事をしまして、金をこれでもかというくらいに騙しとりまして……ハイ」
そう言ってヨダが出した箱の中には、金がごっそりと入っていた。
「イカサマか。それで追い出されたと……。同情の余地が1㎜もないな……」
「まぁ、僕たちもヨダさんのその癖は知っていましたが……。これはいささかやりすぎですね……」
「金返せば済むんじゃね?」
ヨダはソルクスの言葉に眉をひそめる。
「いやはや、私にもプライドというものがありまして……私が騙し取った金はもう私のものなので、返す義理がないといいますか、ハイ。ソルさんのその単細胞な考え方に脱帽です、ハイ」
「いやーそれほどでもないけどな!」
「ソルさん、褒められてないです……」
「そもそも、よくそんなに金持ってたな」
ショウの言葉に、ヨダは少々驚いていた。
「おや? 知らないんですか? 我々には既に金銭が支払われていますよ? まぁ、スラムにいたころからの金をコッソリ持ってくる方もいますがね、ハイ。入隊している者には個人口座があるはずですが?」
「そうなのか?」
「ショウさん、知らなかったんですか!?」
「だって、食事は支給された食材から当番制で作って配給してるし、ここに金が必要か? スーヤたちも食事は配給制と聞いたんだが?」
自分たちの当番の事や、妹たちの生活環境を思い出し、ショウは金銭の存在意義に疑問を抱く。
「食事はそうですがねぇ、そのほかにも必要なものがあるでしょう? そういうものは売店で購入できます、ハイ。例えば、娯楽用品とか。何も見ずにするのは、少々キツイでしょうし、ハイ」
ヨダの言葉に、コナーは首をかしげる。
「なんの話ですか? 僕は、ペトロフ准尉から頂いたノートだけでは足りないので、文具を買ったりしていますけど……」
「ああ、お気になさらず。そのうちわかりますよ、ハイ」
「あの、気になるんですけど」
コナーの問いを軽く受け流し、ヨダは話を戻す。
「まぁ、それは置いておいて。金は各教官に許可をいただけたら、自分の口座から多少引き出せますよ、ハイ。そういえば、金銭の支給に関しては、家族に全額送るか、何割か残すか、入隊前に聞かれたと思いますが?」
ショウは入隊手続きをした時のことを思い出し、書面を読み上げた軍人の言葉を思い出した。
「そういえば、よくわからなかったから全額送るにした覚えがあるな。コナーはどうしてるんだ?」
「僕も全額家族に渡すように兄に決められましたけど、ペトロフ准尉に相談したら、バレない様に少しだけ僕に入るようにしてもらえましたよ?」
ペトロフという名前を聞き、ヨダの顔が引きつる。
「ほぉー? あの人がそんなことをねぇ。流石コネがある人は違いますねぇ、ハイ」
「なんかヨダさん、ペトロフ准尉に対して嫌に棘がありますね……」
「いえいえ、そんなことはありませんよぉ? 勿論、尊敬しておりますとも、ハイ。形だけでも」
「あはは……」
コナーは失笑気味に言葉を慎んだ。
「なぁー難しい話終わったか?」
「ハイ。ソルさん、たった今。しかし、隊長殿がいるということは見回りですかな?」
「ああ、そしたら何というか……」
ショウは他二人を一瞥し、何とも言えない顔をする。
その顔を見て、ヨダも何となく察しが付いた。
そんなショウとヨダを尻目に、ソルクスは懲りずに七不思議の話をし始める。
「しっかし、七不思議の〝不気味な笑い声”の正体がヨダだったなんてな。なんか拍子抜けだなー」
「怪奇現象なんて言ったって、所詮そんなもんだろ。それによかったな。お前ビビってたもんな」
「ビビってねぇーって言ってんだろ!」
「でも、僕は安心しました。ヨダさんでよかったです」
「ご期待に添えなかったようで申し訳ないですねぇ、ハイ。まぁ、私も紛らわしい事をしてしまいましたので反省いたしましょう、ハイ」
ヨダの言葉に、コナーは、ふと疑問に思ったことを問いかける。
「そういえば、何をそんな笑っていたんですか?」
「ああ、その事ですか……。実は私、毎日自分が稼いだお金を数えないと気が済みませんで、ハイ。増えていくお金を数えているうちに、ついつい笑いがこみ上げてきてしまいまして、ハイ」
「ったく! 紛らわしいんだよ!」
「そういう事なら良いんですが……。正直怖いです」
「私の笑い声は不気味だと昔から言われました、ハイ。以後気をつけます、ハイ」
そう言うと、ヨダはニヒルに笑った。
「さてと! それじゃあ見回り戻るかー」
「そうですね!」
元気になった二人は、さっさとヨダのいる物置部屋を出ていこうとする。
「待て。まだ話は終わっちゃいない。ヨダ、軍規において、他者から金を騙し取ることは禁じられている」
ショウは真剣な面持ちでヨダに向き直った。
「それは分かっています、ハイ」
「今回は注意勧告って事で見逃す。でも次見つけたら報告して、営倉に入れるからな。二度目はないぞ。あと、部屋の連中と仲直りしておけよ。自分で蒔いた種だ、自分で何とかしろ」
「承知しました。私、小隊長の慈悲深い心に脱帽です、ハイ。今度からは金を騙し取らないように気をつけながら、他者を騙していきたいですねぇ」
「それ直す気ないんですね……」
三人は半ば呆れた様子で、これ以上関わるのをやめようと思い、物置部屋を出た。
どうも、朝日龍弥です。
独特な笑い方をするヨダの話でした。
皆さんはホラーは嫌いですか?
私は好きです。ただしゾンビはダメです。
あ、バイオは平気ですよ。
次回更新は7/4(水)となります。