宿舎の噂
下士官宿舎には主に教室、食堂などが備え付けられており、尉官宿舎とは一階の渡り廊下で繋がっている形状となっている。
尉官宿舎には、会議室やモニター室など様々な部屋がある。
就寝時間を過ぎても、全員が眠りにつくわけではない。
部屋毎に分かれている下士官と尉官一名が、宿舎の見回りをする決まりがある。
第四部隊小隊長のジャック・ウェーダーはルームメイトの三人の取り巻きと共に、下士官の宿舎を交代で見回りをしていた。
時刻は深夜二時過ぎ、彼は今、一人で下士官宿舎を歩いていた。
「ッチ。なんで俺が二時間も一人で見回りなんてしなきゃならねーんだよ」
悪態をつきながら、尉官宿舎へと続く渡り廊下の扉を開けようと、ドアノブに手をかけた時だった。
後ろに何か不穏な気配を感じ、ジャックは手を止めた。
ヒタヒタと床に張り付くように聞こえてくる足音に気がつき、恐る恐る振り返る。
だがそこには、ひたすら暗闇が広がっているばかり。
左手に握られたライトを奥の方まで向けると、突き当たりの廊下に一瞬青白いものが通り過ぎたのを見た。
慌てて拳銃を抜き、足音を立てずにゆっくりと後を追う。
熱帯夜だというのに肌寒い感じがし、嫌な汗をかきながら突き当たりの曲がり角に差し掛かる。
曲がり角の廊下に背中を預け、息を殺して先ほど見た何かが向かった先、食堂へと続く廊下へと銃を向ける。
ライトを照らして、その先も拳銃を構えながら見渡してみるが、そこには何もいない。
ふぅっと息を吐いて拳銃を降ろす。
「疲れてんなぁ……」
すると後ろからボトッと、何かが落ちたような音がして、咄嗟に振り向く。
「うわぁあああああああああ!!」
その夜、暗闇の中で一人の悲鳴と、二発の銃声が鳴り響いた。
* * *
「――そこには地を這う青白い女の姿が!!」
「ひぃぃいい!!」
「あっはははは! やっぱコナーはおもしれーリアクションすんな!!」
掛け布団を上から被って、顔だけ出した状態のコナーは、涙目になりながらソルクスの話を聞いていた。
二人は部屋を真っ暗にし、ロウソクを一本つけて、今宿舎で噂になっている七不思議の怪談話をしている最中だった。
「もう! 笑い事じゃないですよ! ほんとの話なんですから! ジャックだってあれから高熱が続いていて、今医務室で隔離中ですよ? 何かのショック症状にも見えますけど、〝あいつが来る〟って、ずっとうわ言を呟いてるんですよ!? 絶対幽霊の仕業です! 本物です!!」
ブルブル震えるコナーを見て、ニヤリと悪い顔をしながら、ソルクスは話を続ける。
「じゃあ次は宿舎の二番目の七不思議――」
――ガチャ!
「うわぁあああああああああ!!」
「いぎゃぁああああああああ!!」
勢いよく扉が開けられる音でコナーが悲鳴をあげ、それにつられてソルクスも悲鳴をあげる。
「うるさい」
「グヘェ!!」
夕飯の時間を目安に部屋に戻って来たショウが、ソルクスにお決まりの手刀をお見舞いして黙らせる。
「ショ、ショウさん!? 驚かせないでくださいよ!!」
「そうだぞ! 悲鳴あげるところじゃないところで、悲鳴が上がるとビックリすんだろうが! ってかなんで俺だけ小突かれなきゃならねーの!?」
「お前の声の方が馬鹿デカイからだ。てか、飯の時間だぞ。部屋真っ暗にして何やってんだお前ら……」
ショウは布団にくるまるコナーと、それを見て悪い顔をしているソルクスを交互に見やる。
「ああ、怪談話だよ! 今宿舎の七不思議っつて流行ってんだろ? 白兵部隊のやつから聞いて、今コナーに話してたとこなんだよ! こいつのリアクションおもしれーぞ」
「うう……酷いです……」
「はぁ……。お前らまでそんなことしてんのか……。てかお前らビビりすぎだぞ」
「はぁ? なんで俺もビビってるやつに入ってんだよ?」
首を傾げるソルクスに、ショウは大きく溜息を吐いた。
「いや、明らかにビビってたろ。俺がドア開けただけで」
「ッバカ! ちげーよ! あれはコナーが急に悲鳴あげるから!」
「コナーのせいにすんなよな。ってかビビったのは認めんのな」
「なぁんだー。ソルさんも本当は怖いんじゃないですかー?」
ショウの言葉に乗っかり、コナーはここぞとばかりに反撃する。
「はぁー? 別に怖くねーし! ビビってねーからな!」
「はいはい。そういうことにしてやるよ。てか二人とも早く来い。飯がなくなるぞ」
「「はーい」」
ロウソクを消し、部屋を完全に暗くして三人は食堂へ急ぐ。
「そういえば、この辺りだよな! ジャックがやられたの!」
「やめてくださいよ! ほら! 早く行きましょう!」
「その件については調査中だし、なんらかの侵入者の可能性もある。幽霊とは限らないだろ」
くだらないと一蹴し、ショウは別の推測を立てる。
「でもよー、何回か目撃されてんぞ? 今回は初めて被害者出たけどな。でもまぁ、ジャックがやられたって聞くと、ザマァというか、なんというか」
「日頃の行いが祟ったってか?」
「そうそう!」
「その言い方はちょっと酷い気が……」
コナーは思わず苦笑いになる。
「コナーは甘すぎるんだよなぁー。自分を虐めてた相手を気にするなんてさぁー」
「そりゃあ僕だって、あの時はいろいろ思うところがありましたけど、同じ少年兵部隊の仲間ですし、あれから何もないこともあります。過ぎたことをいつまでも根に持つつもりはありませんから」
「あっちは深々と根を張ってるけどな」
「それなー」
二人の容赦ない指摘に、コナーはジャックの事がいたたまれなくなっていた。
「お二人はもうちょっと労ってあげた方が……」
「自分の身を守れなかったあいつの責任だ。特に親しいわけでもないし、俺たちが労る必要はない」
「そういうことー」
「うう……それは……そうかもしれないですけど……ん?」
「どうしたー? お?」
食堂の中を覗き込んで、何やら騒いでいる集団を発見し、三人は足を止めた。
「なんの騒ぎだ?」
「さぁなー? ちょい聞いてくるか」
騒いでいる集団に近づくと、一番外側に見覚えのある顔を発見し、事情を聞いてみる。
「カールソン二等兵。何かあったのか?」
「あれ? 隊長~」
ショウに声をかけられたカールソンは、どこから手に入れたのか、円形をした、穴の開いた菓子をほおばっていた。
「お前いつも何食ってんだよ。俺にも分けろ!」
甘い匂いのするそれに、ソルクスは羨ましそうにしていた。
「ん~? これ? ドーナツだよ? いいでしょ~」
「カールソンさんいったいどこから……」
「内緒~。というかカールでいいよ~」
「それは後にしろ。この騒ぎは?」
「えっとねぇ~」
「何も知らないのか? これだから極東組は……」
カールソンが答える前に、聞き覚えのある声の方を見ると、第二部隊小隊長のエリック・サウザーが呆れた様子で立っていた。
「よ! エリック! で、どういうことだ?」
ソルクスの問いかけに、エリックは訝しげにソルクスを見やる。
彼の頭には模擬戦での記憶が生々しく蘇っているのだろう。
「イグルス……」
「なんだよその顔は。またペイントナイフで首を掻切られたいのか? グヘェ!」
「その脅し方、やめろって言ったろ」
勢いよく振り下ろされた本日二回目の手刀に、頭を抑えて悶えるソルクス。
ショウはソルクス無視して、エリックに改めて事情を聞く。
「それで、この騒ぎは何だ?」
「あ、ああ。どうやら俺たちの夕飯がまた消えたらしいぞ」
「はぁ!? 俺の飯は?」
「聞いてなかったのかイグルス。また俺たちの飯が無くなったんだよ!」
声を上げたソルクスに、エリックは更に眉を寄せた。
「またか……これで二度目だな……」
「えぇー俺の飯ー」
「確か、これも最近噂になっている宿舎の七不思議の一つですよね……。ほんの数分の間にその日の夕飯が全部なくなるっていう」
「またその話か。どっかの食いしん坊が全部食べてしまったんじゃないのか?」
エリックはジロリとソルクスを見やる。
「……てめぇ喧嘩売ってんのか? 俺より喰うやつだっているぞ!」
ピリッとした空気がはりつめる。その様子を見て、コナーはどうしていいかわからずに、あたふたしてしまう。
「ねぇ~それって僕の事~?」
カールソンの一言で、場の空気が和らぐのを感じる。
「やめろお前ら。いくらソルが大食らいでも、普通に考えてその量は腹に入らないだろう。それはカールソン二等兵にも言えることだ」
ショウは今にも飛びかかりそうなソルクスを制し、正論をぶつける事でエリックを黙らせる。
「……わかった。中隊長殿のいうことは聞かないとな。上官命令は絶対ですから?」
「お前の鼻に付く態度は相変わらずだな」
「サウザーの連中なんてのは、俺みたいなのの集まりだ。少しは慣れな」
エリックは鼻を鳴らし、じゃあなとその場を離れる。
「あ~あ。僕もおなかすいちゃったよ~。夕飯食べないと痩せちゃうよ~」
「お前は食べすぎだ。カールソン二等兵」
空腹を訴えながらドーナツを口に放り込むカールソンを見て、ショウは呆れかえってしまう。
「カールでいいのに~。また備蓄が減っちゃうねぇ~。僕は用があるからもう行くね~」
三人はヒイヒイ言いながら階段を上っていくカールソンを見送った。
「本当にカールが食っちまったんじゃねぇの?」
「証拠はない。いくらあいつでも、数分の間に全部は無理だろ」
「しかし、ほんとに奇妙な話ですよね……」
「ほんとになー。今日見回り当番のやつは七不思議にビビりながらやるんだろうな。可哀想になってきたわ」
ソルクスとコナーがそんなことを呟いてると、ショウは溜息を吐きながら二人を横目で見る。
「今日の見回り、俺らだぞ?」
「「え?」」
ソルクスとコナーは顔を引きつらせながら固まっていた。
どうも、朝日龍弥です。
今回から三章が始まりました!
めでたいですね!
さて、ホラーテイストで始まった今回ですが、今回はシリアスというより日常回がメインです。
宿舎で暮らす彼らを見られるのは今のうちかもしれないですよ?
なんてね。
三章もどうぞよしなに。
次回更新は6/27(水)となります。