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射程1センチの運命弾 -the abrasion unto death-  作者: 清水はやと
簒奪 〜 A Glimpse of the DUAL.
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LLTH/DL//O//AD/1945/05/01/02/17//DK-04/AD/1902/07/21/14/36//ES

 はっきり言って、現状は最悪だ。


 昨年の八月、ルーマニアにてミハイ一世のクーデターが勃発し、アントネスク政権が瓦解した。その瞬間から、このヴァルナの地下研究所の雲行きも怪しくなってきた。

 研究所所長の私のみならず、多くの手下の研究員らの悪い予感は的中した。ブルガリアも我ら第三帝国の元を離れて中立を宣言した。翌月にはブルガリアはソ連の宣戦布告を受け、革命が起こった。革命の影響はソフィア周辺の都市のみに収まる事はなかった。ソフィアから遠く離れた都市ヴァルナにまでも革命はその手を伸ばしてきた。後は言うまでもない。事もあろうかブルガリアの新政権は我ら第三帝国に宣戦を布告したのである。

 ハインリヒ・ヒムラー長官の命令なきままにはヴァルナの地下研究所は放棄できない。自らの意思で撤収するという選択肢はない。そもそも、このヴァルナ研究所で取り扱っている内容は極秘任務そのものであり、容易にこの研究所を破棄する事などできない。少なくとも、ここに研究所が存在したという事実自体を抹消しなくてはならないだろう。

 ヴァルナ研究所は第三帝国の極秘研究施設である。ヒムラー長官が創設した公的機関アーネンエルベ。ブルガリアの都市ヴァルナの地下にあるこの研究所はその機関の傘下に属する。アーネンエルベはトルコで秘密裏に確保した遺物の調査を行う『ドゥアール計画』のために、このヴァルナ研究所は開設した。

 ヒムラー長官率いるアーネンエルベは優越人種アーリヤ人の研究を推進しているが、このヴァルナ研究所もその例に漏れない。しかも、その研究内容はアーネンエルベの行う研究の中でも極秘中の極秘とされている。ヴァルナ研究所自体は創設されて数ヶ月程度であるが、ここで行われている研究の始まりはアーネンエルベ創設以前にさえ遡る。

 私が生まれて間もない西暦1906年、今亡き二番目の帝国出身の考古学者フーゴー・ヴィンクラーはトルコの内陸部の村、ボアズキョイから古代アーリヤ人の帝都の痕跡を発見したのである。ヴィンクラー教授の研究は古代アーリヤ人の歴史や宗教の一部を明らかにし、この分野に大きなかがり火を灯したが、この研究は打ち止めとなった。古代アーリヤ人の帝国の研究はドイツ帝国の第一次世界大戦の敗北という重苦しい重圧によって我々の手から離れてしまったのだ。研究は中途半端なままでどこかの戦勝国に引き継がれ、またどこかの地元の小国に引き継がれてはと転々と管理国が移動し、研究は停滞してしまった。実に、惜しい話だ。

 しかし、それは昔の話。世界規模の大恐慌の嵐の中から勢力を電光石火の如く巻き返したのが我ら第三帝国だ。ヒムラー長官は自身の直属の武力として特殊部隊『暗黒の(シュヴァルツェ)騎士団』(ス・カメロット)を創設した。『暗黒の(シュヴァルツェ)騎士団』(ス・カメロット)はヒムラー長官の望む「計画」に必要な人材のエリートだけを親衛隊から引き抜いた少数精鋭の特殊部隊だ。

 部隊は鍛え上げられた武力を持つ大学教授や裁判官、宗教家、資本家、高級官僚らと言った特殊な立ち位置を持つ軍人によって構成されている。皆が各々の方面で権力を持つエキスパートだ。中東研究の第一線を行く大学教授のこの私、オイゲン・シュローサーも『暗黒の(シュヴァルツェ)騎士団』(ス・カメロット)の一員だ。

 私は『暗黒の(シュヴァルツェ)騎士団』(ス・カメロット)の一員としてヒムラー長官によりトルコに派遣され、特殊任務の遂行にあたった。特殊とは言っても、任務の内容は実に簡単だ。ヴィンクラー教授の発見を再びドイツ人の手で行う事だ。

 私はトルコ人の発掘団体を秘密裏に抹消し、簒奪した。アーネンエルベ主導による、いや、我らドイツ人の手による古代アーリヤ人の帝都の発掘は()()されたのだ。研究の全貌自体は長官から知らされてはいないものの、その功績を以ってして私はヴァルナ研究所の所長に任命された。そして、黒海の向こうから運ばれてくる古代アーリヤ人の帝都の遺物の研究、『ドゥアール計画』を取り仕切っている。

 その、はずだった。


「この意気地なしのドイツ人どもめ、早く全てのデータと碑の用意をしろ!」

「副所長、残り数時間でデータの整理及び移動の準備は間も無く完了致しますが、遺物や機材その他の移動については時間がかかります。地表にあれだけの大規模な遺物や機材を短時間で運び出すのは難しいです」


 しかし、戦局は大きく変化した。全てはあの北の大地における攻防戦の失敗から始まったのだろう。

 私の研究所所長としての権限自体が形骸化してしまった。真のヴァルナ研究所所長が現れたのだ。

 ヒムラー長官の忠言により、総統閣下は『ドゥアール計画』をこの大戦を終わらせる「最終兵器」と考えるようになられた。即座に総統閣下は政治方面のコネを使い、このヴァルナ研究所に特殊な知識を有する枢軸国の軍人を副所長として配置した。

 そいつが今や、ヴァルナ研究所の王となった。総統閣下の推薦を裏切り、彼らに隠れて研究を私物化するようになったのだ。もはや私には彼の私物化した『ドゥアール計画』がどこへ向かっているのかさえ見当がつかない。分かっているのは、その研究が圧倒的な力と血を齎すという事だけだ。


「機材も下らぬ遺物もいらん。ハットゥシャの遺物は例の碑だけで良い!」

「しかし、準備は出来ましたが、研究所の移動には長官の許可が必要となります」


 彼はいわゆる、悪魔の契約者だ。掌で黒金を打ち、刃を作るという人の身に余る忌まわしい力を持っている。そういう力を知らない訳ではない。実際に『暗黒の(シュヴァルツェ)騎士団』(ス・カメロット)に所属する軍人の一人は指の先から火を灯し、また或る者は祈りの力で人々を癒す。

 そして私も『暗黒の(シュヴァルツェ)騎士団』(ス・カメロット)という特殊部隊に所属する選び抜かれた軍人だ。『暗黒の(シュヴァルツェ)騎士団』(ス・カメロット)所属後、そういう小細工を弄する他国のエージェントと戦う時もあった。

 だが、悪魔の契約者に勝てない事は明確だった。今まで相対してきた小細工を弄する敵とは格が違う。彼は中世に大量殺戮された悪魔の契約者そのものだ。今まで私がこの目で見てきた力と同じものであっても、その使い方がまるで違う。奴には絶対に勝てない。


「長官の許可だと? もはやこんな国の研究所など必要ない。跡形もなく破壊してやる!」


 上部の目を掻い潜り、部下の口を封殺し、研究を私物化するという悪事。あまつさえ、彼はこの研究所を上層部の意見を仰ぐことなく、破棄、略奪しようとしている。脱走行為に他ならない。本来であれば軍法会議にかけられるまでもなく、即座に銃殺されるだろう。

 だが、最も許せないのは、研究を取り仕切っている彼がアーリヤの血の通わぬ忌まわしい人種であり、彼にはこの研究の全貌が掴めているという事実だ。この研究を取り仕切っていた私でさえ上層部から研究の全貌を明かされる事はなかったというのに。矮小で、忌むべき黄色の肌をしたこの男が、一体なぜ?


「そして、私の祖国、日本でこの先の研究は続行する。それだけだ、貴様らは私の言う通りに働け!」


 彼の名前は梶沢宗平。極東の悪魔の契約者。()()()だ。

 形式的にはヴァルナ研究所副所長であるが、実質的には私の座を強奪した研究所の王だ。

 梶沢博士は現在、第三帝国と同盟を結んでいる大日本帝国、その帝国陸軍の軍人だ。何でも帝国陸軍の参謀本部所属らしい。その地位は高いに違いない。総統閣下からの紹介がその事実を裏付けている。彼は軍事のみならず、政治的にも強い根を持っている。戦時において、互いの国の軍部上層部とは、もはや国の指導者を意味する。

 ともあれヴァルナ研究所の「協力者」としてやってきた彼が最初に何をしたかと言えば、私たちに悪魔の契約者の使う「呪われた技」の有用性を説いたのである。

 そこで思い出したのだ。数年前、ヴェーヴェルスブルク城での話だ。『暗黒の(シュヴァルツェ)騎士団』(ス・カメロット)に所属している宗教家の軍人も似たような話をヒムラー長官と語り合っていた。オカルトとも言うべき技術を。


 いや、そうではない。梶沢博士はこれを学問と呼んだ。

 博士の言葉を借りるのであれば、「魔術」と。


 梶沢博士は魔術の知識と技能を有する人物であった。

 こうして私たちはヴァルナ研究所で行われている研究の真意に気付かされたのだ。ただの惨たらしい人体実験ならば、祖国の研究所ではどこでも行われている。だが、たかだか人体実験だけでこの『ドゥアール計画』は終わるようなものではない。

 総統閣下とヒムラー長官の言う通りだ。確かにこの研究は極秘中の極秘だ。この技術は人間の倫理と歴史、文明を根底から破壊し尽くす。この世界を背後から規定する大きな概念そのものを崩壊させる。

 果たして、長官らは最初からそんな事を考えていたのだろうか。これは長官らに先見の明があったという言葉だけでは到底説明できない。正気の沙汰とは思えない。

 総統閣下の言う通り、本当に、このヴァルナ研究所では大戦を集結させる「魔術兵器」という「最終兵器」が製作されていたのだ。我々はそうとは知らずにその研究に加担していた。その事実に身震いさえ覚える。我々は古代アーリヤ人の歴史を解き明かしていたはずではなかったのか。

 最終兵器という表現も決して言い過ぎではない。確実にこの技術は世界そのものを大いに狂わせ、そして制するだろう。技術の担い手という、たった一人の人間によって。


「まだ終わらないのか、役立たずの白人どもめ。罰を与えないと仕事もできんのか!」

「直ちに、準備を進めています。しかし、碑の持ち出しについては、やはり長官の許可が欠かせません……!」


 唾を飛ばしてまくし立てる梶沢博士は学者であると同時に軍人であり、同時に悪魔の契約者だ。陸軍参謀本部所属の人間なだけあり、その腕前は凄まじいものと聞く。我らの軍の情報筋によれば、どういう理屈かは分からぬが、()()()()命を奪う力を持っている……と聞いている。

 誇張された噂話だとは思うが、下らないと唾棄する事は許されない。彼の佩用している軍刀の漆黒の鞘と黄金の鍔、その隙間からはただならぬ妖気が溢れ出ている気がするからだ。恐らく、その隙間から白銀の刃の輝きを見ただけで命を吸い尽くされる。そんな気さえしてくる。

 中世より悪魔の契約者が処刑されてきた事には理由がある。魔の技に身を落とした人間は邪悪な存在となる。まして彼はアーリヤの血を流さぬ人種だ。穢れた知恵を持つ悪魔の手先、人間の欠陥品の障害者め。魔の技は道具として、人間が家畜のごとく利用するべきものである。そうでなくてはならない。人間が魔の技に蝕まれて、呑まれてはならぬ。そんな人の道を踏み外した奴らは悪魔の契約者という誹りを免れ得ない。断じてあってはならない事だというのに、この忌まわしい黄色の人種は……!

 しかし、だからこそ、この研究所の協力者として彼はやってきたのである。初めこそ異端の技術を提供し、礼節を尽くしていた。だが、彼はどこか慇懃無礼な男であった。彼自身としても、その知識と技術を第三帝国ではなく、彼の祖国の為に振るいたかったのであろう。溢れる愛国心は隠しきれるものではない。

 そして、博士の化けの皮が本格的に剥がれ、愛国心を隠さなくなったのは我が第三帝国の戦局が不利になってきてからだ。博士は自らに逆らう研究員を、理屈はさっぱり分からないが、彼の言う魔術とやらで酷く痛めつけた。見た目だけでは何が起きていたかはまるで分からないが、とても、惨めな有様だった。彼の術にかけられた研究員が叫び声を出せる時はまだ良い方だ。その場で血の塊を吐き、命を落とした部下もいるくらいだ。

 彼は残忍な笑みを浮かべながら言った。この忌まわしい魔術は『ドゥアール計画』の片鱗に過ぎぬと。彼は私たちの命でさえも実験の道具にしたのである。こうして、彼に逆らう者はいなくなった。梶沢宗平はヴァルナ研究所の王となったのだ。


「ダス・デンクマルは、我ら第三帝国の『ドゥアール計画』に欠かせぬ遺物です! これを第三帝国の許可なく貴方に渡す事は……!」

「貴様ッ……この私に逆らうのか! 何がダス・デンクマルだ、何が『ドゥアール計画』だッ!」


 ダス・(das)デンクマル(Denkmal)

 梶沢の欲して止まない古代遺物。ボアズキョイの古代遺跡の神殿でアーネンエルベが発見した碑だ。

 碑は大きさにして高さ五十センチ、横幅三十センチ、厚さ六センチ程で、鈍色に輝いている。

 この遺物の一番の特異点は正にその点、輝きそのものだ。その輝きは我々が古代アーリヤ人の帝都ハットゥシャで発見した遺物全ての中で最も強く光を反射する物体だった。岩石を削って作られた他の遺物とは違う。

 そして、何よりもこの遺物が古代アーリヤ人の手による物であると証明する物体。

 そう、その輝きを一目すれば分かるはずだ。

 この碑が、鉄鉱石から精製された()で出来ていると。

 鉄の碑の表面には傷のような形状から成る記号が大量に刻み込まれている。古代アーリヤ人の使用した楔形文字だ。二重帝国出身の東洋学者ベドジェフ・フロズニーがこの言語を印欧語族の言語と断定した。後にこの発見がアーネンエルベの注目を更に集めた。

 無論、中東学者の私も碑に刻まれたその文字を読める。今では諳んじる事さえできる。鈍色に輝く碑の表面には古代アーリヤ人の秘密の宗教儀式について刻まれているが、それが事実ではない。文字通りに解釈しただけではその碑の真意は掴めない。謎の法則で暗号化されているのだ。

 それは確かに古代アーリヤ人の使用した楔形文字であり、古代アーリヤ人の言葉が刻まれているのだが、具体的な意味を全く成さない。まるで、()()のようなものなのだ。恐らく、悪魔の契約者の知識が無ければ我々は碑の真意には辿り着かなかったに違いない。

 碑の真意、それは古代アーリヤ人の獲得した最先端技術についてだが、それもまだ碑の意味する表面部分に過ぎない。ここから汲み取るべき点は最先端技術というものだ。その最先端技術とは、いわゆるロストテクノロジーと呼ばれる類のものだ。そう。()()においても最先端技術として通用する最先端技術だったのだ。

 この最先端技術の再現が『ドゥアール計画』だ。研究開始当初、ヴァルナ研究所所長の私であっても、アーネンエルベ上層部からは計画のコードネーム以上の事は知らされていなかった。その全貌を掴み始めたのは実に最近の事だが、今でさえその全貌は私の中で不安定なものに過ぎない。まるで陽炎のようである。

 それもそのはずだ。悪魔の契約者がヴァルナ研究所を支配してからは恐らく第三帝国が想定していた『ドゥアール計画』そのものから逸脱し始めている。より、残酷な方向に。


「貴方は、第三帝国の打ち立てた計画を愚弄し、あまつさえ強奪しようと言うのですか……ッ!」

「第三帝国だと? その第三帝国が! 明日にも存在しているか分からないのだぞ! 聞いたぞ、貴様らの総統閣下は自殺し、首都ベルリン陥落も時間の問題だとな。このままでは連合国の犬どもがこの研究を奪いにくるのだぞ!」


 激昂した彼は鬼の形相を見せる。血走った眼が私を鋭く睨みつける。彼は素早く軍刀を取り出すと、床に叩きつけた。鞘に取り付けらた金色の石突きが床に叩きつけられ、亀裂を生じさせる。彼は何度も軍刀を床に叩きつけた。何度も、何度も。その度に鞘と鍔の隙間から死を齎す輝きが見えそうだ。私はその軍刀から目をそらしたくなった。

 あの鞘の中身を見てはいけない。恐らく、あの中には彼の契約者、悪魔が潜んでいる。

 彼の怒号と石突きの鳴らす甲高い金属音が私を含め、研究員らを動揺させた。

 明朝、地獄からの打電を受けた。第三帝国は破滅の一途を辿っている。総統閣下は数日前にご家族と共に命を絶たれた。連合国の敵に辱められるくらいならとお考えになったようである。そして、俄かには信じがたいが、帝都ベルリンもソ連の兵どもに包囲され、持ちこたえるのは明日明後日までと聞いている。これは確かに、絶望的である。どういう訳か、梶沢もこの情報を知っていた。日本の情報網も侮れないという事らしい。


「……それを今、何故、この場で言ったのですか。我々はまだ戦っているんですよ」

「答えは周りを見れば分かると思うが、ドクター・オイゲン・シュローサー」


 分かっていた。答えは簡単だ。だが、問い質さずにはいられなかった。

 彼の言う通り、周りを見れば一目瞭然だった。研究員全員が呆然と立ち竦んでいた。

 彼らは第三帝国の「現状」を知らされていないのだ。地獄からの打電の内容を知っているのは『暗黒の(シュヴァルツェ)騎士団』(ス・カメロット)に所属している上級研究員の私だけであった。他の職員は総統閣下の命運について知らされていなかったのだ。そうだ。この私が、教えなかったのだ。

 祖国が絶望的な状況にある事くらい、彼らとて分かっていたはずだ。地表の絶え間ない銃声と悲鳴がその証拠だ。だが、それこそが彼らの熱意に火を灯し続けていた。この『ドゥアール計画』が祖国を救済するであろうと。私たちの絶え間ない努力が祖国を救うであろうと。

 梶沢博士はそれを分かっていながら、敢えて、ここの研究員全員に聞こえるように怒鳴り散らしたのだ。彼らの心を食い潰しにかかったのだ。彼らの胸に灯る気高き炎を吹き消したのだ。彼らの全てを決壊させたのである。

 連合国に奪われるくらいなら、それを全て委ねよと。愚劣なる敗北者は速やかに退けと。後は自分たち大日本帝国が為すと。そのために、我らドイツは不要であると。邪魔であると……! 何という、何という冷酷な男だ……ッ!


「貴方の思う通りには……させませんッ」


 この男をここで屠らねばならない。私は意を決して、腕と脚をやや広めに広げる。手のひらを半開きにする。人差し指の関節をやや動かす。その動きに合わせ、キンッ、と小さな鋭い金属音が鳴る。

 それが梶沢博士にも聞こえたのだろう。勿論、その金属音の意味も分かったのだろう。彼の身体から、軍刀から殺意が溢れる。彼の雰囲気が変わった。激情に身を任せた態度はとっくに跡形もなく消え失せていた。


「この研究所は日本のみならず、第三帝国をも含む枢軸国のものです。第三帝国の戦局は確かに不利ですが、この『ドゥアール計画』が完成さえすれば連合国も敵ではない! 梶沢宗平、時期尚早であります。貴方に現時点でダス・デンクマルを渡す事はできません! このヴァルナ研究所所長の私が認めない!」

「そうか……ならば、大日本帝国のために死ぬが良い。愚か者のナチ野郎め」


 私が喉を枯らして叫ぶ一方で、先までの激昂が嘘のように思えるほど冷めた様子で梶沢はため息をついた。心底呆れたようである。凍てつくような鋼を思わさせる真っ黒の瞳は明後日の方を向いた。私を相手にしていないかのようだ。事実、悪魔の契約者にとってはそうなのだろう。

 彼の舐め腐った態度には怒りが湧かなかった。それどころか都合が良い。魔術とやらの小細工を弄する敵に見られる特有の油断だ。今まで何度も見てきた。彼が帝国陸軍の参謀本部直属の魔術使いだとしても、この私とて第三帝国の指導者らによって親衛隊から選び抜かれた特殊組織の一員だ。負ける訳にはいかない。

 私は両手に嵌め込んだ漆黒のグローブの関節に意識を重ねる。隠れた刃の重さを慎重に認識する。あの男には拳銃のような見え透いた武力は通じない。だが、この暗器ならば彼の意識の外から攻撃できる。結局、相手が誰であろうと私のすべき事は変わらない。


 しかし、私はもう少し、梶沢博士の過剰なまでの噂をまともに受け入れるべきだったかもしれない。

 黒髪の悪魔の契約者は軍刀を再び床へ、しかし、今まで以上に深々と石突きを床に叩き付けた。

 終末に鳴り響く鐘のような金属音だ。全身の毛が逆立つのを感じだ。生命の根源からの警告だ。


「ーーーー不可避の運命(アトロポス)よ」


 悪魔が、顕現した。

 訪れたのは鋼による一陣の颶風。荒々しく、全てを殴り潰すような暴力的な風だ。

 悪魔はその中に潜んでいた。悪魔は流麗な白銀の輝きと猛々しい真紅の瞬きを伴った姿をしていた。白銀の輝きは鮮烈なる月光を跳ね返す海を、真紅の瞬きは猛然なる雲海を突き破る雷を思わせる。相反した二つの概念は綺麗に結びつき、日本刀という形の悪魔となっていた。それこそが颶風の中に潜む悪魔の正体だ。

 だが、この身を割かれる鮮烈な痛みもなければ衝撃さえない。颶風に潜む悪魔は実に繊細な動きで私の首に一筋の赤い切り込みを入れた。そして分かった。この私は絶命するのだと。この身に起こった何一つの出来事も理解出来ないが、事実を受け入れた。

 悪魔の契約者は私の首に置くように添えた刀身をゆっくりと離した。やはり痛みはない。同時に、私のあらゆるものが生者の世界に取り残された。強引に私の人生に終止符を打たれたようだった。


「そもそもな、『ドゥアール』というコードネーム自体が間違いなのだよ。無知のドイツ人め」


 彼の嘲りが、私の聞いた最期の言葉となった。

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