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酒場の店主はフラウディアを見るなり、大きな笑い声で出迎えてくれた。
「おや、嬢ちゃんじゃないか。また人助けか?」
「ふふん、今日は違うぞ。たまにはハメを外そうと思ってな。客として来た」
「ほお。その子もかい?」
「ああ。ちょっとした知り合いでな」
「そうかい。奥の席、使ってくれ」
「感謝する」
カウンター席で盛り上がっている男たちを横目で見ながら、店の奥にあるふたり用のテーブルに腰を下ろす。水を持ってきた年配の女性にフラウディアは手早く注文を頼んだ。女性が厨房を消えていくのを見送り、エルヴァルトは嘆息した。
「顔が広いんですね」
「まあな。小さい頃から王都で暮らしていたし、何かとお世話になっている」
「昨夜のように……ですか」
「まあ、そういうことだ。それで、聞きこみはどうするんだ?」
小声で話しかけると、エルヴァルトは真顔で言う。
「フラウディア嬢は普通にしていてください。俺は耳がいい方なので、ここからでも周りの話はだいたい聞こえます」
「嬢は要らない。呼び捨てで構わない」
「ですが、年上の女性ですし……会ったばかりの女性に対して呼び捨ては」
エルヴァルトは静かに首を横に振る。
「私は年齢が上とかは気にしない性分なんだ。できれば、君とは対等でありたいと思う。それに正直、呼び捨て以外だとむずがゆいんだ」
「……なるほど、分かりました。では、フラウディアと呼ばせていただきます」
「感謝する。ところで、どうやったらそんな特技が習得できるんだ?」
「いや、これは……もともとの素質というか」
言葉を濁しつつ、エルヴァルトは水が入ったグラスを傾ける。
これ以上の追求を暗に断られ、フラウディアは仕方なく話題を変えた。
「そういえば、シャルロイド王国はこの国と友好関係にあるだろう? 陛下に助けを求めるのは駄目なのか?」
「それはできません。下手をすれば、好機として攻め込まれる可能性もあります」
「そんな、まさか」
「いいえ。表面上は親しくしていても、過去にシャルロイドが侵略した歴史は消えはしません。火種はいつ爆発するか分からないものです」
フラウディアは日曜学校で教わった授業を思い返す。
軍事大国として大陸一の領土と権力を誇るシャルロイド王国は、昔から広大な国土だったわけではない。近隣諸国を侵略し、戦を繰り返しながら多くの土地を支配下とした。
今でこそ同盟を結んで交易にも積極的だが、反旗を翻す国には武力で解決に乗りだす。そのため、いろいろと恨みを買っているのは否定できない事実だった。
「我が国は世襲制の国家。王家の方々が目覚めない状況になれば、新しい国王が必要になるでしょう。内乱が起こる可能性もゼロとは言えません。……それに」
エルヴァルトは口ごもると、言いにくそうに視線をそらす。
だが、そうされると余計気になるのが人というもの。フラウディアは言葉の先を促す。
「なんだ?」
「……火急の事態につき、正規の手続きを経ずに入国しましたので謁見は難しいと思います。逆に捕らえられるかもしれません」
「やけに冷静に言っているが、それって不法入国……」
前から伸びてきた手のひらによって、続く言葉は飲み込まれた。
「失礼。ご内密にお願いいたします」
声を潜めたエルヴァルトは真面目な顔で迫り、フラウディアはぶんぶんと頷く。すると、口元を覆っていた手はすぐに解かれた。
「ところで正規なルートではないとすると、一体どこから入国したんだ?」
「方角的にいうと、あちらです」
「……今日行った図書館か? え……まさか?」
「そうです。地図上での最短ルートで来ました」
フラウディアは今度こそ絶句した。
自然の城壁に囲まれたオルリアン王国だが、大陸を横断する連なる峰々の向こう側にはシャルロイド王城がある。地図上ではそれほど遠くない距離だが、実質的には軍の侵攻はおろか一般人も登ることはない、果てしなく険しい山道だ。
だから新手の冗談かと疑ったが、エルヴァルトの瞳はどこまでも真摯だ。
フラウディアはため息まじりに尋ねた。
「あの世界最高峰に次ぐ厳しい山脈をたった一人で越えたと……?」
「その通りです。山登りは案外、慣れたら楽しいですよ。見晴らしも達成感も素晴らしいものですし」
「いやあれは、そういう次元のものじゃないだろう。死にに行くようなものだぞ!?」
声を荒らげて抗議するが、エルヴァルトは不思議そうな表情を浮かべた。
「そうですか? 修行にはもってこいの場所だと思っていたのですが」
「……一応聞くが、あの山を越えたのは一度や二度じゃないのか?」
「はい。過酷な環境下で我が身を鍛えるにはこれ以上ない訓練場所ですから。一度だけの成功で喜んでいるようでは王子の副官は務まりません。世界中の山々を越えてこそ、一人前だと考えます。ただ、悲しいことに俺の意見に賛同する方が誰ひとりおらず……」
「それは、賛同したらお前に連れていかれるのが明白だからだろう」
「ともに苦難を乗り越えることはお互いのためになるはずですが」
大真面目で語る若き軍人に、フラウディアは頭を悩ます羽目になった。
しかし注文していた品々が運ばれてきたので、会話を中断する。
「せっかくだから、食べてみてくれ。どれも美味しいぞ」
勧められたエルヴァルトは肉団子を口に運び、まもなくして口元をほころばした。
「素材の味が引き立っていて美味しいですね」
「だろう?」
フラウディアも皿に載った料理に手をつけ、空腹を満たしていく。
腹も少しふくれてきたところで、人生の先輩として忠告しておくことにした。
「いいか、エルヴァルト。皆、まだ現世に未練があるんだ。お前の修行に付き合っていたら、命がいくらあっても足りない。悪いことは言わないから誘わないであげてくれ。それが優しさというものだ。それでも、ひとりが寂しいというのなら私が付き合おう」
「フラウディアが……?」
「そうだ。本音をもらせば多少は怖いが、山頂から見える太陽はさぞ美しいのだろう。だったらその苦難、乗り越えてみせるぞ」
何せ聞くのも恐ろしい山を登ったことなど、ただの一度もない。
未知なる領域に足を踏みだすのは勇気がいるが、彼が無事に生還した生き証人ならば何とかなるだろう。それに、このまま彼ひとりで登らせるのも不安が残る。
けれど、唖然としていたエルヴァルトは次の瞬間、血相を変えて否定した。
「だ、駄目ですよ! あなたは女性じゃないですか。俺が誘ったのは同じ軍の仲間たちです。女性に無理強いするのは自分の理念に反します」
「確かに生物学的には女だ。しかし、私が守られるだけの女に見えるか?」
「……見えませんね」
「だろう。修行なら私も負けない。これまでだって数々の試練を自分に課してきた」
「……あなたなら、その言葉通りでしょうね」
エルヴァルトは遠くを見つめて小さくつぶやいた。
そんな他愛ない話を繰り返しながら時間をつぶし、客もあらかた帰ったところで、ふたりも引きあげることにした。
宿屋に戻ると、楽しそうな笑い声の中心にクロエがいた。
彼女は帰ってきたふたりに気がつくと、周りに知らせるように大きめな声をだす。
「ふたりとも遅かったわね。何か情報は見つかった?」
その問いかけにフラウディアは力なく首を横に振った。シャルロイド王城で起こっている異変についての噂はまだなく、帰り際に伝承に明るい人を知らないかと聞いてみたりもしたが収穫はゼロだった。
酒場から宿屋に戻る道すがら、エルヴァルトはしかめっ面のまま終始無言だった。
「ところで、今のエルヴァルトは女性……なのよね?」
上から下までまじまじと見てくる視線に気づいたのか、エルヴァルトは口を開いた。
「はい。その通りです」
「体つきも触らせてもらったが、正真正銘、女性だ。呪いの話はどうやら本当のようだな」
フラウディアの言葉を聞き、クロエは困ったように頬に手をあてた。
「そう。エルヴァルトはこれからどうするつもりなの?」
「本での記述はありませんでしたが、現地では詳しい方がいるかもしれません。各地にある伝承の地へ明朝、調査に向かいます。重ね重ね申し訳ありませんが、馬と地図をお借りできないでしょうか」
「いいわ。でも、ひとつ条件があるの」
「何でしょう?」
「フラウディアを同行させること。私が反対してもどうせ行くつもりだったんでしょ?」
後半はフラウディアに向けられたものだった。夜明けにこっそりと抜けだす算段まで分かったような口ぶりに、図星をつかれて肩をすくめる。
「……見抜かれていたか。クロエは人の心を読むのがうまいな」
「あら、あなたが分かりやすいだけよ。どう? エルヴァルト。ふたりで協力するという案はなかなかいいと思うのだけど」
「……分かりました。その条件でお願いします」
エルヴァルトは気が進まない様子ながらも是と答えた。
てっきり反対されると思っていたフラウディアはほっと胸を撫でおろした。
しかし、状況を見守っていたマリーはひとり冴えない表情を浮かべていた。
「だけど、フラウディアお姉様がしばらく留守となると、舞台はどうするの?」
一日だけなら支障はそれほどないが、何日もいないとなると話は別だ。
(さすがに三人だけとなると無理があるか……)
しかし、その不安を見透かしたようにクロエは明るく答えた。
「前から考えていたんだけど。カレン、あなたの力を貸してくれないかしら?」
白羽の矢が立ったカレンはきょとんとしていたが、数秒後、時間が動き出したように感極まった声で返事した。
「は、はいっ! もちろんです!」
「そういうわけだから。私たちに遠慮せずにいってらっしゃい」
「……ありがとう、皆」
一座の仲間の優しさにフラウディアは笑顔で感謝を表した。