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桜花の剣と古の誓約  作者: 仲室日月奈
第二章 変貌は月光の下で
8/22

2-3

 中央広場を抜けた先、商業区の奥には城へと続く長い石段がある。

 門番がいる正門をくぐり、東側に歩くと王立図書館がある。

 ここには国中のあらゆる書物が集まり、旅人も自由に利用ができる。ただし、貸し出しは国民に限定され、原則として他国の人間は図書館内でのみ本の閲覧が許されていた。

 正門玄関で迎えるのは、オルリアンの国花である、青い花の刺繍が美しい絨毯。

 市場で出回っている安物とは違う踏み心地を感じつつ、フラウディアは奥にある閲覧用の読書スペースへエルヴァルトを案内した。


「こんな場所まであるとは……。驚きました。書物の量も想像以上です」

「ああ。ここまで壮観な図書館は他にはないだろう」

「ええ、まったく」


 エルヴァルトは感嘆のため息をこぼす。午前中は利用者もほとんどおらず、静けさに包まれている。おかげで、いつもは席が埋まっているという閲覧席もがら空きだ。


「さて、まずは本を集めるか」

「そうですね。龍や剣にまつわる伝承の本をお願いします」

「分かった。では、手分けして探そう」


 早速、フラウディアは歴史コーナーの棚から調べることにした。

 あまり読書には縁がないため、書架を埋めている図書の量には何度見ても圧倒されてしまう。気を抜いたら館内独特の雰囲気に飲まれそうになる。


(けど、ここで挫くわけにはいかない)


 自らを奮い立たせ、隙間なく並べられた本棚の背表紙を一冊ずつ見て回る。関係のありそうな本の目次に目を通し、気になった本を集めていく。それが目線を覆い隠すほどの高さになった頃、一番上に置いていた本がぐらつきそうになり、慌てて支える。

 ひとまず閲覧席へ戻ると、本の山に囲まれたエルヴァルトの姿を見つけた。長机で本に視線を落としていた彼は視線に気がついたのか、ふと顔をあげる。


「これはまた……。どう考えても一度に持つ量じゃないですが」

「そうか? まだまだいけるぞ」


 フラウディアは余裕の顔で、本のタワーを机の上へ移動させる。長机は突然の重みにギシリと音を軋ませた。


「手がかりになりそうなものはあったか?」

「いえ、まだこれといったものはないですね。龍にまつわる本は多いようですが、剣についての記述は見つかりません」


 そう答えるなり時間が惜しいとばかりに、エルヴァルトは再び本に視線を戻す。

 そしてページをぱらぱらとめくり、ぱたんと閉じる。すぐさま新しい一冊へ手を伸ばし、同じことを繰り返す様子を眺めていたフラウディアは怪訝な声を出す。


「……つかぬ事を聞くが、それは読んでいるのか?」

「ええ。ちゃんと目を通しています」

「私にはページを読み飛ばしているようにしか見えないんだが」


 エルヴァルトは次の本に手を伸ばしながら答える。


「速読術は幼少の頃に習得いたしました」

「……速読術?」

「そうです。短時間でいかに文章を正確に理解するかを模索した結果の方法です。本から知識を得ることは非常に有益ですから、これほど理に適ったものはないかと」

「………………」


 言葉が見つからないフラウディアは追求を諦め、本の中身の検分を彼に任せて館内の本を集める役に徹した。その作業は日が傾くまで続いた。閉館の時間を知らせにきた図書館員に追い立てられるようにして外へと出ると、空は朱色に染めあげられていた。

 あれから文献を片っ端から読みあさったものの、これといった成果はなかった。エルヴァルトは伝承の地をメモしていたが、フラウディアは落胆を隠せなかった。旅芸人には本の貸し出し許可がおりなかったことも落ち込ませる要因となった。

 来たときと同じように名前と宿屋名を言うと、門番は快く通してくれた。長い石段を下りながらフラウディアは小声で言う。


「さすがにお腹も減ってきたな」

「すみません、こんな時間になるまで付き合わせてしまって」

「気にするな。集中しているときに声をかけるのも悪いし……」


 そのとき、ちょうど鐘の音が辺りに響いた。

 王都中に反響する音に耳を傾け、フラウディアはつぶやく。


「これは夕刻の音だな。……そうだ。少し寄り道をしてもいいだろうか?」

「ええ、もちろん」

「恩に着る」


 そうして足を向けたのは、商業区奥にある富裕層の居住区だった。

 平民の暮らす場所とは違い、個々の家は広々とした敷地に立派な居を構えていた。豪華な門構えのある通りを抜け、さらに奥へ進むと教会がある。

 こぢんまりとした建物だが、庶民にとっては日々の癒やしの空間であることに変わりはない。平民でも貴族でも平等に迎える教会は、世界中に広まる女神信仰を取り入れている。

 だが、フラウディアが用があるのは教会の裏手だった。そこには緑が濃い常緑樹が一本植えられているほかには、簡素な墓があるだけの寂しいところだった。

 日はさらに傾き、紫色に染まりはじめる空の下。

 フラウディアは道中に買った花を夕陽に彩られた小さなお墓に供える。


「どなたのお墓ですか?」

「父だ。流行り病だったらしい。運よく助かったのは私だけだった」

「……俺もお祈りをしてもいいですか」

「無論だ」


 場所を譲り、黙祷を捧げる彼の横顔をジッと見つめる。

 赤金茶の髪が夜色に沈んでいく空で暗く染まる。髪と同じ色の睫毛は長く、女性と見間違えるほどの麗しい顔立ちだが、くっきりと整った眉と強気な瞳には少年らしさがある。

 やがて閉じられていた常盤色の瞳が開き、フラウディアの姿を映しだす。


「失礼ですが、母君は?」

「分からないんだ。……生きているのか、死んでいるのかさえ。私は自分が生まれ育った故郷がどこかすら覚えていなくてな。この国のどこかということしか」

「そうでしたか。思慮の欠いた質問をしてすみません」

「いや、そんなことはない」


 旅をしている間、幾度となく繰り返してきた会話だ。最後には哀れみの視線を向けられるのも、とうに慣れた。今更傷つくこともない。


(それに旅をしていれば、いつか故郷にたどり着くかもしれない)


 どう頑張っても思い出せない過去の記憶。それを知る人間はもうこの世にいない。

 だったら、自力で見つけ出すまでだ。


「……あ」


 横から聞こえた間抜けな声をひろい、フラウディアは首をひねる。


「なんだ? ……もしかしなくとも、体に変化が?」


 いつの間にか完全に日は落ち、夜空には月が存在感を放っていた。


「そのようです」


 自分の体を見下ろし、エルヴァルトは当惑した表情で答える。ぴったりだった袖もぶかぶかになっており、どうやら身長も低くなったらしい。


「ちょっと失礼」

「うわっ!」


 動揺するエルヴァルトに構わず、体中へ手を這わせていく。

 肩の細い感触、確かな胸の膨らみ、ウェストからヒップにかけての曲線は女性の体つきそのものだった。林檎色の頬もぷにぷにと柔らかく、ぱっちりとした瞳も大きく見える。

 フラウディアは自分自身に言い聞かせるようにつぶやく。


「……うん、やはり女だな。信じられないが、信じるしかあるまい……」

「はあ。まあ、信じていただけたのなら幸いです」

「体つきが変化するのはとんでもない現象だが、どこか痛みはないのか?」

「いえ。特には」

「私が言うのもなんだが、難儀な呪いをかけられたものだな」

「……仰る通りです……」


 エルヴァルトは素直な感想にうな垂れた。


「そ、そこまで悲嘆にくれるな。多少不自由はあるだろうが、調査はできるだろう?」


 その励ましに、だらりと落ち込んでいたエルヴァルトは顔をあげる。

 気合いを入れ直すためか、自分の頬をぱんっと叩いた。


「あの、これから酒場での聞きこみを行いたいのですが」

「うん? ああそうか、誰か知っているかもしれないしな」

「場所さえ教えていただければ、ひとりでも大丈夫です」

「いや、私も行こう。女の君は危なっかしい。力も半減した今、不逞な輩に絡まれたときに困るだろう」

「…………そう、ですね」


 微妙な顔つきで頷いたエルヴァルトは無言で先導するフラウディアの背に従った。

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