2-1
翌朝、フラウディアは客人に割りふられた部屋の前にいた。
窓の外は灰色の薄明に包まれ、宿屋内はまだ眠りについている。用意した着替えを腕に抱え、静かにドアノブを回した。手狭な室内には簡易ベッドがひとつだけある。
ところが予想に反してベッドの主は起き上がり、窓辺に寄りかかっていた。
「もう起きているとは思わなかった。ちゃんと眠れたか?」
クロエの寝間着を借りた少女は逡巡の末、こくりと頷く。だがすぐに視線をそらした。
「…………」
気まずい沈黙が続き、まるで避けられているような反応に訝しむ。
昨日の印象では、会話に不得手という感想は抱かなかった。こんな風によそよそしくされる覚えはない。少なくとも就寝前は礼儀正しく好感が持てた。
(まだ具合が悪いのか?)
フラウディアは少女の肩を掴んで、こちらに向かせた。
驚いた常盤色の瞳は少女と同じ色。きめ細かいつややかな肌に、真っ直ぐ伸びた赤金茶の髪は背中にかかっている。しかし、何かが違うと直感が訴えている。昨晩の記憶をたどりながら、その根拠に考えをめぐらす。そうして。
「……誰だ、お前は!」
昨日といい、どうしてすぐに気づかなかったのか。一見、少女と見間違えそうな細い肩だが、よく見ると鍛えられた筋肉が服の上からでも分かる。今ここにいるのは昨夜の少女ではない――知らない少年だ。
(どんな手を使ってすり替わったのかは分からないが)
不審者に対する行動はひとつだった。
ベッドに片膝を立て、鮮やかに抜き取った剣を少年の喉元に押し当てる。しかし、吐息がまじわるほどの距離で命の危険にあっているのに、少年が取り乱すことはなかった。
「俺ですよ、昨夜あなたに助けられたのは。よく見てください、同じ顔でしょう?」
情けないような、沈みきった声音に剣を握る力をゆるめる。そしてもう一度、少年の顔に瞳を凝らす。
「……確かに似ているようだが、貴様はどう見ても男にしか見えない。嘘だとしたら無傷で帰すわけにはいかない」
「男ですからね、少なくとも今は。これには厄介な理由があるんです。……まずは、剣をおろして話を聞いてくれませんか?」
その表情に焦りの色はなく、真摯な眼差しがフラウディアに向けられる。物怖じしない度胸に免じて渋々、剣をおろした。
殺気立っていた部屋は少しだけ平穏を取り戻す。少年は薄く息を吐き、ボタンを上から一つずつ外して胸元をはだけさせた。
ぎょっとするフラウディアをよそに、自分の胸の辺りを指差して話し始める。
「見てください。この印はどうやら呪いの一種らしく、夜になると性別が変わってしまうようです。俺も昨日初めて知ったのですが」
言われて、まじまじと胸元を覗きこむと赤い痣があった。
それはなぜか、蝶の形をしていた。今にもそこから飛び立ちそうなほど美しい蝶。
フラウディアはあからさまな疑いの目を向けた。
「そんな話を信じろと?」
「俺だってこれが夢だったらどんなによかったか……」
吐き出された弱々しい声にフラウディアはわずかに戸惑う。
(信じるべきか? それとも……)
声色も昨夜よりは低くはなっているが、記憶の声と限りなく音は近い。まるで双子のように似た顔は、今は思わず励ましたくなるほど沈みきっている。先ほどの話が真実ならば、その反応はむしろ自然とさえ思えた。
毛布の端をぎゅっと握り、少年は観念したように顔をあげた。
「しかし、これが現実です。ならば受け入れるしかありません。そして、俺はここで拘束されるわけにはいかないのです。敵対するというならば、やむを得ません。恩人に刃を向けることはできれば避けたいのですが」
「だから信じろ、と?」
「そういうことです。昨夜はお見苦しいところを見せましたが、剣の腕ならあなたよりも上です。試してみましょうか?」
視線に剣呑な光が帯びる。そしてベッドの横に立てかけていた大剣を掴み、やすやすと重い剣を振り上げる。勢いよく空を切る音から導き出される実力差は一目瞭然だった。
見慣れない構え方は隙がなく、フラウディアは静かに首を横に振る。
「いや、それには及ばない。いい方法を思いついた」
「……方法とは?」
「いきなり信じろと言われても無理な話だ。けれども君の話を聞く限り、嘘をついているようには見えない。だったら今夜、その話が真実かをこの目で確認する」
「それは妙案ですね。ただ、問題がひとつあります」
「なんだ、気兼ねなく言ってくれ」
腰に手をあてて言葉を待つフラウディアに、少年は咳払いをしてから言う。
「では遠慮なく。俺にはあまり猶予がないのです。お仕えする王子の命がかかっているので、夜まで動けないとなると強行突破せざるを得なくなります」
「命?」
「俺がそうだったように、王子たちにも石化の呪いがかけられています。期日までに呪いを解かなければ彼らの命が尽きてしまうのです。呪いを解く手がかりがこの国にあると聞いて俺はやってきました。……ご理解いただけましたか?」
突拍子もない話だったが、信じなければ交戦は免れない気迫が漂っていた。
仮に、その話を真だとすれば状況は思ったよりも深刻だ。フラウディアは呪術には詳しくないが、性別が逆転するなら石化の呪いもあっても不思議ではないように思えた。
「言いたいことはよく分かった。だが案ずるな。手がかりを調べるというなら、私が案内しよう。ここは私が生まれ育った故郷だからな、少しは役に立つはずだ」
「は? いや、しかし」
「これは見張りを兼ねている。夜までの間、ともに過ごす。それなら問題はないはずだ」
胸を張るフラウディアに少年は狼狽した様子を見せた。視線を左右にさまよわせ、ひとしきり考えこむように唸った後、おずおずと口を開けた。
「その申し出はありがたいですが、……仕事に差し障りなどはないのですか?」
「そうだな、クロエに相談してくるか」
くるりと方向転換して視線を入り口に向けると、そこにはすでに待ち人がいた。
寝間着姿の座長は呆れ顔で、部屋の中で息を呑むふたりを見やる。
「話は聞かせてもらったわ。というか、廊下まで丸聞こえよ。あなたたち」
「……あ」
「……ドアが開けっ放しだったのですね」
フラウディアと少年は互いに顔を見合わせ、己の失態を遅れて悟った。