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桜花の剣と古の誓約  作者: 仲室日月奈
第一章 持て余した剣と少女
3/22

1-2

 桜の木の下で練習していた日から早十年。

 舞台に出る直前の緊張感に包まれながら、フラウディアは自分の出番を待っていた。


「準備はいい?」


 一座の長であるクロエが舞台袖から顔を出してくる。

 フラウディアは詰襟詰め襟や袖口のフリルを指差し、不満げな声をもらす。


「もっと質素な方が動きやすいと思うのだが、どうしてもこれじゃないと駄目か?」

「似合ってるのに」

「女の子らしい服は苦手だと知っているだろう」


 衣装のデザインの担当は座長自ら行っている。今回は露出控えめな衣装という要望を取り入れてくれ、膝上のワンピースから足首までのロング丈に変更されていた。薄紅の上衣には、肩から胸元にかけて桜の刺繍が描かれている。


(剣舞を披露するには、袖口に何重にも広がるフリルは邪魔でしかないんだが……)


 深いスリットの入った青藍のドレスを着たクロエは飄々と言いのけた。


「まあまあ。大丈夫よ、あなたならできるって信じているから」

「その口ぶりは仕組んだな?」

「あらぁ、そんなに誉められると照れちゃうじゃない」

「全然照れているようには見えないが……時間なので行ってくる」

「いってらっしゃーい」


 出番を最後に控えたクロエが小さく手を振る。

 それを横目で流し、しずしずと舞台中央に歩み出る。その途端、黄色の歓声があがった。

 男口調で腕力も並の男に引けを取らないフラウディアだが、しおらしく振る舞えば貴族の姫に間違えられることも珍しくない。背中に波打つ榛色の髪は柔らかな雰囲気をまとい、同じ色の瞳は楚々とした印象を与える。

 厳かにお辞儀をすると、ざわついていた客席は静寂に包まれた。

 フラウディアはショールで表情を隠したまま、くるくると円を描きながら舞う。桜色から白へとグラデーションがかったスカートの裾がふわりと膨らんでいった。

 フルートの旋律が奏で出し、舞台袖から少女ふたりが鈴の音を響かせながら姿を現す。

 二人の間で舞っていたフラウディアは、薄絹のショールを背後に放り投げる。水しぶきを散らすような曲調に変化するのに従い、力強いステップで踏みだす。

 ふとした瞬間、露出を極力控えた衣装から覗かせるのは白雪のなめらかな肌。すらりと伸びた手足が優美に舞うさまは人目を惹きつける。

 やがて、少女たちは鈴を鳴らしながら左右に散っていく。一人たたずむフラウディアは腰の帯にさしていた剣を抜く。幅広の剣は豪奢な飾りが両鍔に施されている。

 白銀の切っ先を天高く掲げ、顔の前ですっと構える。

 剣を片手に舞う姿は曲が佳境に進むにつれ、足取りは楽しげにリズムを刻んでいく。

 舞台の端で片膝をついた少女たちは、女神へ請うように恭しく頭を垂れた。


(練習通りにいけばいいが……)


 フラウディアは剣を頭上高くへ放り投げる。

 床を蹴り、回転していた剣を宙返りしながら受け止める。柄を後ろ手に構え直し、片手を床に伸ばす。手のひらが床に触れたのは一瞬のことで、体をねじりながら一層高い跳躍力で舞台中央へと華麗に着地する。

 それから最後のステップを踏み、剣をしまうとフラウディアと少女たちはその場で深く一礼した。少しの間があり、客席から拍手が沸き起こった。手が叩く音は次第に連鎖し、天幕内に広がっていく。

 演じ終えた達成感を胸にフラウディアはもう一度、礼をしてから舞台袖へと戻った。そこには笑顔で迎えるクロエがいた。


「いい演技だったわ。マリーとフランチェスカもお疲れさま」


 座長の労いに、白い衣を羽織った少女たちが次々に言う。


「お疲れさまでしたわ」

「次はクロエお姉様の出番ね。座長の演目は一座の目玉だもの。奇術師としての腕が鳴るんじゃない?」


 クロエは微笑みでその言葉を受けとめる。フラウディアはそんな彼女に肩をすくめた。


「頑張って、という言葉は不要だな」

「ふふ、そんなに信用してもらえるなんて光栄だわ。それじゃ、行ってくるわね」


 クロエは手を振りながら舞台へと消え、大きい歓声に迎えられていた。それを背中越しに聞いていると、奥に控えていた小柄な少女がすっと両腕を伸ばす。


「フラウディアお姉様、タオルをどうぞ」

「ああ、カレン。ありがとう」


 フラウディアは素直に受け取り、額の汗を拭う。

 小柄な少女はゆるやかに編んだ黒髪を胸元に垂らし、目を輝かせて語る。


「私も早く舞台に上がれるように、もっと練習に励みます!」


 旅芸人の一座スピカには、四人それぞれ通り名がある。

 座長のクロエは『星空の乙女』、他の二人は『森の妖精』、『月光の歌姫』と呼ばれている。フラウディアは桜の精のような衣装から『桜花の舞姫』と親しまれていた。

 カレンは最近入ったばかりの新人で、まだ通り名は与えられていない。

 今は修行中のために舞台裏でサポート役を担っている。

 華奢な体は一座で最年少ということもあるが、肉嫌いも成長が遅い要因ではないかとフラウディアは思っていた。

 とはいえ、つり目がちの灰色の瞳は強気な光が見え隠れしている。下町育ちということもあってか、一番の負けず嫌いだ。ひとりで練習に励んでいる現場を何度か見たことがある。その努力が報われる日を思い浮かべ、フラウディアは目を細めた。


「私もその日が待ち遠しいな」

「ありがとうございます。いつも稽古で拝見していますけど、本番での迫力は違いますね」

「そうか? 私はいつも通りにやっているつもりなのだが」

「段違いです。マリーお姉様もフランチェスカお姉様も、皆さん揃って美しかったです」

「そう誉められると何だか照れくさいな。だがカレンは物覚えも早いし、初舞台もそう遠くないだろう」

「いいえ。私にはもっと精進が必要です……」


 うつむくカレンに、それまで見守っていた二人が口を開く。


「大丈夫よ。フランチェスカなんか、教会に籠もりっぱなしで舞台なんて見たこともなかったんだから。そんな元聖職者が今では天使の歌声ともてはやされているわけだし」

「まあ、ひどい言い草ね。シスターは祈るだけが仕事じゃなくてよ。戦火のときには各地で医療行為もするっていうのに……。それに、押しかけて旅芸人になった商人の娘の方が、よっぽど奇特だと思うわ」

「なんですって? 旅一座のスピカっていったら世界的にも有名なんだから。むしろ、そのぐらい当然よ。お父様について世界をめぐるのも楽しいけれど、諦められない夢を追いかけて何が悪いっていうの」


 マリーの薄茶の瞳とフランチェスカの碧眼が真っ向からぶつかる。


(やれやれ。またか)


 見えない火花が散っている現場を前にして、フラウディアは頭を抱える。

 お互いをライバルとするのはいいが、激しい意見交換が勃発するのは考えものだ。

 そして昂ったふたりを仲裁するカレンの姿は、最近の見慣れた光景だった。


「まあまあ、お姉様方。……座長が演技中ですので、お静かに」

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