5-1
後処理のために忙しなくするエルヴァルトと対照的に、他国の民間人であるフラウディアは束の間の休息を過ごしていた。自分の代わりに未だ眠る王子のそばにいてほしい、と懇願されて毎日のように王子の部屋を訪れていた。
国王や王妃はすぐに意識を取り戻したらしいが、エルヴァルトの上官である彼だけは深い眠りについていた。部屋の主が横たわる天蓋付きのベッドは今日も静かだ。
呪いを解いた功績により、フラウディアは国王の賓客として扱われ、不自由ない日々を過ごしていた。王城内は滞っていた政務や警備の強化、諸外国への情報操作などで慌ただしく、エルヴァルトとは食事で顔を合わせる程度だった。
夜に性別逆転することは誤魔化しているようだが、不審に思う者も少なからず出ている。けれど、本人から気にするなと再三言われてしまっては、口を噤むしかなかった。
(いつまで隠し通せるのやら……。そもそも、私はすぐ帰るつもりだったのだが)
なぜか必死に引き止める彼の勢いに押されてしまった。しかし、一度引き受けたものは投げ出す性分ではない。仕事で来られない彼の分まで、王子の目覚めをかたわらで待つ。
ベッドの脇にある豪奢なひじ掛け椅子に座り、借りてきた剣術の指南書を開く。ページを繰って読み進めていると、わずかにベッドが軋んだ。
「……?」
「ああ、起きたのか。どうだ、体調の方は」
指南書を閉じて、呆然と見つめてくる瞳を覗きこむ。
(思ったより、血色はよさそうだな)
王子は瞬きを繰り返した後、ぎこちない動作で起き上がろうとした。フラウディアは彼の背中を支えて起こす。
「大丈夫か?」
王子は奇妙な間の後、すぐに言葉を返す。
「ええ、まあ。強いて言うなら、体の節々が痛いかな。ところで、君は新しい女官? いや、それにしては口調がいささか砕け過ぎか」
整った顔が近づき、フラウディアは慌てて距離を取る。
「私はその……エルヴァルトの友人だ」
「エルヴァルトの?」
「あ、ああ」
不思議そうに見つめられ、説明不足だということに遅れて気づく。
「彼は今、仕事で席を外している。その間、王子が目覚めるのを代わりに見守っていてほしいと頼まれている」
「あいつがそんなことを頼むとは。……あなたは相当に信頼されているらしい。もしかしてエルヴァルトの婚約者か何かかな?」
「こ、ここ……っ」
思いもしない単語にフラウディアの頭は混乱した。
「おや。その様子だと違うのかな」
「婚約者なんて、そんな! 私はただの友人で……!」
必死に否定していると、不意にノック音が部屋に響く。聞き慣れた規則正しいリズムにフラウディアは固まった。
「失礼します。……ああ、王子! やっと目が覚めたんですね」
エルヴァルトは声を弾ませ、足早にベッドに近づく。
王子は鷹揚と頷き、好奇の瞳を向けて尋ねる。
「先ほどな。ところで、彼女と君はどういう関係なんだ?」
「は? ……言っておきますが、王子が想像するような関係ではありませんよ」
「上官命令だ。少しは教えてくれてもいいだろう?」
楽しむような気配に、エルヴァルトは額に手をやった。
「彼女は龍人族の生き残りで、皆の呪いを解くために尽力してくださった恩人です。彼女がいなければ、王子は今も石ころのように固まっていたんですよ」
「主君を石ころ呼ばわりとは、ぞんざいな言い方じゃないか。お前、さては妬いているのか?」
「違います。からかうのも大概にしてください」
「はは。今に始まったことではあるまい。今更照れるな」
「照れていません! そんなことより、まず彼女に言うことがあるでしょう!」
エルヴァルトは息をつき、きょとんとしたフラウディアに視線を合わす。王子もつられるようにして見て、確かに、とつぶやいた。
ベッドから抜け出し、王子は恭しく礼を取った。
「……姫。名乗りもせず、失礼いたしました。私はアランシーク・リュゼ・シャルロイドと申します。あなたのおかげで我々は救われた。シャルロイド王家を代表してお礼を申し上げます。呪いを解くために尽力してくださったこと、心より感謝いたします」
「い、いや。呪いが解けたのはエルヴァルトが頑張ったからだ。私はそれを手伝っただけにすぎない。しかし、無事で本当によかった」
王族らしい気品を取り戻した王子は、にこやかに続ける。
「よければ、しばらくこの城に滞在しませんか? 個人的に姫ともっとお話したいので」
「アランシーク王子。この方は駄目です」
「何をいう? 我が王族の窮地を救ってくださった方だ。お礼もせねば失礼だろう」
言うなり、その場に立ち尽くしたままのフラウディアの前にひざまずく。
呆気にとられている間に、右手をとられて優雅に手の甲に口づけが落とされる。
貴族社会の風習だと頭では理解できるのに、実際にされたことがないフラウディアは動揺を隠しきれず、握られた指先が震えてしまう。
優しく包まれた右手はなかなか離す気配はない。どうすべきかと困っていると、下から見上げてくる碧眼に視線が絡めとられた。注がれる熱っぽい眼差しに鼓動が乱れる。
見かねたエルヴァルトが間に入って、やや強引にふたりの手を引きはがした。
「そうやって口実を作り、彼女を口説くのは見過ごせません」
「なんだ、今日はやけにつっかかるな。俺は強い女性が好みなんだ、知っているだろう。彼女の瞳はかよわい女性のものとは違う、芯の強い光を感じる」
「知っているからこそ、こうやって止めに入っているのではありませんか」
「……お前、まさかとは思うが……」
「彼女には俺も恩義があるんです。王子の毒牙から守るのは当然でしょう」
そっぽを向いて答えるエルヴァルトを見て、フラウディアは内心首をひねる。
(よく知らないが、王子のこれは社交辞令……だよな)
彼の怒るポイントが掴みきれずに困惑していると、アランシーク王子が興味深そうに見ているのに気づく。
「王子。せっかくの申し出だが、故郷の収穫祭が近いんだ。私はもう帰らなければ」
「そうですか、残念です。お国はどちらなのですか?」
「オルリアン王国だ。とはいえ、普段は旅芸人として世界各地を回っているのだが」
「なるほど、旅を……」
「では王子。どうかお元気で」
会話を締めくくり、そのまま踵を返すフラウディアに呼び止める声がかかる。
「お待ちください。――副官、エルヴァルト准尉に命じる。我が国を助けくれた姫を無事に故郷まで送り届けよ」
「はっ。お任せください」
アランシーク王子は口の端を吊りあげる。
「ついでに収穫祭を楽しんできても構わないぞ」
「……分かりました。王子の分まで楽しんできます」
「む、とげのある言い方だな。ここはやはり、私自ら……」
「王子はご自分の職に励んでください。情報部の仕事は山のようにあるんですから」
「はいはい。承知したから、さっさと行きたまえ。姫もお元気で」
ひらひらと手を振る王子に礼をし、フラウディアたちは部屋を後にした。
*
旅支度を調えて馬に跨がり、街道に出たところでエルヴァルトが口を開いた。
「そんなに、アランシーク王子が気になりますか?」
「え、いや……」
「王子は我が国を代表する美男子です。あなたが惹かれるのも無理はないですね」
確かに見目麗しい顔立ちだったが、フラウディアが後ろ髪を引かれるように何度もシャルロイド王城を振り返っていたのは違う理由からだ。
初めて訪れたとき、辺り一面は暗闇に支配されていた。しかし、晴れた青空の下に姿をさらす王城は何度見ても絢爛豪華な造りだった。
視線を前へ戻し、フラウディアは気づかれないように息をつく。
(気になる存在でいったら、王子よりもエルヴァルトの方なんだがな)
けれど、それを直接口にすることははばかられた。無性に気恥ずかしさに駆られ、フラウディアは頬を上気させて言う。
「で、でもそんなこと、君には関係ないだろうっ」
「……関係はありますよ」
「は?」
フラウディアは目を丸くして聞き返す。
「あの夜、フラウディアに出会わなければ睡蓮の剣を手にすることはできませんでした。王子たちを助けることもできず、自分を責め続けたことでしょう。あなたに出会えたことは女神の導きあってのことだと思います。その縁に感謝し、あなたのために尽くしたい」
後半はまるで口説き文句のようだったが、彼の目は真面目そのものだった。
「そういうことは女性相手に軽々しく言うものじゃない」
「……え? あ、すみません」
素直に謝る声に罪悪感を覚え、慌てて言葉を付け足す。
「私にとっても君と過ごした時間はかけがえのないものだ。忘れていた思い出もこうして取り戻せたし、何より、エルヴァルトの役に立てたのならこれ以上嬉しいことはない」
率直な思いをそのまま言葉に表すと、なぜか彼は微妙な顔つきになった。馬を近づけて顔を覗きこもうとするが、そっぽを向かれてしまう。
「……どうして顔を背けるんだ?」
嫌われてしまったかと危惧して問いかける。エルヴァルトは数秒の間を経て観念したように向き直る。
「では聞きますが。あなたこそ、自分が何を言っているか分かってるんですか?」
「ん? 何か、おかしいことを言っただろうか」
「あなたの場合、逆に男性を口説く癖がおありのようですから、くれぐれも気をつけてください。勘違いされて困るのはフラウディアですよ」
思い詰めたような顔で言われ、その気迫に押されるように頷く。
「わ、分かった」
「なら結構。陸路だと大きく迂回しなければなりませんから長旅になります。船に乗り換えれば数日で着きますから、頑張ってください」
「うむ、任せろ」




