3-2
翌日の夕方、フラウディアたちは馬車で会場へと向かっていた。
今夜の貴族の社交場となったのは、王都から少し離れた場所にある迎賓館だった。
賓客の宿泊にも使われる邸宅は部屋数も多く、大広間も豪華な造りだった。ドーム天井に描かれた色彩豊かな絵画、垂れ下がるのは優美な装飾が施されたシャンデリア。金箔をあしらった内装に、金の刺繍が鮮やかな赤絨毯。
そして、会場に花を添えるのは真新しいドレスを着込んだ淑女たち。エスコートする紳士もおのおの優雅にワイングラスを傾け、談笑を始める。
やがて大広間の扉がゆっくりと開く音で、全員の視線が一箇所に集まる。姿を現したのは今夜の主役だった。
人垣をかき分けて歩くのは、大きく胸元が開いた深紅のドレスに身を包んだ美女。
首回りにはレースの付け襟が広がり、大振りのルビーの首飾りが目を引く。ウェストのくびれが強調されたドレスはフリルが横に二列ついたもので、歩くたびふんわりと揺れる。
彼女は好奇の目線に怖じ気づく様子はなく、会場の中央まで優雅に歩く。
タイミングを見計らっていたように、男の声が会場に響き渡る。
「このたび、ミス・オルリアンに選ばれた絶世の美女を紹介しましょう!」
主役である女性は華やかな気品を振りまきながら微笑をたたえる。肩口に垂らされた蜂蜜色の髪がシャンデリアの光に照らされて輝きを増す。
「はじめまして。イレイナジュ・スフィアと申します。今回は大変名誉な賞をいただけて、心から感激しています。これほど嬉しいことはありません。応援してくださった方、ならびに審査に携わったすべての方に感謝を申し上げますわ」
ドレスの裾をひとつかみし、優雅に一礼する姿に会場は色めき立った。
仕草ひとつをとっても、彼女のそれはすべてにおいて完璧だった。女性ならば憧れの対象として、男性ならば一曲踊り、その美貌を間近で見たいと思うのが当然といえば当然だ。
挨拶が終わると、すぐに彼女の周りに人の輪ができあがった。
今夜の主役がちやほやされている場所から少し離れたところでは、エルヴァルトが愛想笑いを浮かべながら、次々に話しかけてくる男たちと言葉を交わしていた。ひっきりなしにダンスを誘う手が差し伸べられ、困惑しているようだった。
その様子を遠巻きに見ていたフラウディアとクロエは顔を見合わせる。
「さすがね、彼。男たちの心を見事に掴んでるわ」
「……私には戸惑っているようにも見えるんだが」
「大丈夫よ。そういった初心な感じが相手は余計そそられるんでしょうし。話を聞きだすのにはこれ以上ない鴨……いえ、何でもないわ」
こほんと咳払いで誤魔化し、クロエは片目をつぶる。
「それにいざとなったら、あなたが助けにいくつもりなんでしょう?」
「まぁな、女のエルヴァルトは驚くほど力も頼りないからな」
「頼むわね。マリーと私は一座の宣伝もしなきゃだから。くれぐれもエリーゼがどこぞの男に別室に連れ込まれないか、目を光らせておくことね」
「承知した」
そうしてクロエは人だかりの中へと消えた。
(確かに、清楚で可憐といった印象だよな。とても男とは思えない)
夜の帳が降りた今、男ではなく女性なのだが、フラウディアにとっては年下の少年であることに変わりはなかった。
エルヴァルトは初めこそ緊張をしていたが、次第に作り笑いを見せるまでに回復していた。男に手を引かれ、ワルツを踊っている様子は堂々としていた。
(あの様子だと大丈夫だろう。少し外の空気を吸ってくるか……)
場の雰囲気にあてられ、逃げるようにテラスへと出た。夜風がひんやりと頬を撫ぜ、会場の喧騒から遠ざかったことで息が軽くなる。
薄紫のドレスの裾を持ちあげ、円柱の影を縫うように歩くと、開けた場所に出た。
迎賓館は高台に建てられているため、見晴らしがいい。
水しぶきをあげた噴水の向こうには黒い海が見える。昼の澄んだ青色とは違い、闇に同調した色だった。
と不意に、くぐもった話し声が聞こえた。辺りを見渡すが、人影は見当たらない。どこからだろうと首をひねると、意外と近い場所から声が聞こえてきた。
こんな場所で何を話しているのか、と忍び足で回廊を歩く。
まもなくして、誰かと話し込んでいる男の影が見えた。途端、言い争いのような声がして思わず足を止める。反射的に隠れ、柱の影から様子を窺う。
「…………?」
声を荒らげていた白髪の紳士がふっと視界から消えた。
訝しんだフラウディアは足を踏み出す。旅で培ってきた危機感が警鐘を鳴らしていた。彼が消えた辺りまで早歩きで向かうと、闇の中から人影が出てきた。
「おっと、失礼」
立ち塞がったのは若い青年だった。燕尾服に鮮やかな紅色のネクタイ、磨き上げられた黒い靴は上流貴族のものだ。
パーティーに出席する客と同じ格好だが、卑屈な笑みは衣装と不釣り合いだった。口調こそ丁寧を装ってはいるが、滲みでる雰囲気は庶民のそれと似ている。立派な服は借り物を着てきたといった印象を拭えない。
「すまない。このあたりで誰か見なかったか?」
「いいえ? 誰も見ていません」
「そうか。男性がいたはずなんだが……」
フラウディアが不思議がってつぶやくと、さっと青年の顔が曇る。
だが、その戸惑いはすぐに笑顔の中へと掻き消えた。
「ああそういえば、『星空の乙女』なら庭園で見かけましたよ」
「……クロエが?」
彼女も夜風に当たりに外へ出たのだろうか。
そう思案に暮れていたのが隙となり、青年の殺伐とした表情を見逃した。
次の瞬間には鳩尾に鈍い衝撃を受け、意識が霞んでいく中で男の気だるそうな声を聞いた気がした。
「まさか『桜花の舞姫』に見られるとはな。悪く思わないでくれよ」