3-1
一週間ぶりに戻ってきた王都は、収穫祭の準備で様変わりしていた。特設会場を設置する工事の音、あちこちに垂れ幕が降りていたりと、どこもかしこも祭りに向けて盛り上がっている様子だった。
時刻は黄昏から暗闇へと移る頃。宿に戻り、出迎えてくれたのは給仕の手伝いをしていたカレンだった。
「おかえりなさい。フラウディアお姉様、エルヴァルト様」
女将と話し込んでいたクロエが気づき、こちらへとやってくる。
「その様子だと収穫はなかったようね?」
「……はい。そちらは何か情報は入ってきましたか?」
「いいえ。こちらも同じよ」
「……そうですか」
「ねぇ、手詰まりなら提案があるのだけど。実は明日の夜、ミス・オルリアンのお披露目会があるのよ。ふたりも出てみない?」
ミス・オルリアンとは国一番の美女を決める大会での優勝者のことだ。
見た目の美しさだけではなく、教養の深さ、礼儀作法など数々の審査項目をクリアした者のみがその栄誉を手にする。優勝者は数々の式典に呼ばれるのだが、その手始めとして貴族へのお披露目会が開催される。
「もうそんな時期か。……ん? だが、確か招待状が必要だったはずでは」
フラウディアの疑問にクロエは待ってました、とばかりに一枚の便箋を取り出す。
「ここにあるのよね、それが」
「どうしたんだ? 貴族しか招待されないものだと以前聞いたが」
その疑問に答えたのは、二階から下りてきたマリーだった。腰に手をあてて、得意げに鼻を鳴らした。
「それは私の父が招待されたの。でも仕事で都合がつかないからと、娘の私が出ることになったというわけよ。お姉様」
「そういうこと。ちなみに、出席するのはマリーと私よ」
「……え? フランチェスカとカレンは?」
「わたくしは社交場へ出るのは控えさせていただきますわ」
「フランチェスカお姉様が残られるなら、私も留守番しています」
マリーの後ろからやってきた彼女らは口々に理由を述べた。
「ちなみに、これは仕事の一環よ。貴族の方々に一座の宣伝をするの。けれど、エルヴァルトにとっても情報収集にはいい場所だと思うわ。彼らの情報量は並みじゃないもの。だから、一緒に出てみてはどうかしら」
伝承の地へ直接足を運んだが、未だ手がかりすら掴めていない。となると、違う側面からの方法に切り替える必要があるのは明白だった。
エルヴァルトは神妙な顔でその提案に頷いた。
「そうですね。今は藁にもすがる思いですので、ご一緒いたします」
「フラウディアはどうする?」
「エルヴァルトが行くのなら、私も共に行こう」
「決まりね。ふふふ」
「どうした? 何か企んでるような顔つきだが」
フラウディアが尋ねると、カレンが前に出て大きな包みを差し出した。
「実はね、エルヴァルトに私たちからの贈り物があるの」
「……俺にですか?」
怪訝な表情のまま受け取り、おそるおそる開封する。ピンクのリボンがはらりと落ち、大事にくるまれていた中身があらわになる。
「こ、これは……」
エルヴァルトはそう呟いたきり、体を硬直させた。フラウディアは不審に思い、贈り物を覗きこんだ。そこには、フリルがふんだんに盛られた若緑のドレスがあった。
こわごわとドレスを箱にしまう彼の反応をどう解釈したのか、女性陣は色めき立つ。
「やーん、照れてるのね」
「エルヴァルト様にぴったりだと思って見繕いましたのよ」
「早くお召しになって、私たちに見せてくださいませ」
目を輝かせて迫られ、エルヴァルトも及び腰になっていた。
「……ま、待ってください。男がドレスは……」
「お披露目会があるのは夜よ。出席するからには、それなりに着飾る必要があるのは分かるわよね。あなたは夜になると性別が変わってしまうし、男物の服を着るわけにはいかないと思うけど?」
とどめの一声にエルヴァルトはうな垂れた。
「……分かりました。着替えてきます」
「勝手が分からないでしょうから、私も手伝うわ」
クロエがエルヴァルトの背中に手を回し、ふたりは別室へと消えた。悲鳴に似た声が時折聞こえながらも、皆で静かにそのときを待つ。
やがて遠慮がちに開かれた扉から出てきたのはクロエだった。
「待たせたわね」
艶やかな笑みをたたえ、後ろに隠れていたエルヴァルトを前へと押し出す。
「まあ、可愛らしい」
「本当だな。エルヴァルト、よく似合ってるぞ」
「……嬉しくありません……」
そっぽを向く姿は、まるで恥ずかしがっている乙女に見えた。
「あとは、最後の問題を解決しなければ話が進まないわよね」
「クロエお姉様、もしかして?」
「こんなに見るからに女の子チックになったんですもの。エルヴァルトと名乗るには不釣り合いよ!」
「…………まさか」
エルヴァルトは口をひきつらせた。
女性陣の期待に満ちた視線がクロエに集まる。
「当然、女装したときの名前を考えなくちゃね」
「いえあの、誰かに名乗る必要もありませんし。お気持ちだけで充分です……から……」
エルヴァルトの懇願する声は熱を帯びた女性陣には届かない。
フラウディアは彼に同情を寄せていた。いつだったか、男気あふれる私服を憂えた彼女らによって連行され、洋服をあれこれと着せられる羽目になったのだ。
(悪い、エルヴァルト。助けてあげられそうにない)
磨いてきた剣術は、目を爛々と輝かす少女の前では無力だった。下手に刺激を与えたら思わぬ火の粉が飛んでくるため、彼女たちの気が済むまで無心になるしかない。そのくらい年頃の女の子パワーは絶大だった。
「ああ、何がいいかしら! せっかくなら女の子らしい名前がいいわよね」
「まるで自分の子どもの名前をつけるみたいで、わくわくしてきます」
「分かりますわ。名付けの重大なる、この使命感!」
おっとりしたフランチェスカでさえ、熱く拳を握りしめていた。
「そうねぇ。じゃあ、アンリエッタなんてどう?」
「いいえ、ジャンヌの方がお似合いです」
「カトリーヌも捨てがたいですわ」
「エルヴァルト様はどれがいいですか?」
鬼気迫る勢いで見つめてくる少女たちに、エルヴァルトはあっという間に取り囲まれてしまう。拒む権利は当然ない。熱烈な視線にげんなりとした様子で口を開く。
「も、もっと本名に近い方が覚えやすいかなと……」
「言われてみればそうよね! 音が近い方がいいわ。となると」
「エスメラルダ、エリザベス、エリーゼ……」
「迷いますわねー。なかなか決められそうにありません」
真剣に悩みだす三人たちを見ていたフラウディアはふと疑問がわく。
「エルヴァルトはどういう名前がいいのだ?」
「……せめて、庶民的な名前だとありがたいのですが」
「ふむ。さっきの候補から一番地味なのはエリーゼか」
フラウディアがそう結論づけると、盛り上がっていた三人組が耳ざとく聞きつけた。視線が再びエルヴァルトに注がれ、マリーが興奮気味に口を開く。
「さすがよ、フラウディアお姉様。ああ、どうして気づかなかったのかしら!」
「な、なんの話だ?」
「素朴な名前でこそ、エルヴァルト様の魅力は引き立つわ。女の私たちでさえ嫉妬してしまう美貌に清楚な雰囲気。儚げな立ち姿は一輪の百合のよう。神々しい名前よりもエリーゼというありふれた名前が一番ミスマッチでそそられるもの。このギャップ萌えはたまらないわよね!」
一気にまくしたてられ、エルヴァルトは圧倒されて声にならないようだった。
しかし、次の言葉にはさすがに口の端をひくつかせた。
「今日からあなたはエリーゼとして生きていくのよ」
「俺の名はエルヴァルトですから! 断じてエリーゼとして生きていくわけではありません」
「まあ、ごめんなさい。言葉のあやよ」
素直に謝るマリーに毒気を抜かれたらしく、エルヴァルトは脱力する。
「今日はもう休みます……」
「そ、そうだな。そうした方がいい」
フラウディアはふらふらと部屋に戻っていく背中を見送った。