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桜花の剣と古の誓約  作者: 仲室日月奈
第二章 変貌は月光の下で
13/22

2-8

 柔らかな感触に包まれていることをぼんやり感じる。温かな人肌に安心感が芽生え、そのまま身を委ねる。体が鉛のように重たくて、瞼をあげるのさえ億劫に感じた。

 再び誘われるまま、まどろみの中へ意識を溶かす。

 どのくらい眠っていたのか、次に意識が戻ったときは気力はわずかに回復していた。体のだるさが手伝って、もう少し休んでもいいかという甘い考えに浸る。

 頭に置かれた手のひらが妙に心地いい。髪を梳く指先がくすぐったいような、嬉しいような感覚に懐かしさがわく。

 うっすらと重い瞼を開くと、間近には榛色の長い髪があった。これは誰のものだったかと顔をもたげると、正面に驚いた女の顔を見つけた。

 記憶の中の母親とは違う顔に、ようやく意識が覚醒した。

 エルヴァルトは自分の置かれた状況を理解しようと必死に頭をめぐらせる。


(そういえば、この温もりは一体どこから……)


 そこまで考えて、やっと自分が膝枕されていることに気づいた。とっさに飛びのくように跳ね起きる。


「す、すみません! 重かったでしょう」

「なに、これでも鍛えているからな。重さなど気にならない。それより、もう起きて大丈夫なのか?」


 平然と答えるフラウディアの顔色はいつも通りだ。

 うろたえるエルヴァルトとは違って、何もやましい考えがないことは、その顔を見れば明らかだった。


「……大丈夫です。もう熱も引いたようですし、ご迷惑をおかけしました」

「本当か? あまり無理はするものじゃないぞ。辛くなったら遠慮なく言ってくれ」


 ジッと見つめながら言われ、エルヴァルトは静かに頷いた。そして、そのまま見つめあっていると、フラウディアの腕が伸びてきた。


「……っ、なん……」


 彼女が拭ったのはエルヴァルトの目尻から流れたしずくだった。


(俺の……涙?)


 無意識に泣いていたことに驚きを隠せない。

 抑えきれない感情が涙となって出たのだと、頭では理解するのに心が追いつかない。何より、失態を見られたことに激しく動揺する。


(これまで、情報部として非道なこともしてきた。なのに今更、涙が出てくるなんておかしな話だ)


 自分に言い聞かせながら、エルヴァルトは口を引き結ぶ。


(そうだ、俺がした過ちはもう取り消せないんだ……)


 そうして自責の念に駆られ、言葉を失った。


「君は自分を追い詰めすぎだ。体もこんなになるまで酷使するなんて、少しは自分を労れ。そんな体で無茶を続けてたら身が持たないぞ」

「…………」

「その状態を見抜けなかった私にも非があるから同罪だが」

「いえ、今回は全面的に俺が悪いです。フラウディアが責任を感じる必要はないですよ」

「いいや。共に旅する以上、お互いの体調すら気を配れないようでは相棒失格だ。少なくとも命を預ける関係なのだからな」


 先ほどの山賊との戦闘を振り返り、彼女の言葉があながち間違っていないことを実感する。下手をすれば命を落とす危険もある。特に今回の旅はどこも難所だった。決して平和な旅路とばかりともいえない。


「ひとまずは王都に戻ってみないか? もしかしたら、クロエの方で何か情報を掴んでいるかもしれない」


 フラウディアの結論に同意する。収穫がなかったのは悔しいが、だからといって長居できるほど時間の余裕もない。王子の命のカウントダウンは今も続いているのだ。


「……そうですね、いったん帰りましょう」


 山小屋から外に出ると、昨日の雨はすっかりやんでいた。

 多少地面がぬかるんでいたが、気をつけて歩けば大丈夫だろう。慎重に足を踏み出し、木の幹に繋がれた馬の元へたどり着く。

 フラウディアは鞍を馬の背に乗せ、軽やかに跨がって手綱を握る。

 エルヴァルトもそれにならう。本調子ではない自分の代わりに頼むよ、と馬のたてがみを撫でた。その気持ちが伝わったのか、馬は鼻を伸ばして応える。

 足場の悪い山道を注意深く馬を走らせ、やがて街道へと出る。

 緊張の糸をほぐし、エルヴァルトはそっと息をついた。


「どうしたんだ? やはりまだ体が辛いのか?」


 馬を並べたフラウディアが心配そうに聞いてくる。


「体調は大丈夫です。すみません、自分の不甲斐なさについため息をこぼしてしまいました。どうして、あなたの前だと失態ばかりなのかと……」

「別に失態ではないと思うぞ。考えすぎじゃないか?」

「これは俺の心の問題です。しばらく、こっちを見ないでください」

「それは構わないが……」


 頑に言うとフラウディアは馬の腹を蹴り、前へ出た。後ろ姿を見ながらエルヴァルトは顔をしかめた。


(今朝のことは……思い出すたびに男として情けなくなる)


 いくら彼女が並みの男以上に頼りになり、気概すら男らしいとはいえど、女性であるのは変わらない事実だ。貴族の淑女にも引けを取らない顔立ち、けれど堂々としたたたずまいは騎士のそれと似ている。


(俺の方が年下とはいえ、彼女には男として扱ってもらいたい)


 本来、自分は守る側だというのに、彼女と出会ってからは調子を崩されっぱなしだ。祖国では澄ました顔で王子の副官を務めていた面影は、今はすっかり鳴りを潜めていた。


「エルヴァルト、上を見てみろ」


 フラウディアが振り返らずに空を指差す。少し弾ませた声が気になり、目線をあげる。

 太陽の光を浴び、きらきらと光る虹色の橋が空に架かっている。壮麗な七色の光は想像以上の美しさで、暗い気持ちに沈んでいた心が軽くなるのが分かった。

 我ながら単純だな、と心の中で愚痴る。

 王都まで数日。聖女に言われた期限まで、残る時間はあまりにも少なかった。

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