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ラベンダー街道を抜けて川にかかる橋を通りすぎると、秋色の景色が飛びこんできた。小麦畑は黄金の絨毯がさらさらと風に揺らされ、馬を走らせながらフラウディアは横に並ぶエルヴァルトへ話しかける。
「今日はいい天気だな」
「ええ。風も強すぎず、ちょうどいいです」
蒼穹を仰ぎ、雲ひとつない晴天に目を細める。横から吹きつける朝の風も清々しい。朝早いのに畑には農夫の姿があり、前方からは大きな馬車を揺らす商人がやってきた。他国の衣装を見るに、西にある国境を越えてきたのだろう。
オルリアン王国は今でこそ近代化した町並みだが、王都郊外は農業国らしい風景が広がる。山間部には果樹園、平野は小麦や野菜の畑が続き、牛や家畜の姿もある。
商人の馬車を横目に馬を飛ばす。街道を左に曲がり、突き進んだ先に目的地はあった。
「着いたぞ」
エルヴァルトは胸元から地図を取り出し、周りの地形と照らし合わせる。
「ここが泉の森ですか?」
「ああ。少し入り組んでいるから、徒歩で行こう」
言うなり、フラウディアは馬から飛び降りて手綱を木へと結ぶ。エルヴァルトも荷物を降ろして森へと入る。
深い黒の森。巨大な大木が空へと伸び、昼間だというのに太陽の光が届かず薄暗い。地面は湿り気を帯びて足を取られやすく、慎重に木の根を越えながら進む。
オルリアン王国の歴史は古い。
国土は小規模ながら生き延びて来られたのは、龍の加護があってこそだと言われている。かつての龍の信仰は、各地に石碑として残っている。
時に戦乱に巻き込まれることがあっても、他国からの侵略は自然災害が重なり、結果として阻止されてきた。世界規模での干ばつによる食糧不足の際も、この国だけは難を逃れた。それゆえに、水の恩恵を約束された土地と揶揄されることもある。
起源は国を建国した折り、龍の住み処を守ることを引き換えに得たとされている。しかし、守り神として崇める龍の居場所はどこにも明示されていない。一定した周期で住み処が変わるのか、それとも守るために秘密としてきたのか、定かではない。
龍が現れたとされる場所には石碑が建てられ、今なお現存しているという。龍にまつわる種族の里や剣は書かれていなかったものの、石碑の場所は明記されていたため、まずはそこから探すことにしたのだ。
森の奥へ進むと、小さな泉に突き当たった。その奥にはどっしりと根を下ろした大樹があった。樹齢千年を越える樹木をふたりで見上げる。
「多くの時代をここで見守ってきたんですね」
「そうだな……果てしなく長い時を生きてきたんだろうな」
フラウディアはぐるりと視線をめぐらせ、隅にある石碑を見つけた。腰の位置ほどの高さの石碑は苔が生え、文字はかすれて読めない。うな垂れていると、後ろからエルヴァルトがつぶやく。
「随分と古いようですね。これだと手がかりにはならないようですが」
言いながら石碑の後ろに回り、念入りに調べていく。
「どうだ?」
「残念ですが、特に仕掛けもないようです。泉もそれほど深さもないようですし、ここは空振りのようですね」
「そうか……。そういえば旅立つ前、クロエと何を話していたんだ?」
出かける少し前のこと。フラウディアが馬を用意して戻ってきたとき、ふたりが何やら話しこんでいたのを見かけた。だがクロエから話を振られて、結局聞けずじまいだったのだ。エルヴァルトは懐から短剣を取り出して言う。
「朝の件はこれですよ。夜は自分の剣すら満足に扱えない。だから、護身用にと渡されました」
「なるほど、クロエらしいな」
今までの旅路でも彼女は細かい気遣いをしていた。それに何度助けられたか分からない。現に自分は本領を発揮できない彼の代わりに、自分が頑張ることしか頭になかった。
けれど代わりの武器があれば、もしものときも役に立つかもしれない。
たとえ役に立たなくても、持っているだけで安心することもあるだろう。
「よし、次へ行くか。洞窟に行く方法も聞かないといけないし、近くの村で伝承に詳しい人がいるか聞きこみだ」
「はい」
道を引き返し、一度は通り過ぎた村へと入る。
王都ほどではないが、村のあちこちで祭りの飾りつけが目に入った。収穫祭は王国中で行われるお祝い行事だ。小規模ながら各地の村でも行われ、村を走り回る子供が持っているのも祭りの飾り布だった。
フラウディアが向かったのは、村の中央にある宿屋だった。
雑貨屋も兼ねているらしく、カウンター越しにある商品棚には薬草やガラスの小瓶が綺麗に陳列されている。
「すまない。青の洞窟への道を知っていたら教えてほしいのだが」
「あんた方、あんな辺鄙な場所に行く気かい?」
訝しむ視線が無遠慮に向けられたが、フラウディアは鷹揚な笑顔で肯定した。
「そうだ。ぜひ教えてほしい」
「……今日はやめときな。海が荒れてる」
「では、明日は?」
隣にいたエルヴァルトが眉を顰めながら尋ねる。恰幅のいい宿屋の店主は、無精髭をさすりながら窓の外を眺める。
「そうさなあ。この様子だと明日は大丈夫だと思うが、天気は気分屋だから保証はできねぇな。明日の空と相談して決めることだな。ふたりは今夜泊まっていくのかい?」
「そうさせてもらおう。いいよな? エルヴァルト」
「……ええ」
軍服だと目立つからとクロエが見繕った旅人の衣装に身を包んだエルヴァルトは、フードを目深まで被り直して無愛想に返事した。