第91話 強襲失敗
佐々木が乗る車を見つけたトバリは、フロントガラスを突き破り、中にいる人間を確認していた。
トラックのようになっている車内は、運転席側と荷物側で完全に分断されている。
トバリの用事があるのは、目の前の男たちではない。
「邪魔だ」
男たちの胸倉を掴み、左右にそれぞれ投げ飛ばす。
隊員たちは窓ガラスを突き破り、路上へと転がった。
動かなくなってしまったが、死んではいないはずだ。
もっとも、セフィラウイルスが蔓延した今の状態で路上に寝転がっているなど、自殺行為以外の何物でもないのだが。
「……いるな」
後ろのスペースから、人間の気配がする。
トバリは狂笑を隠し切れない。
獲物を追い詰めている喜び。
身を浸しすぎると飲み込まれる。
そう危惧していた感覚が、今はこんなにも心地いい。
トバリは思い切り、座席の後ろを殴りつけた。
金属がひしゃげ、拳が車体にめり込む。
「今だ!! 放て!!」
「っ!?」
突然、女の声が響き、トバリの右手が後ろへ吹き飛ばされる。
中にいた隊員たちが、一斉に射撃を行ったのだと、遅れて理解した。
「……ははっ」
あまりにもささやかな抵抗に、トバリは薄い笑みを浮かべた。
この程度の攻撃、今のトバリには何のダメージもない。
力の差が理解できていない者たちに、思い知らせてやることにしよう。
「――動くな」
中にいる人間たちへ向けて、命令の言葉を放つ。
トバリが持つ、『絶対命令の力』だ。
増幅した『王冠』の力は、今やただの人間であってもその効果が及ぶ。
身動きが取れなくなった人間など、まな板の上の鯉のようなものだ。
緩慢な動作で、トバリは再び穴が開いた車体へと手を伸ばし――、
「放て!!」
「な――」
いくつもの鈍い衝撃が、トバリの身体を襲った。
法衣にいくつもの穴が開き、肉を叩く感触があった。
衝撃でトバリの身体が飛び、後ろ向きにフロントガラスを突き破る。
「銃か? しかしこの衝撃は……」
よろよろとしながら、トバリはその場で立ち上がる。
痛みはない。
痛みはないが、体重がそれほど変わらない以上、物理法則の影響は普通に受ける。
トバリはその事実を完全に失念していた。
複数人による銃撃がそれなりに通じるということも問題だが、それ以上に気にしなければならないことがある。
トバリの命令が、なぜ奴らに届かなかったのか、ということだ。
トバリの『絶対命令の力』は強力だ。
あのような単純な命令を、こいつらが理解できないとも思えない。
車の後ろから、男たちが姿を現した。
その数は四人。
それなりの人数だが、トバリの能力を考えれば即座に無力化が可能な人数だ。
彼らの間を縫うように、スーツ姿の女が姿を現した。
トバリは直感する。
彼女こそが、この部隊を率いるリーダーだと。
「まだ立ち上がるのか、化け物め……」
スーツ姿の女が、苦々しげな表情でそう漏らす。
トバリを全くヒトとして扱っていないその呟きに、トバリの瞳は怒りで染まった。
まずはあの女を痛めつけてから、佐々木と中西を殺す。
そう決めて、トバリは気付く。
彼らが耳に、何かを装着していることに。
そこから雑音のようなものが漏れているように、トバリには感じられた。
「まさか、雑音で耳栓を……?」
そんなもので、『王冠』の力を無力化することができるのだろうか。
思えば、トバリはこの力がどのように作用しているのかは考えたことがない。
ゾンビたちの耳が生きていたとは到底思えないが、ゾンビと人間では作用のしかたに違いがあるのかもしれない。
それよりも、はっきりしたことがある。
佐々木は、トバリの能力の対策を用意していた。
つまり、トバリの能力をあらかじめ知っていたということに他ならない。
「くっ……!」
「撃て!!」
トバリが動こうとすると、男たちの銃弾がトバリの身体に炸裂する。
その衝撃の強さに、トバリの身体は地面へと叩きつけられた。
距離を詰めれば、いくらでもやりようはある。
だが、複数人の銃撃を受けると体勢を大きく崩されてしまい、肝心のその距離を詰めることができない。
圧倒的優位にいたはずが、形勢はわからなくなった。
現在の状況をどこか冷静に俯瞰しながら、トバリは親指をかみ砕いていた。