第88話 八度目
先週分の予約投稿ができていなかったので、今週は13日にも投稿します!
「…………」
視界に入るのは、見慣れた天井。
目を何度も瞬かせ、視界の曇りを解消する。
隣で眠り続ける愛しい人の姿を見て、佐々木は安堵の表情を浮かべた。
ゾンビウイルスに感染してもなお、彼は佐々木のゾンビウイルスの抗体が含まれる血液によって、いまだに生き続けている。
彼自身の生命力によるところも大きいだろう。
佐々木は既に、ゾンビウイルスの抗体が含まれる血液を研究所に提供している。
まだ世間一般には知らされていないが、ワクチンができるのも時間の問題だと考えている。
どれだけ優秀な人材・機材がそろっていたとしても、あと一年、二年は先の話になるだろうが。
「…………戻ってきた」
佐々木は震える手を押さえ、直近の記憶を回想する。
手詰まりになった佐々木は、『王冠』と名乗っていた夜月を煽り、その凶刃を振るわせた。
獲物はわからなかったが、素手で頭部でも粉砕されたのだろうか。
「……くそ」
力なく、拳を毛布へ叩きつける。
佐々木がここに戻ってきた原因。
それは、彼が失敗し、秘密結社『セフィロトの樹』の『王冠』を名乗る狂人、夜月 帳に殺害されたからに他ならない。
また、力が及ばなかった。
その事実が、佐々木の心を締め付ける。
「これで八度目、か」
佐々木は口の中で呟く。
彼は今までに七度、夜月に殺害されている。
一度目は何の抵抗もできずに。
二度目も似たようなもので、一度殺されたという事実を飲み込めずに同じ状況で死ぬ羽目になった。
三度目以降は多少抵抗できているものの、結局見つかって殺されるという流れは変わっていない。
佐々木の体感で、ついさっきまで抗っていた七回目の挑戦も、見つかった後はあっけないものだった。
夜月が執拗に佐々木や中西の命を狙う理由。
それはおそらく、佐々木と中西が、沢城亜樹を首謀とする夜月へのいじめに加担していたからであろう。
当事者だった佐々木からしてみても、それなりにむごいことをしていた自覚はある。
だからといって、これまでに七度も佐々木を殺した夜月を許す気はかけらもない。
彼に同情するには、彼はあまりにも佐々木と中西の命を奪いすぎた。
そのツケは、当然支払ってもらうつもりでいる。
「奴の力にも、いまだに謎が多い」
先ほど佐々木が夜月に命令されたとき、彼は動くことができなくなった。
――人間に対する『絶対命令の力』。
夜月はそれを持っていると考えるべきだ。
現に一度、夜月の電話に出た護衛隊長の雲雀が、夜月の命令に従ったことがあった。
奴の能力の及ぶ範囲は未知数だが、単に声を聞くだけでもアウトだ。
声が届かない距離を維持しながら、夜月の手の届かない範囲まで逃げなければならない。
それだけでも厄介だが、奴の力はそれだけではない。
佐々木は何度も夜月に殺害されていたが、そのほとんどが素手による殴打で、武器や道具による殺害は一度もない。
常人よりも、遥かに優れた身体能力を獲得しているようだ。
もしかしたら隠し持っているものがあるかもしれないが、彼に武器のようなものは存在しないと言っていいのではないだろうか。
「素手であれだけ威力を出せるなら、別に武器なんていらないだろうしな……」
素手の攻撃でも、人間の頭蓋くらいなら簡単に砕いてしまえるほどの威力がある。
人間の殺害という観点から言えば、武器を使うよりもよっぽど確実だ。
問題は、それがただの人間には到底再現不能な力だということだが。
「……セフィラ、とか言ってたっけ、あいつ」
魂の奥底の淀みから、消えかけていたその言葉を拾い出す。
セフィラ。
それこそが夜月の力の源であり、数々の超常の力を現実のものにしている原因だという。
佐々木が今、運命の袋小路にさまよい込んでいるのも、また同じものが原因だ。
「俺の中にも、それがあるとかなんとか……」
――『基盤』のセフィラ。
夜月に宿るものと同じものが、佐々木の身にも宿っているらしい。
確かに、恩恵はあった。
パンデミックの時、佐々木はゾンビから襲われ、軽傷を負った。
その後から、なぜか佐々木はゾンビに襲われなくなったのだ。
ゾンビウイルスへの抗体と呼ぶべきものが体内で作られているのだろうと予想はしていたが、それがまさかそんな得体の知れないモノによる恩恵とは考えていなかった。
そんなモノが体内にあることに、抵抗はある。
どうやらそれが、今の状況で唯一、佐々木の命をつないでいるようで。
「……時間遡行の力。ただし、かなり限定的なものだ」
『基盤』のセフィラに与えられているのは、時間を遡行する力。
トリガーとなるのは、所有者の死亡。
他の条件は一切なく、佐々木の意志にかかわらず、条件を満たした瞬間、即座に発動する。
七回死んだ今までの流れから、能力のだいたいの見当はついていた。
戻るのは、最後に意識が復活した瞬間だ。
今の佐々木であてはめると、それは襲撃当日の朝、ということになる。
夜月の襲撃があるのは、『セフィロトの樹』の首謀者、沢城 亜樹の放送が行われる直後だ。
起床してから一時間程度は余裕がある。
「…………」
佐々木はふと、隣のベッドに視線を移した。
そこには、穏やかな寝息を立てる少年の姿がある。
彼の腕には大量の管が繋がれており、同じような管が佐々木の腕にも繋がれている。
血液を循環させるだけの簡単なものだが、これでかろうじて中西の命は繋がれていた。
「……悪いな。巻き込んで」
その頭をそっと撫でながら、佐々木は決意する。
「今度こそ、お前の魔の手から逃げ切ってやるよ、夜月」
彼の内に燻る炎は、静かにその勢いを増していた。