第85話 演説
人々は、明確な異常を感じていた。
「どうなってんだ、こりゃ……」
突如として起こった感染爆発。
SNSから流れてくる情報は断片的で、その全貌を把握するのは難しい。
だが、この短時間で、ある程度の情報は集まっていた。
最初のパンデミックと異なるのは、感染の規模が小さいことだ。
今回、感染の報告が上がっているのは都心のみ。
他の地域ではそのような事態は起きていない。
不自然な点も数多くあった。
最初の感染、つまり外傷がない状態での発症件数が、あまりにも多い。
たった数時間経った今でさえ、既に百に近い情報が寄せられている。
最初のパンデミックが起きた時は、外傷がない状態からの発症はほんの僅かにしか報告されていない。
これは純粋に、外傷以外の要因による感染が発生したと考えるべきだ。
「ウイルスが変異した……?」
その可能性もある。
数ヶ月もあれば、ウイルスの性質が変化しても不思議ではない。
ゾンビウイルスには、まだまだ未知の部分が多い。
通常なら考えにくいことであっても、起こる可能性はある。
たとえば、傷口からしか感染しなかったウイルスが、空気感染するように変異した、と考えれば、一応説明はつく。
ただ、SNSではウイルス変異説よりも、まことしやかに囁かれている説があった。
「バイオテロ……?」
そう。
このパンデミックを、誰かが人為的に起こしたという説だ。
まさか、とは思う。
ゾンビウイルスによる死亡者は、全世界で十数億人に上ると見られている。
死亡した人間が媒体となるなど、これまで存在したウイルスと異なる部分が多いという点を差し引いても、とんでもない数だ。
それが悪意を持った何者かによって人為的に引き起こされたなど、考えるだけで恐ろしい。
とはいえ、それも現時点では仮説、推論の域を出なかった。
その放送が始まるまでは。
「――あー。あー。聞こえるかしら?」
家でテレビを見ていた者たちは、突然見知らぬ少女が画面に映ったことに困惑する。
先ほどまで、ゾンビウイルスの感染再拡大のニュース特番をしていたはず。
そんな聴衆の心理を知ってか知らずか、少女は愛らしく微笑んだ。
制服姿の美しい少女だった。
ショートヘアの黒髪は曇り一つなく、吸い込まれそうな漆黒をたたえている。
その愛らしい微笑みを見ていると、心の奥底から多幸感が溢れ出してくる。
「はじめまして皆さん。わたしの名前は沢城 亜樹。秘密結社『セフィロトの樹』の最高指導者です」
穏やかな口調とは裏腹に、少女は意味不明の肩書を名乗った。
その自己紹介に、テレビを見ている者たちは無理解を示す。
秘密結社『セフィロトの樹』。
聞き覚えのない名前に、困惑を示す者も多かった。
だが、それも少女の口から次の言葉が紡がれるまでだった。
「一連のパンデミックは、わたしたちが起こしたものです」
その言葉を耳にしたとき、人々の間を駆け抜けた衝撃を、どう言葉にすればよいのだろうか。
「わたしたちの目的はひとつ。新たなる種族として、この星の生態系の頂点に立つことです。手始めに、みなさん人間を新しい生物に作り替えさせていただいています。みなさんがゾンビと呼んでいるものですね」
わけのわからない言葉を、なんでもないことのように淡々と話す少女と対照的に、多くの人々が表情を失っていたことだけは確かだった。
ただ、はっきりとわかったことがあった。
この少女は、人類にとっての敵だということだ。
「とはいえ、皆さんの中には、すぐに新しい世界に順応するのが難しい方々もいらっしゃるかと思います。そういった方々はどうか、大切な人と一緒に、安全なところに隠れていてください」
「手始めにまず、日本政府を倒します。それを妨害する方々は敵とみなし、全員処理することになるでしょう」
「ですが、わたしたちに敵対する意思がない方々には、これから先の未来を生きる権利があると、そう思っています」
「よく考えて、答えを出してください。これからの未来を、どう生きるのかを」
「最後になりましたが、同志の皆さん。よく審判の日まで耐えがたきを耐え、忍び難きを忍んでくれました。新しい世界はすぐそこまで来ています。これからも、よろしくお願いしますね」
言いたいことを言いたいだけ言って、少女は画面から姿を消した。
この日。
沢城 亜樹は、『セフィロトの樹 ゾンビウイルス感染症テロ事件』特別手配被疑者として全国指名手配された。
「すげえ……本当にテレビをジャックしてやがる」
少し関心しながら、トバリはカーナビの画面を眺めていた。
亜樹のわけのわからない演説はしかし、世間に大きな衝撃を与えたらしい。
SNSにも動画が拡散され、大きな盛り上がりを見せていた。
「『美』の演説も終わりましたし、そろそろ行きましょう」
「わかってるよ琴羽」
トバリがそう返すと、助手席に腰かける琴羽が顔をしかめた。
「……外ではコードネームでお願いします」
「おっと失礼。『峻厳』だったな」
トバリがそう言いなおすと、琴羽――『峻厳』は小さく息を吐いた。
『王冠』であるトバリと『峻厳』である琴羽は、『基盤』のセフィラを回収するため、佐々木が収容されているホテルの近くへと車を停めていた。
テレビ局を占拠する亜樹たちとは別動隊として動いている。
「しかし、こんなどこにでもあるようなホテルにねぇ……。ほんとに佐々木はいるのか?」
「『美』がここにいると言ったのなら、いるんでしょう。あの人がそういったものを外したのは見たことないですし」
トバリは心の奥底の部分で懐疑的だったが、琴羽には何やら確信があるようだった。
まあ、いなかったらいなかったで、その時はその時だ。
トバリを欺いたツケを、亜樹に支払ってもらうことにしよう。
「…………」
純白の法衣を纏い、窓の外を眺めるトバリの目は、昏く濁り切っていた。
活動報告でも書かせていただきましたが、定期更新を再開しました。しばらくの間は週1回更新を予定しています。
長い間止まっていたにもかかわらず、お読みいただいている方には感謝しかありません。本当にありがとうございます!
ペースはゆっくりめになりますが、必ず完結まで書ききりますので生温かい目で見守っていただければと思います。
あと少し宣伝を。
先日から新連載『ウチの義弟が一番かわいい 〜破滅の未来しかない悪役令嬢に転生したけど、義弟がかわいすぎてそれどころではありません〜 』を開始しました!
ポンコツ姉がいろいろ頑張る話です。よかったらちらっとでも見ていただけると幸いです。