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第84話 パンデミック再来


 満員電車の中、少年はぼんやりと周りを眺める。


 耳にイヤホンを突っ込み、爆睡している男性。

 眠そうな顔で、参考書に目を落としている眼鏡をかけた少女。

 スマートフォンを眺めながら、ときどき画面を操作している会社員の男。


 そんな光景を眺めながら、少年はため息をついた。


 今から約三か月ほど前。

 世界はゾンビウイルスの脅威に脅かされた。

 世界各地で突発的に発生した感染爆発パンデミックは、日本中を恐怖の渦に巻き込んだ。


 症状は全身の急激な寒気。

 早ければ、症状が出てからほんの十分ほどで死に至る。

 致死率は、ほぼ百パーセント。


 その致死率もさることながら、最も注目すべきは、死亡した人間の死体が動き出し、生きている人間を襲い始めるという点だ。

 まさに空想上の、ゾンビと呼ぶのが正しい状態となる。


 ゾンビウイルスの感染拡大というニュースを見て、少年は歓喜した。

 退屈な日常は終わり、新しい世界が始まるのだと疑わなかった。


 だが、そんな少年の希望とは裏腹に、人類は強かった。

 致死率は高いものの、裏を返せばゾンビに傷つけられなければ感染することもない。

 都市部は一時その機能を麻痺させたものの、自衛隊の尽力によってゾンビは駆逐された。

 とはいえ、いまだにゾンビがうろつき、住民が救出されていない地域も多いという。


 想定される死亡者数は日本だけで数百万人にのぼると言われているが、実態は政府すら把握できていないのが現状だ。

 ただ一つ言えるのは、少年の希望とは裏腹に、ゾンビウイルスの脅威は、もはやある程度過去のものになりつつあるということだ。

 聞くところによると、ゾンビウイルスの抗体を持つ人間が発見され、ワクチンの開発も進んでいるとか。


 なんだったら、都心にゾンビの生き残りでもいないだろうかと、少年は夢想する。

 だが、そんな夢のようなことがあるわけがない。

 そろそろ現実に向き合うときだろう。


 最寄り駅についた少年は、足早に電車から降りていった。






「はぁ……」


 自分の席に着いた少年は、ため息をついた。

 朝起きて、電車に揺られ、席につき、授業を聞き流し、家に帰る。

 学校についたところで、退屈な日常に変化などあるはずもない。


「――――。――――」

「――――! ――――」


 皆、くだらない話に華を咲かせている。

 これからもずっと、同じような日常が続いていくのだろうか。

 少年が内心で再びため息を吐いた、そのときだった。


「おい! 大丈夫か!?」


 そんな声が突然、少年の耳に入ってきた。

 声がしたほうへ顔を向けると、クラスメイトの一人が青白い顔で床に倒れこんでいた。

 いくら冬とはいえ、この顔色の悪さは尋常ではない。

 ぞろぞろと、クラスメイトたちが集まり始めた。


「さ、さむ、い……」


 ガタガタと歯を震わせ、紫色の唇でつぶやいている。

 少し体調が悪いというレベルを超えている気がした。


「と、とにかく保健室に……」


 運ぼう、と誰かが言った瞬間。

 また別のクラスメイトが倒れた。


「おい! しっかりしろ!」


 今度は意識がない。

 少年は気付く。

 意識がないどころか、その胸が上下すらしていないことに。


「……そいつ、息してないんじゃないのか?」

「っ!?」


 少年の指摘通り、倒れたクラスメイトの少女は呼吸をしていなかった。


「どいて!」


 別のクラスメイトの少女が、倒れた少女に人工呼吸をして、心肺蘇生を試みる。

 ……さすがにこの異常事態に何もしないわけにもいかない。

 少年はそう思い、119番に電話をかけるが、


「あれ……?」


 繋がらない。

 番号が間違っているのかと思い、もう一度かけてみても、結果は同じ。


 そこで、ようやく少年は思い至る。

 いや、違う。

 予感はしていたのだ。

 この場にいる誰もが予感し、しかし目の前の現実を受け入れることができない。


 急激な全身の冷え。

 症状が出たら悪化するのはあまりにも早い。

 そして――、


「え?」


 人工呼吸をしていた少女の顔が、驚愕で見開かれる。

 その口の端から、赤黒い液体がこぼれていた。


 死に瀕していたはずの少女が、何かを咀嚼している。

 瞳に光はない。

 その目は、何も映してはいなかった。


 ――ゾンビ。


 見知ったクラスメイトが、瞬く間に化け物へと変貌してしまった。

 そして、悠長に様子を見ていられる時間が終わったことも、少年は理解していた。


「きゃぁああああああああ!!!」


 口からぼたぼたと血を流す少女が、絶叫を上げる。

 教室はパニックに包まれた。


 我先にと廊下へ飛び出すクラスメイト達を尻目に、少年は冷静であろうと努力していた。

 教室に残っているのは、最初に倒れた男子生徒と、ゾンビと化した女子生徒、そして少年だけだ。


「おらっ!!」


 少年は女子生徒に向かって、思い切り椅子を投げた。

 女子生徒のゾンビはそれをまともに食らい、床に倒れこむ。

 少年はその隙を突いて、教室から脱出した。


「おいおい……なんだこりゃ」


 廊下に出た少年が見たのは、いたるところで横たわる、生徒たちの姿だ。

 ほとんど動かないところを見ると、感染者と見て間違いないだろう。


 とにかく、ひとまず逃げなければならない。

 ようやく、待ち焦がれていた非日常がやってきてくれたのだから。

 こんなところで終わるわけにはいかない。


 そんなことを考えながら、彼は床に顔を押し付けていた。


「……あ?」


 いつの間にか、彼は床に転がっていた。

 足が動かない。

 体の奥底から凍えるような感覚と、手足がしびれるような感覚がある。


 わけがわからなかった。

 少年は、ゾンビに触れられてすらいない。

 感染するはずがないのだ。

 感染するはずが、ないのに。


「…………」


 カチカチと奥歯が鳴る。

 それは寒さから来るものではなかった。


 予感してしまったのだ。

 逃れられない死の気配が、すぐそばまでやってきていることを。


 そして。


「あぐっ!?」


 何かが、彼の足に噛みついていた。

 震えながら目を向けると、虚ろな目をした男子生徒が、彼の足に噛みついていた。

 いや、それは噛みつくなどという生易しいものではなかった。


「ぐぎぃ!?」


 太腿の肉をズボンごと食い千切られ、少年は絶叫する。

 その声に呼び寄せられたのか、制服姿のゾンビたちがゆらゆらと集まってきた。


 その数は、十は下らない。


「ひ」


 喉が凍る。

 どうして、こんなことになってしまったのだろうか。

 どうして、こんなことを望んでしまったのだろうか。


 何もわかっていなかった。

 彼らがどれほどおぞましい存在なのか、欠片も理解していなかった。

 退屈だった日常こそ、生き残った者たちが勝ち取った、かけがえのないものだったのだ。


 でも、もう遅い。


「あ……ぎい……」


 食われている。

 認識したくなくても認識してしまう。

 頭を、肩を、背中を、腕を、わき腹を、太腿を、ふくらはぎを、各々が好き勝手に食い荒らしている。

 同時に、加速度的に意識が遠ざかっていく。


 そして、彼の人生は終わった。

 体を食われながらも、比較的早く意識を失い死を迎えられた彼は、まだ幸運だったと言えるだろう。


 彼を食い荒らしたゾンビたちは、それに興味を失ったように離れていく。

 幽鬼のようにさまよう生徒だったものたちは、新たな獲物を求めて歩き始めた。




 恐怖が再び、街を支配する。



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