第77話 本拠地へ
トバリたちを乗せた黒塗りの高級車は、閑散とした街の中を走っていく。
何度か通っているルートなのか、途中で通行できずに詰まることもなかった。
車内に会話はない。
人間が四人座るのに十分すぎるほどの空間はあったが、三田以外は拘束され続けている。
内心は穏やかではないだろう。
ちなみに、琴羽の縄は外してある。
琴羽は逃げたがっていたが、トバリがそれを許さなかった。
一緒に連れていく手間はほとんどない上に、何かに使えるかもしれないと思ったからだ。
……三田が車を走らせること、およそ三十分ほどだろうか。
車外に見える景色は、この街の富裕層が暮らす地域のものに変わっていた。
その景色に、トバリは僅かな懐かしさを覚える。
そして、亜樹がどこにいるのかも見当がついた。
おそらくここだろうとは思っていたが。
「着いたぞ」
「ああ。全員、車から出ろ。出たら動くなよ」
トバリがそう言うと、三田たちは車の外に出る。
もちろん、全員自由に動けない状態のままだ。
トバリも車から出た。
セフィラ持ちの人間四人に同時に命令を出しているが、前に巨大なゾンビに無理矢理命令を下したときのような頭痛は起きていない。
どうやらまだまだ余裕がありそうだ。
そのことはひとまず置いておき、トバリは辺りを見渡した。
「やっぱりここか……」
トバリの目の前にあるのは、立派な洋風の屋敷だ。
庭は手入れが行き届いており、玄関前まで伸びる道には塵ひとつ落ちていない。
屋敷全体を囲うように植えられた樹木は整えられていて、噴水の水は綺麗な透明を保っている。
こんなことになってしまった世界において、明らかに手入れが行き届きすぎている。
それ自体がこの場所の異常性を際立たせていた。
小学校低学年くらいの時に、何度か来たことがある。
ここは、亜樹の実家だ。
「ん?」
トバリが足を踏み出すと、不意に玄関の扉が開いた。
中から出てきたのは、制服姿の少女だ。
艶やかな黒色のショートヘアに、小動物を彷彿とさせるような愛らしい顔立ち。
亜樹はトバリの姿を見つけると、微笑を浮かべた。
それは本当に、心の底から喜んでいるような様子で。
「いらっしゃい、トバリ。歓迎するわ」
「……亜樹か」
――その姿を見た瞬間、頭の中が空白で塗り潰された。
「きゃっ!?」
トバリは地面を蹴り、一瞬で亜樹との距離を詰める。
亜樹の反応は全く追いついていない。
単純な身体能力の面では、トバリのほうに分があるようだ。
「いたたた……。い、いきなり何を……」
そんな冷静な分析をしながら、トバリは亜樹を組み伏せた。
地面に頭をぶつけたのか、亜樹は困惑した顔で後頭部をおさえている。
そんな彼女の様子を完全に無視して、トバリは亜樹の首に手をかけた。
そのまま力を入れて締め上げる。
「あ……っ……」
亜樹が酸素を求めるように、その小さな口を開けた。
だが、そんな儚い抵抗はあまりにも無意味だ。
瞳から涙を溢れさせながらも、その目はずっとトバリの目を見つめている。
――殺したい。
今すぐにこの手で絞め殺してやりたい。
こいつのせいで、トバリの人生はめちゃくちゃになった。
今こそ復讐を果たす時だ。
手の力を強める。
腕の力だけで首がへし折れるのではないかと思うほどの力だ。
だが、首が折れる気配はない。
身体能力はそれほどでもないが、身体は頑丈なのだろうか。
「ぁ……ぐ……」
亜樹は明らかに弱っている。
今なら亜樹を殺せる。
その事実が、トバリにこれまで味わったことのないほどの興奮を感じさせた。
股間が膨らんでいるのを感じる。
思えば、大学病院ではほとんどそういった処理はしていなかった。
状況が状況だったために、刹那を使うこともなかった。
自分で思っている以上に溜まっているのか。
――このまま犯してやろうか。
そんな思考が脳裏をよぎる。
思えば、いまだに生きた女と関係を持ったことはない。
憎い女を凌辱するのも悪くないかもしれない。
そのとき、不意に亜樹の手が動いた。
それは弱々しい手つきで、ゆっくりとトバリの頭を撫でる。
「あ?」
「なんのつもりだ」と言おうとして、トバリは自分が多幸感に包まれていることに気付いた。
亜樹の首を絞める力が弱まっていく。
突然、自分のしていることがよくわからなくなった。
「だいじょうぶ。だいじょうぶだからね……」
掠れた声で、よしよしと、子どもをあやすようにトバリの頭を撫でる亜樹。
それに優しく撫でられるほど、トバリの心が落ち着いていく。
無意識のうちに、トバリは亜樹の首から手を離し、その身体を抱きしめていた。
亜樹も頭から手を離し、トバリを抱きしめる。
久しぶりに、生きた女の温もりを感じた。
「……少しは楽になった?」
「……あ、ああ」
冷静な思考が戻ってきた。
……いったい、何をやっているのだろう。
中西と佐々木のことをまだ聞き出していない以上、今すぐに亜樹を殺すのは得策ではない。
そんなことはわかっていたはずなのに、抑えきれない感情が邪魔をした。
「ここ数日くらい色々と大変だっただろうし、疲れてるのよきっと」
「そ、そうだな……」
どうやら亜樹の言うように、色々なことがありすぎてまともな精神状態を保っていられなかったようだ。
少し落ち着いたほうがいい。
亜樹から離れて立ち上がる。
どこにも異常はない。
亜樹のほうには、首に赤々とした手の跡が残っている。
セフィラ持ちなら、あれぐらいはしばらくすれば治るだろうが……心のほうはそういうわけにもいかないだろう。
「……? どうしたの?」
「……いや、なんでも」
そんなことを考えながら亜樹を見ていると、不思議そうな表情でそう尋ねられた。
ついさっきまで自分の首を絞めて殺そうとしていた人間と対峙しているにもかかわらず、それを気にしている様子は欠片もない。
……この女に限っては、そのあたりの部分も常識では考えないほうがいいかもしれない。
そう思った。
「さてと」
少し前にも聞いたことがあるような言葉を吐いて、亜樹は微笑んだ。
「歓迎するわトバリ。ようこそ、『セフィロトの樹』の本拠地へ」