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第72話 復讐者


 城谷と辻が死んだ。

 あまりにもあっけなく。


「あーあ。汚れちまったよ。亜樹さんから新しいのを貰わねえと……」


 春日井は今しがた殺した城谷と辻ではなく、自身の服装について気にしているようだった。

 見れば、白かった法衣も赤色に染まり、靴も先ほどの踏みつけで破損してしまったようで右足だけ裸足になっていた。


 それが暗に、春日井の踏みつけの威力の高さを物語っている。

 今までの暴力などほんの遊びに過ぎなかったのだと、トバリははっきりと理解した。


 復讐対象だった城谷と辻が死んでしまったが、トバリの心の中を支配していたのは形容しがたい空虚感だった。

 城谷と辻を殺されてしまったことが、そこまでショックだったのだろうか。

 今のトバリにはよくわからなかった。


「さてと」


 春日井がトバリのほうを見る。

 その表情には喜色が満ちていた。


「で、どうする? どんな死に方をしたい?」


 手を鳴らしながら、春日井がトバリのほうに近づいてくる。

 ぴちゃぴちゃと、血まみれの素足が床を叩く音が響いている。


 トバリはただ黙っていた。

 自分の中で、何かが咲きかけているような感覚がある。


「俺のプランを教えてやろうか? それじゃあいってみるか」


 その答えが出せないまま、春日井がトバリの目の前に迫っていた。


「まず、右腕の関節をへし折ります」


 春日井がトバリの右腕を持って、肘の方向に勢いよく折り曲げた。

 骨と筋肉が千切れる嫌な音と共に、トバリの右腕が使いものにならなくなる。


「左腕も同じようにします」


 左腕にも似たようなことをされ、トバリの両腕は完全に使いものにならなくなった。

 もちろん、これだけで終わりなはずもなく。


「つぎに両腕をねじり取ります」


 春日井がトバリの右腕を捻ると、あっけなく腕が千切り取られた。

 おびただしい量の血が流れ、春日井の法衣もトバリの血の色に染まっていく。


 次に、トバリの左腕も同じような千切り取られた。

 トバリの両腕を千切った春日井は、それを見て満足そうな表情を浮かべている。

 だがすぐに飽きたのか、適当にその辺に捨てた。


 トバリにも、痛みがないわけではない。

 ただ、それがどこか遠い場所での出来事のように感じられる。

 現実感がない。


「次は足」


 春日井はそう言うと、辻にやったようにトバリの脚を思い切り踏み付けた。

 先ほどの光景の再来のように、トバリの脚が果実のように弾け飛ぶ。


 トバリの身体から、生命とも呼べるものが溢れ出していく。

 ここまで肉体を破壊されたら、生命活動を維持することも難しい。


「……なぁ、さっきからなんで黙ってんだ? もうあとはお前の腹を蹴破るだけだから、何か喋るとしたらこれが最後の機会になると思うんだが」


 春日井がそう言うが、トバリは答えない。

 自身の中に芽生え始めたものを意識するのに精一杯だったからだ。


「そうか」


 春日井はそれだけ言うと、トバリの胸を思い切り踏み潰した。

 肋骨と肺が破壊され、その奥にあった心臓も強すぎる圧迫にその役目を終えてしまう。


 胸が終わったら次は腹部だ。

 春日井はそう言いたげな様子で、トバリの肉体をひたすらに踏み潰し、破壊する。

 何度も何度も踏みつけ、完膚なきまでに破壊する。

 既にトバリの息はなかった。


「本当にグチャグチャだなぁ……。さすがの俺でも、ここまでひどい死体は見たことねえよ」


 春日井はそう言って笑い、肉塊の隙間から顔を覗かせている無色透明の球体を拾い上げる。

 『王冠ケテル』のセフィラだ。


「じゃあな、カス共。少しは楽しめたぜ」




 春日井はその球体を握り締め、撤収することにした。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 その様子を、トバリは無色透明の球体の中から無感動に見つめていた。

 トバリの肉体は、春日井によって完膚なきまでに破壊された。


 ならば、今のトバリは一体何者なのだろうか。

 セフィラの中に、魂だけが残されているとでも言うのか。


「僕、は」


 人間ではない。

 血にまみれた内臓が美味しそうだと思うトバリが、人間であるはずがない。

 つい先ほどまで自分と同じように生きて話していた人間の肉を美味しそうだと思うなど、人間であるはずがないのだ。


 そうだ。

 トバリはもう、あの日から人間ではなくなっていた。

 刹那に殺されたにもかかわらず、二度目の生を受けた、あの時から。


 ……トバリの正体。

 いや、セフィラの正体とも言えるものが、今のトバリには何故か理解できる。


 肉体が破壊され、トバリ自身があまりにもセフィラに近づきすぎたせいだろう。

 『知恵コクマー』が言っていたのは、こういうことだったのだと、今ならすんなりと理解することができた。




 ――神は、人類をより優れた、新しいカタチに作り替えようとしているのだと。




 セフィラは、新しいヒトとしての適性を持つ者の中に発生する。

 適性を持たないものは、セフィラウイルスによってゾンビと呼ぶべきものに変貌してしまう。


 つまり、トバリ達は神からセフィラを与えられたことによって、全く新しい種族として生まれ変わったのだ。

 新しい人類の一人として。


 『資格』とは、新しい人類としての自己の知覚。

 『資格』があるかないかというのは、それができるかできないかの違いだったのだと。


 それを理解した今、トバリには神の声が聞こえる。

 『卑しい猿共を殺しなさい』という、慈愛に満ちた囁きが聞こえる。

 もしかすると、神を語る悪魔の声なのかもしれない。

 そんなものはどちらでもよかった。


 トバリは考える。

 自身が一体何者なのかを。

 その答えは、すぐに出た。




「……僕は、復讐者だ」




 セフィラや新しいヒトなど関係なく、トバリは復讐者だった。

 あの日、このゾンビだらけになった世界で、トバリを地獄に突き落とした人間たちに復讐すると誓った。


 その中には、『慈悲ケセド』である春日井や、『ティファレト』である亜樹も含まれている。

 だが、それが何だというのか。

 セフィラを持つ者同士だからといって、それが敵対しない理由にはならない。


 トバリ自身のために、『王冠ケテル』の力を使う。

 そして、生き残っている春日井と亜樹、まだ見つかっていない佐々木と中西を殺す。

 それが正しいのだ。


「……まず、目の前にいるこいつからだな」


 トバリは上を見上げると、その表情を歪める。

 それは、先ほど春日井が浮かべたものとよく似ていた。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




「――あ?」


 その時、春日井は自分の腕の違和感に気付いた。

 あまりにも大きな喪失感に、春日井の顔が驚愕に歪む。




 右手がない。




 たしかに『王冠ケテル』のセフィラを握りしめていたはずの右手が、どこにもなくなっている。

 それどころか、春日井の左手が右手を握りつぶしているのだ。


「は……ぁ……!?」


 遅れてやってきた激痛に耐えながら、春日井は何が起きているのか考えを巡らせる。

 自分で自分の腕を握りつぶすなど、自分の意思ではあり得ない。

 どう見ても異常な事態だ。


「……あぁ?」


 必死に頭を回転させる春日井の後ろで、何かが動いた気配があった。

 そんなはずはない。

 三人はさっき、しっかりと肉体を破壊し尽くしたはずだ。


 セフィラをもってしても、生き返ることは叶わないほどの悲惨な状態の死体にしたのだ。

 他でもない春日井自身が。


「……美味いな」


 それなのに、聞こえてはいけない声が聞こえた。

 慌てて後ろを振り向く。


「なっ……」


 先ほどまでだんまりを決め込んでいたはずの夜月が、まるで何事もなかったかのように立っていた。

 何事もなかったかのようにというのは少し語弊があるだろう。

 その服は無残にも破れており、全身血だらけだ。


 特に、先ほど春日井が潰した部位の損傷は激しい。

 それはまるで、急遽その場で繋ぎ合わせたかのような、そんな歪さを持っていた。


 彼の左手には、肉の塊が握られている。

 それが春日井の右手だということに気付くのに、そう時間はかからなかった。


「なんだ、お前……それは……」


 春日井の理解の範疇を超えている。

 いくらセフィラといえど、あんな状態になった死体を生き返らせることなど不可能なはずだ。

 ……ならば、春日井の目の前にいるこれは一体なんなのか。




「僕は、――王冠の『王冠ケテル』」




 夜月――『王冠ケテル』が、そう名乗った。

 その名前が告げられた瞬間、春日井の身体は無意識のうちに『王冠ケテル』にひざまずきそうになった。

 そのあり得ない事態の連続に、春日井の頭は理解が追いつかない。




「春日井。いや、慈悲の『慈悲ケセド』」




 必死に今の体勢を維持しようとしている春日井とは対照的に、『王冠ケテル』は自然体だった。

 ゆえにその後に続く言葉も、なんでもないことのように放たれたのだ。




「僕自身の復讐のために、お前を殺す」





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