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第67話 カクゴ


 三田が自身の能力の正体に思い至ったというのに、琴羽はあまりそれを気にしていないようだった。

 琴羽はもはや、三田は自分にとって脅威でもなんでもないと思っているのだろうか。


「バレちゃったものは仕方ありません。あ、危ないのでそれも没収しますね」


 そう言うや否や、琴羽が三田の銃を奪い取る。

 抵抗しようとしたが、三田には左手の骨が意に反して開いていく感覚があった。


 そのまま抵抗を続けていれば、右手の二の舞になる。

 そう判断した三田は、抵抗を諦めた。


「……さて、と。何か言い残すことはありますか?」


 三田の額に白い棒の先端を突き付けた琴羽が、彼に向かってそう問いかける。

 その顔は、とてもつまらなさそうだった。


 三田は、額の内側に鈍い痛みを感じている。

 それが琴羽の『峻厳ゲブラー』の能力によるものだとはわかっていたが、琴羽が能力を使うことで三田の頭がどんな状態になるのか想像するのはなかなかに難しい。


 一つ、ほぼ間違いなく言えるのは、このまま琴羽の能力が発動すれば、三田は命を落とすだろうということ。

 つまり、詰みだ。


「……そんなものはない」


 三田の内心を埋め尽くしていたのは、諦念だった。

 結局、三田は何もできないまま命を落とす。

 『ティファレト』の命令を遂行することも、彼女を裏切ることもできずに。


「……そうですか」


 琴羽は、何かを堪えるような表情をしていた。

 白い棒を持つ手は僅かに震え、冷たい顔を無理に作っている。


 狂気と欲望にその心を浸しながらも、自分のあり方は決して曲げない。

 そんな彼女の姿に、三田は一種の羨ましさすら覚えた。


「三田さん。どうか安らかに」


 そう言って、琴羽の手が白い棒を固く握りしめる。

 次の瞬間、三田の頭を強烈な痛みが襲った。


「がぁ……っ!!」


 頭の中を掻き毟られるようなおぞましい感覚に、三田は声を上げる。

 頭蓋の骨は腕や脚とは勝手が違うのか、すぐに変形する様子がなかった。

 あくまで緩やかに、三田の命は終わっていく。


「…………っ」


 三田の瞼の裏に浮かんできたのは、最愛の人の、最期の姿だった。


 死が二人を分かつまで、三田が生涯を賭して必ず守ると誓った妻。

 だが、その妻はもうこの世にはいない。

 ゾンビウイルスの感染爆発パンデミックなどというあまりにも想定外の事態によって、あかねはこの世を去った。


 仕方のないことだったのだ。

 なんの力もない三田には、どうすることもできなかった。

 茜を救うことは、できなかった。




 ――本当にそうだったのでしょうか?




 気が狂いそうになるほどの強烈な痛みの中で、三田の中の何かがそう囁いていた。

 その言葉に、ひどく心がざわつくのを感じてしまう。


 それは、そう。

 なにか、とても重要なことを忘れてしまっているような。

 そんな感覚があった。


 薄れゆく意識の中、三田は必死にその何かを思い出そうとする。

 その何かから目を背けていた自分自身には、気付かないフリをしながら。


「…………」


 その中で思い出したのは、三田が最後に茜を抱きしめた、自宅での光景だ。

 そこで三田は、気付いてしまった。




 ――なぜあなたの妻は、あのトイレの中にいたのでしょうか?




 ゾンビとなった茜が、わざわざ自分からトイレの個室に入るとは思えない。

 茜が自分から入ったか、誰かがトイレの個室に入れたと考えるのが妥当なところだろう。


「…………」


 そして、三田には覚えがある。

 三田自身が、茜をトイレの個室に閉じ込めたという記憶が。




 ――あなたは、彼女をいつ(・・)トイレの中に閉じ込めたのでしょうか?




『――出してっ! 出してよぉ……っ!!』


 三田の耳に、聞こえるはずのない声が届いている。

 悲痛な叫び声を上げながら、何か硬いものを素手で叩いているような音が聞こえる。


『すごく寒いよ……つめたいよ……』


 それがトイレのドアを叩く音だと気付くのに、そう時間はかからなかった。

 だが、なぜそんなことをする必要があるのだろうか。

 トイレのドアなど、子どもでも開けられるはずなのに。


 それに対する答えは、一瞬で出た。

 そんなもの、外で誰かがドアを押さえているからに決まっている。




 ――それでは、誰が(・・)そのドアを押さえていたのでしょうね?




「……あ……あぁ……っ!」


 三田の記憶を覆い隠していたカサブタが、剥がれ落ちていく。

 それが崩れて出てきたのは、最期の時を迎えた茜に、三田がした仕打ちだった。




 ――そう。あなたはウイルスに感染した彼女を、トイレの中に閉じ込めたのですよ。




 囁きが、決定的な一言を発する。

 その言葉の意味を理解して、三田は全てを思い出した。

 ずっとずっと目を背け続けていた記憶を、取り戻した。


「……そう、そうだ! 俺は感染した彼女を……茜を見殺しにした! トイレに閉じ込めて、出てこられないように必死にドアを押さえた! 茜はまだ生きていたのにだ!」


 三田は、茜がゾンビウイルスに感染したと知ると、彼女をトイレの中に閉じ込めた。

 出して欲しいと、寒い、冷たいと懇願する彼女を無視して、出てこられないよう必死にドアを押さえた。


 最後の最後で、三田は茜を裏切ったのだ。


 一緒に死ぬのは怖かった。

 ……死にたくない。まだ生きていたい。

 三田がトイレのドアを押さえているときに考えていたのは、本当にそれだけだった。




 ――それでもなお、あなたは彼女に会いたいのですか?




 最後には三田の方から裏切ってしまった、愛する妻。

 そんな彼女にもう一度会いたいのかと問われれば、その答えはひとつしかない。


「……それでも、俺は茜に会いたい」


 悪魔に魂を売ってでも、茜に会いたい。

 どんな手段を使ってでも、茜に会いたい。

 何を犠牲にしてでも、茜に会いたい。


 たとえ何を思い出しても、その想いは変わらない。




 ――ぁあ、素晴らしいですね……!




 初めて囁きに喜色が混じったような気がした。

 そして、もはや機能を失った三田の視界に、映るはずのないものが映し出される。


 どこまでも暗い闇の中で、白いもやのようなものが、三田の前に立っていた。

 その靄の顔の部分が笑みを形作り、両手を大きく広げて、三田に囁く。




 ――彼女に再び会いたいのならば、わたしを求めなさい。




 三田の胸の奥にあるナニカが、熱を帯び始める。

 それは紛れもなく、そこにあるモノが『資格』を持つ彼の呼びかけに応じた証だ。




 ――この『知恵コクマー』の力を、あなたの望みを果たすために存分に振るいなさい。




 三田は躊躇ためらわなかった。

 自身の胸の奥底に眠っていたそれを、手元にまで引き寄せる。

 そして、自身の中に湧き上がってきた自覚を、そのまま口に出した。


「俺は、『セフィロトの樹』、知恵の『知恵コクマー』……」


 そうだ。

 なにを恐れることがあるのだろうか。

 もはや、失うものなど何もない。


 ……いや、取り戻しに行くのだ。

 何を犠牲にしてでも、失ったものを、茜を取り戻す。




 三田は覚悟を決めた。




「……さっきから何をブツブツ言ってるんですか? 気持ち悪いんですけど……」


 そして、三田の意識が急速に現実へと戻ってくる。

 相変わらず頭は尋常ではない痛みを主張し続けていたが、そんなことは些細な問題だ。


『さぁ。神に反逆する愚かな小娘を処刑するのです』


 三田の耳には、聞こえるはずのない囁きが届いている。

 狂信にその身を捧げ、蛮行を繰り返した痩身の男の声が、三田にだけは聞こえている。


「……お前、セフィラを持つ敵と戦うのは初めてだろう?」


 三田がそう言うと、琴羽は驚いたような表情を浮かべた。

 瀕死の三田が冷静な声を発したことが、予想外だったからだろう。


「たしかに、俺はお前の能力を知らなかった。だが――」


 琴羽は、突然言葉を発した三田を警戒していた。

 だが三田にとってそれは、あまりにお粗末と言わざるを得ないほどぬるい行動だ。


「……え?」

「――お前も、俺の能力を知らなかっただろう?」


 二本の赤黒い触手が、琴羽の足に巻きついていた。

 その二本の触手は、三田の腕が生えていたあたりから伸びている。


 非現実的な光景に、呆気にとられた琴羽の思考が、一瞬だけ空白を生む。

 そして今、その空白は致命的な隙となった。


「――あ゛ぁっ!!」


 三田が思い切り触手を締め上げると、琴羽の両足の骨はいとも簡単に砕け散った。

 見るも無残な状態になった琴羽の両足は、彼女の体重を支えることができない。

 その結果、琴羽は三田から逃れるような形で床に転がることになった。


「あ……ぎぃ……ッ!!」

「自分の骨が折られる気分はどうだ?」


 三田のそんな声に、彼女は答えない。

 いまだに自身の足に巻きついている触手に向かって、白い棒を突きつけるが、触手は何の変化も示さなかった。


 触手に骨などない。

 骨がないなら、『峻厳ゲブラー』の力は意味を成さない。

 単純なことだった。


「……っ!」


 自分の能力が通じないことを察した琴羽は、次に自身の足に向かってその手を伸ばす。

 すると、琴羽は顔を苦痛に歪めながらも、足の骨が変形しつつ元の形に戻っていく。

 『峻厳ゲブラー』の能力は、自身の体内の骨をも操ることが可能なのだろう。


 だが、多少治療したところで足の怪我はすぐに治るわけでもなく、三田の触手による拘束が解けるわけでもない。

 あまり意味のない行動だ。


 三田は、折れていた両足を赤黒い触手へと変形させる。

 そんな自分の姿を見て、自分が本物の化け物になってしまったかのような錯覚を覚えた。


『ぁあ。反逆者のセフィラを、神の元へお返ししなければ……』

「……ああ。わかっている」


 そんな感慨は、耳元で囁かれたそんな声に消えていく。


 『知恵コクマー』の触手は、男たちの胸をいとも容易く貫いていた。

 ならばこの『峻厳ゲブラー』のセフィラを持つ小娘の胸など、さぞ簡単に貫けるに違いない。


「これで、終わりだな」




 三田の伸ばした触手が、琴羽の胸へと迫り――。



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