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第2話 死


 玄関の鍵は閉まっていた。

 念のために、小学生の時使っていた金属バットを持って行く。

 ゾンビが近くにいた時に、対処できなければ死ぬ可能性が高いからだ。


 覗き穴から外にゾンビがいないのを確認して、トバリはドアを開けようとした。


「ん?」


 何かが引っかかるような感触がある。

 早鐘を打つ心臓の鼓動を意識しないようにしながら、トバリは力を入れてドアを開けた。


 ドアの外にいた人間を確認すると、トバリの表情は明るくなった。


「刹那! よかった、無事だったんだね!」

「トバリ……くん?」


 ドアにもたれかかっていたのは、トバリの幼なじみである沢城さわしろ 刹那せつなだった。


 腰のあたりまで伸びた艶のある黒髪に、絹のように白い肌。

 眠そうな顔をしているものの、その顔立ちは美少女と言って差し支えないほど整ったものだ。


 そんな彼女は、まだ夏休みだというのになぜか制服姿で、トバリの家の、玄関のドアの前にもたれかかっていた。


 辺りにゾンビがいる気配はないが、ひとまず刹那を家の中に入れることにした。

 こんなところに刹那を放置しておいたら、いつゾンビに襲われるかわかったものではない。


 刹那を負ぶさり、リビングへと向かう。

 もちろん玄関のドアの鍵を閉めるのは忘れない。


「でも、刹那に会えてよかったよ。ずっと家に引きこもってたから、外がどんな状態なのか、僕もわからないことが多くて」


 刹那をソファーの上に寝かせながら、トバリは安堵の息を吐いた。

 彼女と合流できたことで、状況はより良くなったと言えるだろう。

 トバリとは違って、刹那はパンデミックによって世界が変わっていく様子をリアルタイムで見ていたはずだ。

 細かい情報のすり合わせもしたい。


「……刹那?」


 だが、刹那からの反応はなかった。

 トバリが何か言えばいつでも反応してくれた刹那が、今はリビングにあるソファーで瞳を閉じているだけだ。


 冷静になって考えてみると、どうもおかしい。

 そもそも、どうして刹那はトバリの家の玄関にいたのか。

 外には、ゾンビが大量にいるはずなのに。

 ……嫌な予感がする。


「刹那、ちょっと触るよ」


 刹那のおでこに触れて、トバリの心臓は飛び上がった。

 冷たい。

 まるで死人のような冷たさだった。


「せつ、な……?」

「トバリ……くん」


 刹那の様子もおかしい。

 いつもはうるさいくらい元気なのに、今の刹那は、まるでいまにも死にそうなほど弱々しかった。


「最後に……トバリくんに会えてよかった」

「え? それってどういう――」


 トバリの言葉が最後まで続けられることはなかった。

 刹那の唇が、トバリの口を塞いでいたからだ。


「――っ!?」


 軽く触れるだけのキス。

 柔らかいが、あまりにも冷たすぎる唇の感触が伝わってくる。

 それでも、トバリの心臓はうるさいほど跳ね上がっていた。


「トバリくん…………だぃ……す……」


 刹那の身体から力が抜けた。

 そしてそのまま、刹那は動かなくなった。


「――え?」


 意味がわからない。

 今起こった出来事が信じられない。


「せつ、な?」


 刹那の身体を、ゆさゆさと揺らしてみるが、反応がない。

 恐ろしい想像が、トバリの頭の中に浮かんだ。


「……」


 手を、刹那の口の前に持っていった。

 呼吸が止まっている。


 首に手を添えて脈を測ろうとしたが、脈もない。

 最後に、刹那に少し悪いと思いつつも、左胸に触れた。

 柔らかく、形のいい胸の奥にある心臓の鼓動を確かめようとしたが、いつまで経っても、何も聞こえてこない。


「……なんだよ、これ」


 刹那は、死んでいた。






 ……どれくらいの時間が過ぎたのか。

 トバリは、自分の部屋で目を覚ました。


 そして、自分の置かれている状況を思い出す。


「そうか……刹那は、もういないんだったな」


 刹那の遺体は、ソファーに寝かせてある。

 気温が高いと腐りやすいと思い、リビングではクーラーをつけている。




 ――トバリは、刹那のことが好きだった。




 口下手で、あまり本音を言えないトバリに対しても、好意的に接してくれていた刹那に、トバリは好意を抱いていたのだ。

 いや、本当はずっと昔から好きだったのかもしれない。

 今となっては、もう何もかも遅いのだが。


「どうすっかな……」


 刹那の埋葬をどうするか。

 それがトバリの中の、一番の問題だった。


 さすがにこのまま腐らせるのは、トバリにとっても刹那にとってもありえない選択肢だ。

 ……いや、もうそれでもいいのかもしれない。


 トバリには、刹那がいない世界で生きている意味など、あるとは思えなかったのだ。


「――ん?」


 不意に、リビングで物音がした。

 おかしい。

 この家には、トバリと刹那以外、誰もいないはずだ。

 玄関の鍵もしっかり閉めた。


 トバリは物音の正体を確かめるために、一階のリビングへと向かった。


 物音の正体はすぐにわかった。

 刹那が身体を起こし、こちらを見つめていたからだ。


「刹那! よかった、あれはただの夢だったんだね……」


 刹那がこうして生きているということは、あれはトバリが見た夢だったのだろう。

 よかった。本当に。


 ボーッとした表情の刹那が、トバリのところに近づいてくる。

 そして、トバリの身体を大事そうに抱きしめた。


「せ、刹那?」


 突然刹那に抱きしめられて、トバリは戸惑いの声を上げる。

 今まで、こうやって刹那に抱きしめられたことなどない。

 だから、それに対する反応が遅れた。


「――ってぇ!!」


 肩に激痛が走った。


 なにが起こっているのか。

 トバリは、痛みの発生源である自身の肩を見下ろした。




 虚ろな表情をした刹那が、トバリの肩に噛み付いていた。




「――は?」


 いや、それは噛み付いたなどという優しいものではない。

 肉が大きく抉れ、おびただしい量の出血がトバリの意識を奪いにかかっていた。


 そして、自身の肉を咀嚼そしゃくする刹那の姿を見て、トバリは全てを理解した。


 あれは、夢ではなかったのだ。

 刹那はウイルスに感染して、ゾンビになってしまったのだ。


「クソっ!」


 トバリは刹那を突き飛ばした。

 刹那が倒れ、一瞬無防備な体勢になる。

 今なら、比較的簡単にゾンビを倒すことができるだろう。


 リビングに立てかけてあった金属バットを握り締める。

 ゾンビを倒すには、頭を狙えばいい。

 だが、トバリの腕はどうしても動かなかった。


 ――できない。

 刹那を傷つけるなんて、そんなことはできない。


「……っ!」


 立ち上がろうとしている刹那を無視し、トバリはトイレへと駆け込んだ。

 鍵を閉めて、壁にもたれかかる。


「はぁっ……はぁっ……はぁっ……っ」


 身体が重い。

 寒い。


「ま、さか……」


 感染。

 トバリの頭の中に、そんな単語が浮かぶ。


 致死率百パーセントのウイルス。

 そんなものが、今も大量の血を流し続けている肩の傷口から入り込んだのだろうか。


 そんなことを考えているあいだにも、トバリの意識は急激に泥の底へと沈んでいく。

 トイレのドアを断続的に引っ掻く音が、トバリの耳に届いた。

 ゾンビと化した刹那が、新鮮な肉の気配を辿ってここまでやってきたのだろう。


「せつ、な……」


 大量の血で赤黒く染まった床を見下ろしながら、トバリのまぶたが閉じられていく。




 そうして、夜月よるづき(とばり)は死んだ。


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