清らかな夏
試験的短編です。一発書きで、どのくらい書けるかなって。
季節は清らかな夏。
真っ暗な外は、長時間外にいてもあまり暑くなり過ぎない程度の気温と全てを静めるような静寂に包まれている。
全く雲がかかっていない夜空には無数の星の光が瞬いていて、今にも自分に向かって降って来るような、そんな錯覚に陥りそうになる。
俺は夏が好きだ。
なぜなら、夏は俺にとってかけがえのない宝物をくれた季節だからだ。
そのかけがえのない宝物はある日の記憶を思い出させる引き金であり重要な鍵だ。
俺はその記憶を、今までの思い出の中で何よりも大切にしたいと思っている。
いるだけでも不思議な感情が溢れてくるような砂浜で潮風に吹かれながら、俺は星空を見上げた。そして、十年前の夏にそっと思いを馳せた。
「ねぇ、夏樹。星を見に行きたい」
病室のベッドでそう言った彼女の名前は、清らかな夏と書いて清夏。
小学校に入学し立てだった時に出会い、初めてのクラスで隣同士の席になった。お互いに夏が付いた名前だったからか、仲良くなるのに時間はかからなかった。
体が生まれつき病弱らしく、体育などはよく見学させられていた。しかし、病弱さを微塵も感じさせないほどの底なしな明るさを持つ太陽のような少女だった。
病弱なままではいけないと言って時間のある時は体を鍛えるために色々な運動をしていた努力家でもあった。
人はいくらでも明るくなれる、いつだって前を向いて歩いてゆける、それを教えてくれたのは清夏だった。
そんな彼女は今年の夏に体調を崩ししばらく病院のお世話になることになった。
「先生、許可してくれるかなぁ」
「大丈夫、先生優しいしきっと許してくれるよ」
清夏はそう言ったものの、先生には駄目だと言われてしまった。
まぁ、俺もあんまり乗り気じゃなかったしこれでいいのだろうと思った。
しかし、彼女は諦めずに交渉し続けた。正直その姿には驚かされた。
「ねっ? お願いします!」
「いや……しかし」
「私、どうしても星を見に行きたいんです!」
「どうしてそこまで?」
「そ、それは……秘密ですけど」
「うむ……患者の要望は出来る限り叶えてあげたいんだけどねぇ」
清夏はあまり何かに執着することのないさっぱりとした一面を持つ子だ。
だからこそ、ここまで引き下がらない彼女を珍しいと感じるのだろう。
「先生、俺からもお願いします」
俺は頭を下げた。
清夏がここまで引き下がらないのはきっと何か目的があると思ったからだ。
先生は俺が終始付き添うことを条件に渋々了承してくれた。
病院の外に出ると、彼女は辺りをきょろきょろと楽しそうに見渡していた。
そんなに嬉しいのか、と微笑ましい気持ちになる。
「夏樹、すぐそこの砂浜で星見ようよ」
「あんまり長居は出来ないぞ? 潮風は身体に障るから」
「大丈夫だよ、私は元気だかっ……けほっけほっ」
「清夏!? 大丈夫か!?」
俺は清夏の背中をさすりながら顔を覗き込むようにする。
「あははっ、大丈夫だよ。ちょっとむせただけだから。夏樹は心配しすぎだよ」
「心配なんだからしょうがないだろ」
「ん……ありがと」
清夏は静かに微笑む。
今まで見せていたような明るい笑顔ではなく、静かな優しい笑顔。あまりにも魅力的なその笑顔に、俺は胸がキュッと締め付けられるような感じがした。
「ほらほら、早く行こ?」
「あ、あぁ」
清夏は走り出す。その途端につまずいて転びそうになった。
「おっと。気をつけろよ」
「う、うん」
俺は清夏の腕を掴んだままあることを考えた。
彼女の腕をしっかりと掴んでいた手をそっと下に滑らせ、柔らかな手を握る。
「あぅ……夏樹?」
「その……夜は危ないからさ。それに、俺は終始付き添わなきゃ」
「……うん」
清夏は手をそっと握り返してくれる。
俺達はそれから何故か無言になり、会話もろくにせずに砂浜へ向かった。
波の音が静かに響く砂浜はどこか神秘的だった。
夜空を仰ぐとそこには無数の星の光が瞬いていて、今にも自分達に向かって降って来るような、そんな錯覚に陥りそうになる。
「凄く……綺麗だね」
「あぁ……すげぇ」
感動した様子で清夏は言った。俺の手を握る彼女の手に力が篭る。
彼女の横顔をちらりと見ると、俺は思わず目を奪われる。
星明りに照らされたその横顔はこの世の何よりも美しい、そう思えてしまうくらいに綺麗だった。そして、その綺麗な頬に涙が伝うのを俺は見逃さなかった。
「清夏……泣いているのか?」
「あれ……なんでだろ、おかしいなぁ……悲しくなんかないはずなのに」
涙を拭って笑ってみせる清夏。その笑顔はどこか儚げに感じる。
「本当はね」
清夏は話題を変えるように突然言った。
「星空を見たいって言うのは口実だったんだ。いや、勿論見たかったといえば見たかったんだけど」
「急にどうしたんだよ?」
「なんだろうね、なんかもう自分でも分かんないや」
「お前に分かんないものは俺にも分かんないぞ」
「ふふっ、ゴメンね。なんて言ったらいいのかな……」
そう言ってしばらく沈黙する。
俺は何も言わず清夏の言葉を待つ。
「きっと……夏樹とこうしてお話したかったからかな」
「え?」
「よく考えたら、こんなにじっくりお話出来る機会もあんまり無さそうだしさ」
「まぁ、確かにな」
「ねぇ、夏樹。もしも……もしもだよ?」
「うん?」
「もしも……私が死んじゃったら悲しい?」
「えっ……!?」
その言葉を聞いて、背筋が凍るような感覚に陥る。
目の前の少女は何を言っているんだろう。
清夏が死んだら悲しいだって?
悲しいなんて言葉じゃ済まない。きっと彼女がいなくなってしまったら、俺は……。
「ちょ、ちょっと、そんなに深刻に考えないでよ!? もしもだから!」
「もしもでも……そんなことあんまり考えたくないよ」
「ん、ゴメンね。でも言っておかなきゃならないから……私、もしかしたら……手術を受けることになりそうだから」
「手術……?」
「うん、凄く難しい手術なんだ。だから……もしもの時、夏樹はどう思ってくれるのか気になって」
清夏の身体が震えている。
そしていつの間にか目からは涙がぽろぽろと零れている。まるで自分を抑えていた糸がぷつんと音を立てて切れてしまったように。
彼女が遠回しに伝えようとしていることが分かってしまう。
手術の成功率は決して高くない。
どうして、どうしてそんな状態に。
「清夏……」
清夏の目からは止め処なく涙が溢れてくる。
きっと今の彼女は不安で仕方がないのだろう。怖くて仕方がないのだろう。
いつでも俺を明るく照らしてくれた彼女は、俺の肩に顔を埋めて泣いている。
こんな時、俺は何をしてやればいいのだろう。
情けないことに分からない。
「清夏……」
やっと口に出来た言葉は彼女の名前。
「清夏……清夏は、俺と会えなくなるの……嫌か?」
次に言葉に出来たのは自分でも何を言っているのか理解し難い質問。
でも、清夏はしっかりと答えてくれた。
「当たり前だよっ……私はっ、うぐっ……もっと……ずっと夏樹と一緒にいたいよ……」
俺はその言葉を決して聞き逃しはしなかった。
彼女の言葉が俺の心に落ちて、静かな波紋を立てる。
そして、その途端に数秒前までの自分が馬鹿らしくなってくる。
どうして俺はあんなことを聞いてしまったのだろう、なんて、自問してみる。
答えは分かりきってるじゃないか。
「……夏樹……?」
不思議そうな目で俺を見つめる清夏は今、俺の腕の中にいる。
彼女の温もりが腕から伝わってきて、彼女の全てが愛おしく感じられる。
「俺も……清夏とずっと一緒にいたい」
清夏を抱きしめる腕に少し力を入れる。
彼女は少しも抵抗せず、俺に身を委ねている。
しばらくして彼女の方から腕が俺の背中に回された時、気持ちが通じ合ったような気がした。
「手術、成功するって信じてるから……」
「夏樹……ありがとう。私、頑張るね」
「あぁ、頑張れ。清夏」
「だから、もし手術が成功して私が元気になったら……その時は……」
清夏は俺の目をしっかりと見つめた。
付き合いが長い分、彼女の意図がなんとなく分かる。
きっとお願いだろう。何をお願いしてくるのかは分からない。
でも、今の俺はどんなお願いでも叶えてやりたいと思う。
凛とした静かな声で、それでいて心に響くような口調で彼女は言った。
「私と、ずっと一緒にいてください」
「もう、十年前か」
「そうだねー」
俺は今二十六歳になった。ちゃんと就職もして、それなりに充実した社会人生活を送っている。
隣には、いつでも明るくいつでも元気をくれるあの少女。
まだ完全に身体が良くなったわけではないため、今も定期的に病院に通っている。でも、普通に生活する分には問題ないらしい。
「私、嬉しいよ。夏樹がちゃんとお願い叶えてくれて」
「当たり前だろ。俺だって同じ気持ちなんだから」
「えへへ、嬉しいな……」
あの後、手術は無事成功した。
清夏が手術に成功したことが嬉しくて、泣いたり笑ったりしていたことが鮮明に思い出せる。
「ね、夏樹」
清夏は俺の腕に自分の腕を絡めてくる。
そしてギュッと俺の腕を抱きしめて言った。
「今年も、いい夏だね」
「だな……本当に」
少し感慨深げに言ってみせる。
夏は俺にとって本当に特別だから。
「俺はこんな清らかな夏をこれからも大事にしていきたいよ」
「ん……私も」
俺達はお互いに微笑み合う。
そしてそっと顔を近づけ、どちらからともなく唇を重ねた。
今年の夏も爽やかに暑い、それ故に清らかだ。
「清夏、俺とずっと一緒にいてくれよ」
「勿論だよ。夏樹もね?」
「あぁ」
俺は十年前の思い出を何よりも大事だと思っている。
でも、これからは……清夏と一緒にもっと多くの大事な思い出を作っていくつもりだ。
確かな幸せは、清らかな夏のひと時と共に今ここで紡がれているのだから。
正直心情描写がちょっとうーんって感じですが、今の僕にはこれが限界でした。最後まで読んでいただけたら幸いです。