3.イヤな裏設定
「風邪だったんですって? 体はもう大丈夫なのかしら?」
「はい……、先日はとんだご無礼をいたしました」
引きつった笑みを浮かべるわたしに、コレット様が優しく微笑みかける。
顔だけ見ればまるで天使か妖精かというくらい可愛らしい少女なんだけど……。
リヴィエール侯爵家でいきなり倒れるという失態をおかした日から一週間後、わたしは再びリヴィエール侯爵家を訪れていた。
ちなみに今回もグレース伯母様が付き添いを務めたが、今は侯爵家の控室にいる。わたしが通された場所も客間ではなく中庭にある四阿で、メイドや護衛をのぞけば、ほぼコレット様と二人きりの状態だ。
どうやらわたしが倒れたのは、体調不良のほかに緊張のせいもあると思われたらしい。
たしかに今も緊張している。ルブラン家では飲んだこともない、高価そうな薫り高いお茶を淹れてもらったのに、味わう余裕もない。
「ねえ。マティルド、って名前で呼んでもいいかしら?」
「もちろんです……」
うつむくわたしに、コレット様はいきなり言った。
「マティルドって、シモン様と婚約していたのよね?」
わたしは根性でお茶を噴き出すのをこらえた。
「……シモン様というと、ケルテス辺境伯家のご嫡男のことでしょうか」
「嫌ね、他に誰がいるっていうの?」
ふふっとコレット様が笑う。だがその榛色の目はまったく笑っていなかった。マズい。
妖精のように可憐な外見なのに、マンガのコレット様は異常なまでに嫉妬深かった。婚約者のシモン様と腕を組んで歩いていたというだけで、惨殺された女の子もいたくらいだ。
もっともあの頃のコレット様は、明らかに精神の均衡を欠いていた。元々ストーカー気質だったコレット様だが、婚約者のシモン様がらみで色々と心労が重なった結果、ついには精神を病んでしまうのだ。
そう考えると、可哀そうな気もするけど……。
「いえ、それはですね、婚約というか」
「マティルドとシモン様は幼なじみで、子どもの頃から仲良く遊んでいたのよね?」
「幼なじみなのは確かですが、仲良くはありませんでした!」
わたしは叫ぶように言った。
「わたしは……、あの、自分で言うのもアレなのですが、がさつな上にぼんやりしていて気が利かず、シモン様には呆れられるというか、愛想を尽かされるというか、そんな感じでした。どちらかというとわたしは、弟君のランドール様と親しくさせていただいておりました!」
誤解で殺されるのは勘弁してもらいたい。いや、どんな理由でも殺されるのはイヤだが。
「……あら、そうなの?」
コレット様は意外そうに言った。
「でも、一時はシモン様と婚約していたんでしょう?」
「いや、わたしはそもそも、婚約解消となるまでシモン様と婚約していたことすら知らなかったのです!」
わたしは必死に弁解した。
「……なんですって?」
「奇妙に思われるかもしれませんが、なぜか昔からケルテス辺境伯家とルブラン伯爵家は、年回りのよい異性の子どもが生まれると、自動的に婚約者と定められる習いがあるのです。それはもう、ソラン王国が建国された昔から続いている風習なのですが、今となっては理由もわからず、半ば形骸化しております。わたしとシモン様が婚約していたのもほんの一瞬で、あっという間に解消となりました。本当にただの昔の、……何と申しますか、因習のようなものです!」
嘘ではない。
ほんとになんでだよと思うのだが、ケルテス家とルブラン家はやけに結束が固く、通常の寄り親と寄り子という関係を越えて繋がりが強い。ケルテス家の現当主の婚姻相手がルブラン家の出でないということで、ケルテス家の長老たちはめっちゃ文句を言っていたらしい。イヤな裏設定だ。
わたしの必死の弁明に、コレット様は「ふーん」とつぶやいた。
「……でもマティルドは、あんなに素敵なシモン様が婚約者だなんて、嬉しくなかったの?」
「それは、なんというか……、ええと、あの、嬉しいというよりは、恐れ多かったです! わたしとは釣り合わない御方だと思っておりましたので、婚約解消となった時は、正直ホッといたしました」
これも本当の話だ。
まず、自分は婚約していたのか!? と驚き、それと同時に、でも解消されたんだ、よかった! と安堵した。
わたしはまだ十歳で前世の記憶もなかったし、婚約解消なんて外聞が悪い、と両親は渋い顔をしていたけれど、それでも嬉しかったことを覚えている。
シモン様は見た目だけは良かったが、性格にいろいろと問題があった。
自分より立場が下だと見なした相手には、とことん横柄になるというか。
だが今にして思えば、わたし自身、貴族なのにぼんやりし過ぎだったと思う。ケルテス家はルブラン家の寄り親だというのに、その辺の忖度がまったくできていなかった。
端的に言えば、わたしは昔、剣の試合でシモン様に勝利してしまったのだ。
あの時のシモン様の表情は、忘れられない。
言い訳するなら、わたしはまさか、自分がシモン様に勝ってしまうなんて思っていなかった。
シモン様はわたしより二つ年上だし、何よりケルテス辺境伯家は武の名門なのだから。
我がルブラン家も北方の勇と名高く、一族の者は女性であっても一通りの剣術を修める。
しかし魔獣の被害の多い地域は、どの家門もそんなものだ。わたしも幼い頃から剣術を習ってはいるが、特別優れた才などはない。『俊敏』というスキルを持っているおかげで、最初の一撃が決まればそのまま勝ちに持ち込めることもあるが、わたしの剣筋をよく知る師匠やお父様には通用しないし。
わたしは普段、剣術の師や父親、弟としか打ち合ったことがなかったので、シモン様がお相手してくださるのを嬉しく思ったことを覚えている。
子ども同士の遊びだから、もちろん鉄剣ではなく木剣を使用した。シモン様はわたしに「マティルドは女だからな、仕方ない。おまえが怪我をしないように、木の剣を使ってやる。感謝しろよ」と言った。
ありがとうございます! とわたしはウキウキしながら一礼した。
なぜか気の進まなそうなランドール様が試合開始を告げると同時に、わたしはシモン様に向かって突進した。
張り切って『俊敏』のスキルを全開にし、全力で剣を振るったのだが、その結果。
わたしはたった一撃で、シモン様の手から剣を打ち落としてしまったのだ。
「……えっ?」
わたしは驚いてシモン様を見た。
「え……? なんで?」
「きさま……!」
シモン様はわたしに打たれた腕を押さえ、血走った目でわたしを睨みつけた。
「きさま、よくも! 貧乏伯爵家のくせに! 女のくせに!」
シモン様に怒鳴られたわたしは、呆気にとられて突っ立っていた。
いや、たしかにルブラン家は貧乏だし、わたしは女なんだけど。
でもしかして、と混乱したわたしは、考えなしに言ってしまったのだ。
「……もしかしてシモン様、わたしより弱いんですか?」
言わなきゃよかったと後悔する一言が、誰にでもあると思う。
このチャンバラごっこの翌日、ルブラン伯爵家にはケルテス辺境伯家から正式な使者が遣わされ、わたしとシモン様の婚約解消が申し入れられたのだ。
まあこの事件がなくても、いずれは婚約解消されたと思うけど。わたしとシモン様って絶望的に相性が悪いし。
でもあの時は、両親から嫌というほどお説教されたし、それまで気軽に訪れていたケルテス辺境伯家に、事実上の出禁をくらってしまった。わたしはともかく、両親には衝撃だっただろう。ルブラン家はケルテス家の筆頭寄り子なのに、出禁って。
それに弟のブライアンも、ランドール様に懐いていたから寂しい思いをさせてしまったと思う。ランドール様は時間をみつけてルブラン家を訪れてくれたけど。
ああ、考えれば考えるほど申し訳ない……。
そして当然ながら、わたしはそれ以降、シモン様に蛇蝎のごとく嫌われている。
コレット様に正直にそう言うと、
「ふーん……、そう、マティルドはシモン様に嫌われているのね」
「ええ、それはもう! わたしを見るシモン様は、いつもこう、眉間に皺が寄っておりました!」
顔をしかめるシモン様の真似をしてみせると、コレット様がおかしそうに笑った。
「いやだ、なんて顔をするの、マティルドったら。そんな顔をしていたら、シモン様だけじゃなくてどんな殿方にも嫌われてしまうわよ?」
「そうですねえ、わたしもそう思います!」
ハハハッとわたしはコレット様と一緒になって笑った。プライドなどない。命が助かればそれでいい。
「それに、シモン様よりランドールと親しかったなんて……。マティルドって、人を見る目がないのね」
コレット様がちょっと馬鹿にしたように言った。
「ランドールはシモン様の弟君だけど、ケルテス辺境伯の血を引いてはいないのよ? あの人はマデリーン様の連れ子で、父親は平民だっていうじゃないの」
「はあ……」
わたしは曖昧な笑みを浮かべた。
ランドール様は、シモン様の弟だ(といっても同じ年齢だが)。肩まで伸ばした銀髪に冷たい印象を与える灰色の目を持つ。ちょっとキツめだが端整な面立ちをした少年で、『ソランの薔薇』の準主役キャラだ。
マデリーン夫人がケルテス辺境伯の後妻として嫁いだ際、まだ乳飲み子だったランドール様も一緒にケルテス家の籍に入った。
ただし成人後、ケルテス伯が保有している爵位のどれかをもらえない限り、ランドール様は平民に戻る……、のだが。
わたしはちらっとコレット様を見た。
マンガの中でコレット様は、ランドール様を平民の血を引く卑しい存在と蔑んでいた。こうして実際に話してみても、マンガと同じくランドール様を軽んじているようだ。ランドール様だけナチュラルに呼び捨てしているし。
しかし本当は、ランドール様こそがケルテス辺境伯の実の息子なのだ。
まだ赤子の頃に、マデリーン夫人が自分の子とケルテス辺境伯の息子をすり替えてしまったのである。
そして、巡り巡ってその事実は、マティルド・ルブランというモブ令嬢、つまりわたしの悲惨な最期の引き金にもなってしまう。ランドール様は、わたしの死をきっかけに本当のスキルを覚醒させるからだ。
わたしは、ランドール様という『ソランの薔薇』の準主役キャラを、より強くするための踏み台的役割を担っているのだ。
「ほんと、イヤな裏設定……」
わたしのつぶやきに、「何か言った?」とコレット様が愛らしく小首をかしげた。




