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10.封印(ランドール)

「あなたのために治療師を呼んだわ。服を脱いで、背中をお見せなさい」

 神殿でスキル鑑定を受ける前日、母上が私の部屋にやって来てそう告げた。


 珍しい。ふだん、母上は滅多に俺の部屋を訪れたりしないのに。

 それに、なぜ治療師を呼んだのだろう。俺はどこも怪我してないし、体調が悪いわけでもない。

 以前、兄上に叩かれて怪我をした時でさえ、治療師を呼んではもらえなかったのに。


 不思議に思ったが、理由を尋ねたりすればまた怒られるだろう。俺は黙って言うとおりにした。

 黒いローブで全身をすっぽり覆い隠し、深くフードをかぶった治療師が私の前に立つ。


 何がなし、俺はゾッとして後ずさった。治療師は別に威圧的ではなく、俺に暴力を振るおうともしていない。それなのに、近くに立たれただけで全身の毛が逆立つような嫌悪感を覚えた。

「大人しくなさい!」

 母上の怒声が飛ぶ。

「あなたのために呼んだと言ったでしょう! 黙って立っていることもできないの、あなたは!」

「……申しわけありません、母上」

「まあまあ、マデリーン様、そのように怒らなくとも」

 治療師が猫なで声で言った。


「ランドール様、と申されましたか。……いやはや、これはなかなか厄介ですなあ。まだ五歳でこれほどのお力をお持ちとは、さすがと申しますか」

「テラトロルコ!」

 母上が苛立たしげに男の言葉をさえぎった。

 テラトロルコ。聞き慣れない名前だ。南国の……、ひょっとしたらピルシュカの民なのだろうか。

 なぜわざわざ南国の治療師を?

 疑問に思ったが、質問などすれば無駄口を叩くなと叱られるだろう。俺は黙っていた。


「さて、それではランドール様。少々痛みますが、動かないでくださいよ」

 治療師がサッと空中に魔術陣を描く。見慣れない陣だ。いや、それほど多くの魔術陣を見たわけではないが、どこか異質な感じがした。治療師が魔術陣に魔力を注ぐと、それは不気味な赤い光を放った。


「う……」

 魔術陣から放たれた赤い光が、まるで肉をえぐるようにして体の中に入ってくる。

 必死に耐えたが、あまりの痛みに思わず俺はふらついてしまった。

「動くなと言ったでしょう!」

「すみ……、ませ、ん」

 なんとか膝をつかずに済んだが、異物が体内に入り込み、暴れているような感覚に冷や汗が出る。


 なんなんだ、この痛みは。この治療師はいったい、俺に何をしたのだ? 母上はいったい、何を……。


「……ふう、何とか成功しました」

 しばらくして、治療師が疲れたように言い、母上に向き直った。

「しかし、一度では無理ですね。早々にわたしの術など破られてしまうでしょう。あと三回……、いや、五回は術の重ね掛けをしないと」

「……しかたないわね。とりあえず、明日を乗り切ればなんとかなるわ。一月後にまたここへ来なさい」

 母上から重そうな革袋を差し出され、治療師は小さく笑った。

「ありがとうございます。それでは一月後に、また……」


 一月後? 何のために。

 母上は、俺に何をしたのだ?

 聞きたかったが、口には出せなかった。

 母上は氷のように冷たい一瞥を俺にくれると、何も言わずに部屋を出て行ってしまった。


 次の瞬間、俺はその場にくずおれた。

 まるで体の内側を炎で焼かれているようだ。息をするだけで痛みが走る。

 これが治療? 何の治療なのだ?

 あの魔術陣、あれは、いったい……。


 だが、それ以上は考えられなかった。

 痛みで倒れ、気づけば夜が明けていた。使用人の一人が、倒れた俺に気づいて寝台に運んでくれたらしい。礼を言うと、かえって謝られた。

「治療師を呼ぼうとしたのですが、奥様に止められてしまって……、申し訳ありません」

「いや、いい」

 俺に優しい使用人は、なぜか母上の怒りを買って解雇される。父上は屋敷内のことには無関心だし、俺のことは放っておいてくれて構わない。そう告げると、使用人は気まずげな表情を浮かべた。

「申し訳ありません……」

 再度、使用人が俺に謝った。いや、本当に大丈夫なのだが。


 一晩たっても痛みは残っていたが、動けないほどではない。今日は神殿でスキル鑑定を受ける予定だ。母上、兄上と共に馬車で神殿に向かう。


「お母様、あの治療師はなんなのですか?」

 兄上が口をとがらせて文句を言った。

「痛みを消す魔術を重ねてもらっても、まだ体がズキズキします。もうあの治療師の顔も見たくありません」


 俺は驚いて兄上を見た。

「兄上も治療を受けたのですか?」

「は? も、ってなんだ。おまえも同じ治療を受けたっていうのか?」

 兄上は顔をしかめて俺を見た。

「……同じかどうかはわかりませんが、フードを目深にかぶったテラトロルコという治療師に」

「ランドール!」

 母上が鋭く俺の言葉をさえぎった。


「無駄口を叩くのはおよしなさい。もうすぐ神殿に着きますよ」

「申しわけありません、母上」

 治療師の件は口にしてはいけないようだ。

母上から、話題に出すことを禁じられた事柄がいくつかある。それについて尋ねたりすると、折檻をともなう叱責を受けるのだ。

 父親のこと、スキルのこと……。何故かはわからないが、それらについて尋ねると母上は激昂する。


 神殿でのスキル鑑定は、あっという間に終わった。

 母上の侍女が、重そうな革袋を幾つも、鑑定してくれた神官に手渡していた。

「……鑑定結果について、ケルテスの分家などから質問されることがありましたら、今回の結果をお伝えくださいますよう」

「ええ、ええ、わかっておりますとも」

 革袋を受け取った神官は、ぺこぺこと母上に頭を下げていた。


 なぜ分家が、俺や兄上のスキルを気にするのだろう?

 兄上のスキルは『召喚』だった。ケルテス家に代々伝わるという特殊スキルだが、どのような聖獣を召喚できるのかはまだわかっていない。

 ここのところ、あまり大型の聖獣を召喚できる当主が出ていないから、分家でも気にしているのだろうか。

 俺のスキルは『商売』だった。自分が商人として仕事をする姿というのはあまりピンとこないが、大きくなれば違うのかもしれない。


「ふん、おまえのスキルは『商売』か。平民の父親が商人だったというから、お似合いだな」

 兄上が嘲るように言った。

「そうですね。……今はまだ、俺は剣術にしか興味を持てませんが」

「馬鹿じゃないのか? いくら練習したって、剣のスキルがなきゃ意味がない。無駄だろ」

 たしかにスキルがなければ、いくら練習しても剣の道で大成はできないだろう。しかし、

「俺はただ、剣が好きなのです。……無駄かもしれませんが、かまいません。剣の鍛錬をするのが楽しいんです」

「無駄なことが楽しいなんて、理解できないな」

 兄上の言葉に、俺は少し考えた。


 この前、無駄を嫌う兄上について、家庭教師のダリル先生が何かおっしゃっていたような気がする。たしか……。

「兄上、そう言えばダリル先生が兄上のことを褒めていらっしゃいました。「シモン様は効率を重視されるし計算もお速いから、商いに向いていらっしゃるだろう」と」

 何気なくいった言葉だが、母上がぴくりと反応した。


「ランドール、それはどういう意味? シモンに商人になれと言いたいのですか?」

「え? ……いえ、そういうわけでは。ただ、ダリル先生が兄上を褒めていたから」

「お黙りなさい!」

 母上が怒鳴った。

「いいですか、シモンのスキルは『召喚』です! 馬鹿げたことを言うのはおよしなさい!」

「母上、俺はただ……」

「黙れと言ったでしょう!」


 母上の怒りに、俺だけではなく兄上まで呆気にとられていた。

 だが、母上が何かの拍子にいきなり怒り出すのはよくあることだ。俺はあまり気にせず、口を閉じた。

 その場はそれで収まった。問題はその後だ。


 翌日、俺と兄上の家庭教師を務めていたダリル先生が、解雇されてしまったのだ。


 ……なぜ。

 恐らくは俺のあの発言のせいだろう。だが、先生は兄上を褒めていた。何も怒るようなことなどない、……はず、なのに。


 その時、なぜか俺はあの得体のしれない治療師を思い出した。

 俺と兄上を診た南国の治療師。だがあれは、本当に治療だったのか……?


 不敬であることはわかっているが、昔から俺は母上に対して、漠然とした不信感を抱いていた。それが初めて、明確な形をとったような気がする。


 理由はわからない。だが母上は、俺を……、ひょっとしたら俺だけではなく、兄上をも欺いているのではないだろうか。


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