1.悪夢
「ねえ、お願い、マティルド」
リヴィエール侯爵令嬢コレット様は、狂気に満ちた笑みを浮かべて言った。
ふわふわのピンクブロンドは乱れ、白く滑らかな肌や銀色のドレスには点々と返り血が飛んでいる。榛色のつぶらな瞳はギラギラと輝き、その右手には血の滴る短剣が握られていた。
妖精のように可愛らしいコレット様の恐ろしい変貌ぶりに、わたしはただ震えることしかできなかった。
「リヴィエール家のため……、いいえ、わたしのために死んでちょうだい!」
叫びながら、コレット様は短剣を振り上げた。
「ヒィイイッ!」
わたしは腰を抜かし、その場に尻もちをついた。
このままでは殺されてしまう。
わかっているのに、凍りついたように体が動かない。
何もできない。恐怖に縮こまり、ただ殺されるのを待つしか……。
「だぁあああああ!」
絶叫とともにわたしは飛び起きた。
はあはあと荒い呼吸に胸を押さえていると、
「マティルド、目が覚めたの?」
心配そうな声が聞こえ、わたしはハッとした。
周囲を見回し、ようやく今、自分がどこにいるのかを理解する。
ここはルブラン家が王都に所有しているタウンハウスの一室だ。どうやらわたしは寝台に寝かされていたらしい。ということは、さっきのアレは、夢……?
横を見ると、
「グレース伯母様……」
わたしと同じ金色の巻き毛に紫色の瞳をしたグレース伯母様が、手を伸ばしてわたしの額に触れた。
「熱はないみたいね、良かった」
グレース伯母様は、後ろに控えていたメイドに医師を呼んでくるよう言いつけた。
「気分はどう? あなた、いきなり倒れたのよ」
「……倒れた……?」
グレース伯母様の言葉に、靄がかかったような頭がはっきりしてくる。
そうだ。今日は初めて、リヴィエール侯爵令嬢コレット様とお会いしたんだった。
秋からコレット様と一緒に王立学院に通う学友として、リヴィエール侯爵はルブラン伯爵家の長女であるわたし、マティルド・ルブランを指名したのだ。
グレース伯母様に連れられたわたしは、豪華な侯爵家にドギマギしながら、失礼のないようにしなくちゃとひどく緊張していた。
客間に案内されて入ると、リヴィエール侯爵とコレット様がいた。妖精のように愛らしい美少女、コレット様がふわりとわたしに微笑みかけた瞬間……。
「……っ」
わたしは自分の体を抱きしめ、すんでのところで悲鳴を上げるのをこらえた。
狂気に満ちた笑みを浮かべる、リヴィエール侯爵令嬢コレット様。その手に握られた血まみれの短剣。あれは、あの記憶は……。
「……『ソランの薔薇』……」
「え、なあに、マティルド。何か言った?」
グレース伯母様が聞き返したが、それどころではない。
衝撃のあまり、頭がクラクラする。
わたしが今いるのは、前世で読んだWEBマンガ『ソランの薔薇』の世界だとわかったのだ。
ソラン王国の王座を懸けて戦うキャラたちの愛憎劇を描いた、WEBマンガ。
リヴィエール侯爵令嬢コレット様は、『ソランの薔薇』に登場するキャラの一人だった。
主人公である王太子殿下ジェラルド様とは敵対関係にあるのだが、ストーリー後半になると、追い詰められたコレット様は精神の均衡を崩してしまう。
狂気にとらわれたコレット様は、婚約者のシモン様と一緒に王太子側の人間を次々と殺して……。
「え」
わたしははたと我に返った。
金色の巻き毛に紫色の瞳のマティルド。……マティルド・ルブラン。
それって、ストーリー序盤でコレット様に殺されてしまうモブ令嬢では!?




