肆:魔王視点
人間の国の玉座は、魔王城ほどではないがそれなりに荘厳だった。
魔王たる私が、人間の王に膝を折るのは屈辱でしかないが、今の身体は勇者だ。心を無にして、レオンハルトに教えられたマナーを守って頭を下げる。
「国王陛下におかれましてはご機嫌麗しゅう……勇者レオンハルト、この度、魔国との停戦協定を取り付け、帰還いたしましたことをご報告申し上げます」
教え込まれた挨拶の言葉を述べ、魔王城で用意してきた停戦協定を結ぶことを示した書状を差し出した。
同じ内容の二枚の書状には、既に魔王ヴェンデルの署名がされている。これにこの国の王が署名すれば完全な締結となる。
二枚をそれぞれの国で保管するため、後ほど魔王城に届けねばならないが、どのみち入れ替わりが解決していない以上、近いうちに行く必要があるので問題ない。
オレンジ髪に青の瞳の御仁は、それを側近に受け取らせ、内容を改めると満足そうに頷いた。
「うむ、大儀であった。長きに渡る魔国との諍いで、我が国は疲弊していた。完全勝利とはいかずとも、停戦協定を締結できたのは成果として大きい」
「ありがとうございます」
「して、勇者レオンハルトよ。お主には褒美をやろう。何でも望みを言うがよい。お前が望むなら、我が愛娘との結婚でも許してやるぞ」
国王が大仰にそう言い放つと、カサンドラが目を輝かせて玉座の横に移動してきた。
どうやら、あの王女は父である国王に勇者と結婚したいと訴えていたようだ。そして国王自身もそれを満更でもないと思っているらしい。国の英雄を王家に留められるならばそれも当然か。
私は逡巡した。
このままでは、あの王女と結婚させられてしまうだろう。生半可な言い訳では丸め込まれる可能性があるし、下手をすれば王命という形で強制的に結婚させられてしまいかねない。
それは、レオンハルトも望んではいない未来だ。
私は、おもむろに口を開いた。
「……それならば、この場で、求婚をする許可を」
私の言葉に、その場にいた全員が驚いた顔をする。
私はすっと横を向いた。そこには、私と同じく国王に跪いていたフィーネがいる。
「フィーネ・カルディナ。どうか俺と結婚してほしい」
レオンハルトの口調を真似つつ、フィーナに結婚を申し込む。
勿論、私自身がフィーネを好きということではなく、王女との結婚を円満に回避するため、かつ、身体が戻った時のために、レオンハルトに気を利かせたつもりだった。
そもそも、レオンハルト自身が魔王城に乗り込む直前にフィーネに求婚したと言っていたので、ここで再度申し込むこと自体はそれほど問題ないはずだ。
国を救うために共に戦った勇者からの求婚であれば、フィーナとて余程嫌でない限り、断りはしないだろうと思ったのだ。
しかし、彼女は困惑の表情を浮かべた。
「え、ちょ……か、考えさせて、ください」
フィーネは意外にも保留を選んだ。
「……ふむ、勇者レオンハルトは、仲間の魔法使いを伴侶にと望んだか……我が愛娘、カサンドラよりも仲間を選ぶと?」
「……私はしがない平民です。王女殿下の伴侶には、もっと相応しい方がいらっしゃるかと」
丁寧な口調で答えると、国王はちらりとカサンドラを一瞥した。
私も気付いていた。
先程から、射殺すような殺気の籠った目を、フィーネに向けていることに。
「……まぁ、魔法使いも検討するということのようだし、答えが出たら報せよ。結婚式は城の大聖堂を使わせてやろう」
「ありがたき幸せに存じます」
そこで、謁見は終了した。
玉座の間を出た直後、カサンドラが私の前に立ちはだかった。
「レオンハルト様! 先程の求婚は、一体どういうことですのっ!」
「どうとは?」
「わたくしはっ! てっきりレオンハルト様はわたくしに求婚してくださると……!」
「そんなことを言った覚えはないが?」
呆れ果てて、思わず口調が戻ってしまった。
カサンドラは、ぎゅっと拳を握り締め、私の後ろにいたフィーネを睨みつけた。
「絶対に許さないわよ……!」
彼女は踵を返して去って行ってしまった。
「……まぁ、お姫様がああ言うのも無理もないわねぇ。まさかレオンがフィーネを選ぶなんて……」
「アタシを選んでくれると思ってたのになー」
「それは私も同感です」
リセリア、アデリナ、マリーが順に呟きながら、フィーネを一瞥する。
フィーネはその視線に耐えかねたらしく、怒った顔で私を睨み、その場から走り去ってしまった。
「……フィーネ!」
私も思わず駆け出す。
「フィーネ! 待てっ!」
彼女が飛翔魔法を使ったので、追いつくのに時間を要してしまった。
私自身も勇者の身体能力と簡単な魔法を駆使し、追いついたのは王城を出て町外れだった。
「フィーネ!」
「何でっ! 何であんな所でっ! あんなの、すぐに断れないじゃないっ!」
私に背を向けていた彼女は、明らかに怒っていた。
「……駄目、だったか……?」
「私は、貴方を好きだったことなんてないの! 求婚されても困るわ! 貴方の周りにいる女と、一緒にしないで!」
叫びながら振り返った彼女は涙を流していた。
そうか、泣くほど嫌だったのか。レオンハルトからの求婚は。
それは甘く考えていた。勇者一行について、命を懸けて共に戦った仲間からの求婚であれば、少なくとも嫌ではないだろうと軽く考えていた。
もしかしたら、彼女には他に想う者がいたのかもしれない。
人間の心理がかくも複雑であったとは、完全に誤算だった。
レオンハルトよ、すまん。完全に余計なことをしてしまった。
そう内心で魔国にいるはずのレオンハルトに謝罪する。
「そうか……すまない。だが、どうか考えてほしい……一目惚れ、だったから……」
彼女に一目惚れしたのはレオンハルト自身で、私ではない。
だが、彼の中に入っている以上、私が彼の言葉を伝えなければ。
「そ、そんなことっ! 誰にでも、言っているくせに……!」
「一目惚れしたのはフィーネだけだぞ?」
レオンハルト自身がそう言っていた。
少しでも彼の気持ちを伝えなければ、と更に言い募ろうとした、その時だった。
「っ!」
殺気を感じ、私は咄嗟に右手を掲げた。
しかし、何も起きない。当然だ。今は魔王の身体ではない。
この身に宿る魔力も、レオンハルトのものだ。
魔王の身体に宿る魔力も、使える魔法も異なる。
「しまった!」
慌てて地を蹴った直後、物陰から飛び出した何かが、フィーネの首を狙った。
「させるかっ!」
咄嗟に、身体が動く。これはきっと、身体に染み付いた条件反射のようなものだろう。
剣を抜き、その何かを両断する。
「……魔物……?」
地面に転がったのは、大型犬くらいの大きさの魔物だった。
勇者の剣に断ち切られたそれは、はらはらと灰になって消えていく。
「フィーネ、怪我は?」
「だ、大丈夫よ」
驚きながらも頷いた彼女に、私は視線を魔物に移した。既に半分以上が灰になっている。
「王都の中に、こんな魔物が出るなんて……」
ありえない。王都には、王室付き魔法使いによって、強力な結界魔法が展開されている。
しかも、この魔物はまっすぐにフィーネを狙った。一本向こうの通りに行けば、大勢の人間がごった返す市場があるのに。
魔物は低能だ。特定の人間だけを襲うなど本来ならばあり得ないし、襲うとすればより数が多い方に行く習性がある。
ならば、今の魔物は、何者かによって操作されていたと考えるのが妥当だ。
だが、そんなことができるのは、それなりに熟練の魔法使いくらいだ。それこそ、勇者一行の魔法使いや、王室付き魔法使いのような。
「……魔物はお前を狙っていた……嫌な予感がする。フィーネ、しばらくは一人きりにならない方がいい」
「……あ、そ、そう、ね……」
呆気に取られていた彼女が、私を見て怪訝そうな顔をする。
「……ねぇ、貴方、本当にレオン?」
「っ! 当たり前だろう! な、何故そんなことを……」
「……何て言うか、雰囲気が、今までと違う感じがして……」
「お、俺は俺だ。何も変わらないぞ」
まっすぐフィーネの目を見て答えると、彼女はふっと目を逸らした。
「……そう、よね……」
何か思うように呟き、彼女は頷いたのだった。
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