玖:勇者視点
ヴェンデルが突然、自分と結婚すればいいと言い出して、俺は混乱した。
いや、いくら偽装とはいえ、こんな筋骨隆々の男と結婚するのは流石に嫌だ。
もしその後で円満に離婚できたとしても、筋骨隆々の魔王に抱かれた勇者とか不名誉な見方をされるに決まっている。
そんなことになったら、フィーネのことを吹っ切れたとしても、次に結婚するなんて無理だろう。
そんなことを思っていた矢先、ヴェンデルは何やら訳がわからないことを言ったと思ったら、ぱちんと指を鳴らした。
その直後、俺の目の前に、背中まである艶やかな黒髪に深紅の瞳、羊のような二本の角を有した、とんでもない美女が現れた。
見た目の年齢は二十代前半、清楚そうな顔立ちながら、纏う漆黒のドレスは体のラインを強調したもので、妖艶な色香を漂わせている。
その美女は俺を見て真っ赤な唇で微笑んだ。
とす、と音がした気がした。
心を射抜かれる音だ。
どうしよう、物凄く好みのタイプだ。
そんなことを考えていると美女はからりと笑った。
「……どうだ? この姿ならば吝かではあるまい」
ヴェンデルの声が重低音で響き、思わずぎょっとする。
「ヴェンデルなのかっ?」
「そうだ。変化した瞬間を見ていただろう?」
「いや、だって全然別人だから……っていうか、声はどうにかならないのか? 頭が混乱する……」
「おお、そうだった」
忘れていたのか、彼はもう一度指を鳴らす。
「あまりこちらの姿を使うことはないからな。忘れていた」
おお、急に鈴を転がしたような可愛らしい声になった。
「それは変化魔法じゃないのか?」
「違う。これも私の姿の一つだ。魔王は全部で三つの姿を持ち、魔法を使わず変化することが可能なのだ。どれが真の姿という訳でもなく、全て私の姿だ。ただ、男の姿が一番魔王らしいとイーダが言うので、基本的にあの姿をしていたまでのこと……ああ、声は男のものが本来の声だが、流石に不自然なのでこの姿の時は変化魔法の応用で変えている」
「へぇ……三つってことは、あと一つもあるのか?」
「ああ、もう一つは獣化だ。魔物のような姿だな。肉弾戦に特化した姿で、実生活では何かと不便故にあまり使わんが」
魔物のような姿、となると、人間は無条件で委縮してしまいそうだから、停戦協定を結んでいる今の状況では、あまりその姿にならない方が良いだろうな。
「……で、どうだ? この姿の私なら、偽装結婚もそこまで嫌悪感を抱かんだろう?」
「う……まぁ、見ず知らずの魔族の誰かを偽装結婚に巻き込むくらいなら……」
ヴェンデルが察している通り、俺が懸念していたのは、魔王の提案のせいで、半ば命じられるように俺と偽装結婚しなくてはならなくなった魔族の女性の気持ちだ。
普通に考えたら、それまで敵対していた国の勇者と政略結婚なんて、偽装でも嫌だろう。
ましてその後、婚約破棄か離婚となったら、その女性のその後の人生にも影響が出る。
流石にそれは気が咎める。
「私もフィーネの求愛を断る口実になるしな。勇者を伴侶にするとなれば、フィーネも文句は言うまい」
「まぁ、それは確かに……」
それでフィーネがヴェンデルを諦めてくれるなら、確かにその提案に乗る価値はあるかもしれない。
器が小さいと言われてしまうだろうが、もしもフィーネがヴェンデルと結婚するなんてことになったら、俺は素直に祝えないだろう。
他の人間の男ならいざ知らず、ヴェンデルが相手というのが、何故か余計に引っ掛かっていた。
「よし、ではそうと決まれば、さっそくそちらの国王宛に書状を出そう」
ヴェンデルは言うが早いか、デスクから羊皮紙を取り出してすらすらと何かを書き込んだ。
最後に自らの署名をして、くるくると丸める。
そしてヴェンデルが呪文を唱えると、それは黒い鳥に変わり、パタパタと羽ばたいて行ってしまった。
「……え、もう送っちゃったのかっ?」
「ああ、早い方が良いだろう?」
「……何て書いたんだ?」
「そちらの国の勇者をいたく気に入ったので、友好の証として魔王の伴侶として迎え入れたい。支度金として荷馬車に満載した魔鉱石を送る。そう書いた」
「荷馬車一杯の魔鉱石……」
魔鉱石とは、その名の通り魔力を含んだ鉱石のことで、魔具と呼ばれる魔法の込められた道具を作るのに不可欠な素材だが、ディヴェサグロ王国内に鉱山は無く、輸入に頼っているのが現状だ。
そのため王国内においては、道端の小石程の魔鉱石一つで、一般的な家庭が一ヶ月食うのに困らないくらいの価値があると言われている。
それが荷馬車に満載、となると、家どころか町一つ買えるくらい、いや、それよりも価値があるだろう。
「勇者を伴侶として迎えるなら、そのくらい当然だ。もしごねるなら荷馬車二台分でも惜しまず出すぞ」
漢気溢れることを可愛い顔で言い、豪快に笑うヴェンデル。
不覚にも胸がきゅんとしてしまって、俺は誤魔化すように視線を逸らした。
「……あの国王なら、あっさり俺を売りそうだな」
国王は娘を溺愛しているとは聞いているが、それでも娘のために魔王からの破格の申し出を蹴るとは思えない。流石に一国の王としてそこまで愚かではないだろう。
「それならそれで良いことではないか。そうなればお前は何の心配もなく、しばらく魔国で過ごせばいい」
「……っていうか、お前は良いのか? 偽装とはいえ、勇者と結婚するなんて……」
「私がお前を気に入ったのは事実だ。問題ない。魔族の間では、魔王に性別という概念がないことも、伴侶となる者の性別が問われないことも周知の事実だ。私が男を娶ること自体は誰も不自然に思わん。人間を伴侶にすることを懸念する声はあるかもしれんが、魔王が決めたことに表立って異を唱える者もおらんよ」
気に入ったという理由だけで、元敵の人間と期限付きとはいえ結婚しようと言えてしまうヴェンデルは、やはり人間とは違う感性の持ち主なんだな。
漠然とそんなことを思いながら、とりあえず今はあの傲慢王女との結婚を回避するために、彼の提案にとことん便乗することにしたのだった。
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