為三郎の一向一揆
あの日のことは、決して忘れることができませんでした。 私の子供の頃のことでございます。 格子の窓越しの山南さんと明里さんの最後の暇のことでした。
あの日は突然のことでした。
「 山南さんが脱走して 切腹するらしいんどす」
「 それは本当ですか?」
私の耳に入ってきた情報はありえないことでした。
あの山南さんが!?
信じられませんでした。
だって、山南さんは試衛館時代からずっと一緒だった 仲間なのに切腹 なんて、私には考えられず、 新撰組の屯所に急いで走っていきました。 ちょうど、人が集まり始めて、私も 前の方に来ました。 父も私を追いかけて、
すると、
「にゃあ〜ん」と白い猫が私の足元に止まりました 。おシャルたんでした。
おシャルたんは可愛らしく「にゃあ〜ん」と泣いていました。
すると、若くてとても品のある女性が籠から出てきて、 格子の窓に来て、
「山南さん、山南さんっ」
と、手で 格子の窓 をトントンと叩いては 「山南さん、山南さんっ!?」と呼んで、しばらくして、 障子が開き、山南さんが出てきました。
山南さんはやつれていて 、しばらく、二人は話し合っていました。
話し声は聞こえてはいませんでしたが 私達は二人から10m ほど離れた場所から見守っていました。 その場にいた壬生の村人と私たち親子は何とも言えない悲しみで泣いている人達がたくさんいました。
私も泣きながら、足元にいるおシャルたんは何やら眉間にしわを寄せて気張っていました。そして、 おシャルたんはすっきりした顔で私の足元から知らないうちに去っていたのでした。
そして、いよいよ 山南さんが障子を閉めようとしたその時、
私は 何も考えずに直感で 私の足元にある小石を一つ 拾って 山南さんの顔に投げつけたのです。
「 山南さんのアホ!!明里さんのお腹の中に 赤子がいるのが分からないのですか!?
このまま、明里さんを残して生まれてくる赤子まで父なし子にしてしまうんですか?」
私の言ったことは 誠にウソです。 でも、ウソをついてでも、山南さんに生きていて欲しかったのです 。
すると、明里さんは吐き気をし、山南さんから少し離れてしゃがんで本当に吐いて倒れてしまいました。
私はその時、明里さんの名演技だと思っていましたが、 実は私が投げた小石はなんとおシャルたんの落とし物で生まれたてのホヤホヤのものでしてとてもすごい香りだったのです。
それが びしゃあっと山南さんの顔面にテクニカルヒットをして、近くて山南さんの傍にいた 明里さんは朝からの疲労困憊でその香りを嗅いで吐いてしまったのです 。
そして、次の日、山南さんは切腹をして事実上の死を迎えて、お葬式をしました。
山南敬助は一度、死に新たな名前で明里さんと二人で江戸で住んでいます。
山南敬助から山川 行光として生き、妻の明里さんと言うと、源氏名から本名のお里さんとして二人で新しい人生をスタートしたのです。
私はと言うとあいも変わらず壬生に住んで山川夫妻と年に一度は文を交わしています。
山南さんは、いえ、山川さんは江戸で小さな長屋を借りてお里さんと二人で幸せに暮らしているようです。
行光さんは寺子屋で子供達に学問を教えています。お里さんはそんな行光さんをそばで支えながら、仕事と家事を両立して時に行光さんがキレて喧嘩をしても長屋の皆からはおしどり夫婦として有名らしいです。
沖田氏縁者の墓は山南さんと共に明里さんの素性を隠すためのカモフラージュでした。
なぜ、山南さんが生きていたかと言うと、私は山南さんに言いました。
「 山南さん、死んじゃ、ダメだよ。 生きて、後生だから、死なないで、ここにいる皆は誰も山南さんが死ぬことなんて望んでないのに、 山南さんが生きることを諦めないで、 諦めないで生きていて欲しいんです。」
それから、壬生の村人の皆から、「やっまなみーッ!しーぬーなッ!」
「やっまなみーッ!しーぬーなッ!」
「やっまなみーッ!しーぬーなッ!」
「やっまなみーッ!生きろー!生きろー!生きろー!」
「やっまなみーッ!生きろー!生きろー!生きろーッ!」
「やっまなみーッ!生きろーッ!生きろーッ! 生きろーッ!」
どんどん、 壬生の村人達が声を合わせて泣きながら、デモのような 応援が始まり、 山南さんの切腹が中止になり、事実上 、切腹した形 となり、私の家の八木家へ 、ほとぼりが冷めるまで、山南さんと明里さんは一緒に暮らすことになりました。
その後、私が投げた小石だと思っていたものがおシャルたんの落し物だとして私は急いで手を洗い、山南さんに謝りました。
山南さんはすまなそうに笑って大丈夫だよと許してくれました。
山南さんと明里さんは私が明里さんの赤子の話がウソだと知ると残念そうにしていました。
そして、山南さんの切腹のウソがバレないように新選組は「お西さん」にすぐ引っ越してしまいました。
山南さんは山川行光と名を改めて、明里さんは本名のお里さんとして、まず、二人のご両親に挨拶するために旅に出て、最後は江戸の試衛館道場に寄って、江戸に住むことになったそうです。
私は山川夫妻との文は大事に持って残しておきました。
いつの日か、私の子孫が見つけてくれることを心から願っております。
終わり