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異世界派遣社員の暗躍  作者: よぞら
蝶の章
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喪失

 水が流れ出ている。

 栓をされ、水嵩の増した流し台の中で複数のグラスが擦れあいリズミカルに歌う。蛇口から流れ続ける真水に泡沫を流され、太めの針金をくねらせて作られた独創的なスタンドに並べられていく。ある程度の水分が切れると乾いた白い布で一点の曇りなく磨かれ、戸棚に規則正しく飾るように置く。

 単調な作業ではあるが流れるような動きで無駄がない。見とれて溜息を吐く客の姿さえあった。

 丁度、焼きあがった焼き菓子に橙色のフルーツジャムをたっぷり付けると香り立つハーブティーの入ったポットとトレーに乗せて今か今かと待ちわび、華やかに笑いながらお喋りを楽しむお嬢さん方の下へ配膳する。

 そのままお茶のおかわりを注ぎながらカウンターへ戻りやっと一息。


「暇だなぁ。」


 それが一人で世話しなく接客をこなしている人物の言葉だった。


「仕事中になにほざいてるんだよ胡蝶屋。これだけ客がいるだろ。」


 目の前のカウンター席に座っている老齢の客が言う通り、午後のモティールは満席に近い。一人で注文をとって品物を作り、それを運んで会計や後片付けまでしているのだから暇なはずはない。


「うん、暇だよ。」


 モティールの店主を勤めるエリーは退屈だと溜息を漏らした。この男にとっては一人で単調な作業を繰り返すことなど雑作もないらしく、一般人なら天手古舞な事態でも退屈だと独り言が出るほど簡単な事なのだろう。


「暇、暇って子供じゃあるまいし。」


 小馬鹿にするような口調で昼間から酒をあおっている男の話などエリーの耳には通って抜けているだけだった。本来ならエリーが昼間から店番をしていることなど珍しいことだった。

 日中の店番をしているのはミーネなのだが買い物へ行くといって出たきり帰ってこない。店など放っておいて探しに行きたいのだが、毎日欠かさず顔を出していたスイも昨日から来ていない訳で、たまにはゆっくり好きなことをさせた方がよいのだろうかと思案を廻らせて今に至る。

 昨夜は東矩だったが海崇は起こっていない。平和なのはいいことだが、訪れる観光客によっては治安がいいとは言い切れないのだ。


「日が暮れても帰ってこなかったら探しに行こうかなぁ。」


 恋煩いの様な溜息を吐き、何か面白いことでもないかと気を逸らす様に入り口を見れば思いもしない来客にエリーの口元は歪められた。


「珍客が来たようだね。」


 涼しいドアベルの音色が響き、八番島エイヴァの樹海であった銀髪の子供が入店する。エリーのすぐ後ろの壁にカツっと何かが刺さった。蝶を模った繊細なガラス細工が揺れる簪。間違いなくミーネのものだ。


「落し物。」

「態々、届けに来てくれたの?君も暇だねぇ。」


 何処で拾ったのか気になったがエリーは相手の出方を伺うことにした。銀髪の子供はカウンターに座る。


「この店は客に飲み物も出ないのか?」

「何を薦めようか困るな。君の好みが分からないから。世間話をしに来たようには見えないけど、俺に何か用?」


 そう言ってエリーはグラスにハーブの混ざった冷水を注ぐ。出された水を一口飲むと銀髪の子供はエリーを見上げた。睨み上げる銀髪の子供にエリーは降参の意を込めて両手を挙げた。


「こりゃ一時閉店だね。」


 囁いた独り言に魔力を込めると店の中にいる客が全て倒れた。物珍しそうに銀髪の子供を見ていた男も倒れ、死んだように眠っている。


「この方が話しやすいかな?」


 営業スマイルとも言えよう笑顔を消すと身軽にカウンターの上に座り、懐から取り出した煙管に火を付けた。


「調律師様がわざわざ来店されるなんて、怖い世の中だね。」

「自己紹介がまだだった。先日はどうも、俺は通称マキ。察しの通り調律師。」


 好戦的な笑みを浮かべてマキは腕を組んだ。調律師となると見た目通りの年齢ではないだろう。彼らは年を取らないどころか髪や爪も伸びないのだから。


「あんたの話はアーシーから聞いてる。破壊神(アポック)の疑惑がかかった人工α元素変異体だなんて災難だったな。」

「本当に君たちって自分の世界観でお話するよね。毎回、毎回、言語解読するこっちの身にもなってほしいよ。」


 調律師達の使用する言語は特殊だった。使用する言語は世界共通語であるものの、神使をα元素変異体と呼称したり、稀人を始祖だと呼称したりどこの国にも属さない意味の単語を使う。

 そして彼らは各国の中枢に忍び込み、情報を集めて情勢を操り暗躍していた。ある時を境に終末日(アポカリプス)を起こしたと伝えられた破壊神(アポック)と呼ばれ何人もの攻撃的な調律師達が来た時のことは思い出したくもない。アーシーには会う度に身体の部位を欠損させられた。

 魔術とは似ていて非なる能力。何をしても再生する身体。エリーが調律師達から逃げ回った悲惨な日々は涙なくして語ることは出来ないだろう。


「実はさ、ちょっとした実験中でα元素変異体の検体を探してて、この前お会いした魔女さんに目を付けたんだ。」


 マキの発した非人道的な言葉にエリーの視線がすっと細くなる。


「それで?」

「ナンパしたら断られたから、ちょっと強引に遊んでもらったら痛い目にあわされた。あのお姉さん、何者か教えてくんない?」


 火傷のようにただれた腕を見せながら低姿勢に聞き出すマキ。エリーは煙管の灰を捨てると新たに火をつけて煙を出す。


「ミーネちゃんに何をしたの。」


 マキが口を開くより早く瞬間に店の窓や扉が閉まり、更に壁には青白いプラズマが走って完全な密室が出来る。

 他の眠っている客達は半透明の何かで護るように囲われた。

 マキはいつのまにか店の壁や天井一面に淡いオレンジで発光する魔法陣を見つける。窓やテーブルなど平面という平面に魔法陣が描かれている。何の変哲も無い複雑な模様の中に隠されていたのだろう。


「すっげぇ。これがα元素汎用術。」


 怯えるどころか子供のように瞳を輝かせてマキは魔法陣をまじまじと見つめた。

 調律師はエリーがが思っている以上に強くて頭がいい。未だ、力の底が見えない相手に過小評価は命取りだと身構える。


「怒るなよ。魔女さんは一応無事だから。」


 ミーネの無事を聞いて少なからずほっとする。マキについて聞きたいことは山ほどあった。しかし、エリーの中で整理が付かず何から聞けばいいのか纏まらない。だから一番気になることを、そして確信的なことを問う。


「君は何をしようとしているの?」


 視線を落としたマキの瞳が冷たく笑う。


「約束。」

「約束?」


 短い単語だけの答えをそのまま口にして再び聞き返した。


「俺達、調律師は大事な約束事があってさ。それを果たす為ならなんでもするんだ。」


 笑んだ瞳がまっすぐとエリーを見つめる。決意に満ちた目。そこに迷いはない。エリーは笑った。


「笑うなんて失礼だ。」

「いや、君は頭がいいね。俺の質問に答えてはいるが全く情報を渡していない。」


 突然、マキはカウンターに飛び乗り、超人的な速さで掛けているエリーを蹴倒し、上に載ると胸倉を掴んで額に銃口を押し当てた。カチャッっと金属音がして安全装置が外された。無駄の無い動きに倒されながらもエリーは口笛を鳴らす。


「なんの真似かな。そんな武器じゃ殺せないよ。」


 落ち着いたエリーの言葉に銃口を見れば氷で塞がれている。これも魔術であった。呪文も動作もなく発動している。これではトリガーを引いたとき暴発してマキの腕が吹き飛ぶ。

 仕方なくマキは襟を掴んでいた腕を離し、立ち上がると床に倒れたエリーを睨み下ろす。


「報告通り、人工α元素変異体としては規格外。あんた何者なわけ?」

「魔術の訓練を受けた元帝国軍人。」


 起き上がり、パタパタと服のほこりを払い、エリーは倒れた椅子を起こしてそこに座る。

 低くなったエリーの頭にマキは再び銃口を押し付けた。


「本当に元帝国軍人だって試していい?」


 マキはエリーの額から銃を外すとテーブルの上の酒の入ったグラスに向かって凍りついた銃のトリガーを弾いた。これにはエリーも目を丸くする。暴発させようと詰めた氷は何の役目も果たさずに砕け散ってしまったのだ。


「調律師にはα元素の耐性があるって知ってた?」

「荒事は嫌いなんだけど仕方ないね。」


 にやりと口元を吊り上げたエリーはカウンターを二回叩く。


「出て来なよ。スイちゃん。」

「やっぱりばれてた。では遠慮なく!」


 ミーネの様子が気になり仕事を終えて来てみたはいいが取込中だったので裏口からこっそりと入店して隠れていたスイが飛び出し、マキの銃を蹴り飛ばす。


「そこの子供、武器所持法違反で取り締まるッス。」


 カウンターに着地したスイは指差して声を張る。この国の法で許可証の無い武器の持ち込みと着用は禁止なのだ。マキの持つ短銃には許可証が着いていない。


「神官様の御前だよ。大人しくお縄につかないと公務執行妨害も+されて10日間勾留だからね。」

「交渉ってむずいな。」


 三人が戦闘体制を構えたとき開くはずのない出入り口のドアが冷涼な鈴の音をあげて開いた。


「アンビリーバボー。」


 現れたのは背中まで伸ばした長い黒髪に黒い肌をした長身の男。首には黒蛇が巻き付いている。


「おっせぇよ、ラウ。」


 マキは今までの気迫が嘘のように安堵した表情を出すとラウと呼んだ男のほうへ歩み寄る。ラウは布に包まれた人間を抱えていた。良く見ると血が滲んでいる。布の隙間から覗く女性の顔は見知ったものだった。


「……ミーネちゃん?」

「押さない、掛けない、騒がない。寝てもらってるだけだから。」

「放せ。」


 今にも食いつきそうなエリーにラウは眉を寄せた。


「マキ君、マキ君、マキ君。ボク、俺、私、吾輩は君に穏便な状況説明頼んだよね?ボクチャンが久方ぶりの3次元美女の身体を運び屋として合法的に御障りしている間にってお願いしたよね?調律師を何人も幽世送りにしたこちら様の強さは情報共有で知ってるよね?平和に済ませようって言ったよね?肉体言語じゃなくて理性ある知的な言語でってお願いしたよね?なんで殺気立って臨戦態勢が整っちゃってるの?男は拳で語り合うなんて古臭い夢みちゃってるの?見つめ合うと素直におしゃべりできない病気なの?」

「大変申し訳ございませんでしたぁ!!」


 ラウに矢継ぎ早に言われてマキは腰を90度に折って謝罪した。未だに電圧が走ったように震える空気にマキもラウもエリーを見る。


「君も調律師?」

「そうでちゅよ。ラウぴょんって呼んでね。ナルちゃん改めエリーちゃん。」


 ふざけたようなラウの態度にエリーの顔から血の気が引いていく。いつもの違うエリーの様子にスイは不安になる。


「……調律師に法も人権もなかったよね。」

「ピリピリしちゃってレディの日ですかぁ?」


 嘲笑うようにニヤつきながらふざけるラウ。


「……女性を軽視するな。」


 怒りのままに飛び掛ろうとするエリーの腕をスイが掴む。エリーの行動に銃を構えたマキもラウに制止された。ラウは近くの机にミーネ下ろすとエリーを見る。


「こっちも烈火の如く怒り狂ってる始祖様宥めるために早々にお暇しますよ。」

「始祖?」

「エリーちゃんのその顔は死者を冒涜してるんだってさ。偶然が、ネブリーナにデータが残っててわざと造られたか。」


 男の言っている事は誰にも理解できなかった。聞くことも止めることも出来ず、ラウがマキを連れて出口を通るところを見ている。


「くれぐれもボクチャン達の後を追わないようにね。何でも有りになったら得するのはこっちだよん。模造品君。」


 そんな言葉を置き土産にラウはマキと去って行った。


「何あれ?」


 嵐のように過ぎ去った客人に呆然とするスイ。エリーは机に置かれたミーネのもとへ行く。巻かれた布をはぎとると、衣服が袈裟懸けに切られていた。肌にも服にも乾ききってない血がこびりついている。


「ミーネちゃんっ。」

「……とにかく上に運ぼう。」


 顔を青くしたスイは、ミーネを抱き上げて店を出るエリーの後に続いた。

 試験管とランプ。多種類の薬草が入ったビンの並ぶ棚。まるで実験室の様なミーネの部屋。そこへミーネを運ぶと、あとはヨロシクと言ってエリーは店へ戻った。そろそろ眠らせた客が目覚める頃なのだ。

 スイは恐る恐る汚れた服を脱がせると体を拭いて夜着を着せた。不思議なことにミーネの白い肌には傷一つ無い。体には痛々しいほど血がついていたのに。

 例え仕事を放棄してでもミーネの後を追うべきだったと後悔する。クッションへ座ると眠るミーネの頭を膝に乗せた。飾が取れて解けた長い髪を手で梳かすと、ミーネの目蓋がゆるりと動く。


「くすぐったいわ。スイ。」


 目覚めたミーネの頬を軽く叩いた。きょとんとした顔でスイを見上げるミーネ。何故、叩かれたのか解っていない様だ。


「やっぱり、何か隠してた。一人で無茶して、血だらけで知らない人に運ばれて帰って来て、すっごく心配した。」


 そこまで言ってもミーネは首を傾げるだけだった。惚けているようには見えない。


「何の話をしてますの?わたくしはスイと市場に出掛けて……。」


 言い止すミーネは口元を押さえて青ざめた。


「わたくし、いつここに帰ってきました?何故、部屋で寝てますの?」


 恐ろしいことを聞いたような気がしてスイも言葉を失って青ざめた。

◆マキ…調律師と名乗る謎の人物。2丁の短銃を所持。話し合いは苦手。

◆ラウ…調律師と名乗る謎の人物。首に黒蛇を巻いている上、話し方が特殊過ぎてついていけない。


調律師には変態が多い。

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