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異世界派遣社員の暗躍  作者: よぞら
蝶の章
7/42

逢瀬

 空が闇に溶ける時間。島は紅い火に灯されて色づく。

 満席に近いモティールにて接客に忙しいはずの店主は最上階の自室で寝椅子に転がり、開けっ放しの窓から空を見上げている。

 宝石のような星の海に浮かぶ糸のように細く欠けた第一衛星ミラを眺めながら煙管の白い煙で輪を作って遊んでいた。

 

「エリー、仕事中ですわ。」


 凛と響いた声は窓の外から。少し首を動かせば目の前の窓枠に腰掛ける黒衣の女がいた。部屋に灯りを点けなくても夜光虫が静かに蒼白く照らしている。


「ミーネちゃん。」

「可哀相に。スイが嘆いておりました。」


 お節介にも店番をしながら泣き叫ぶスイの姿が浮かび、口元が緩んだ。別に押し付けたわけでも頼んだわけでもないのだから放って置けばよいものを。


「それで、何か分かったの?」


 昼間、アーシーのことを秘密裏に調べに出掛けて戻ってきたミーネに結果報告を聞きだそうとするが怪訝そうに見られる。


「スイはどうなさるの?店のほうには閉店の札をかけておきましたけど。」

「暫く放っておこう。」

「いい加減にしないと怒りますわ。」


 諫めるミーネに、怒った顔も可愛いなどと場違いなことを考えながらエリーは笑いかける。


「いいじゃん。スイちゃんの慌てふためく顔を見るのが俺のささやかな幸せだもん。」


 実直な神官相手に弄する民間人。ミーネは額に手を当てて、呆れと諦めを含んだ溜息を盛大に吐いた。


「呆れるくらい自分本位ですわ。相変わらず莫迦な人。」

「で、どうだった?」


 小首を傾げて本題を聞いてくるエリーにミーネはゆっくり頷いた。


「10日程前から一番島のホテルに滞在していますわ。島中を散歩しながら貴方について調べていたようです。アーシーについてはそのくらいです。」


 告げられる偵察内容を肯んじたエリーは眉間に皴を寄せた。アーシーはエリーの素性を知っている。何故、今更調べる必要があるのだろうか。

 考察しながらエリーは夜の明かりに照らされて一際白く見えた窓枠に座るミーネの細い体に手を伸ばす。


「ところで、これはどうしたの?」


 掴まれた腕の袖口から赤い雫が滴っていた。言われてミーネも袖口を見やる。


「少々ドジを踏みましたわ。」

「気付かれたの?」


 起き上がって他に怪我をしてないか確かめるようにミーネの体を触るエリー。ミーネは抵抗するとややこしい事になりそうなので好きなようにさせ構わず話を続けた。


「ええ。ですが姿は見られませんでしたからご心配なく。ただ、感づかれまして。」

「へぇ。ミーネちゃんの尾行を見抜いた挙句、返り討ちにするなんてねぇ。」


 腕以外に怪我がないことを確認したエリーは細い体を子供にするように膝に乗せ、アーシーの思った以上の能力に感心する。


「あら、それは褒め言葉として受け取っても宜しいのでしょうか?」

「勿論だよ。」


 口元に手を当てて、心なしか黒い笑顔で尋ねると、エリーも優しい声で笑みを返して頭を撫でる。


「ですが、わたくしの尾行に気付いたのはアーシーと別の子供ですわ。」


 己の勘違いをやんわりと訂正されたエリーは目を見開いた。


「きゃっ。」


 呆気にとられたエリーは膝の上のミーネを落としかけ、短い悲鳴を上げたミーネは咄嗟にしがみ付いた。


「ごめん、ごめん。」


 己に手を回すミーネに謝ると、そのまま抱きしめ思考を巡らす。

 日常生活においてもミーネの気配は殆どない。エリーが気配と音の消し方を叩き込んだのだ。高いヒールを履いているというに足音すらなく、生活の中でも物音を立てる事が稀だ。視界に入れても気付けないほど気配が薄い。そんな人間が、更に気配や音に気を配って行う尾行など一種の芸術と云ってもいいだろう。

 それを見抜いたとなると感の鋭さはその子供が一枚も二枚も上手ということになる。彼女の気配など気を配って探らなければエリーでも分からないというのに、調律師と呼ばれる人種は面倒なものばかりだ。


「気付かれた以上、もう尾行も偵察も難しいでしょう。」

「でも君が手ぶらってことはないよね?」


 小声で尋ねれば、耳元で囁かれる息がくすぐったいのかミーネは身を捩った。


「アーシーが何人か接触して密談しておりましたので少なくとも3名の調律師がいると思われますわ。エリー、真面目に聞いてますの?」


 聞き込みや尾行と探偵並みの諜報活動を行い、労力を使って得てきた情報を伝えているというのに依頼した本人は勝手に髪飾りを取り、解けた髪で遊んでいる。


「聞いてるよ。」


 訝るミーネの細い腰に手を回し、そのまま後ろに寝転んだ。


「調律師が3人ねぇ。この島に彼らがご執心の稀人でもいるのかな?」


 稀人とは終末日(アポカリプス)より100年以上も前に降り立ったという12人の超人だ。その肉体は不老不死に近く、現代の魔術師など凌駕する力を持っていたという。しかしなが1000年近く前の事であり大災害で記録は全て消失し不確かな伝承が残っているのみで存在自体希薄なものだった。

 現代では信じる者はいない。しかし調律師達はその稀人を信仰しているのだ。

 エリー自身、災厄の当事者である破壊神(アポック)と疑われて何度か殺されそうになったことはミーネも知っている。二人からすれば調律師は危険な思想の宗教組織という認識が近い。


「よくは存じませんが妙な話を聞きました。」

「妙?」

「ネブリーナも陥落して次はウォールだとおっしゃってましたわ。」


 二年近く前から各地で異常気象が起こっている。アルドの花が散り、ジュビアの雨が止み、イエロの濃霧が晴れてパイロープの地熱が冷めた。そしてネブリーナの巨大竜巻が消えて各地は雪が降り出した。今のところ国民の生活に大きな影響がないことは救いだが、世界の終わりを連想して怯えるものも少なくない。


「もし、調律師がかかわっているとしたら何やら意図的なものを感じませんか?」

「よく調べたねぇ、この短い間に。」

「お役に立てて光栄ですわ。でも核心的な事は何も分かりませんでした。」


 嘆傷の息を漏らすミーネの頭を撫でて気にするなとエリーは笑った。


「それにしても困った子供達だね。ミーネちゃんより長く生きてるだろうけど。」

「不老の存在が実現しているなど世も末ですわね。そして子ども扱いしないでください。」


 髪を撫でていた手を跳ね除けられたエリーはその手を頬へ移し、一撫でして引き寄せると額にキスをする。


「辛辣だなぁ。」

「アーシーが接触した人物が1人だけラカに映ってました。御覧になられます?」


 赤くなった顔を隠すようにエリーの腕から抜け出してハングル型の専用ケースに収まるティスクを操作しエリーの根付に付いたティスクへ情報を送信する。

 エリーは再びミーネを腕の中に納めるとティスクを起動して受信した画像ファイルを開いた。浮かび上がった銀髪の子供を見てエリーは固唾を呑む。

 昨日、八番島エイヴァで会った子供だった。

 本当にこの子供がミーネの尾行を見抜いた上に返り討ちにしたと言うのだろうか。それにしては弱すぎた。巨大とはいえあんなロポーダリア一匹に梃子摺る子供に何が出来ると言うのだ。


「気になるようでしたらいっそのこと居場所のわかるアーシーに伺ってみましょうか?」


 考え込んでいると、遠慮がちにミーネが口を開いた。


「これ以上は駄目。」


 強い口調で否定された言葉に、至近距離にいたミーネの顔が歪む。


「誤解しないでね。君を信頼してないわけでも過小評価しているわけでもないよ。ついでに子供扱いもしてないから。」

「ですが。」

「俺が駄目と言ったら駄目。」


 常人では気付けない微かな空気の変化にミーネは降参した。


「分かりましたわ。」


 これ以上の問答は無駄だと引き下がったミーネに、ほっと息をついて剣呑な空気を散らすとエリーは再び空を見上げる。

 アーシーに初めて会ったのは今から34年も前だった。当時エリーが所属していた機関へ入り込もうとするアーシー含む調律師達を追い返すことが課せられた任務であり、不死身の体を持つ彼らと何度も殺しあった。

 ネブリーナでは稀人の末裔とも言われる調律師など敵に回したらエリー1人で手に負える代物ではない。

 深入りは禁物だろう。

 彼らが何をしているのか気になるが今の穏やかな生活を壊したくない。

 ふと過ぎった不安感に、無意識の内のミーネを抱く腕に力が入った。こんなエリーの異変に気付かないミーネではない。しなやかな腕を伸ばすと癖の強いエリーの髪に触れた。


『私の心の中にいる愛しい人よ

 夕暮れになると恋しくなる 』


 紅を注した濃赤の唇から柔らかな旋律の心地よい歌が紡がれた。愛しい人を恋しく想う心情を美しく歌った古い歌だ。


『あなたの香りは心地よい香り

 あなたの声は優しい声 』


 優しい歌声に体の力が抜けていく。緩んだ腕の中からミーネは身体を少し起こしてエリーの首に付いた傷痕を撫でた。

 窓からは風が花の甘い香を運び、こうしていると何もかもどうでもよくなってくる。

 エリーもミーネに手を伸ばし、髪から頬を撫でた。擽ったそうに身じろぎしたミーネは頬に置かれたエリーの手に手を重ねる。


「いたっ。」


 手の甲に走った痛みにエリーは小さな呻き声を上げた。軽く触れられただけなのにどうしたのだろうか。


「ケガ、してますわ。」


 言われて見るとエリーの右手の甲には大きな青痣が出来ていた。腫れてはいないが痛々しい。


「あれれ。いつの間に。」


 起き上がったミーネに続き、エリーも起き上がって二人で痣を見た。記憶にない傷程、気持ち悪いものはない。


「痣の状況を見ると昨日かしら。思い当たる事はありますか?」


 訊かれて昨日の行動を思い返してみる。確か昨日は朝の三度寝をしていたらいい加減起きろとミーネにベッドから蹴り落とされて起こされ、遅い朝食を食べた。その後、開店の為に品物を作り、店を開けようとしたら外に面倒臭そうな客がいたから裏口から逃げ出した。


「隣の諸島の権力者を追い返すのに一苦労しましたわ。」


 回想のタイミングを見計らったかのようにミーネがぼやく。おそらくここまでエリーのことを理解している人間などこの世にいないだろう。

 逃げ出したタイミングが干潮時であり八番島エイヴァへ道が出来る時間帯だったので観光客に混ざって孤島へ行き、島の奥へと入って惰眠を貪った。よく寝ていたところでロポーダリアに叩き起こされ憂さ晴らしに灰燼にした後、銀髪の子供に会ってスイに連れ戻されて店に戻った。ミーネにただいまのキスを迫ったら平手でキスされて腹部にも膝でキスをもらい、意識が出掛けた数秒に逃げられたので仕方なく店番をしたのだ。


「ミーネちゃんって激しいよね。」


 しみじみと横腹に出来た大きなキスマークを摩りながらミーネの膝上を撫でた。魔性の笑みを浮かべたミーネを見て危ないと思うより早く、膝蹴りが飛んできた。

 音を立てて寝椅子から落ちるエリーをミーネは冷ややかに見つめ座りなおした。


「ミ、ミーネちゃん。」


 後頭部を強打したエリーは頭を押さえながら起き上がる。今、蹴られる理由が思い当たらない。にっこりと笑う彼女は見惚れる程、美しかった。


「それで、結局その痣はどうなさったの?」

「えっと、何処まで回想したかなぁ。今ので記憶が散歩に行っちゃったなぁ。」


 ガリガリと頭を掻いてエリーはミーネの隣に座り、再び考えをめぐらせ始めた。


「うーんと。えっと、店番してたらラニさん達が来てナキさんが来て。」


 ぶつぶつと独り言を言いながら考えるエリーが何か思いついたように手を打つ。


「そーだ。酔っ払いが喧嘩して暴れたから肉体言語で仲裁したんだ。」

「つまり、お客様を殴ったんですね。」


 相手に非があろうと客に手を上げるなんて言語道断だ。ミーネは眩暈を感じて瞼に手を当てた。


「ミーネちゃんだってお尻触られたときお盆でお客さんの顔面殴ったでしょ。」

「触られてませんし殴っておりませんわ。直前でエリーが酒瓶投げつけたじゃないですか。」

「そうだっけ?」


 言われて見ればそんな気もするが些細な事はどうでもいいと思いながら転がった。ミーネはエリーの右手を両手で包み込む。


「今回の仲裁は神官ラニ様の指示だし警護隊のコナ君も黙認してたし問題ないよ。」

「それは治安維持の職務を放棄したと苦情申し上げなければなりませんね。」


 花が咲くように笑うミーネにエリーは失言だったと気づき、心の中でラニとコナに謝罪した。育った環境を思えば仕方ないがミーネは性悪で情け容赦なく残虐性が高いのだ。


「程々にね。」


 呟きながら重ねられた手はそのままに左手でミーネの腕を掴んで引き寄せ、先程のように腕の中に収める。


「エリーさーん。」


 窓の外から聞こえた大声に起き上がり、声の方向を見ると数十メートル下。店の入り口で手を振るスイがいた。


「お片付け終わったんで今日は帰るッス。」

「ありがとう、気をつけてねぇ。」


 手を振って見送ると再びごろんと横になりミーネを引き寄せる。冷えた風が心地よい。このまま眠ってしまおうと目を閉じた。


「一人で行かせて宜しいのですか?」


 その言葉に目蓋を上げる。一応スイは神官であり若い娘。夜中に一人で帰したなど知ったら他の神官にお叱りを受ける可能性がある。


「あ。」

「“あ”とはなんですか?場合によってはそれなりの行動に出ましてよ。」

「責任とって送ってくるよ。店よろしく。」


 ミーネの額にキスを落とすと寝椅子から降りスイを追いかける。


「お待ちください。」


 服の裾を掴むミーネ。エリーは当然のように転んだ。


「何するの。ミーネちゃ、ぐえっ。」


 床に倒れるエリーを踏みつけてミーネは出口へと向う。


「わたくしが参ります。エリーに任せますと朝帰りになりそうですから。」


 踵を返し、颯爽と歩き出したミーネ。エリーは慌てて起き上がって彼女の細い腕を掴む。


「駄目、駄目、駄目。一人歩きは危険だよ。変質者なんかに襲われたら。」

「家の中にいても変質者に襲われます。」


 目を細めて腕を掴むエリーの手を抓るが、もう片方の手で腰に手を回され息がかかるほど顔を近づけられる。


「それに俺のミーネちゃんが傷物になったら大変だ。」

「貴方の所有物になった記憶はございませんが傷者になったら引き取ってくださいませ。」


 口説くように迫るエリーを容赦なく平手打ちにしたミーネ。パーンと景気のいい音が部屋に響く。


「そんなところも大好きです。」


 抓られても叩かれてもめげないエリー。呆れを通り越して涙が出てきそうになったミーネは匙を豪速で放り投げた。


「分かりましたわ。お任せしますから素早く行って素早く帰還為さって下さい。」

「はい、はーい。」


 敬礼するとエリーは部屋を出て行った。去り行く背中を見ながらミーネは夜が明けるまで帰ってこないだろうと推定する。

 溜息を吐いたところで、慌てて階段を上る足音が近付きドアが勢いよく開いた。


「お忘れ物ですか?」


 問いに答えることもなく真剣な顔でエリーは近づいてくる。腰と後頭部に手を回し、唇を重ねようとした直前でミーネの両手が遮った。


「何の真似です。」

「行ってきますのチュー。」


 真顔で言われた一言にミーネは表情を変えることも、言葉を出すことも出来なくなった。とりあえずエリーの腕を掴むと開けっ放しの窓に向って投げ飛ばす。


「さっさと、いってらっしゃいませ!」


 エリーの身体は綺麗に一回転して窓の外へ出て行った。一応、ここは五階だが彼の身体能力を考えれば無傷で着地できるだろう。その証拠に地面への衝突音も聞こえない。


「わたくしも出かけようかしら。」


 冗談には聴こえない独り言を呟くと戸締りをして、黒き麗人は夜闇へと消えていった。

 大繁盛のモティール。その店が開くのは主と店員の気まぐれ。

◆調律師…寓話の聖人の存在を信仰する色々な意味で危ない集団。

◆ラカ…自立型監視映像機器。羽根の付属された球体。


エリーさんはミーネちゃんが大好き。ミーネちゃんは愛情表現が極端な上に子供扱いするエリーさんに不満。

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