海祟
海祟と呼ばれる約18年前より発生した身元不明の変死体。衣服を残して黒く焼け爛れ、一部は炭や灰になる。
年々被害が増え、発生件数は三桁を超えている。
起動したリノールから空中投影される数十年分の捜査資料の文字列。何度も相談を持ちかけられて初めてまじめに目を通す字列を黙読しているエリーの眉間に皴がよった。
「気持ち悪いくらい周期的だね。犯人は随分と几帳面だ。」
「何だって!?」
その言葉に一番驚いたのはラニ。エリーの見ている資料に手を伸ばし画面をスワイプして反転させる。ナキも後ろから覗き込んで見ていた。
しかしながら記録を遡っても規則性など思いつかない。日付も頻度も一致するものなどない。からかわれたのだとエリーを睨むがその視線は軽く流された。
「神官様が気付けないなんて呆れるね。夜のお空にヒントが浮かんでるでしょ。」
煙管に火をつけながらエリーは素っ気無く話した。穴が開いてしまうのではないかと思うくらい見つめているナキはなるほど合点がいく。
「……ミラの満ち欠けの周期。」
「ピンポーン。こちらは粗品になりまぁす。」
気の抜けた声で肯定するとエリーはナキに薬草と酒を注いだグラスを出す。乾燥された花が酒の中で咲くように開き、赤い花弁の色が溶けだした。
「海祟の発生は東矩、合、西矩、衝の夜に限られてる。これは偶然かな。」
問いかけているようで確定的な発言。揺らめく煙管の煙がエリーの不気味さを引き立てた。
「………偶然に決まってるだろ。」
吐き捨てるようにラニが言い捨てた。期待していたことと違い、興味を殺がれたと言った雰囲気だ。やれやれと息をつきながらエリーは空になったラニのグラスに酒を満たせてやる。
「そんな野獣並みの思考だから真実の糸口にすらたどり着けないんだよ。」
「誰が野獣だって?」
エリーの失礼な発言にラニは頬を引き攣らせた。だが、言った本人はこめかみを擦りながら難しい顔で考えをめぐらせている。
「確かにラニさんを野獣に例えるのは失礼か、野獣の方が知能指数高そうだね。」
「てめぇっ、ぶっ飛ばす!」
ラニは酔いと怒りで顔を真っ赤にしてエリーに掴みかかる。エリーが野獣と例えるだけあって、ラニは常人よりも背が高く体格がよい。
195センチメートルあるエリーより頭が飛び出るのだ。
襟首を掴み上げられたエリーは気の抜けた顔で笑っているがラニがその気になれば片手で首を圧し折れるだろう。
「まぁまぁ、落ち着けよラニ。胡蝶屋とまともに話しても疲れるだけだぞ。人で遊ぶのが趣味なんだから。」
隣に座るコナがなだめ、憎憎しげに言いながらラニは手を放した。目の前で起こったことにナキは声も出ないといったようだ。
「てめぇに人道の本を持ってきてやるよ。」
エリーは襟元を正すと落とした煙管を拾い、火を点け直した。
「人道なんて興味ないよ。話の続きだけどあれは偶然じゃない。」
「根拠は?」
「満ち欠けがどうとか魔術がどうとか祟りとか無視してシンプルに考えてみなよ。難しいことはない、大数の法則を踏まえて論理的に考えればいい。」
訳が解らなかったが、人道を説く前に人並みの勉学を学んだ方がいいと馬鹿にされるのが関の山だ。ラニも隣で聞いているコナも解る振りをして頷いた。ナキだけは解っているようで合点のいった顔をしている。
ところで大数の法則とは確率論、統計学における極限定理の一つで経験的確立と論理的確立が一致すると言う。素朴な意味での確立を意味付け、定義付ける法則である。
「過去の発祥回数からすると東矩では47%、合では61%、西矩では38%、衝では72%、他の日では0%。」
確かに数字的に聞けば偶然でない事が解る。しかし、この男の頭の中はどうなっているのだ。たった今、気付いたことが資料に書かれているはずもない。計算機も過去の暦もなしに数十年分統計したということだろうか。
「それで?それがわかったところで何がわかるんだよ。」
ぶっきら棒なラニの問いにエリーは大げさに溜息を吐く。再び怒りが沸点に達したラニをコナが肩に手を置いて止める。
「魔術なら術式が発動するまでの待機時間か術式が完成させるまでの準備期間。あるいは両方。科学なら形成までの時間か形成するための準備期間。あるいは両方。第一衛生ミラ公転周期の四半分の倍数と海祟を起こす何かの周期が一致しているんだよ。」
ラニの質問に大まかな仮説を伝えるとナキが難しい顔をしながらエリーを見つめた。
「もしも海祟を起こす為の準備期間も待機時間も関係がない作為的なものだとしたらどうなります?」
「変態科学者か性根のひん曲がった魔術師の仕業かもね。」
「そんな人間この国では胡蝶屋しかいないだろ。」
ラニの言う通りエリーは周知の変人であり科学知識も豊富な魔術師だ。数分会話を交わせば根性がひん曲がっている疑惑が浮上するオマケ付きで。
「残念だけど心当たりないなぁ。こんな変死体、作る趣味ないし。」
鼻で笑ったエリーはリノールの投影する画面を指で弾く。勢いで開いた画像ファイルには生々しい変死体が映る。人の形をした黒いもの。
見つかった変死体は骨が炭化するまで焼かれていた。中には身体の一部を除いて灰になっていたものもある。運よく燃え残ったところはミイラ化していた。死亡推定時刻は判別不明。被害者の素性はおろか血液型や性別すらわからない。
自然条件においては成人一人がミイラ化するに必要な期間は一節半と言われている。だが、湿潤な気候であるこの地において自然発生ミイラが出来るなど不可能に近い。屍蝋化なら話が別だが複数の条件が揃わなければ難しい上に気温が高すぎる。
更に奇怪な要素は死体の服が残っていること。多少の焦げ目はあるが殆どが燃え残っているのだ。
「これが連続する事件だとして同一犯の仕業なら、やり方が合理的じゃない。」
確かにエリーの言う通りだった。一つの死体に対して手間が掛かりすぎ、矛盾点が多すぎる。普通の人間の仕業であれば犯人は変態で括られるだろう。
街で見つかった死体は動かした形跡がない。人通りの多い道で見つかったこともあった。しかし全ての事件は殺人という過程が抜けて、死体発見という結果のみなのだ。
誰にも見られずに犯行するなら数分で事を終えなければならない。
短時間で骨が炭や灰になるまで焼くとしたらかなりの高温で焼く必要がある。低温で長時間かけて焼くと言う方法もあるが十時間はかかってしまうだろう。
「参考なまでに帝国軍の魔導隊の方が使用できる魔術でこの状態にするならどのくらい時間がかかりますか?」
「使用する術と能力の相性もあるらか一概にはいえないかな。それに方法は一通りじゃないし出来る人材も限られるだろうね。」
生唾を飲み込みながら問うたナキへエリーは淡々と返す。因みに帝国軍の魔道に準ずる者は総軍で0.002パーセントに満たない希少な人材である。
エリーも魔導隊の一人であり魔術行使可能な1万人から編成された魔導機動師団という部隊に所属していた。元帝国陸軍第2軍団魔導機動師団小隊長などというエリーの長い肩書を記憶している神官はナキを含めて半分もいないだろう。
「胡蝶屋なら何秒だ?」
エリーの実力を目にしたことがあるラニは秒単位で実現可能だと確信していた。数秒で可能ならば目撃情報すら入手出来ない現状にも納得できる。それだけの実力者ならば監視映像もごまかせるだろう。
「おっと、これは俺に容疑がかかってて事情聴取しているのかな。まいったねぇ。」
「答えられないのか?」
ラニが促すように言い詰めると、エリーは吸い終わった煙管の灰を受け皿へ捨てて神官二人を見つめた。
「丁度今夜は合ですし、お望みならどちらかの神官様で実証しましょうか?」
「おい、冗談はよせ。」
「大丈夫、一瞬で終わるから苦痛は感じないよ。」
「俺に何かしたら居住権剥奪するからなっ。」
営業用のスマイルを浮かべてにこやかに笑いながら指先に青い炎を灯すエリーにラニは本気で忠告した。
「あはは、もし俺が犯人なら死体なんて残しませんよ。神官様。」
不適な笑みで静かに言い切った一文にナキは背筋に冷たいものを感じた。つまり骨も残らず燃えつくすという意味だろうか。この男の性格を考えれば愉快犯として態と証拠を残して混乱をせせら笑うということも考えられるが、面倒ごとを嫌う立場を考えれば殺人という事実も証拠も残さないだろう。
「神官様に解決の糸口を申し上げるなら、実証可能な仮説の中に答えが見つからない時は実証不可能な仮説の中で探してみては如何かな?」
エリーの深い笑みに全員が身震いした。
「海祟よりも不思議なのは400件を超える変死体が出ているのに市井への広がりが極端に少ない事。箝口令を出したとしてもここまで抑えられると思わない。神官様、どのような情報操作を施したのかご教示いただいても?」
示された疑問点に今気付いたと言わんばかりの顔でラニは目を丸めた。市民に情報が広がらず余計な不安が起こらないならば幸いと気に留めることすらなかったのだ。
「俺達は何もしてないとしか答えられないな。」
ラニがきつい皮肉がエリーから発せられることを覚悟した時にそれは起こった。
隅のほうにあるテーブルが勢いよく吹き飛んだ。テーブル席にいた客が喧嘩騒ぎを始めたのだ。
「あーあ、壊したモノは別料金だよ。」
「暢気だなぁ。」
荒事に慣れた元軍人のエリーと警護隊のコナは動じない。悪く言えば我関せずと言ったところだ。
近場の席に座る常連客と観光客が悲鳴を上げて騒ぎを一層大きくしている。ナキも慌てふためいて騒ぎを増幅させる一人となっていた。
「俺は壊したものを弁償して後片付けして頂ければ喧嘩だろうが殺し合いだろうが何してもかまわないよ。俺に迷惑をかけないならどうでもいい。」
暢気だといわれたエリーは煙管に新しく火をつけ、煙を吐きながら非人道的な意見を問わず語りに語った。
最近は一部であるが客層が悪くなった。
以前は気が大きくなって手を出してしまったり飲み過ぎによる酩酊状態で暴れる酒乱のようなものだった。各地で雪が降り出すという異常気象から不安やストレスが溜まり酒に逃げ、酔う前からイライラと機嫌悪く少しの振動で爆発する不発弾のような客がいるのだ。
気取って浅い知識で世界情勢について話し込んでいたが何が逆鱗に触れたのか怒鳴りながら胸倉を掴み合って暴れ出していた。
「胡蝶屋、死人が出たら謹慎処分だぞ。」
コナが酒を注ぎながら、にやけた顔に合わない真面目な話をするもののエリーには逆効果だった。
「それは困ったねぇ。公認の長期休暇が堂々と、いやいや。」
「喜ぶことじゃねぇよ。止めて来いって。」
エリーの態度に呆れたラニがすかさず突っ込む。
「ま、お休みは魅力的だけど。一人で留守番中にそんなことになったらミーネちゃんに蹴られそうだし、七番島の神官様にも怒られそうだし止めてくるかね。」
付けたばかりの煙管から灰を落とし、肩を鳴らしてエリーはカウンターを出た。本来であれば島を治める神官のラニや警護隊のコナが出てもよいのだが、客としてきている2人に動く気がない。
「おい、胡蝶屋。一般人に魔術は使うなよ?冗談じゃないぞ?フリでもないぞ?神官命令だぞ?」
「俺も一般人なんだけど。」
指先を発光させ何かしらの術を使おうとしていたエリーの肩を掴んでラニは止めた。魔術師の存在は希少だ。神官としてはこんな公衆の面前で使わせるわけにはいかない。
「神官様は俺に肉体言語を使えと?」
「普通の言語で止めてこいって言ってんだ。」
「ラニ、胡蝶屋が普通の言語で止めに行ったら病院送りにされないか?魔術が使えない胡蝶屋なんて蝶々の如くひ弱じゃないか?」
コナの言うとおり、長身ではあるがエリーは見るからに細身で喧嘩を止められるような体格でもなければ肉体的威圧力もない。常に気だるそうな顔をしたこの男に強さの欠片も感じられないのだ。
喧嘩をしているのは大男とまではいかないが浅焼けた肌と服の上からでも筋肉の形がわかる体格のいい男。常連とまではいかないが頻繁に来店する7番島の漁業組合の若者だ。300キログラムの大物を肩に担いで運ぶ力自慢の若者だ。
「ここは傷つくべきなのかな?」
大体において喧嘩や乱闘が生じたときに止めているのはエリーの右腕とも言われている美人店員だ。昨今では彼女に蹴られるために態と騒ぎを起こす客がいる事態まで発展しており嘆かわしい。エリーは元軍人であるが所属は魔道専門の頭脳派部隊。体術となるとその実力を知るものはいない。
「ちょいとそこのお兄さん方、喧嘩をするなら外でしてくれない?」
見物人の心配をよそに近づいて行ったエリーは酔っ払いに火に油を注ぐような止め方をする。
「五月蝿い。部外者はすっこんでいろ!」
「この店の店主だし部外者じゃないよ。」
一応は喧嘩を止めようとするエリーだが、その声にやる気が感じられず、その態度がますます神経を逆なでするのだった。
「大体ねぇ。いい年をして酒飲んで暴れるなんて恥ずかしいと思わない?組合長さんが泣いてるよ?酔ってまぁすで通用する程めでたい世の中じゃないし。酒は飲んでも呑まれるなって言うでしょ。分かっていても止められないとも言うけどさ。それともアルコール依存症だったならきちんと病院で治療しないと周りが迷惑するか、うごっ」
長々とたいしたことのない薀蓄を語りだされ、怒りの臨界点を突破した男はエリーの顔面に拳を埋めた。更に服のの袷を掴み捻り上げる。
「わぉ。暴力反対。」
殴られてものほほんと両手を挙げるエリー。男に引き下がる気など毛頭感じられない。
「女に守られてる野郎がでしゃばるな。」
「……暑苦しい脳筋は疲れるな。」
営業スマイルを無くし心底嫌そうに目を逸らすエリー。こうなると始から騒ぎを治める気があったかすら疑わしい。これでは駄目だと頭を抱えるラニの隣に座るコナが仕方なしに立ち上がる。
「ぐげっ。」
コナが歩き出す前に潰れた家畜のような声を出して倒れたのはエリーの胸倉を掴んでいた男だった。
何が起こったのか誰にも把握できていない。瞬きをする僅かな間にエリーは何をしたというのだろうか。昏倒した男は鼻から血を流して目を回していた。手加減はされたのだろうが、確実に鼻の骨が折れていると思われる。
「お客様。店内での乱闘はご遠慮ねがいますよ。」
鎮圧された静かな空間。唖然として誰かが持っていたグラスを手元から滑り落とした。その音が異常なまでに響く。
不穏な雰囲気を醸し出すエリーの眼光を正面から受けたもう一人の喧嘩相手の男は震え上がり、昏倒させられた男を引き摺って退店した。
「この片付け俺がやるのかな?」
割れた食器、食べ残しと血で汚れた床を見渡してエリーは溜息を吐きながら掃除用具を取りに行く。
「エリーさん!」
重い沈黙を破ったのは壊れそうなほど勢いよく開かれたドアの音と聞き覚えのある声。人々の視線は全て、その声の主へと集まる。
「スイちゃん?どうしたの?そんなに慌てて。」
片手に箒、片手にバケツを持ったエリーは暢気に小首を傾げる。良くこの状況で笑顔を出せると感心するものもいた。
「砂浜に人が流れ着いたの!干乾びて、ミイラみたいになってて、半分以上は真っ黒。」
静かだった空間にざわめきが起こる。
今日は第一衛星ミラから光が消える合の夜。
◆帝国軍…約2千万人の現役常備軍と約1千2百万人の予備軍で編成される人類圏1位の軍事力を誇るパイロープ帝国の軍。海軍・空軍・陸軍に分かれそれぞれの軍に少数の魔導隊が配属されている。
モティールにおいてお客様は神様ではない。