訃報
甘い香りがする。
ファルモージェの香りが混ざっている嗅ぎなれた香り。これはエリーが調合しモティールで販売しているのもだ。安らぎと沈静作用があり眠りを促す香。
微かな覚醒の兆しをつかみ取り、ミーネはなんとか目蓋を開けると知らない部屋にいた。ベッドと小さなチェストが置かれただけの簡潔な部屋だが真っ白なシーツからは日の香がしていて、仄かな間接照明の明かりが優しく照らしている。
再び目を閉じて眠ってしまいたいような感覚に襲われるがぼうっと映る人影を見つけて瞬きをした。
「……エリー?」
掠れた声で呟くが、応えたのは期待と違う声だった。
「おはようございます。ミーネさん。」
眠気で翳む目を擦り、焦点を合わせて見つめた先にいたのは四番島神官のマカイ。
神官の神服を取り払い簡素な服を纏った姿は普段の威厳が感じられない普通の中年男性に見えた。疲れの混ざった顔をしているが落ち着いた様子は今さっきここへ来たといいう様子ではない。
ずっと寝顔を見られていたのだと思った瞬間、ミーネは衝撃と羞恥でぞっとした。
ゆっくりと身体を起こすと身につけた衣服も薄手の寝間着に着替えさせられていることに気付いた。混乱に顔を青ざめさせるミーネ。マカイはポッドの水を注いで渡した。
「安心してください。服を替えたのは女官です。私も目覚める頃を見計らっただけですから今しがた入室しました。外には護衛の警護隊と女官が控えてます。ご気分はいかがですか?」
ミーネの不安を汲み取ったマカイの気づかいにほっと息を吐いて渡された水を一口飲んだ。うら若き生娘という年でもないが昔のトラウマで必要以上に警戒してしまう事に嫌気がさす。
「……ここはどこですの?」
「四番島の寺院ですよ。一人にしておくわけにはいきませんから連れてきました。」
半分寝ていた頭が少しずつ覚醒する。ミーネはふら付く足で立ち上がると出口へと向った。しかし、数歩歩いただけで力が抜けたように床に座り込んでしまう。眠らせるために施された術式が抜けていないのだ。
身体が万全でないせいか寒さを感じる。
「何処へ行くのです。」
「・・・・ツ。」
震える手で身体を支え這ってでも進もうとするミーネの腕をマカイは掴んだ。
「行かせませんよ?」
男の視線にミーネは恐怖を感じる。物腰柔らかで誠実な神官の姿は影も形も無かった。捕まれた腕が痛い。
「……はっ、放してください。」
マカイはミーネを引き寄せると背後から羽交い絞めにして動きを封じる。無礼な態度と体を触られる嫌悪感から頭に血が上る。
「放してっ。」
反射で放電させる魔術を発動するが、何も起こらなかった。容赦なく締め上げる男の手に弱い電気が走り、痛みに力が緩んだ隙に逃げるはずだった。
耳元で声が聞こえる。
「動かないでください。」
吹き込まれた言葉に身体の自由が利かなくなる。身体に流される力に緊張が襲う。脳と身体の連結を遮断し、身体の動きを停止させる金縛りのような術。
「私もね。スイ程ではありませんが多少の異能が使えるんです。」
動けないミーネの身体をベッドに寝せると服を肌蹴させる。咄嗟に叫び声を上げようとするが声も出なくなっていた。下着を見られる羞恥に顔を紅くするどころか隠されていた身体の異変に青ざめる。
「これがなんだか分かりますか?」
言いながらマカイはミーネの鎖骨に掌を置く。その下には魔力を消し去る消滅の魔法文字が描かれていたのだ。身体は動かない。声も出ない。魔力も使えない。抵抗する全ての術を奪われている。
「安心してください。効果は薄いし持続性も無い。貴方に本気で抵抗されたら叶いませんからね。」
マカイはミーネから手を放すと肌蹴た服を元に戻して彼女の横たわるベッドの前にある椅子へ座った。
「フィレナキート諸島から海が消えました。海面は一番島の300メートル沖まで下がり、八番島エイヴァを中心に囲んでいた三つの諸島は一つの大陸となりました。かなり混乱しています。そしてまだ八番島エイヴァは燃えています。黒い塵に混ざり雪まで降り出しましてね。」
元々、ウォールの潮位は異常であった。本来であれば水平であるはずの海面はエイヴァを頂点に山のように傾斜がかかっていたのだから。これが元の姿なのだろう。しかし、海が無くなり何百年と続いた地形が変化したのだ。
正体不明の光と爆風、数十メートルの潮位の変化にかなりの混乱が生じていた。
「体制の立て直しに時間がかかりましたが、警護隊と待機していた軍がエイヴァに捜索に行きました。上空から生存者を探し回ったそうですが火の勢いが強く近づけないようで難航しています。入り口で待機していた軍人や何とか生き延びた軍人が次々と運ばれていますが、中枢に向った作戦部隊の生存は絶望的でしょう。アキシオンの娘もスイも。胡蝶屋さんもあの場にいたとしたら骨も残らず消えてしまったこと断言せざるをえない。」
淡々と状況説明するマカイの説明は薄々、分かっていたことだった。しかし、改めて聞かされると闇に飲まれるように絶望が押し寄せる。
「もしかしたら、胡蝶屋さんならスイを助けられたかもしれないと僅かな希望を持って捜索していますが見つからない。モティールにも人を待機させてますが無事でいるなら幼子が徒歩で帰ってきてもおかしくない時間が経ってます。」
瞬きを忘れたように見開いたミーネの瞳からは大粒の涙が零れ落ちていた。
「貴方にとっては己の死を宣告されるより酷なことのようですね。」
幾筋も流れる涙を拭うと額に手を置き、直接力を吹き込む。
「楽しい夢の中なら悲しみを感じることもないでしょう。ゆっくりと傷を癒せばいい。フィレナキートの島民は貴方の味方です。」
魔力の乗ったマカイの声は優しい子守唄のように安堵を与えてくれるような声色で、ミーネはなんとか抵抗しようと眼光を光らせていたが次第に曇り、何も映さぬ瞳となった。
未だに流れる涙。安らかとは言えない寝顔。
「無茶な行動を止めるためとはいえ手荒な真似をしてしまい申し訳ございません。貴女が望むなら罰を受けましょう。」
マカイは疲れたように息を吐くと眠るミーネを残して部屋をでた。目を覚ましたら好きにさせるようにと待機する女官に伝え廊下の窓から朝日が昇る情景に目をやる。もうすぐ祈りの時間だ。鐘が鳴る前に着替えて祭壇へ行かなければならない。
海の消えてむき出しになった海底に降り積もる黒い塵と白い雪。
作戦を開始した朝の祈りから丸一日の時間が経っていた。
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西の空には黒煙が立ち上り、空は燃え盛る炎で赤く染まっている。天からは大きな塊の花弁雪と黒い灰と赤い火の粉が降っていた。
楽園のような青い空と輝く海の姿はなく、島は地獄絵のように姿を変えている。そんな時でも寺院の時間に誠実に鐘は鳴り響き人々は祈った。
何に祈るのか、何のために祈るのか。
こんな時だからこそ、祈りを捧げるのかもしれない。
朝の祈りを終えて軽い朝食をとった一番島クーの神官バルは執務室へ向う。ここ2日程、まともに睡眠をとれておらず徹夜の労働は老体に響く。
八番島エイヴァを燃やす炎は未だに赤々と立ち上がり救助と捜査は難攻していた。とてもではないが休める状況ではない。
バルは執務室の椅子へ座るとリーティを起動し各島の神官へと繋ぎ指定した時刻通りのタイミングでリモート会合を開始した。
ウォールの東部に位置するフィレナキート諸島、北西部に位置するセルノース諸島、南東部に位置するスェギィア諸島と各島を統治する代表者がそろっている。
フィレナキート諸島の参加者の半数は各島の執務室ではなく簡易テントなどからの参加だった。更にスイを含み3人は欠席しており、副官が代行参加している。
「皆、揃っているな。各自被害状況の報告を。」
この場での最高権力者である一番島神官のバルが取り仕切ると各諸島の代表者が順に
「フィレナキート諸島は七番島の被害が酷いです。殆どの窓ガラスは粉砕し、倒壊した建物も多い。火災も出ている。いつ死者がでても不思議ではないでしょう。六番島と五番島は七番島程でありませんが広範囲でガラス窓が割れています。八番島に近い西側の地域に人工の密集が少ないことが幸いでした。六番島神官ラニに八番島エイヴァの消火及び捜索の指揮を、五番島神官ナダに七番から六番島の人命救助活動の指揮を、四番島神官マカイに七番から六番島の被災状況の確認の指揮を、三番島神官ナキに必要物資の手配の指揮をそれぞれ行っております。」
「セルノース諸島では被害はありません。東域は殆ど小さな無人島の群島ですから。七番島の救助活動へ人員を回しております。」
「スェギィア諸島は北部の建物の一部が倒壊、ガラス窓の粉砕。怪我人はいますが重傷者は幸いにも出ていません。落ち着き次第、フィレナキートへ人員をまわします。」
未だに燃え続ける八番島エイヴァ。警護隊や派遣帝国軍も総出で消火に当たっているが消火は追い付かない。黒い灰と雪が降り続け、海面は一番島の沖合まで下がり楽園の様だったウォール諸島共和国は見る影もない。
「島民に死者がいないことがせめてもの救いか。スイの捜索の方は?」
「ラニ様が指揮を執っておりますが火の勢いが強く中心部には上空からも近づけません。とにかく周辺から消火しておりますが焼け石に水です。」
代理で参加している六番島の神官が答えるが状況は芳しくない。
重い空気の中、会合参加者全員のリーティーに通知音が入り会合参加の許可申請が入る。一番島神官のバルが許可を出すと画面が一つ増えて若い男が映る。
「某、パイロープ帝国陸軍第二軍団長代理の陸軍中将テリアです。ウォールの帝国領土ナール島に到着しました。丁度、会合中とのことで参じたしだいです。この度は我が軍の者がご迷惑を。」
「能書きは結構、本題に入りましょう。」
長くなりそうな便宜上の挨拶をバルが遮るとテリアは姿勢を崩した。
「随分な態度じゃない。こっちは休息返上で出向いたっていうのに。まぁいいわ、空軍の輸送機で私の魔道機動師団が1刻半(約四時間半)ほどで到着するから八番島エイヴァへの案内と担当者に通告だけお願い。本題は以上よ。」
もし、これが日常に行われる定例会合であれば堪えた笑いで腹筋が鍛えられていただろう。青年とはいえ厳つい面構えの陸軍中将の肩書を持つ男の口調が女性的なのだ。現在捜査活動の為欠席中のラニならば耐えられずに噴出していたかもしれない。
「八番島エイヴァでの指揮は六番島神官ラニが行っている。案内しよう。ヤン、将軍を七番島ザージュの岬に仮設した対策本部に案内するよに。」
「はい、早急に。」
亀の甲より年の功と言うべきか、一番島神官バルは淡々と指示を出し堪える笑いの為通常の3倍ほど厳しい表情になった二番島神官ヤンが簡潔に返答して画面から消えて副官が代わりに顔を出す。準備にかこつけて逃げたのだろう。今頃別室に移動し笑い転げている可能性もある。
こんな状況でもこんな事で笑えるのだから神官達は図太い。
「輸送用の飛行艇が50機ほどくるけど何処に停めればいいかしら?」
「潮が引いて海底がむき出しだ。好きなところに停めればいい。」
「トラブルだらけね。心中お察しするわ。じゃ、私は七番島ザージュに向かうから後ほど。」
それだけ言うとテリアの通信が切れて空中投影されていた姿も消えた。笑いをこらえていたもの達はほっとしたことだろう。何人かはごまかすように咳払いしている。
「では会合を閉めるとしよう。皆、疲れが出ているな。休める時があれば少しでも休むように。我々が倒れれば混乱を招くだけだ。」
バルの労いとともにリモート会合は終わった。空中に投影されていたそれぞれの姿が消える。バルは息をついて窓から外を見上げた。
いつも通りの青空からは大粒の雪が降り、八番島エイヴァからは200キロメートルも離れているというのに黒い灰が落ちてくる。
嘆くように息を吐いてバルは公務を再開した。通常業務と併用して臨時の業務が大量にある。現場に駆け付けたい想いもあるが最高責任者である自身が動くわけにはいかない。有事の際は報告を待つことが仕事など損な役だ。
どれくらい時間がたっただろうか。重厚なエンジン音が聞こえ窓を見ると漆黒の巨大な飛行艇が50機並んで飛行していた。魔道機動師団の空軍輸送機が着いたのだ。
◆フィレナキート諸島…ウォールの東部に位置する諸島。ウォールの中心都市。
◆セルノース諸島…北西部に位置する諸島。
◆スェギィア諸島…南東部に位置する諸島。
◆飛行艇…水陸両用の空軍輸送機。
4人姉弟の末っ子長男テリア君はお姉様の影響でオネェ口調。




