警救
闇とは光りのない状態の事である。
また、神話や宗教などの多くでは闇と光りを対立とみなし、世界の重要な区分と関係づけられた。嫉妬や絶望、恐怖、心的外傷などの精神的マイナスイメージを持つ感情に対して比喩的な表現として使われることも多い。
基本的に黒色に近いくらい色で表現されるが、エリーの闇は白色であった。
エリーの盲目は雪景色のように真っ白な世界を映していた。目の奥が痛むような一面の純白。天も地もなく右も左もない世界にエリーはゆらゆらと漂う。
……リー。
耳の奥でミーネの声が聞こえた気がした。
夢の中にいるような意識が少しだけ動き出す。
エリー。
また、ミーネの声が聞こえる。さっきよりも強く、近くに感じた。ふわふわとしていた体が急に重くなる。夢見心地から現実にもどるように五感が正常に動き出してきた。
エリーっ。
はっきりとミーネの声が鼓膜を刺激した。途端、体が何かに引き摺られるような感覚がする。視界いっぱいの白が見る見る遠くなり、外側から放射線状に黒い光に包まれる。
ぼんやりと瞼を開いたままの瞳に視力が戻った時にはぼやけた天井が移った。
「エリーっ。気付きました?」
左右の眼球の焦点が定まった頃、心配そうに覗き込むミーネの顔がはっきりと映った。
「……ミーネちゃん?」
彼女の紅を指した唇に、繊細でシンプルなチョーカーを巻かれた細い首筋に、レースの奥に覗く小さめの胸の谷間に自然と視線を縛られた。
「大丈夫か?胡蝶屋。」
野太いラニの声にエリーは入り始めた別の夢から覚めた。視線を動かすとずらりと人が立ち並んでいる。よく見れば神官数名と副神官で総勢7人がいるものだから広々としていたはずの部屋が窮屈に感じた。
今更だがエリーの体は床に転がっているわけで、じわじわと背中や腰に痛みが感じられてきた。
「胡蝶屋さん、起きれますか?」
「………ああ。」
マカイに背中を支えられながら起き上がると先程までの体調不良が嘘のように良くなっている。過剰なほど汗をかいていて濡れた寝巻が気持ち悪かったが、怪我の痛みも高熱のだるさも感じない。
運動機能を確かめるように手の平を開いたり閉じたりした後、流れる汗が目に入らないよう左の顔面へ手を持っていくとまるで左目が見えているような映像が網膜に送られてくる。
14年も前に左目の視力は失い光さえも映さないというのに、顔を覆う掌の映像が網膜に映った。
意識を取り戻した時から変な感覚はしていた。
「エリー、何がありましたの?」
一つずつ、状況を確認しているような落ち着かないエリーの様子にミーネは首をかしげた。
「……俺は大丈夫。それより、神官様が揃ってどうしたの?」
公務時間内に神官が3人も一番島の会議室以外で一箇所に集まるなど稀だ。よほどの事態なのだろうとエリーは一番近くにいるマカイに問う。
「一部の部隊が撤退を始めている。スイが八番島エヴァの中枢で逃げ遅れたようです。電波障害が酷くライブ映像が途切れ途切れで詳しいことは分からないが状況は良くないようで。運よく無線を聞いていた軍人の話では神使の群れが暴れているらしいと。」
年の功か落ち着いているマカイの話を聞いてミーネが青ざめた。
スイの先代も衛星が最も輝く日に行われる本神殿での祈りの道すがら神使の群れに襲われて帰らぬ人となったのだ。
「中枢?まだ道が開けて時間が経っていない。移動手段は徒歩しかないのに物理的に無理でしょ。」
「シルートだ。ジル大佐はラエドの槍を使って道を作り、シルートで移動していた。」
つまり破壊兵器で無理やり道を作って音速を誇る小型飛行機で移動したのだ。それで移動時間の矛盾に納得がいく。
「……罰当たりなことするね。」
安全に行くにしても神域を荒らすなど言語道断である。そして今回の任務は本神殿への祈りの護衛を隠れ蓑にした隠密作戦のはず。それだけ派手に動いてしまえばマキや調律師に気付かれてしまうだろう。
八番島エイヴァの中枢へ行くだけなら航空機を使い垂直に下りればいい。磁場の乱れで計器が使い物にならなくなるが視認による手動操縦に切り替えれば不可能ではないはずだ。
「スイ。」
「大丈夫だよ。スイちゃんにはパティが付いている。」
他の軍人を見捨てて撤退する判断も迷いなく下せるパティならばスイ一人くらい抱えて八番島エイヴァを出れるはずだ。
口では大丈夫だと言ったものの、嫌な予感がエリーの頭にチラつく。
更に神官達の緊迫した雰囲気は微塵の安心も感じさせてくれない。
「よく、聞いてください。軍の動きを監視するために極秘に放ったラカから得た情報ですが、ジル大佐の様子がおかしい。他の軍人に隠れるようにこそこそと一人動いているのです。掃除をするとかまとめて処分するとか。」
四番島神官であるマカイはリノ―を起動させると、小さな液晶画面を除きながら忙しく機器をいじるジルの姿が映った。右端の数字を見るとリアルタイムの映像らしい。映像を調節して液晶画面の部分を拡大すると膨大な数の文字と数字の配列が不規則に並んでいる。その配列を見たエリーは息を飲む。
抹消直前まで記憶の隅に追いやられる程、遠い過去に見た配列なのだ。
「……圧縮光線型衛星兵器、ローズレイア起動コード?」
エリーの呟きを聞き取ったマカイが顔を顰める。
「胡蝶屋さん、大佐が何をしているか分かるのですか?」
「……なんで、こんなのが。だって、……アレは……。」
マカイの質問を無視して頭を抱えるエリー。
圧縮光線型衛星兵器、ローズレイア。
衛星軌道上にある星を壊すほどの破壊力を持つ禁断の兵器。
奥底にひっそりと仕舞われた記憶を辿るエリーは体を揺らし突然立ち上がる。
「エリー?」
「……スイちゃんが呼んでる。」
何かに取り付かれたように異様な雰囲気を纏いながら人がいることも構わず、寝巻きから服を替えるとボサボサの髪を一つに結った。
「エリー、スイに頂いたカフスが取れてますわ。」
ミーネに言われて耳に手をやればいつも耳に納まっていた銀のカフスが無い。落としてしまったのだろうか。しっかりとした金具で耳に留めてあったのだから勝手に取れることはない。
視線を巡らすと先程まで倒れていた場所に何かが光った。屈んで見ると嵌っていた石が割れ、土台の金属が拉げたカフスだったものが落ちている。
「……なんで。」
イブの攻撃で壊れてしまったのか。
送り主の危機を知らせるような不吉さにエリーは口元を覆う。
撤退を始める部隊、神使の群れ、八番島エイヴァの中枢に残されたスイ、一人で動くジル。
ジルが激烈な破壊力を持つ兵器の使用を考えているとしたら、アキシオンであるパティが護衛についているとしてもスイも安全とは言いがたい。
全ては仮説だが肯定できるほどの確信がある。思考を巡らせていると、極小音の機械音がエリーの耳に入った。常人ならば耳元で聞こえても聞こえないような音。
壊れたカフスを拾い上げてポケットにしまうとエリーは音を辿り四番島の副神官に近寄ると無造作に髪を掴み上げた。髪を梳いたエリーの手には虫がついている。
「こ、胡蝶屋さん!?」
エリーの奇行に四番島の副神官は目を見開いて驚いていた。
「覗き見趣味は相変わらずか。」
底冷えするような低い声とパキンと何かが壊れる音がするとエリーの手から粉々になった機械部品が出てきた。その残骸から軍が開発していた虫型の盗聴盗撮器だと断定できる。
スイの危機を神官に流せばエリーを頼るだろう。軍の大佐でもある彼が、ここまで無防備に情報を溢すなど考えられない。
誘い出す為に、仕組まれた可能性が高いと確信する。
「……そう、そんなに俺を処分したいんだ。」
杜撰な計画を聞いた時から何かしら裏があると踏んでいたが相変わらずくだらないことの為に力を削いでいるようだ。何度も何度もうんざりするほどエリーの失脚を狙って関わってくる。
ネブリーナ皇国にいる頃はさほど気に止めなかったが今の生活を脅かし周りの人間をも危険に巻き込むなら邪魔な存在だ。
「ミーネちゃんはここで待ってて。」
汚い物を触ったように手を振り払うとエリーの姿は風にまかれて消えた。魔法陣も使わず、空間転移を行ってしまった彼に一同は唖然とする。
「エリー?」
変貌したエリーにミーネは混乱するだけだった。
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全身に押し付けられるような圧迫感を感じて目の前には輝く青が広がった。続いて感じた息苦しさに水の中に沈んでいるのだと気付いて慌てて浮上する。顔を出した先は木漏れ日の当たる樹海の潮だまり。
樹齢数百年という数百メートルの大きな木々。白い砂の上に這う太い根。
円形に並ぶ12人の彫像の真ん中にいた。大潮の満潮時には海に沈む。干潮時でも膝までは海に浸っている15メートルほどの像だ。
「……何で。」
本神殿まで飛ぼうとしたエリーだが何かにぶつかりかなり遠いところに落ちた。
おそらくは魔術を通さない壁。何かに押さえつけられるような違和感に、試しに手に火を灯すが魔術は発動しない。
「調律師のしわざなのかな?」
エリーは濡れた衣服を絞ると木の枝に跳躍して飛び乗り、枝伝いに飛ぶように走った。ジルがローズレイアを使うつもりならば一刻の猶予もないというのに。
数百メートル走ると魔力を遮断する何かの空間を抜けたようで押さえつけられるような違和感が消えた。
体が軽い。
エリーは一旦止まると羽織っただけのシャツから覗く包帯をずらす。するとリュティーアシーカで斬られた傷が痕も無く消えていた。それだけではない、マキと交戦した体中の傷が綺麗に治ってるのだ。
「全く、とんでもないバケモノだね。」
自嘲気味に笑うとエリーは空間転移魔術を展開し、今度こそ本神殿付近まで飛んだ。
本神殿のある赤い花畑へ降り立つと本神殿は風に揺れることも無く浮かぶ泡に囲まれている。
群れをなす神使と闘う数人の調律師。逃げ惑う肌が白く変色した軍人。
泡に触れた神使の体が弾けて焼ける。触れて外膜が破れると起爆するらしい。これが原因であちこちに炎が上がっているのだ。
「……これは、シャオム?」
ぽろりと毀れた単語に驚き、口元を覆った。今日、初めて見たものが何なのか分かってしまったのだから不気味でしかない。しかし、今は記憶の整理などしている場合ではない。
エリーは一度置いておいて、対処法が分かることを幸運と思うことにした。
ゆっくりと歩き出しながら押さえた気配と魔力を開放し、泡の本体である赤い花へ停止コードプログラムの電気信号を送る。
パーン。
弾けるような音と共に、全ての泡がはじけ飛ぶ。
するとあれだけ暴れていた神使さえも身を硬直させる。そして全員の視線がエリーへと集まった。
「……ナル。」
ぽつりと声を出したパティを身ながら風を切るように手を払うと、一泊遅れて全ての神使が弾け飛んで炎に包まれた。
「ずりぃ。俺も高火力広範囲攻撃の必殺技欲しい。一瞬で雑魚が全滅する素晴らしい技欲しい。」
「使えばいいじゃない。」
「基本プログラムが格ゲーだから身体能力向上系のアビリティしかないんだよねぇ。魔法とか異能力的な攻撃プログラム皆無。」
軽口を叩くマキと桃色の髪色をした調律師らしき人物を一瞥すると、エリーはまっすぐ白い半球の元へ歩くと中には震えて蹲るスイがいる。エリーはフォボスの盾の結界を壊そうと手を振り上げた。
「待てっ」
パティはエリーとスイの間に割ってはいるとエリーの手を押さえた。
「フォボスの盾はどんな物理攻撃も魔術も効かない。下手に壊したら串刺しになるぞ。」
煩わしそうに眉間に皴を寄せると、加減もなしに手を振り払った。パティは飛ばされて地面に叩きつけられる。
「ナルッ。」
パティの声など聞きもせずエリーはフォボスの盾を壊した。ガラスの割れるような高い音と結界は砕け散り、音に驚いたスイが核となる球体を滑り落とした。
瞬きをするよりも早く、スイは串刺しになっているはずだった。しかし、フォボスの盾は針に変わることなく地面に転がっている。
「七番島神官特殊補佐官、遅ればせながら参じました。」
「……エリーさん、う、うわぁぁぁぁぁん。」
微笑みながら手を差し出すと、スイは子供のように泣き叫びながらエリーに抱きついた。
「……う、ううっ。エリーさん、エリー…さぁぁん。」
嗚咽に紛れて途切れ途切れ名前を呼ぶスイ。無事にいてくれた事だけで満たされたエリーは抱きしめながら彼女の頭を撫でた。
「俺は七番島神官様の護衛を仰せつかった魔術師だからね。スイちゃんは俺が守るよ。」
2人の出会いを揶揄したエリーの言葉にスイは泣きながら笑った。そのまま、噎び泣くスイの背中を摩ると、片膝を着いているパティを一瞥した。
「たいした護衛だね。手を貸しましょうか、お嬢さん?」
己と桁違いで見せ付けられた強大なエリーの力に愕然としていたパティは舌打ちをする。
「来るならもっと早く来い。」
心にもないことを言うエリーを睨み上げるとパティは座り込んでしまう。鎮静剤で魔力が欠乏した体で酷使した戦い方をしていたのだから無理も無い。
「ぎゃぁぁぁぁぁ。」
状況説明を得ようとエリーが口を開くよりも早く1人の兵士が悲鳴を上げた。煩わしさにパティが憤懣の表情で睨みつけると体が白くなり末端より砕け散って絶命した。
その一人を皮切りに次々と塩化症候群が信仰する、
「……なんだよこれ。」
何とか立ち上がったパティは白い塵となった人間だったものを見つめながら眉を顰める。
「……パティさん……手が……。」
涙に震えるスイの声に手を見ると白く変色している。エリーはいつの日かのように手の平へ紫の混ざる黒い炎を灯すとパティを包んだ。
アキシオンであるパティまでも罹患した塩化症候群の治癒を施す。
「塩化症候群の治療士は希少だろ。治療可能ならこんなとこで遊んでないで役立てよ。」
エリーの前にふわりと白い子供、アーシーが降りてくる。
「……説明してくれる?」
冷たいエリーの言葉にアーシーはティスクより何かのデータを開く。
「α元素濃度35パーセント。汚染地帯より濃いね。」
「もしかして、コレの原因って君たちなの?」
アーシーでは話にならないと、スイを抱きしめるエリーは背後の神殿に向かい声をかける。そこには6人の人影がいた。
そのうちの1人はマキ。2人はルカとオットという名のパティの報告にいた調律師。残る3人は面識すらないがそこにいるということは調律師なのだろう。
「謎が解けるのはボス戦時って定石だし冥途の土産にヒントくらい教えてやるよ。」
ひらりと神殿から降りたマキはにやりと笑う。一歩前に出たマキの姿にエリーは鋭く睨み上げた。
「あんたの周りで白い少女の目撃情報を得た。その後、解けない氷の足跡見つけてさ、確信したんだ。」
「何の話かな?」
「偽物だとしても縋りたかったんじゃないかって始祖様の見解。だからあんたがここにおびき出すための囮になるんじゃないかって賭けにでたんだ。」
エリーの質問に答えることなく、マキは燃え上がる炎を見据えてリュティーアシーカを構えた。エリーとパティは身構えるが、マキの目線は2人でもスイでもない。
「賭けはボクらの勝ちだね。」
ぽつりと呟いたアーシーが示す先から1人の人物が歩いてくる。樹海を包む炎をもろともせずにゆっくりと歩き進む姿は異様で全員が固唾をのんだ。
状況が飲みこめず、エリーとパティは思考をめぐらせていると空虚より影が伸びてエリー、スイ、パティを赤い花畑から放りだした。次いで耳鳴りのような高音が轟き、調律師達のいる赤い花畑の範囲が正六角形の折り重なったシールドで囲まれる。
直後、真っ白な世界が広がって鼓膜が破れそうな音が轟いた。
百雷一時に落ちたとしても、こんな大音響はしなかっただろう。
七番島神官特殊補佐官、本領発揮。




