失意
目に映るのは白銀の螺旋階段。耳に聞こえるのは煩いほど高鳴った自分の鼓動。鏡のように虚像を映し出す壁に映る男の身に纏っているのは黒をメインに銀で飾られた服。髪はきっちりとオールバックに纏められていた。
今のエリーからは考えられない程、きっちりとした姿だ。
力の限り走った。呼吸が荒くなって胸が苦しい。気の遠くなるほど長い階段を下って最下層へと急いだ。背後には複数の足音と影が迫り来る。
急げ、急げ、急げ。
逸る気持ちに体が追いつかず、何度も転びそうになって転がり落ちるように階段を走っていた。もっと楽に降りる方法があるはずなのに何故、こんなにも一生懸命走っているのか。
地下57階。階段が終わると長い回廊が続く。薄暗い回廊には一定の距離で扉がついていたが、不思議とぶつかる寸前で開く。どれほど走っただろうか。それ自体が電子装置であるかのような扉に辿り着いた。
触れただけで画面に無数の数字が浮かんでキーボードがひとりでに動き、数秒もしない短い間に重厚な扉は開く。
中には大きな卵型の装置が二つ。たくさんのコードが部屋中に散らばっている。ガラス張りの装置の中には何かが眠っていた。一歩足を踏み入れると扉が閉る。驚いて回りを見渡すよりも早く、それは視界に飛び込んできた。まるでその場に突然現れたように。
存在自体が全て白で形成されたかのような人型の影。ただ瞳だけは澄んだ空を投映したように青く輝いていた。見るからにこの世のものではないはずなのに、親近感がする。
「迎えに来たよ。」
影に手を差し出すが取ってはくれなかった。装置の中で眠るものが何かを訴えるように泡を吐き出しながら動く。それに連動するかのように影は近付いてきた。顔なんてないのに泣いている様に見えた。青い瞳から涙が流れている。
助ケテ。
無声音でそう言うと影は手を伸ばしてくる。よく知っているモノなのにその手から逃げたくなった。でも、体が動かない。
網膜に焼きついた影を最後に、光を失った。長い間、暗闇を漂って次に光を見たとき黄色の花咲く並木道にいた。
「―。」
誰かが呼んでいる。
「―。」
呼ばれて振り返るとそこにいたのは一人の女だった。金髪に青い瞳、背の低い少女のような女が見ている。会ったこともない筈なのに知っていた。手を伸ばせば女特有の柔らかい肌の感触がする。彼女の頭を撫でて、どこかへ帰るために並んで歩いた。
大切な人が待っているはずなのに何も思い出せない。
記憶が混乱しているのだろうか。気持ちを落ち着かせるためにと目を閉じて深い呼吸をする。再び目蓋を開けると目に映る全てが変わっていた。
景色も人も、何もかもが知らない存在。
周りの者は己を知っている様子なのに自分は何も知らない。背筋が凍るような恐怖感を感じたとき、記憶を失ったのだと気がついた。覚えていたことは何もなかった。
「私が分かるか?オリバー。」
知らない男に知らない名前を呼ばれ、知らない部屋に連れられ、知らない話をされて分からないと答えた時、男の口が弧を描く。
彼は何も知らない自分に色々と世話を焼いてくれている人物であるのに嫌気を感じた。
何も分からず、何も知らない自分には頼るものも信じるものもない。司令という立場の男の言う通りに動くことが一番楽だった。それからの事はよく覚えていない。
命令を聞くたびに死体が増えた。手が赤く染まった。相手がどんな人物かも何をしたかも知らない。ただ、名前と顔と居場所を告げられた。
誰にも気付かれない様に誰にも見られないように何も残さないで彼らの命を奪うことが自分の仕事。
これは、本当に自分で望んでやっているのだろうか。
「ナル。」
また誰かが名前を呼んでいる。幼い少女の声。辺りは炎に包まれ血の雨が降っていた。焼け焦げる人間の臭いと断末魔。
「ナル。」
名前を呼ばれることが苦痛だった。苛立ちにまかせ、目の前で名前を呼び続ける誰かを葬って仕舞おうと手を振り上げた時、全身が揺れて覚醒した。
目に映る景色が一変している。見慣れた天井に家具。そして目の前には銀髪の娘と黒髪の麗人が心配そうな顔で覗き込んでいた。
体は重くて全身に汗をかいている。熱っぽくてだるいのに寒気がした。
「……どこだ?ここ。」
じんわりと痛む頭を押さえて今いる状況に戸惑っていると覗き込む銀髪の娘が息を吐いた。
「エリーさん大丈夫?すごく魘されてたッス。」
「……エリーさん?」
知らない名前。しかし、イットという名前も本当だと思えない。虚像と実像の違いが判別できない。
「何か悪い夢でも?」
首を傾げて聞いてくる様が無性に愛らしく感じ、黒髪の麗人の手を引いて抱きしめた。
「ちょっ、ちょっとエリー?」
伝わる温もりに今が現実であり、自身の呼び名がエリーなのだと実感する。
「痛いですわ。エリー。」
「……あ、ごめん。」
抱きしめる力を弱めると腕の中の温もりがするりと離れ、黒髪の麗人は安堵の表情を浮かべて微笑んだ。
「目覚められて安心しましたわ。」
「……何かあったの?」
状況が掴めずにいると銀髪の娘が眉間に皺をよせて泣きそうな顔で冷えた手を握り締めてきた。心なしか震えている。
「エリーさんが5日も目覚めなくて、ミーネちゃんと二人で死ぬほど心配してたッス。」
「……嘘っ。」
だんだんと頭がさえて来てここが自室で目の前にいる二人がスイとミーネという見知った人物だと漸く理解した。
「もぉ。馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿、ばかぁ。」
目に涙を溜めて叫ぶとスイはエリーに抱きついた。
「死んじゃうかと思ったよぉ。うえぇぇぇぇぇぇん。」
線が切れたように泣き出すスイにエリーは焦る。あまりに強く抱き付く為、じわじわと傷が痛んだが己の死に恐怖して泣いてくれる優しい子が泣き止むまでの少しの間、我慢しようと思った。
現実が変わらなくなる程の夢はさておき、アーシーに蹴り飛ばされた後から記憶が無い。
「……ミーネちゃんは怪我しなかったの?」
「わたくしはなんともありませんわ。」
「……スイちゃんは?」
「手に深い傷を負ってますけど仕事に支障はないようです。」
泣きついているスイの代わりにミーネが答える。エリーは包帯の巻かれたスイの手に手を重ねると魔力を流して細胞を活性化させ、治癒能力を陪乗に高めた。
「……何か変わったことは?」
「マキが手配されて本格的に佐官率いる軍が動くそうですわ。あの夜、ここに来る前に何人か警護隊の方に暴行したようです。派遣軍と警護隊だけでは手に余ると判断したのでしょう。」
佐官が来るということは帝国軍本部の数千人規模の旅団か連隊が派遣されるのだろう。
マキはとうとう島の人間に危害を加えた。見た目が子供とはいえ罪は罪。
「……そう、軍が動くの。」
調律師の思惑通りに事が運んでいるのか。それとも偶発した事態なのか。
泣きつくスイを撫でながらエリーは遠くを見つめた。
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マキが警護隊とモティールを襲撃して11日経った。
スイは対応に終われて忙しくエリーの具合も芳しくない。毎日高熱に魘され、一日の殆どを眠って過ごしている。
エリーの頭を膝に乗せたミーネは外を眺めた。
水平線の先に大型の魚が跳ねている。窓に飾った花の周りには一匹の黒い蝶が止まっていた。
「……スイちゃんがいないと寂しい?」
頻繁に変死事件が起こる数年前まで、彼女の仕事は微々たるもので祈りと少量の雑務整理くらいだった。平和なフィレナキート諸島では治安も執政も気ままなもので半日ほどモティールで過ごしても神官業に全く支障なかったのだ。
年を追うごとに公務が増え調律師が現れてからは忙殺されている。
「エリーが寝ている間にパティさんがいらっしゃいました。スイは八番島エイヴァの調査を許可したようです。神官達の輿望を担うエリーはこの様ですし、溺れるものは藁をも掴む心境だったのでしょう。緊急会合で集った他の神官もアキシオンである彼女を歓迎したようです。色々面倒ですから軍には内密で動くようですが。」
額に乗せたタオルを魔術で冷やしながらミーネは淡々と告げた。
「……そう。」
目を閉じたまま、寝言のように短く答える。頻繁に起こっていた変死事件は無く、表向きには平和を取り戻したかのように見えるが七番島には入れ替わり立ち代り軍人が出入りするようになり、諸島全体にも警備の為に巡回する蛟が多数見えた。
八番島エイヴァにも何度か調査に入っているようだが、大昔から海神が住むと信じられた神域である事と一度入ったら潮位が変動するまで帰れない事と神使が出現する事からほんの入り口を見る程度だ。
満潮と干潮では潮位が8メートル程変動する為、船による着岸は難しい。航空機は着陸する土地が少ない為に干潮時に五番島シーヌか七番島エイヴァより徒歩で行くしかない。めーとる
ここ数日、静か過ぎる。
マキはエリーを襲った時、消えてしまったがアーシーのを信じるならば生きているのだろう。調律師達が何もしてこない事が不気味だ。
あれ程、モティールの周りをうろついていたのに調律師達の気配すら感じない。
ミーネやスイを危ない目に合わせられないが今のエリーはまともに立つ事すらできない。リュティーアシーカで斬られて16日。思った以上に魔力の回復も傷の回復も遅い。
よくよく考えれば斬られて2日後にパティの暴行で傷が開いて肩を脱臼、5日後にはマキの強襲により再び傷が開き大量の魔力を吸い取られ、胸部の骨を折られた上に数箇所の打撲、裂傷、火傷までしたのだから悪化の一歩を辿っていて当たり前の事だった。
そして高熱の最たる原因は応急処置時にパティが大量の魔力を注いだことにある。その処置がなければ危険な状態であり5日という短い期間で目が覚めることはなかっただろが副作用として馴染みのない彼女の魔力が抜けるまで高熱や吐き気など様々な魔力中毒の症状に悩まされることになっていた。
エリーが普通の人間ならば命を落としていただろう。
奇しくもエリーは世界最高峰の科学技術が集結するチームが生み出した生物兵器。この程度の傷ならば数分で回復しなければならない。
パティの言った通り寿命が近づいているのだろうか。
「エリー。傷が痛みますの?心ここに在らずですわ。」
瞑想に耽っていると心配そうな声が振ってきた。視線だけ動かすと不安そうに見下ろす明眸と絡み合う。
「……俺が死んだら海に沈めてください。そして白い花を供えて。」
「ご冗談を仰る元気があるなら何か召し上がってくださいませ。ここ数日、まともな食事をなさっておりませんわ。」
薬が効いてきたのか高熱が薄紙を剥ぐ様に引いているのだが未だに苛む熱とだるさで食欲が無い。四苦八苦して食べやすいものを作るミーネに対して心苦しいが食べたくないものは食べたくない。
「……じゃあ食べさせてよ。」
にやりと笑ったエリーはミーネの手を掴むと寝椅子に倒して覆いかぶさった。
「エリーっ。」
ミーネは顔を近づける男を非難の目で見つめながら叱りつけるがお構いなしに体重をかけてきた。
「いい加減になさってくださいませ。」
ミーネはなんとか下から抜け出そうとするが長身のエリーはそれなりの体重もあり、手足も長い為、無力な羽虫のように意味のないことだった。
「……うぅ、世界が回ってるぅ。」
耳元での呟きに今までとは違う怒りがミーネに芽生えた。卓上に置かれた冷水入りのコップに手を伸ばすと躊躇う事無くエリーの頭にかける。
「……あ、冷たい。色々な意味で冷たい。」
「頭は冷えました?具合が悪いときぐらい大人しくしていたら如何です。」
常人より2~3℃体温の上昇したエリーの体は服越しでも熱く感じる。急に動いたために激しい眩暈に襲われ、傍迷惑にもミーネの上で身動きが取れなくなってしまっていたのだから呆れるより他にない。
早まる鼓動と荒い息。仕方なしに手の届く範囲でミーネはエリーの背中を摩ってやる。
「……ごめん。」
息だけで告げられた謝罪。エリーから顔が見えずともミーネが苦笑している様子が気配で分かる。
「動けなければこのままで構いませんから御休みになってください。」
体調は最悪なのになんだか嬉しくなりエリーはミーネに覆いかぶさったまま目を閉じた。
「ミーネちゃん。エリーさん起きてる?」
ノックもなしに戸が開き、7日ぶりにスイが顔を出した。しかし、室内の異常な情景に数秒停止した後、眩暈を起こして壁に頭を打っていた。
「あらスイ、大丈夫?」
エリーの下にいるミーネが何事も無いように安否を問うがスイはそれどころではない。痛む頭部を押さえながら何とか立ち上がると目も合わせずに入室する。
「あのーちょっと軍の人が聞きたい事があるとさ。御取込み中みたいですし今は帰りましょうか?」
「どうします?エリー。」
苦しいのは分かっているが世界の治安を守る軍人が来たとなれば無視するわけにもいかないだろう。
「……取り敢えず、起こしてスイちゃん。」
力ないエリーの声にスイは溜息を付いた。
「体調が悪いときくらい大人しくしてたらどうッスか。」
大方、ふざけてじゃれついたはいいが体調が悪化して身動きが取れなくなったのだろうとエリーの行動を読み取ったスイはミーネと全く同じ忠告をした。なんとかミーネの上からずらすが体の熱さと顔色の悪さに固唾を呑む。
「やっぱり後日、改めてってことにしてもらう?ってゆーか病院に言ったほうがいいッスよ。それとも紹介状書いて診察に来てもらう?」
「それは困ります。」
気遣うスイの問いに答えたはしゃがれた男の声。軍服を着た初老の男が開けっぱなしのドアの横に立っていた。装飾からして階級は低くないだろう。
「お久しぶりですね。ナルさん。」
規則正しい姿勢で堅苦しく入室した相手をエリーは一瞥する。
「……どちら様で?」
昔の名を呼ぶのだからただの軍人ではない。見覚えも無ければ名前も浮かばない。
「覚えていませんか?ジルですよ。まぁ、30年も前の話ですがね。」
名を言われてエリーは記憶の検索結果が0出なかったことに嘆く。
30年近く前の事だ。それだけの月日が経てば武き兵も老兵となる。頭には白髪が混ざり顔には皴が刻まれている。背も低くなったようだ。
エリーと同じ壮年であった男は初老を迎えていた。
「さすがネブリーナ皇国の兵器は老いも無くお変わりありませんねぇ。」
嫌味の含まれたジルの言葉にエリーはものすごく嫌な顔をするのだった。
◆ジル…大佐の階級を持つ帝国軍。エリーと因縁がある。
◆魔力中毒…魔力の過剰摂取により起こる中毒症状。発熱・動悸· 吐き気・嘔吐 · 眩暈 · 手足の震え・痺れ · 不眠症状· 意識消失・息切れなどが起こる。
パティのおかげでこの程度ですんでいるけどパティのせいでいらん苦痛を味わっているという。




