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異世界派遣社員の暗躍  作者: よぞら
蝶の章
2/42

午睡

 雪の降る寒い日だった。

 赤レンガで造られた旧式の家では暖炉の薪が爆ぜる。一人用のソファーに座った金髪の女性が大きく膨らんだ腹部を撫でながら幸せそうに子守唄を歌っていた。

 背後から彼女に近付き、そっと髪を撫でた。さらさらとした肌触りが手に伝わり、洗髪剤の甘い香りが鼻孔を擽る。


「誰に歌ってるの?」


 振り返った彼女は決まってるじゃないといいながら大きく膨れた下腹を指差した。解ってはいたが面白くない。彼女に背を向ける形でソファーの横に座る。


「君はいつもそうだよね。」

「妬いてるの?」


 あっさり図星を指されて、大人気なくて情けない。肯定も否定もできず、溜息を吐くと彼女の小さな手が服を引っ張った。


「うわっ。」


 襟首が絞まる苦しさに、曳かれるまま後ろに倒れると頭部は彼女の膝の上。至近距離で見つめる蒼い瞳に思わず視線を背けた。

 そっと額に手が置かれる。子供のような扱いに戸惑ったが何故か腹は立たなかった。


「ずっと一緒に居てくれなきゃ嫌よ。」


 滅多に我侭を言わなかった彼女が欲しがったものが自分という存在だと言うことに喜びを感じた。手の温もりに安堵を覚え、囀るような歌声が切ない。

 彼女の歌に混ざって、別の声が聞こえた。小さな、小さな子供の声。

 子供の声を辿るうちに、彼女の声は聞こえなくなってしまった。目の前には無機質な白い部屋と、水溶液の入った装置。その傍へ置かれた小さな本棚に入りきらない本の山。

 会っている時間は貪欲に知識に飢えた子供にせがまれて一緒に本を読んだ。ほとんどが読み手を選ぶ専門書だった。

 

「もう、帰っちゃうの?」


 帰るとき、あの子のこの世の終わりのような悲しい顔を見ることが嫌いだった。でも後ろ髪を引かれるのだから好かれているのだろう。


「今度は新しい本を持ってくるよ。」


 何か約束すると泣きながら笑う。愛しさを感じた。


「またね。」


 手を振って扉を閉めるとそこは暗闇へと続いていた。ふと潮の匂いと波の音聞こえるほうへ歩くと闇の中でぽっかりと浮かぶ扉が現れた。

 開けると目の前に広がるのは一面の蒼い海。

 南国の強い日差しに照らされてキラキラと波に揺れる水面が輝く。美しい珊瑚礁の狭間を魚のように泳ぐ人影があった。その周りを色とりどりの熱帯魚が群れて泳ぐ。

 濡れても尚、癖の収まらない銀髪がパシャンと水音を立てて雫を飛ばしながら日に光った。海面に顔を出したのは少女時代を終えて間もない一人の娘。


「おーい。」


 彼女は焦げ茶色に焼けた手を振って呼んだ。海上に聳える建物のテラスに力なく座って煙草を吹かしながらヒラヒラと手を振り返すと大きな出窓にはグラスを持った黒衣の麗人が顔を出す。


「いい天気ですわ。」


 キーは高いが落ち着いた声でどうぞとアイスティーを渡してくれた。それを受け取り白い煙を吐きながら深い海のような紺碧の空を見上げた。


「……いい天気だねぇ。」


 季節の変わり目、少しだけ北寄りに軌道を傾けた恒星の光が長閑な午後に降り注いだ。再び目を閉じれば穏やかな波の音が虫の声に変わっていく。

 眩しさに手を翳して目蓋を開ければ傾いた恒星の光が木漏れ日となって顔に当たっていた。


 夢を見ていた。


 現実と空想が入り混じった夢だった。否、入り混じっていたのは全て忘却した過去の残像だったのかもしれない。ひと時の幸せを切り取って繋げた優しい虚像。

 鳴り響く虫時雨。

 覚醒しきっていない状態では煩いと思いつつ心地いいと、天邪鬼に感じた。

 本日晴天。さんさんと光照らす島国の昼は暑い。誰も寄り付かない樹海の中で昼寝などしたらさぞや気持ちいいことだろう。

 風の音。小鳥の囀り。自然の音界が風流だ。


「いい天気だなぁ。」


 呟いたのは大樹の太い枝に身を預け、惰眠を貪っていた壮年の男。プアプアと呼ばれる袖や丈が長くてゆったりとしたデザインの民族衣装を長身に纏い中途半端な長さのはねた黒髪に白い肌を持つ。その瞳は深い緑を金が縁取り、獣の瞳ようだ。

 彼の周りには数羽の蝶々がひらりひらりと飛んでいた。

 瑠璃色と漆黒の羽根を持つ蝶々が止まる長めの前髪で隠されているが、男の顔には額から左目の目蓋を通り頬にかけてクロスするように傷痕が刻まれている。失明しているのか左目の虹彩は白く濁っていた。肌蹴た首筋にも大きな傷痕が除く。

 通称エリーと呼ばれるこの男は元軍人であるからして体に傷跡があったとしても不思議ではないが拷問でも受けたのか故意的に付けられたような傷だった。


「あれだねぇ。この時間、島の皆さんは汗水垂らして働いてるかと思うと、更に極楽。」


 エリー自身、本来なら仕事をしている時間なのだが乗り気がしないのでサボることにした。職場が自宅で主は自分。更に頼りになる店員がしっかりと接客している。サボったところで特に問題はないのだから心置きなく羽を伸ばせるというわけだ。

 ふわりと柔らかな風が舞った。甘ったるい植物の香りが鼻腔をくすぐる。強い芳香に顔をしかめて重い目蓋を開いた。


「うーん。あと少し。」


 寝言のように呟くと身を捩って再び目蓋を閉じた。体の力を抜けば思考が鈍り、夢寐へと落ちていく。完全に眠りに落ちた時と、樹海のどこかで大木が軋んだ音を立て地響きがしたのは同時だった。


「うるさいな。」


 悪態を吐きながら目を開き、鬱陶しく飛び回る蝶々を追い払いながら寝ていた木の上から辺りを見下ろすが何もない。地響きも治まったので再び眠ろうと木の幹に背を預けた刹那、すぐ近くの樹齢何百年もあろう大木を軽く二、三本は薙倒して見るも巨大な生物が現れた。

 不意打ちの轟音に半睡していた意識がたたき起こされた。全身に鳥肌が立つほどの緊張感、びくりと四肢が揺れて目が冴える。


「……ロポーダリア?」


 エリーは現れた巨大生物に眉を潜める。

 42本の足を持つ節足動物のような胴体と軟体動物のような触手を頭部より生やしたピンクと紫の入り混じる巨大な生き物ロポーダリア。

 小さな、小さな節足動物が神の力によって変貌した生物。

 神格化して顕現した彼らを神使と呼んでいる。

 神使。

 それは数百年前に突然変異で出現した凶暴性の高い異形の生物の総称である。800年前に起きた世界を壊す程の大災害の副産物。厳しい環境に身を守るために進化したのだ。

 知性を持つものも多く、彼らの持つ不思議な力は魔術だの妖術だの霊術だの語られているが、その多くは未だに解明されていない。

 神使となる顕現は一瞬であり、突然ポップコーンのように体が膨らみ神格化する。先程の爆発音はロポーダリアへ顕現した音だったのだろう。


「……神の使いね。」


 暴れる醜悪なロポーダリアの姿にエリーは頬を掻いた。

 映像作品のモンスターでもここまで醜悪な生き物はいないだろう。どうするべきか溜息を吐きながら頭を抱えるエリーは気付いていなかった。見開かれた黄金色の目に映る小さな影。

 ロポーダリアは何かを追いかけている。必死に逃げ回る何かは人の形をしていた。

 大木の枝から枝へ超人的な動きで飛びわたり逃げるが、見てのとおり体格差であっという間に追い詰められてしまう。

 覚悟を決めたか、小柄な人影は短剣を構える。

 襲い掛かるロポーダリアに斬り込もうと地を蹴ったのエリーが指を鳴らしたのは同時であった。瞬く間に閃光が走り、少し遅れて轟いた爆音と共に醜悪な化け物は灰となり、掻き消えた。

 木々の枝で羽根を休めていた数十種類の鳥が何百羽という数で一成に騒ぎ出す。

 ちろちろと残り火が宙を舞い生き物が燃える悪臭が鼻をついた。こうなればもう一寝という気分にはなれない。

 エリーは大樹の数十メートルの枝から海水の混じる地面へ張った太い木の根へ飛び降りた。家に帰り流水の如く静かに怒る冷徹な店員の可愛い顔を拝めば気が晴れるだろう。


「……気分悪いなぁ。」


 大きな欠伸をしながらエリーはぼやいた。


「おい。」


 突然、背後より声をかけられ、エリーはだるそうに後ろを振り返るが誰もいない。不思議に思い、キョロキョロと周りを見渡すがやはり誰もいなかった。


「おい、こらっ。」


 もう一度声がする。やはり背後からだ。今度は体ごと振り返るが誰も見当たらず、目線を下げた更に下。


「あんた、なにしたんだ?」


 自分の腰より頭一つ分も低い位置にいる子供が睨みあげている。銀髪で少女とも、あるいは少年ともつかぬ中世的な子供の顔立ちに顔を顰めた。服装から判断すれば少年だろうか。


「はぁ?」


 気のない返事で答える。寝起きで覚醒しきっていないとはいえ、こんな至近距離にいる人間の気配に気付けなかったことが心苦しい。


「君、怪我しなかった?」


 過ぎたことを悔いても仕方ない。とりあえずエリーは社交辞令として子供の安否確認をする。


「え?それより今のアホみたいな爆発は何だよ。爆風でHPゲージ赤なんだけど。」


 お世辞にもいいとは言えない子供の態度と同じ質問を二度されるという行為に、嫌悪感を覚えるが子供のすることに腹を立てても仕方がない。これを放棄するとまた同じ質問をされそうなのでエリーは適当に答えることにした。


「なんだろうね?突然爆発するから俺もビックリして木から落ちたところだよ。」


 エリーはこれでも優秀な魔術師だ。巨大生物の火葬など指一本動かすだけで事足りる。

 軍人時代は人並外れた火力の強さで大いにのし上がらせてもらった。素晴らしい才能の一物を与えてくれた神には感謝しかない。

 しかしながらこの世界は魔術を使う者に対して世知辛い。下手に手の内を明かせば確実に面倒なことに巻き込まれるだろう。

 詳しいことは知り合いにしか明かしてない能力を見ず知らずの相手に明かすほど愚かではない。


「間抜けじゃん。」


 悪態つく少年の存在に多少のわだかまりを覚える。エリーが魔術を使ってロポーダリアを消していなければ確実に食われていただろう。結果的に助けたという形になっただけだが邪険にされる覚えはない。能力を隠しているのだから礼を言われたいわけではないが、はっきり言って面白くない。

 それにしても年端もいかない子供が人の寄り付かないこの樹海で何をしているのだろうか。この島への道は一日に2度しか現れない。地元の人間ならば絶対に立ち入ることのない神域だ。

 想像を膨らませたところで全く関係のないことであり興味もわかないので話を進めることにした。


「で、いつまで座ってるの?腰抜けた?」


 大方、魔術の爆風で吹き飛んだのだろうが、からかい混じりに言った言葉に少年は目を逸らせた。


「立てる?」


 エリーが立たせようと手を伸ばすと舌打ちした子供の腕が動いた。手と手が触れる前に、エリーの腰に衝撃が走って地面に倒れこむ。


「ぐえっ」


 受身が取れず、エリーは地面と何かに挟まれるような衝撃を受けた。

 地味に痛い。

 顔を歪めながら目を開けると見知った人物の顔面が至近距離で映った。


「エリーさん。あたし、今怒っているの。」


 腹の上に乗り、胸倉を掴んでいるのは銀髪で青と紫の瞳をした焦げ茶色の肌を持つ通称スイと呼ばれる若い娘だった。エリーの住む七番島の神官である。

 実のところ本日は彼女と事務的な約束があった。


「よくも、よくもサボったッスね?来てくれるって信じてたのに、あたしと昼寝どっちが大事なのっ。」

「落ち着こうか。この殺人的に暑い中、馬鹿真面目に仕事なんてしてられないでしょ?人生息抜きってもんが必要不可欠ってね。昼寝は先人が作り出した大事な大事な文化だよ?」


 まるで面倒くさい恋人のようなセリフを吐きながら泣きわめくスイの肩に手を置いて慰めながら宥めた。直情型の激情家なスイは常に全力で感情表現をする。

 喜怒哀楽が激しいのも考え物だとエリーは苦笑を覚えた。

 しかしながら己のことは棚に上げて尤もな事をズバズバと遠慮なく言ってくるエリーに腹が立ち、スイは涙で潤んだ目で睨み上げた。


「普段から抜きっぱなしの人に息抜きって言われても断然、全く説得力ないッスっ。」


 スイとしてもエリーの言い分はよく分かる。

 この地域は温暖な熱帯地域であり、日中の気温は四十度を超える。確かにそんな中で真面目に仕事なんてしていたら具合が悪くなってしまうだろう。しかし、七番島に住むエリーの世話は七番島を治めるスイの仕事だと他の神官たちに責められ、この激しい日射と厳しい暑さの中で当ても無く走り回り、浅瀬を越えて観光の為の遊歩道に設置された立ち入り禁止のロープを越え、右も左も同じ景色の樹海に入って迷いに迷いながら探し回り、突然の轟音に震えながらも捜索を続けたのは何を隠そう目の前でヘラヘラ笑っている男の所為なのだ。

 感情表現に乏しい者でも泣き出すだろう。


「さぁ、エリーさん。こんな薄気味悪いところ早く出るっス。」


 さんざん喚き散らした後、スイは涙を拭ってエリーの手を引いた。


「薄気味悪いって神域に向かって神官が罰当たりな。」

「うるさい。うざい。七番島神官特殊補佐官とかいうまどろっこしい役職覚えてますぅ?自分の立場と役職分かってます?」

「そっちは副職なんだから適当に程々に業務遂行してるでしょ。」

「そっちが本職ですけど。」


 間髪入れないスイの切り替えしにエリーはわざとらしく驚いた表情を作る。その動作はスイの怒りに油を注ぐ。


「俺の本職は薬屋さんだし。」

「あんたが飲み屋だかオッサン達の集会場だかで薬屋の面影もないし、営業時間も営業日もバラッバラの八割道楽でやってるのは副職ですけどぉ?」

「初めて知った真実に動揺を隠しきれないよ。」


 スイに胸倉をつかまれながら飽きたり疲れたり眠くなったりした時、口が自然にあいて行われる深呼吸を堂々とする。


「せめて欠伸を隠して言えよ。そもそもあんたが面倒くさいって我儘言うからじいちゃん達が話し合って10日に一回会合にでるだけでいいってなったのにそれをサボるってっ。それをサボるって。」

「だって面倒くさいし。」


 顔をそらし、両手の人差し指でバツマークを作って嫌がるエリーへスイは容赦なく手刀打ちをお見舞いする。


「あんたがサボってなければ四時間前に終わっていたことッス。」

「いい加減諦めようよぉ。」


 今度は唇を突き出してぶつぶつ文句を言い始めた利己的野郎の額にスイは自分の額をグリグリと押し付けて視線を合わせて無言の圧力をかける。


「あーもう、分かったよ。帰ればいいんでしょ。帰れば。そーだ、話の途中でごたごたしてごめんね。」


 気だるそうに立ち上がると、ずっと無視していた子供に侘びをいれようと後ろを振り返るが既にその姿はなかった。


「あれ?」


 今度は視線を低くして探したにも係わらずそこに子供の姿は無い。


「どうしたッス?エリーさん。」

「今、ここに子供がいたんだけど。」

「誰もいなかったよ?」


 エリーが変なことを言っているようにスイは眉を顰める。


「寝ぼけてないで早く帰るッス。」


 視線を漂わせているエリーの手を引っ張り、スイは樹海の出口へと駆けていった。


「変な子。」


 つぶやいた声は風に流され、本人にすら掠れて聞こえる。その頭や肩には再び蝶々が止まった。

◆エリー…黒髪に金縁の緑目をした元軍人の仕事をサボった店主。魔術師らしい。

◆スイ…銀髪に青と紫のオッドアイをした地黒の女性。七番島の神官。

◆子供…銀髪に碧眼の中性的な子供。生意気。


◆神使…神の領域に生息する神の力を得て超進化した生物。数十年前より八番島にも出現するようになった。


ファンタジーの定番。巨大生物登場。

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