古傷
一番人口の少ない七番島ザージュ。のどかな昼下がりに老齢の男が空を見ていた。そこに一人の少女が通りかかる。島の外れにある海上の建物へ向かっていた。
「そこのお嬢さん。」
振り返ったのは薄いレース生地のワンピースにサブリナパンツを身に着け白い日傘を被った可憐な少女だ。
「ひょっとしてボクのこと?」
「そうじゃよ。」
老齢の男がにっこりと笑いながら頷くと少女もにっこりと笑う。
「失礼だなぁ。ボクは男だよ。」
「そんなナリじゃ見紛うじゃろうて。お嬢さん。」
男と言い張った少女は老齢の男の言う通り、見て分かるように愛らしい女物の服を着ていて顔立ちも少年と言うよりは少女と言うに相応しい。これでは誰が見ても間違うのも無理は無かった。
「アーシーって呼んでよ。お爺さん。」
「そうかい。私は唯の隠居爺じゃ。ところでアーシーさん。あの店に用があるなら開いてないぞ。」
「なんで?」
訝しげに眉を顰めると老齢の男は苦笑する。
「知らないって事は地元の人間でも観光客でもないのう。何しに来たんじゃ?」
「質問してるのはこっちだよ?」
「では立ち話も疲れるじゃろうからここに座りなさい。」
言われた通り、アーシーは老齢の男の座っている石段の隣に座る。
「まず、あの店に近づいちゃいけない。経営しているのは魔術師じゃ。何を考えているか分からん得体の知れない男。それに店員に魔女がいる。見てくれは美しいが恐ろしい女だ。なんでも彼女の歌を聴くと魂をとられるとな。」
「それ、この島に入った時に聞いた。魔術師って言っても自称魔術師の胡散臭い男らしいし、魔女の方もあまりの美しさに心を奪われるからって理由だけでしょ?」
眉を顰めてアーシーは老齢の男の話を否定する。
「つまらんのう。数日前に来た白いお嬢さんは可愛い反応じゃったのにのう。」
あさっての方向を見て臍を曲げた様に唇を尖らせる老齢の男。老人の言葉にアーシーはピクリと反応する。
「もしかしてボクを騙した?」
「騙したなんて人聞きの悪い。老人の戯れじゃよ。」
アーシーは剥れたまま立ち上がると建物へ歩き出した。
「さっきも言ったとおりその店は開いてないぞ。」
「もう、その手にはのらないよ。」
「ここ二日は夜も開いとらんよ。いつもは神官様が店主の尻を蹴とばして夜くらいは開くんじゃがのう。衝の夜を最後にぱったりじゃ」
年配者の言葉を馬鹿にしちゃいかんと囁きながら老齢の男は笑う。
「お話どぉも。」
アーシーは老人を残してその場所を去る。
老齢の男はモティールの常連客だ。店が見える路地の手すりに座り店が開く時を待っている間に観光客を揶揄う暇人であった。
「統括、聞こえる?」
アーシーは意を決して上司に連絡をとる。確認する為と許可をとる為。
『どうしました?アーシー。』
数秒もしない内に返事が返ってきた。相変わらず勤勉な上司だと笑みが出る。
「最弱勇者、ウォールにいるかもしれない。」
『根拠は?』
「白い少女を見たっておじいさんに会った。この世界に白いと形容されるカラーの人種は皆無に等しいでしょ。」
『そうですね。色素の薄い方もいますが白と形容するならアーシーかヴィーくらいでしょうね。』
始祖ヴィーと融合した特式の調律師ヨウは髪が白く変貌している可能性は高いだろう。
「いつ来てもおかしくない。もう時間もないし目的の為なら何してもいいよね?」
『……許可しましょう。後始末はこちらでします。』
通信が終わるとアーシーは空を見る。極彩色に彩られた深い青空は季節の所為だろうか。少し高くなったかのように思われる。
アーシーには気にかかっている事があった。
エリーの吐いた悪態“Penitenziagite”という単語。これは地球の言葉だ。
「罪を認めて神に心を向けろって?」
アキシオンに人間を教えた人種が信仰深い調律師だったのか。それともエリーもといナルに何かがあるのか。
地球の神を信仰していなければこの言葉を知ることはない。
始祖から広がった諺もあるが教養のかなり高い者でなければ知りえないことだ。
「調べても白紙。覗いても白紙。まるで透明人間の傀儡師が操る人形みたいだ。」
どれだけ人形を調べても何も分からない。情報を持つ傀儡師は見ることすら出来ない。
「気持ち悪いなぁ、あいつ。」
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「あんたの行動が理解できない。」
中途半端な長さの赤い髪をした青年は蔑むような冷たい声で言った。薄い紫色をした瞳が酷く責め立てている。
「どうしてあいつらに賛同する。こっち側だと思ってなのに、二人に執心なのも結局偽善かよ?」
「俺の全てを知っているような話方はやめてもらえるかな。誰も他人の本当の気持ちなんて分からないよ。」
静かに赤毛の男の罵る言葉を遮る。穏やかに笑うと男の表情は更に険しくなった。
「あんたは仲間を売ったあいつらを許すっていうのか。今の状況に黙って従うのかよ。」
男の言葉通り許したわけでもなければ黙って従う気もない。しかし、今の自身がどれだけ有能であったとしても数の多さで取り込まれれば負けてしまうだろうと行動に出れないのだ。無慈悲に命を殺める覚悟もないのだから。随分と古びた書物を握る手に無意識に力が入った。
「争いは争いを、憎しみは憎しみを。負の連鎖を起こすべきじゃない。」
激流のように流れる怒りのまま破壊に走れば楽になるだろう。しかし泣きながら叫んだ憎しみを叶えるより、笑いながら語った夢を祈りたい。現実から逃避するような理想論であっても大切な存在が願ったことならば諦めたくなかった。
「まさか、あの女の戯言を信じるのか?あんなの虚勢だ。信じたら救われる?この世界に神はいない。」
「彼女を全面的に信じているわけじゃない。彼女だから信じているわけでもない。」
「ならどうして。」
問い詰める男に返す言葉も無く押し黙る。大切な存在と同じ言葉を口にしたから信じるなど稚拙で浅薄な理由を口にできるはずもない。
「Homines id quod volunt credunt.」
書物に綴られた一節を読むと、赤毛の男に背を向ける。
「そうやってまた誤魔化すんだな。」
寂しさを含んだ赤毛の男の声が耳を掠った。
「俺が憎むとしたら、誰一人守れない俺自身だ。」
振り返って諦めたような自重の笑みを零すと赤毛の男に殴られた。
「お前の所為じゃないといっただろう。悪いのは奴らだ。」
「でも、俺は俺を許せない。」
殴り倒されたまま白い天井を見上げ、悔恨の濁流に飲まれる。
やるせない気持ちに唇を噛み締めた時、額に冷たさを感じて瞬きをすると視界に映る景色が一変した。
「あら、起こしてしまいました?」
目の前にあるのは白い天井でなく自身の顔を覗き込みながら冷たいタオルで汗を拭くミーネだった。
今まで景色が夢だと分かるがまだ夢の中にいるような不思議な感覚の中、起き上がると右肩から腹部にかけて激しい痛みを感じる。
「動いてはいけませんわ。傷が開いてしまいます。」
ミーネは痛みで顔を歪めるエリーを慌てて支える。
「……人間は信じたいと望むことを信じる。」
夢の中のエリーがR-0009に存在しない言語で呼んだ一説。夢の中の自身はどんな気持ちでその言葉を口にしたのだろう。
時々見る知らない世界の夢。
あの赤毛の男は誰だろうか。それなりに親しい人物だった気がする。会話に出てきた全てが誰なのかも分からない。
二人がいた白に囲まれた空間に見覚えがあったが、どこなのかも思い出せない。現実の過去ではなく自分の想像が作り上げた唯の夢だったのだろうか。
それにしては鮮明で胸が熱くなるような懐かしさと、絶望感が未だに己を苛んでいる。
「エリー?」
呆然としているエリーに不安になり、ミーネは彼の名前を呼ぶ。
「……ミーネちゃん、おはよ。」
十秒くらいミーネを見つめてエリーは言った。
「おはようございます。」
心底呆れたミーネの表情を見ながらエリーはそっと身体を倒して横になる。身体に重度の怠さを感じた。深い傷の所為で発熱しているのだろう。
ミーネは虚ろな顔をしているエリーの額に冷やしたタオルを置く。視線だけ動かしてエリーはミーネを見た。
「俺、どのくらい寝てた?」
眠りすぎたときに起る特有の頭痛を感じている。相当な睡眠時間だったに違いない。
「丸二日程。」
「スイちゃんは?」
「神官業を休むことなくこなしていますわ。先程までお見舞いに来ていましたけど公務がありますからリーリーさんが呼び戻されました。」
神官であるスイは一責任者。色々と忙しいのだ。
「ちょっと失礼致しますわ。」
言って立ち上がるとミーネは部屋の出口へ向う。
「何処行くの?」
「スイにエリーが目覚めたと連絡してきます。」
ハングル型の白いティスクを指差しながら簡潔に告げてミーネは部屋を出た。傍に居て欲しいなどと子供のような考えが浮かんだのは変な夢を見た所為だろうか。それとも熱の所為だろうか。
静かな空間に侘しさを感じるがそれどころではなくなったエリーは額のタオルととって起き上がる。
「……何か用?」
目線の先には金髪の娘パティが窓の棧に座っていた。その腕にはアキシオンの製造番号が刻まれている。
「派手にやられたな。」
エリーの服の下に覗く白い包帯に目をやりながらパティは部屋に入った。
「……なんで窓から入ってくるかな。本当に常識がないよね。」
前回は4階の窓だったが今回は5階の窓まで上り、進入を果たしたパティ。しかるべき入り口から入って階段を上ってくればいいというのに彼女は窓を出入り口としている。
「貴様の口から常識って単語が出てくるなんて意外だな。」
「……君よりは常識を弁えてるよ。」
呆れと関心の溜息をもらしながらエリーは起こした体を元に戻した。
「本当に調律師が来てるんだな。何で貴様がいてここまで大事になるんだよ。煩わしいなら昔みたいに容赦なく追い返せばいいだろう。」
「……パティに関係ない。」
エリーがそっけなく言ってのけると容赦ない拳が頭上に降ってきた。間髪入れずに避けると、1秒前までエリーの頭を乗せていた枕はパティの拳が埋まり穴が開いている。
「ちょっ、何っ。」
頭を抱えながら視界に入ったのは、くるりと踵を返す姿。構える暇もなく膝蹴りが跳んでくる。丈の短いスカートが翻ってカラフルな下着が見えるが嬉しくもなんともない。
避けたエリーは寝床から転げ落ちた。
「……怪我人になんて事を。」
非難の声を唱えるがパティは聞く耳を持たず、床を蹴った。慌てて起き上がって回避するが攻撃は止まらない。足技が炸裂する。
「つっ」
風を切って繰り出された掌打を止めるが、衝撃による痛みで怯んだ隙に腕を掴まれ流れるように捻り上げられた。
「いい眺めだなぁ。」
「うぐ。」
脂汗を流して苦痛の表情を浮かべ喘ぐエリー。パティはこの男のこんな弱い姿は初めて見る。見れば傷口が開いて白い包帯に血が滲み滴っていた。その様子にパティは顔を顰める。
「随分、か弱くなったものだな。そのくらいの傷なら数秒で治るはずだ。」
「……人をバケモノみたいに。」
弱っていても減らず口のなくならないエリーをパティは鼻で笑った。
「違うのか?」
捻り上げる力を緩めるとパティはエリーの長い前髪を掻き分ける。
「こんな傷跡が残る身体じゃないだろう?」
垂直に裂かれた一筋の傷痕の上に右上から斜めに一本刻まれるという奇妙な傷痕。失明して白く濁った瞳。パティが知る限り、エリーの顔にこのような傷は無かった。それ以前に即座に再生するアキシオンであるエリーの身体に傷跡など残るはずがないのだ。
「どこかで転んだのか?」
傷を撫でながらからかうがエリーは押し黙ったまま何も言わない。
「答えろよぉ。」
パティは体重をかけて掴んだ手を更に捻り上げるとエリーの顔は痛みに歪む。関節の可動域を無理やり超過する激痛に冷や汗が滴った。
「……イヴにやられた。」
「イブに?」
意外な答えにパティは再び捩じり上げる腕の力を少し緩めた。
イヴは原点であるプロトタイプのアキシオン。感情がなく意思疎通も出来ず知能の有無も怪しい存在だ。ずっと実験室に繋がれており簡単な命令すら実行できない置き人形である。
「何をしたか、何の能力か分からない。14年前、この傷を付けられてから力が9割は削がれた。」
エリーが力を失ったのは14年も前になるだろうか。アキシオンの能力が使えなくなり、身体能力も随分と落ちた。些細なことでケガをして考えられないほど治りが遅い。
初めて身体を鍛え、魔道の原点に戻って魔力を高める鍛錬をした。ミーネの助けがなければ野たれ死んでいただろう。
「成程。」
何かに納得したようにパティは笑みを浮かべた。
「寿命が近いのかもな。私たちは成長も老化もしない。しかし命は有限ではない。失った再生能力と魔力、命尽き果てる予兆だろう。」
「事例があるの?」
「残念ながらある。個人差はあるようだが20年前後で力を失ったアキシオンは即刻処分されるから何年生きれるかは不明だがな。」
パティの答えにエリーはそうかとだけ答えた。一時期は死に方のわからない自身の体に嘆いていたが、人間と同じく終わりあることに安堵する。
「力を失っても……、貴様の場合はイヴに奪われたと考えるほうが妥当か。なんにせよ14年は生きれ、本人次第では何割か力が戻るか。面白い情報だ。司令が喜ぶだろうな。」
「……人を実験体みたいに。」
「我々アキシオンは兵器であり、命ある限り実験体だ。」
鼻で笑ったパティは小刻みに呼吸をして必死に痛みを逃しているエリーにかけていた体重を緩めた。痛みにつめていた息がゆっくり吐かれる。
「ところで身体能力が凡人並になったとしても貴様がここまで無様にやられるとは思えないな。わざとかやられたのか?死にたがりは貴様の悪い癖だ。」
「……うるさい。」
エリーの身体能力ならばマキを止めることもリュティーアシーカを受け止めることもできただろう。しかし、咄嗟に自身の体を盾にスイを守り斬られた。命を捨てにいったわけではない身体が動いただけだ。
「……パティ。俺は8年もここにいた。今更どうしたんだ。」
「私は唯、貴様の様子とウォールの異変を見て来いと言われただけだ。それ以外に指令はない。ただ、司令はお前も知っている通りの男だ。きっと何か面白い企みがあるだろうな。」
楽しそうにパティが笑っていると、ノックの音が聞こえてスイに連絡を入れたミーネが軽食を持って入室してくる。
「エリー、物音がしましたけど動くと傷が開きますわ。」
呆れ顔で注意するミーネが見たものはエリーの腕を捻り上げて押し倒すパティ。ついでに傷は開いて床に大きな染みを作っていた。
「お食事の前にお客様の腕を落としましょうか。」
目だけで人が殺せるほど冷淡な眼差しと、身の毛もよだつ声をだすミーネは魔女そのものだった。
「美人なのは認めるが性格悪そうだな。」
目を光らせるミーネへパティ素直な感想を口にした。
アーシーは顔立ちがビスクドールのように可憐過ぎるので女子っぽい服しか似合わない。趣味で着ているわけではないが若いお姉さん方にキャーキャー言われながら着せ替え人形になるのはまんざらでもないから着る服はいつもお任せ。
重症の怪我人を殴り飛ばして関節技をかけるパティさんは冷酷。因みに彼女の下着はビビットピンクのボタニカル柄。アイランドリゾートを満喫してます。




