喜劇
コツコツと靴の音を鳴らし、煙管を吹かしながら街中を歩く長身の男。極彩色で輝く街の明かりにも負けずに高く昇った衛星と13の環が夜道を照らしていた。
「綺麗だねぇ。」
空を見上げ、エリーは呟いた。
スイを探して北東と南東の小神殿へ足を延ばしてきたエリーは七番島ザージュに戻ってきた。
時刻は11刻(約22時頃)に差し掛かろうとしている。祈祷の痕跡はあった為、七番島ザージュへ戻っている筈だ。
「リーリーさんと会えていればいいけど。」
リノと分かれてスイを探すエリーは溜息を吐く。一度閉じて再び開かれた双眸に鋭い光が宿った。その視線は闇の一点を射抜くように睨む。
『私の心の中にいる愛しい人よ、夕暮れになると恋しくなる。あなたの香りは心地よい香り、あなたの声は優しい声、夕暮れになると恋しくなる。』
何もない空間から直接脳内に響くようなボーイソプラノが唄った。
「お子様にその歌は早いんじゃない。」
率直な感想を述べると、闇から浮き出るようにアーシーが現れた。相変わらず性別をはき違えたような服装をしていて頭痛がする。
「プレゼント。」
アーシーから投げ渡されたのは赤いリュラ蝶。ピンク色のピンで標本のように貫かれていた。蝶は手に取るとはらはらと崩れ赤いと変わり散りながら落ちて朽ちた。
「何かな、これは。」
「警告だよ。」
恭しく頭を垂れたアーシーは闇の中へ溶けるように消えた。
「相変わらず趣味が悪いね。」
赤い羽根のリュラ蝶は七番島ザージュに生息する個体。基盤のような花脈の花弁は八番島エイヴァにしか咲かない希少種。
リュラ蝶を留めていたピンの石はルヴェリエ・メリと呼ばれる女神の祝福を意味する鉱石だ。
七番島ザージュに生息する蝶、八番島エイヴァに咲く花、女神を連想させる石。
赤い羽根のリュラ蝶をスイに喩えた警告ならば八番島エイヴァにある巨大な女神像の首へ誘い込んだことになる。
わざわざ蝶をピンで貫いているのだから彼女の身に危険がおこるという警告だ。
散歩気分で探している状況ではなくなった。
アーシーの暗号めいたややこしいメッセージを理解したエリーは懐から取り出した数枚の黒い紙切れに息を吹きかけた。黒い紙切れは白く発光したあと蝶々へと形を変えて飛んでいく。エリーは真っすぐ飛ぶ蝶々を追いかけた。
その様子を満足そうに眺めながらアーシーも歩き出す。
「魔女だけじゃリュティーアシーカの強化に不十分。ちまちまα元素変異体を狩ってもキリがないし時間もない。神力を持つ神官様と疑似魔力を使うアキシオン。世界の為に身を捧げられるなら本望だろう?」
役者にアーシーの糸が絡まった。断ち切る術を誰も知らない糸。シナリオ通りに滑稽な人形劇が幕を下ろした。
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エリーがスイを探しに出て早半刻(約1時間半)。作り置きしておいた品も切れ、客足も途切れたモティールには閉店の札がかかり明かりも消えていた。
多くの草花が栽培される4階のテラスで仄かに輝く空間が浮かぶ。十数の光る羽虫と夜行性の蝶が光に誘われて舞っていた。
ミーネは手元の籠の中にメニューの原料となる薬草を次々と摘んでいた。
ふと、手を止めると鮮やかな緋色の花を摘み、髪に挿す。その姿をガラス窓に映し、にこりと微笑んだ。一人の時間をミーネなりに楽しんでいると見知った姿が視界を掠めた。夜目にもはっきりと映る銀糸の髪。
「スイ?」
彼女は4階から見下ろすミーネに気付かず、慌てた様子で地下室の扉へ消えた。モティールの地下には四方が鏡に囲まれ、床と天井に複雑な文様の魔法陣が描かれた空間がある。
ある二つの地点の空間を捻じ曲げて繋ぎ、瞬時に移動する空間転移魔術が施された場所だ。理論的に可能なものとして取り敢えず教本に載っているだけの、不可能といわれた魔術の中で最も難易度の高い高等な術式。目的地に同じ魔術を施せば世界の裏側まで瞬時に移動が可能だが、対象物がなく己の意思で移動先を決めるならば精々20~50キロメートルが限度だろう。
これは電動式の転移魔術装置だ。不足分の供給エネルギーを太陽光発電を蓄電した電気から補う為、魔力の乏しい者でも使用が可能になっている。
スイが態々、これを使うとなれば目的地は一つ。八番島エイヴァくらいしか思いつかない。こんな夜中に怪物の蠢く樹海に何用だろうか。
「気になりますわね。」
ミーネは花籠を片付けると地下室へ入った。やはり、スイは空間転移魔術を利用したらしい。四方の鏡が熱を持ち、部屋全体の気温が上がっていたのだ。
魔法陣の中心に立ち、合せ鏡の中に入る。
密室に風が旋回し、視界が高速で回った直後、ミーネは薄暗い八番島エイヴァの樹海の中に立っていた。
音のならない鈴がついた腕輪を鳴らし、スイの気配を探る。
「見つけた。」
ゆっくり目を閉じ、息を吸い込むと左手の人差し指を銜える。
Phuoooooo
風を切る高音域の口笛が聞こえたかと思うとミーネの姿が消えた。実際には消えたように見えただけで目にも映らぬ速さで移動したのだ。音速の移動魔術。
「お待ちなさい。」
「うわっ」
突然、目の前に現れた黒い影にスイは尻餅を着いて驚く。
「ミーネちゃん!?」
「こんな時間に神域をうろつくなんていけませんわ。」
呆れたように笑うミーネの視線が鋭く変わった。唇に人差し指をあてて静かにと囁く。スイを立たせて草叢に身を隠すと獣型の神使が通る。勝てない相手ではないが今は夜。視界の不自由な暗闇で無駄に騒ぎだてたくない。
「取り敢えず戻りましょう。スイ。」
「平気だよ。神官だもん。」
そう言ってスイは草叢を出て歩き出した。
「そうですわね。貴方は神官ね。でも戻りましょう。エリーとリーリーさんが貴女を探していますわ。」
「エリーさん。」
名前を聞いてスイは歩みを止めた。一瞬、怯えたように肩を揺らしたのはミーネの気の所為か目の錯覚か。
「何かありました?」
「何でもない。」
歯切れの悪い口調と逸らした目。嘘だという事が一目で分かる。
「あたし、ちょっと用があるから。」
「では、御一緒致しますわ。」
再び歩き出したスイに続くミーネ。
「いいよ。一人で行くから!」
必要以上の大声で拒絶するスイ。明らかに様子が変だ。
「スイ?」
ミーネはスイの手を取って動きを止める。
「海祟の事もマキ君の事も神官のあたしがやる事だからミーネちゃん達は何もしなくていいよ。」
冷たく、突き放すような言い方。確かに治安維持は神官の仕事だが、スイ一人でどうにかできることでもない。
「ミーネちゃんもエリーさんもアタシの事なんて信じてないんでしょっ。」
滾る様な怒りと悲しみに満ちた目で訴えられ、ミーネは言葉を失う。
「そんな。」
誤解が生じているスイに対して、ミーネは慎重に話さなければならないと頭では冷静に考えるが驚愕と狼狽で言い知れぬ不安に襲われる。
「わ、わたくしが、エリーがスイを信用しないなんて有り得ませんわっ。」
「だったらっ」
怒鳴り声を上げると泣きそうにエリーの顔を歪めた。耐え忍ぶように握られたスイの手には血に滲んでいる。
「どうして……どうしてエリーさんがアキシオンだって教えてくれなかったのっ。」
感情に任せて切れ切れに叫んだ本音。最後の方は殆ど上擦り涙が零れ落ちた。
「ミーネちゃんは知ってたんでしょ?あたしは神官だよっ。知らなかったら、守れないじゃんっ。」
暑い夜。ミーネは全身が冷めていくように感じる。呼吸すら忘れて立ち竦むミーネを一瞥するとスイは樹海の中へ走っていった。
アキシオンという不穏分子から島人を守るという意味か、差別や誹りからエリーを守るという意味か。恐らく両方だろう。スイは自身が統治する島人に対して平等であろうとする。
ミーネが我を取り戻した頃には足音すら消えていた。それでも追いかけねばと走り出すと躰の動きが止まる。よく見れば木々の間から漏れる僅かな明りが纏わり着く細い糸を照らしていた。
見覚えのある糸と気配。
「隠れてないで出てきたらどうですっ。」
声を張り上げても何の反応もない。大きく息を吸い込み、腹の底から声を出す。
「アーシー!」
普段のミーネからは想像ができない怒声に、空から赤い花びらが降ってくる。
「呼んだぁ?」
真っ白な子供が天から舞い降りるように現れた。
「スイに何をしたの。」
冷静を欠いて問い詰めるミーネにアーシーは剥れた顔をした。
「なんでボクの所為にするのかなぁ?まぁ、あの神官様に色々と言い包めて遊んだのは事実だけど。」
舌を出して嗤うアーシー。確かに直接手を下していないようだ。しかし、何を吹き込んだと言うのだろう。
「一体何をっ」
「何も知らないみたいだからホントの事、教えてあげただけ。あとちょっと背中を押してボク達のところまで堕してあげただけ。」
これでスイの様子が変だった事と情緒不安定な言動に納得した。ミーネは目の下に皴を刻んでアーシーを睨む。
「怖い顔しなくてもいいよぉ。あいつの悲しみも今日で終わりだから。」
「終わりとはどのような意味です?」
必死で怒りを抑え、平静を保つミーネの声は低い。首が据わっていないかのように、右へ左へと頭を揺らすアーシー。
「答えなさい。」
「怖ぁい。でもねぇ、命令されるのってぇ死ぬほど嫌いなんだ。」
不気味な嗤いを浮かべると、体に巻きついた糸が絞まる。細い、細い糸はミーネの肌に食い込んで紅い傷を作った。
「不愉快です。」
ごうっと音を立てて糸が燃える。糸に切られたミーネの皮膚は流した血を残して塞がる。
「本当に規格外。エリーちゃんと違って帝国軍に入隊前の事調べても何も出てこないし、魔女さんって何者?」
「神に選ばれた民の末裔とでもいいましょうか。」
「なるほどね、神の領域は調律師の管轄外。情報がないわけだ。」
この世界は人の領域と神の領域に分かれている。800年前の大災害で汚染された地域は神が人から所有権を取り戻したという伝承から神の領域と呼ばれていた。
人の領域では、全ての個人情報が出生時から記録管理され保存されている。厳重に管理されているが、悪用を防ぐために情報管理は徹底されていた。本名を名乗らず、通称を使用するのも管理の為だ。
神使とも呼ばれる魔女のミーネが神の領域で生まれたのであれば記録にない事の説明がつく。
「アキシオン以外の人型α元素変異体は交流が少ないからこの前は油断したけど、ボクの糸が捕縛しか能がないとか錯覚してないよね?」
新たに首の裏につながる一本の糸がミーネ体の動きを止めた。直立したまま、言葉を発することさえ出来ず指先も動かなかった。
「ボクの糸は電気信号を送ることで脳の命令を狂わせることができる。基本的な人体構造は同じだ。魔女さんの鼓動や呼吸を止める事も可能だよ。」
にたりとアーシーが笑った瞬間、ミーネの心臓が数秒間動きを止めた。目の前が暗くなり、身体の力が抜ける。重力に沿って倒れる体を再び絡みつく糸が受け止めた。
「調律師や始祖みたいに超速再生させる身体と始祖の能力に匹敵するα元素汎用術。魔女さんの力は厄介だけど使わせなければただの女だよね?」
見下しながら零した単語はミーネの感情を激しく刺激した。
「今回はお前にもエリーちゃんにも何もしないから終わるまで大人しくしててね?きゃはははははははは。」
高笑いながらアーシーは闇へ溶けるように走り去っていった。
「クソッタレが。」
常に上品な雰囲気を纏うミーネがチンピラのように口をへの字に曲げて低い声で悪態付く。声は出るようになったが先程のように魔術が使えず体も思うように動かない。
なんとか抜け出そうと身を捩るが絡みついた糸は一層きつく食い込むだけで事態は悪化するだけと成った。
アーシーが親切心を起こしてスイにエリーの素性を教えたとは到底思えない。何かの目的があって誣いれ唆したのだ。ならば、早くスイを探さなくてはスイの身が危ないかもしれない。
極細の糸がキリキリと締め付け、肉を裂くことも構わずもがいた。
「スイ、スイっ」
どれ程、叫んでも声は届かない。
焼き切ろうにも糸から微量に分泌される電磁に魔力を乱されて魔術を発動できない。傷口から流れる鮮血が糸を伝う。
どんなにもがいても糸は切れない。
「ミーネちゃん。」
風に乗った呼び声が耳に届くとミーネは青い炎に包まれる。全身を包む炎は糸だけを燃やした。
「大丈夫?」
残り火に照らされて姿を現したのはスイを探しに出たエリーだった。
「おっと。」
安堵の為か、身体の動きが自由になった所為か足元から崩れ落ちるミーネを慌てて支える。
「エリー。スイが、スイがっ」
神の佑助といっても過言は無いエリーの登場に縋り付いて動揺するミーネ。
「落ち着いて。スイちゃんがどうしたの?」
「エリーがアキシオンだと知りました。自分は信用されてないと仰ってマキ君の事も海祟の事も自力でなんとかすると行ってしまって、追いかけようとしたらアーシーが……。」
アーシーの名前が出たところで、ミーネを落ち着かせるために背中を摩っていた手が止まる。
「ミーネちゃんは戻って。スイちゃんは俺が追いかけるから。」
「エリー、調律師はまた貴方を処分するなんていいませんよね?」
縋るような目で聴かれた思いもよらない質問に吸い込んだまま息が詰まった。エリーは過去に何度も調律師に殺されかけている。
「分からない。」
ポツリと言い、闇を劈く高音を出してエリーはミーネをモティールへ転移させた。風が旋回し視界が高速で回った直後、ミーネはモティールの鏡の部屋に戻っている。
一緒にスイを探せばよいものをエリーは強引だ。ミーネは息をついて立ち上がるとアーシーの糸で切れた服を着替えるために自室へと向かった。
自室へ入り替えの服を出して破損した服を脱いでいるとき、はっとあることに気づいて口元を覆う。
「エリーはどうしてエイヴァにいらしたの?」
全てが罠である可能性が過り、ミーネは中途半端に服を脱いだままその場に座り込む。慄然として手足がすくみ動くことが出来ずにいた。
◆ルヴェリエ・メリ…女神の祝福を意味するピンク色の鉱石。
調律師って現地人からしたら何してるかわからないし怪しすぎる存在。




