悪戯
夜の帳に包まれる東の空には、朱色に染められた2つの衛星。
最後の光が消え、空の支配者が完全に闇へ移った頃、公務の残る神官は出掛けて行った。今宵は衝。強すぎる明りの所為で星が見えない。13の環と2つの衛星の光りに小さな星は掻き消され、一等星ですら薄れている。
少し間を置いて、神官の後を追いかけて出かける一人の男がいた。目的地は魔術師の薬屋。
本日のおすすめメニューが書き足された看板が置かれたモティールは多くの客で賑わう。ドアベルが涼やかな音をたてた。
「いらっしゃいませぇ。」
気の抜けた声で出迎えたのは胡蝶屋の愛称で呼ばれるこの店の店主エリー。白いシャツにエプロンと清潔感漂う服装で、とうとう気が狂ったのか今夜は獣の耳を象った飾りまでつけていた。
「リーリーさんじゃないの。一人で店に来るなんて珍しいね。何呑む?」
唖然とする来客に気の抜けた声のまま接客をするエリー。リーリーと呼ばれた男はカウンターに座らされオロオロと慌てる。
「あの、呑みに来たわけではなく、神官様はいらっしゃいますか?」
彼は神官の補佐をする副神官。親しい人間からはリーリーと呼ばれているが彼の通称はリノだ。つまり七番島ザージュで二番目に偉い人物だ。どうやらスイを探してここまで来たらしい。
「一緒に探そうか?」
通信すれば早いのにと思いながら言えばリノは首を横に振る。
「いえ、大した用はありませんから。」
副神官が態々、神官を捜しているというのに重要な用がないはずがない。そもそも今は祈りの公務中だ。モティールに来るよりも祈り先へ探しに行くべきだというのに判断能力を著しく下げるような出来事があったのだろう。リノは早々に席を立つといそいそと店を出て行った。
エリーは暫く考えるとエプロンと飾りの耳を外す。
「ミーネちゃん。ちょっと出てくるからお店お願い。」
「ええ、お任せください。」
ひらひらしたエプロンと獣の耳をつけたミーネに見送られてエリーは店を出た。
「リーリーさん待って。」
「胡蝶屋さん。」
振り向くリノの顔色は冴えない。
「もしかして、また海崇が起こったの?」
返事がなくても表情を見れば分かる。居心地悪そうに瞳を逸らした行為で肯定された。神官に召集がかかったのだろう。
「今回は、目撃者がいまして。」
リノは歯切れ悪く、話し出した。四半刻前(約1時間前)、一番島の大通りで起こったらしい。なんとラカにも記録映像が映っていたのだ。
「私もラカを見たのですが、人が自然に燃えたのです。火の気もなかったただの道で。」
「人体自然発火現象ってやつね。」
発生した現象には必ず科学的に解明できる原因がある。惑星移動を可能にするほど科学文明が栄えたと言われた数百年前の科学力であれば殆ど解明できたことだろう。しかし文明の衰えた現代では難しく原因不明の超常現象として扱われる。
リノは自身のティスクに複製したデータを取り出すとエリーに見せた。一番島クーの大通り。何度が通ったこともある道だ。そこには多くの観光客が和気藹々としている。
通りを歩く一人の人物をリノが指差した。画面が一度ぶれた後、数秒で体が干からびて青い炎を口から発しながら燃えた。全身が真っ黒になり、手足の一部は灰になるほどだ。
周りの人間は悲鳴を上げることもできずに腰を抜かしている。
「やはり、祟りなのでしょうか。」
「リーリーさん。人の体には空気に触れるだけで発火する非常に可燃性の高い物質が作り出される事があるから自然発火するだけなら不思議な現象じゃないよ。でもこの定義で海祟の変死体は出来ない。」
科学的なエリーの説明にリノは首を傾げる。
「短時間で人体を黒焦げにするなんてかなりの高温で焼かれたはず。そんな高温にさらされて衣服がほぼ無傷で残るなんてありえない。自然現象にせよ、人為的にせよ不可解すぎるね。魔術の術式だとしても残骸が中途半端だね。そもそも魔術だとしたら術の痕跡が残るはずだし。」
独り言のように呟きながらエリーは考え込む。
自然に発火して黒い死体ができあがったとなると海祟はマキがリュティーアシーカを使用したという推測は外れたようだ。リュティーアシーカと同能力の術式を使い発症時間を調節する事も可能ではあるが、マキがそれ程の使い手とも思えない。
「ここで考えても仕方ないか。スイちゃんを探そう。」
「胡蝶屋さん?」
「俺は北東と南東の小神殿に行ってみるからリーリーさんは七番島西の小神殿に行ってみて。」
エリーは一人で納得して指示を出すとリノを残して歩き出した。
。+・゜・o◯.。.o・゜secret゜・o.。.◯o・゜・+。
海神アブルルが御座すは八番島エイヴァ奥深くの塔のような遺跡。そして八番島エイヴァを均等に囲むように五つの小さな塔の遺跡がある。フィレナキート諸島ではこの塔のような遺跡を本神殿、小さな塔の遺跡を小神殿として崇めていた。
日の出の時に朝の祈りを終え、身を清めて八番島エイヴァにある本神殿へ行き祈祷。
昼過ぎの干潮時に現れる北西と北の小神殿二つに祈祷し、日の入りの時に夕方の祈り。
宵の干潮時に表れる北東と南東の小神殿二つに祈祷を終えるて七番島ザージュの西側にある小神殿へ祈祷をして七番島神官に課せられた衛星が最も輝く日の祈りは終わる。
前は移動にかなりの時間をようしたが、移動中の危険を懸念したエリーが用意した魔道式の装置により短縮されたため楽になった。
七番島神官特殊補佐官として全ての祈りに護衛として付き添っていたエリーだが安全となった今では本神殿への祈りのみだ。
「ふぃー疲れたッス。」
五つ目の小神殿への祈りを終えたスイはぐっと背筋を伸ばすと空を見上げた。河のように空を流れる環と円形となった青い第一衛星ミラと赤い第二衛星エルが輝く。
祈りを終えた後の神秘的な夜空がスイは好きだった。
「こんばんわ。」
ぼんやりと夜空を見ていたスイは聞き覚えの有る声に勢いよく振り返った。
闇に紛れるように黒で統一された服に身を包み、フードを目深にかぶって白い髪を隠す少年。スイは背筋に悪寒が走るが気付かれないように冷静に努めた。
「アーシー君。」
なるべく冷静に対処しようと抑えた声は頼りなく掠れる。
俯く顔を覗き込まれ、咄嗟に顔を逸らすが頭一つ分も小さな子供に顎を掴まれて強制的に視線を合わせられた。
「なぁに。ボクが怖いの?」
図星を指されたような言葉で頭に血が上る。音がするほど強く振り払うと睨み上げ、口を開けば自分でも驚くほど低い冷たい声が出た。
「寝言も程々にするっス。」
「酷いことするね。」
振り払われた手をわざとらしく手を摩るアーシー。
「あんたのがミーネちゃんをっ。」
汚いものでも見るように睨みながら言い募ると、胸に手を置いて傷ついた顔をするアーシー。
「冤罪で責められると傷つくな。なんでボクの所為になるの。ボク、何か悪いことした?」
白々しい。
アーシーの女子が着る様な服装にも嫌気が差す。真っ黒な服に包まれた真っ白な少年。人を唆すために悪魔が天使に化けて現れたという表現が最も似合う。
「ボクだってびっくりしたんだよ?」
探るようにスイが見ていると唐突にアーシーは話し出した。
「あの魔女さん、何者なの?調律師の再生能力を凌駕して傷物にするなんて、まるで始祖の力だよ。エリーちゃんもそうだけど規格外のα元素変異体が二人揃ってるなんて偶然とは思えないね。まぁ比較できるほとα元素変異体との接触はないから一概には言えないけど、気持ち悪いし。」
不愉快極まりない内容で表情が険しくなる事をスイは自覚した。聞きなれない単語もいくつか出てきたがそんな事は後で調べればいい。
スイはミーネを魔女と侮辱するアーシーが許せなかった。
「ところでさ、エリーちゃんに会いに来た金髪の美人がいたでしょ?あれ、アキシオンって知ってた?」
アキシオンとはネブリーナと呼ばれるの国を仕切る組織スタインの上層機関に所属する博士号を持つ科学者だけの特別研究チームが産み出した人造魔道士の名称だ。疑似的魔術を使い、不死に近い強靭な体を持ち、成長も老化もしないとスイは神官になりたての頃に覚えさせられた記憶がある。
「パティさんがアキシオン?」
エリーの旧知。同族。
ならばエリーもアキシオンということだ。北の魔道士。
エリーがアキシオンというならば神使の討伐や戦闘目的で作られた生物兵器ということになる。
「破壊神…お前たちは天の神って言ってたっけ?ボクらはエリーちゃんの規格外の強さに旧時代の神との関りを疑ったんだ。」
「は?」
アーシーの追撃にスイは素っ頓狂な声を上げる。
「ちょっとネブリーナの最深部に用があったボク達の邪魔をしてくれてさ、刻んでもバラしても焼いてもピンピンしてる化け物で厄介だったよ。他のアキシオンと規格外だったから調律師の間で破壊神じゃないかって推測されてね?20年くらいは殺し合いの追いかけっこしてたんだ。情け容赦ないしすっごく強かったよ?こっちは痛覚を感じない不死身の肉体なのに何度も死にかけたし。それがエリーちゃんとボクらの因縁。」
嬉々としてスイの知らざるエリーの過去を素っ破抜くアーシー。その内容は一回聞いて理解できるものではなかった。
更に破壊神の疑惑をかけるなど理解の範疇外である。
800年程前に火の洗礼と水の浄化にて世界を滅ぼした神の仮名称なのだから。もちろん神が実在するはずもなく機械兵器の暴走や人工衛星の落下による大火事や爆発、津波などの大災害を破壊神に譬えただけのこと。
寓話の神を信じるなどエリーの言った通り、目の前で笑っている調律師は頭のイカれている存在らしい。
「御伽噺はママにしてもらうッス。」
馬鹿々々しいと放ったスイの嫌味にアーシーは表情を消した。見えない糸が体に絡まって首が締まる。
「……ぐぅ。」
何重にも巻き付いた糸が軌道を塞ぐ。呼吸が止められていると理解した脳が警笛を鳴らす。ひゅーひゅーと喉がか細い呼吸音を出した。
「一つ、ボクは人を騙したり誑かすことはするけど嘘は吐かない。一つ、ボクを嘲るな。理解できないのはお前の無知が理由だ。一つ、ボクは見た目通りの年齢じゃない。小娘が子ども扱いするな。」
クスクスと笑いかけてくるようなアーシーの声色。スイは不自由な呼吸にぎゅっと目をつぶり震えていた。かたかたと身体を小刻みに揺らし、目尻に溜まった涙が零れ落ちる。
「ところでさ、あの魔女さんも不老のバケモノなの?」
言いながらアーシーはスイの首に巻き付く糸をほどく。
開いた軌道に咳き込み、呼吸が落ち着いても質問の真意がわからずスイが口を閉ざしていると、身体に巻き付く糸が食い込む。
「無視されるのも同じ質問をするもの嫌いなの。答えて。」
スイの目の前の悪魔は相変わらず嗤っている。限りなく白に近い水色の瞳が一瞬、衛星に照らされて光った。底知れぬ恐怖を感じたスイは震える声で答える。
「ミーネちゃんは人だよ。」
初めて会ったとき、少女時代を抜けたばかりだったミーネだが8年で身長も体のラインも変わった。不老と呼ばれる存在ではない。魔術という異能を使い白目が黒く異形であり神の領域の民であることは間違いないが、それ以外は人と同じである。
「そう。ふふふ。」
卑しく嗤う表情は先日とかわない。否、変わらないように見えるだけだが内に潜む気配が違う。
「でもさ、エリーちゃんは人じゃないでしょ?」
突然の問いに目を見開いた。頭のてっぺんから爪先まで、冷や水を浴びせられたような感覚。全身が凍り付いた
8年間。成人を優に超えた大人ならば多少の劣化が進む年月だ。出会ったころから壮年の見た目をしたエリーの容姿はシミもシワも出ることなく変貌しない。
「ボクが知る限り34年前から髪の長さも変わってない。はじめは戦闘用のアンドロイドかと思ったけど切り裂いても身体の中には機械なんて入ってなかったし、君たちで言う神使を改良したとしても科学で半不老不死を造るなんて気持ち悪いね。」
アーシーの言葉に思考が鈍る。もう気道は塞がれていないのに涙が滲んだ。
「お前の好きなエリーちゃんは模造だよ。優しさも作り物。感情も表情も作り物。主の命に忠実に従う人形。今は誰の命令に従っているんだろうね。」
人造の生物であるアキシオンには感情がない。
人に紛れる為に感情を模造しているのだ。
アキシオンは不老だ。生まれ落ちたときに肉体は完成されており老化もしない。
人の形をした人の肉体組織を持った兵隊だ。
「本当に知らなかったの?アキシオンなんて島を統治する神官くらいには進言しておかないとまずい身の上だと思わない?お前ってば余程信用ないんだね。」
怒りより恐怖が勝り、足が震えた。
アーシーが手を伸ばし、ただ頬に触れただけで面白いほどビクつくスイ。声を殺して涙を流す。そんなスイの顎を掴み無理矢理上を向かせると、重力に従い新しい涙が頬を伝う。
「さて、神官様。八番島エイヴァの赤い花畑は知ってるね。南西に女神の首があるでしょ。そこに魔女さんを斬った同胞がいるけどどうする?」
アーシーは問いかけながらスイの体に巻き付く糸をほどき、一歩、また一歩とゆっくり後退して距離を空けた。
「なんで……そんなこと。」
「何も知らない可哀そうな神官様に情報をプレゼントだよ。」
恭しく頭を垂れたアーシーは闇の中へ溶けるように消えた。
アーシーが消えてもスイは動こうとしなかった。動けなかった。身体が震える、心が否定する。エリーが生物兵器などと誰が信じるだろうか。
今、モティールに駆けつけて問い詰めたとしてもきっと答えてくれないだろう。
あの白い悪魔が情報提供したとおりにミーネを傷つけた調律師が八番島エイヴァにいるとして、島の治安と均衡を保つ神官の義務を全うし己自身の力を示せば認めてくれるだろうか。血が出るほど強く手を握り締め、息をつくとスイは走り出した。
「いいねぇ。お馬鹿さんは扱いやすくて。」
夜道を駆けるスイを見ながらアーシーは嗤った。彼は糸紡ぎの魔術師という異名を持ち、言葉の糸で生きた人間を傀儡する。蜘蛛の巣の様に複雑に這った心理の糸にかかれば逃れる術はない。もがけばもがくほど糸が絡まりつく。スイもまた、アーシーの操り人形へと身を落とした。
「そもそもあの女、役立たずの最弱勇者思い出してムカつくんだよね。」
◆リノ…リーリーさんの愛称で呼ばれる七番島の副神官。
◆本神殿…海神アブルルが御座すは八番島エイヴァ奥深くの塔のような遺跡。
◆小神殿…八番島エイヴァを均等に囲むように五つの小さな塔の遺跡。
◆アキシオン…ネブリーナの研究組織スタインの作り出した人造魔道士の名称。不死に近い肉体を持つ。
◆衝…ある天体から見た2天体の黄経または赤経の差が180°となる時を指す。
※太陽と月の衝は望あるいは満月と呼ばれる。
太陽関連の用語と月関連の用語が封印されるって鬼です。他の異世界の天体ってどうなっているんですか?




