9.なぜ張り合おうとするのか
魔法陣の最初の試験は、髪の毛一本でいいという噂が駆け巡り、離宮は女性たちでごった返すようになった。
今は侍女三名がエイミーの前で話に花を咲かせている。
「わたくし割と丈夫にできてますの。滅多に風邪も引きませんし。多少の熱でも気合いで乗り越えます」
がっしりした体型の女性が誇らしげに胸を張る。
「分かりますわ。だって、悠長に寝てる余裕なんてございませんでしょう。雇人に指示を出さなければなりませんし、招待状を確認してどこにどう返事するか考えたり」
細身の女性がうんうんとうなずく。
「その通りですわ。屋敷を統べることに加えて、私たちは王城での仕事もございます。おちおち休んでなんていられませんわよ」
かわいらしい感じの女性が同意する。
「でもね、たまに、たまーに寝込むことがありますの。人間ですもの、仕方がないわよねぇ。わたくしがゴホゴホしながらベッドで寝ていたら、夫がね……」
「ああ……夫がね……。本当にアレなんなのかしら」
「急に、俺も熱が出てきた。喉が痛いって大騒ぎしますでしょう」
「分かります!」
三人がガッチリ手を握り合った。
「わたくし、決して構ってほしくて寝てるわけではありませんのよ。できれば元気に働きたいですわ。でも、たまに倒れたときぐらいは、そっと寝かせてほしいのですわ」
「どうして張り合って病気のフリするのかしら。意味が分かりませんわ」
「そうですのよ。だってね、夫なんて仕事しかしてませんわよ。そりゃあ、責任ある大変な地位についてるのは認めますわ。でも私は仕事に加えて屋敷の差配に、領地の管理もしてますのよ。幸い家令が優秀ですから、私は確認だけですけれど……」
三人は腕組みをして眉間にシワを寄せる。三つ子かと思うくらい、同じ動きだ。
「夫は屋敷に帰ってくると、ソファーに座ったっきり。動きませんの」
「分かります!」
「わたくしは、仕事でクタクタになって帰ってきても、ゆっくりくつろぐ時間もございませんわ」
「執事や侍女長から次々と報告相談が入りますもの。それに返答してると食事でしょう。やっとのんびり食べてるのに、夫はぐちぐちぐちぐちぐち。もう口に布巾を詰め込んでしまいたい」
「そうですわよ、私が少しでも職場での辛いことをこぼすと、疲れてるんだ、くだらない話はやめてくれって言いますのに」
「しょせん夫にとって、妻は母親がわりなのですわ。母はずっと元気で子どもの面倒を見て、子どもの話を聞いて、看病するのですわ。母が病気になると世界が終わりますのよ、きっと」
「わたくし、あんな大きな長男なんていりませんわ」
はあーっと三人はため息を吐く。
口を挟む機会を窺っていたエイミーは、やっと発言する。
「あの……この魔法陣はいかがでしょう」
『寝ようとすると蚊が顔の周りにうろつく呪い』
「少しだけ魔法陣を修正すれば、皆さんが病気のときだけ発動できます」
エイミーは一生懸命に売り込む。
「同時に複数人に呪いをかけられるか試してみたいので、同時に旦那さん三人にやってみたいなって」
「お願いします!」
三人はとても乗り気だった。
◆◆◆
「あなた……ゴホッゴホッ……わたくし、熱がありますの。今日はもう休ませていただきますわ。あなたにうつすと大変ですから、別室で寝ますわね」
「…………」
「すみませんが、書類の確認だけお願いしてもよろしくて? 執事のバートンが待っておりますのよ」
「あっ」
「あっ?」
「背中がゾクゾクする。私も風邪かもしれない! 喉が痛い」
「……お休みなさい」
「バートン、バートンどこだ? 私は風邪をひいたようだ。もう寝る!」
「……旦那様、急ぎの書類だけでもご確認いただけないでしょうか」
「私は頭が痛い。明日の朝、マーサに見てもらえ」
「かしこまりました……」
『ぷ〜〜〜ん』
パンッ
『ぷ……ぷ〜〜〜ん』
パシン
『ぷぷ……ぷぷ〜〜〜ん』
「ああっ、寝られやしない! 仕方がない、書類を確認するか……」
◆◆◆
無事、同時に複数人への呪いをかけられることが分かった。女性たちは密かに喜びをかみしめている。やはり、髪を切ることに二の足を踏む貴族女性は多い。でも、髪の毛一本で実験台になれるなら、気軽に試したくなるのだろう。
そもそも、実験台になるのは、自分をなめくさっている夫なのだし、ためらう理由がない。
今日は妊婦さんふたりがエイミーの元を訪れている。
「臨月ギリギリまで働くつもりなのです。お金が必要ですから……」
「でも、しんどくないですか?」
こんなに大きなお腹では、椅子から立ち上がるだけでも重労働だ。
「もう安定期ですから、今は大丈夫です。初期の三ヶ月はさすがにお休みをいただきました」
「私はふたり目なのですけど、今回はつわりもそれほどひどくなくて。ですから休まず働いております」
ふたりともお腹がまんまるだ。あの中に赤ん坊が入ってるなんて、妊婦さんはたくさん見てきたけど、やはり驚いてしまう。
「それで……実は夫が浮気しておりまして……」
「うちもです」
「ええっどうしてですか? 奥さんがこんなに大変なときに?」
エイミーは目を大きく見開いた。
「夫は腹のでかい女は抱く気になれないって……」
「うちは、元々子どもを作るためだけに最低限の営みです。夫からは、楽しむのは愛人と、お前は産む腹だと、結婚当初から言われております」
エイミーは口に手を当てる。なんだかとんでもないことを聞いている気がする。
「……そこまでして結婚しなきゃいけないんですか?」
「そうね……」
「ええ、そうです。子どもが家を継げば、私も悠々と暮らせますから。貴族とはそういうものです」
ひでえ、信じられない。エイミーはドン引きだ。
「もちろん、仲睦まじい貴族夫婦もいらっしゃるのよ。少ないですけど……」
「そうですわね。身分の釣り合う貴族女性と子どもを作り、本当に好きなのは身分の低い女性。そういう貴族男性は多いですわ」
「貴族女性は感情を表に出さないよう、厳しくしつけられておりますから」
「喜怒哀楽が素直に出る平民女性を愛でる貴族男性も多いですわ」
うえぇ。イヤすぎる。
「納得して結婚したとはいうものの……」
「はらわたが煮えくりかえりますわ」
「ですよね……」
エイミーはふたつの魔法陣を出した。
『脱糞と放尿』『手洗いに入るたびに紙が切れてる』
「この合わせ技でいきましょう。だって許せません」
三人は顔を見合わせてニヤリと笑った。
◆◆◆
「ねぇ〜ん、トミ〜、明日も来てくれるんでしょう?」
「明日はちょっと……。そろそろ生まれるんだ」
「ええーだって、ふたり目でしょう? 奥さんも慣れてるから大丈夫よ〜。アタシだって子ども欲しいのに、奥さんに遠慮してさー」
「……な、なんだ? 急に腹が……ああっ」
「ちょっとー信じらんない。クッサー。早くお手洗い行ってよー」
「……紙が、紙がない。……おーい、誰かー、紙持ってきてくれ。……誰もいないのか?」
「う、また……腹が痛い。紙、紙をくれー」
呪い案をありがとうございました!
金太魔太郎さま「寝ようとすると蚊が顔の周りにうろつく呪い」
金太魔太郎さま「脱糞と放尿」
チャイーRさま「トイレに入るたびに紙が切れてる」