2.王妃ニコールの苦悩
「なんですって!」
数週間に及ぶ視察から戻ってきたドルーヴァン王国の王妃ニコールは、信じられない報告を聞いて、思わずペンを取り落とした。
「聖女レナ様を追い出したというの! ライアンが? ああ、なんてこと」
ニコールは頭が割れるように痛み、両手で頭を抱える。
「それで、レナ様は今どこに?」
「は、既にラミタス王国に入られ、王都に向かわれているそうです」
「そう……。もう手遅れということね」
ニコールは深いため息を吐いた。
「新聖女はどうなの? 確か、カーラ様といったかしら」
「はい、大層お美しい女性で、ライアン殿下はすっかり入れ上げていらっしゃいます」
「頭が痛いわ……。見た目はともかくとして、聖女の力はどうなのです?」
「悪くはない、そう神官から聞いております」
「悪くはない……そう。確か聖女レナ様は、素晴らしい、そういう評価でしたわね」
「はい、さようでございます」
ニコールはこめかみをグリグリと揉みほぐす。
「バカなことを。聖女は見た目など二の次、三の次だというのに。聖女レナ様もかわいらしい女性だったではありませんか。ライアンが聖女レナ様と結婚したいと言ってきたときは、良い伴侶を選んだと喜んでいたというのに」
ニコールはため息を吐いて侍女に告げる。
「ライアンをこちらに呼んでちょうだい」
誰もいなくなった部屋で、ニコールはつぶやく。
「まったくあの子は……。わたくしと陛下が視察で王都を離れている間に、このようなことを。わたくしは、ライアンの育て方を間違えたのですね……」
ライアンが笑顔で部屋に入ってくる。窓から差し込む光に、ライアンの黄金色の髪がキラキラと輝く。
父親に似て、見た目だけは完璧ね、ニコールは息子を見て複雑な気持ちになる。
「母上、お帰りなさい。視察はどうでしたか?」
「……なんですか、その声は」
ニコールは目を瞬いた。幼いときの声ではないか。
「レナに呪いをかけられました……」
「はああ……ライアン。あなたなぜ聖女レナ様を追い出したのです」
「それは、新聖女カーラの方が魔力が優れているからです」
「見た目が優れているの言い間違いではなくって」
「…………」
ライアンは都合が悪いと押し黙る。悪いクセだ。
「ライアン、あなたは自分がしでかしたことの重大さを、まだ分かっていないようですね。聖女レナ様がどれだけ真摯に国に身を捧げてくれていたと思うのです」
ライアンはわずかに口角を下げた。
「結婚する気がなくなったのは、ある意味仕方がないでしょう。あなたのお父さまも色々ございましたから。男とはそういうものだと、母も理解しております」
ライアンが上目遣いでニコールをチラリと見る。怒られると卑屈な目をするのも父親そっくりだ。ニコールは内心でこぼした。
「ですが、なぜ聖女レナ様を身ひとつで追い出したのです? 本来なら長年の労をねぎらい、離宮にお住まいいただくのが筋でしょう。これでは、魔女の怒りを買いますよ。我が国を陰ながら支えている魔女たちから見放されたら、王国は衰退します」
ライアンはまた下をむいた。
「どのみちその声では人前に出られないでしょう。しばらく自室で自分の行いを振り返りなさい」
「はい、母上」
ライアンは不満の意を王子然とした態度で隠し、部屋を出ていった。
ニコールはライアンの足音が完全に聞こえなくなったことを確認し、王妃専属の影に命じる。
「ライアンの呪いについて至急調べてちょうだい。情報は決して漏らさぬよう」
「はっ」
数日後、影が魔女の情報と、魔法陣を持ってきた。
「そう、これがライアンの呪いと同種の魔法陣なのね。よく手に入れてくれました。なるほど、真ん中に呪いをかけたい相手の私物を置いて、魔力を流せばいいのね」
ニコールは影を下げると、早速魔法陣を試してみる。ニコールにはそれなりに魔力はあるので、すぐに魔法陣は作動した。
ニコールは額の汗をハンカチでぬぐった。かなりの魔力を取られて、目の奥が痛い。ニコールは『口の中にデキモノができる呪い』の魔法陣を丁寧に丸めると、書棚の奥の金庫にしまう。
***
「あなた、どうなさいました? 食事が進んでいないようですが」
「う、うむ。口の中に大きなデキモノができておってな。食べ物を噛むと痛くてたまらんのだ」
「まあ、それは大変ですわね。視察の疲れが出たのでしょう。書類はわたくしが見ますから、あなたはもうお休みになってはいかが?」
ニコールは部屋を出る王の背中をじっと見つめる。
「例の魔法陣を作った者を至急探してちょうだい。秘密裏に離宮に連れてくるように。誰にも手を出させてはなりません」
ニコールは影に命じた。
あの魔法陣は使い方次第で、国を繁栄させることも滅ぼすこともできる。
ニコールは焦りで手のひらにじっとりと汗をかいた。
ささやかな呪い案、ありがとうございます。
ひろろんさま「1週間に1回口内炎ができる」