1.声が甲高くなる呪いをかけてやる
「本当にいいんだね、レナ?」
魔女のテルマが何度も確認する。
「はい、バッサリやっちゃってください」
シャキリシャキリ ハサミが入るたび、レナの自慢の黒髪が軽くなっていく。
「ほい、切り終わったよ。鏡見てごらんなよ。意外と似合うよ」
レナは手鏡で自分の顔を映してみた。アゴの下あたりで切り揃えられた黒髪は、重みがなくなんだか頼りない。首元もどうにもスカスカする。
レナは首を軽く振ってみる。うん、でも思ったより悪くない。
「ついでに染めちゃおっかなー」
「いいんじゃないかい、好きな色に染めたげるよ」
「やだ、テルマさん……泣かないでよ。私まで泣きたくなっちゃうじゃない」
「あんたはまったくもう。あんなひどい目にあったんだから、泣いたっていいんだよ」
「今はまだ泣かないの。全部終わってスッキリしたらいっぱい泣くつもり」
「そのときはいつでもおいで。一緒に泣いたげるからさ」
テルマはタオルで目尻を拭くと、レナの頭をぐしゃぐしゃとなでる。
「それで、髪は何色にしたいんだい?」
「そしたら目の色と合わせて緑にしよっかな。春の新緑みたいな元気が出る色にしてよ」
レナは無理して笑顔を見せる。テルマは何も言わずに髪を染めてくれた。
***
レナはついこの間まではこのドルーヴァン国の聖女だった。でもあっさり追放されたのだ。新しく魔力の豊富な聖女が見つかったらしく、レナは用済みということでポイされた。
隣国が聖女を必要としているらしく、紹介状はもらっている。でも厄介払いされたことには違いない。
「好きだったのにな……」
レナはライアン第一王子のことを思い出す。優しくて美しくて理想の王子様だった。ついこの間までは。
「私の何がいけなかったんだろう」
ポツリとレナの口から心の声が漏れてしまう。
ダメだダメだ。暗くなってる場合ではない。明るく復讐するって決めたんじゃないか。ドロドロした復讐は聖女の力を損なうので、軽〜い仕返しをするのだ。そしてスッキリしたらいっぱい泣いて、笑顔で隣国に行ってまた聖女としてがんばるんだ。
レナはテルマさんにもらった魔法陣に集中して魔力を流す。
「うん、うまく発動したっぽい」
レナの黒髪と引き換えにもらった呪いだ。今ごろライアン王子は驚いていることだろう。
レナは『声が甲高くなる呪い』の魔法陣をクルクルと丸めると、バッグの中にしまった。
◆◆◆
「おい、お前たち、何をニヤニヤしている」
「は、いえ、あの……殿下の声が、ややなんといいますか……」
「なんだ、ハッキリ言え」
「はっ。殿下の声が幼女のようにかわいらしくなっています」
「なんだと! 私にはいつもと同じに聞こえるぞ。お前たち、まさかふざけてはいるまいな」
「いえ、まさかそのような。……殿下、本日の外交はエイデン第二王子殿下に代わっていただくほうがよろしいかと……」
◆◆◆
「テルマの紹介だって言うからやるけどさ、あんた本当にいいのかい?」
魔女のエルザがためらいがちにレナの瞳をのぞきこむ。
「はい、大丈夫です。気にせず抜いちゃってください」
エルザは大きな魔石をレナの目に当てる。魔石は明るい緑色に光った。
「うん。ちゃんと抜けたね。……まあ、悪くないとは思うよ」
エルザはそっとレナに手鏡をわたしてくれる。そこにはぼんやりとした黒い瞳が映っている。
「しばらく目を休ませる方がいいからね。このメガネをおまけでつけてあげるよ。まぶしい場所では必ずかけるんだよ」
レナはメガネをかけて森の木陰でひと休みする。さっき市場で買ってきたリンゴをかじりながら、空を見上げる。
ヒラリ 大きな葉っぱが一枚落ちてきた。
レナは葉っぱをつまむと髪の色と見比べてみる。髪と葉っぱがほぼ同じ色で嬉しくなる。
「瞳の色は黒になっちゃったけど、髪は緑色だし、交換したと思えばいいよね」
レナはメガネの上に葉っぱを載せて目をつぶる。
「ライアンは私の瞳がキレイっていつもほめてくれたな。ライアンはお月様みたいな金色だった」
レナは首をブンブンと振った。
「また後ろ向きになってる。せっかく魔法陣もらったんだもん、早速やってみよう」
瞳ふたつ分で、ふたつの魔法陣をもらえたのだ。エルザさんてばいい人だ。
レナは『果物がいつも酸っぱい』と『肉がいつも生焼け』の魔法陣に魔力を流した。
「クククク、ライアンはもう、好きな果物と肉が楽しめなくなるぞ。ざまあみろ」
レナは、ゴロンと仰向けに寝転がると、若葉を見ながらリンゴをかじった。
◆◆◆
「なんだ、今日の果物はどれも酸っぱすぎるぞ」
「兄上、僕の果物は甘いですよ。取り替えましょうか?」
「なんだ、ちっとも甘くないじゃないか、どうなってるんだ一体」
「ライアン、小さなことで大騒ぎするのではない」
「しかし父上……なんだこの肉は、火がちゃんと通ってないじゃないか。こんな血の滴る肉が食えるか。料理長を首にしろ」
◆◆◆
「こんなかわいらしいソバカスをもらっちまって、本当にいいのかい? ソバカスは精霊のキスと言われてるのに」
魔女のナオミが心配そうにレナの頬をなでる。
「はい、いいんです。私にはもう必要ないんで」
ナオミはレナの顔に黒い布を当てた。しばらくすると、黒い布にたくさんの星がまたたいた。
「うん、ちゃんと移ったね。まあ、陶器みたいな真っ白な肌も、あんたには似合ってるよ」
レナは窓に映る青ざめた顔を見る。うん、大丈夫。精霊のキスがなくても、私は元気だ。
「もう遅いから、今夜はうちに泊まっていきな」
レナは屋根裏部屋の窓から星空を眺める。
「ライアンはいつも私のソバカスにキスしたっけ」
レナは顔を手でゴシゴシこすった。ベッドに置いていた魔法陣を眺める。もう既に魔力は流したあとだ。
レナは『インクがいつもボタッと落ちる』魔法陣を眺めると、机の上に置いた。レナはベッドに寝転がると、頬をそっと撫でた。
◆◆◆
「ええーい、なんだこのペンは、書類がめちゃくちゃではないか」
「殿下、新しいペンをお持ちしました」
「ああっ、まただ。契約書が台無しだ。なんてことだ、最近呪われてるみたいじゃないか」
「…………」
「なんだよ、何か言いたげだな」
「殿下、やはりレナ様を呼び戻されてはいかがですか?」
「なんだと?」
「新聖女は見た目は確かに美しいですが、魔力の質がよくないと神官から声が上がっています」
「……まだ慣れていないだけであろう」
「であればよいのですが……。書類については、エイデン第二王子殿下に署名していただきます」
◆◆◆
スッキリもしなかったし、泣きもしなかったけど、なんとなしにレナは隣国のラミタス王国との境界に着いた。もっと仕返しを繰り返してもよかったのだけど、もうレナには魔女に渡せるものがなかったのだ。さすがに生爪とか指とかは渡したくないじゃないか。
境界門の衛兵に紹介状を見せると、衛兵はレナを礼儀正しくもてなしてくれた。
「明日には護衛と馬車をご用意できます。恐れ入りますが、本日は街まで私が護衛を務めさせていただきます」
「え、そんな、わざわざ結構です。今までもひとりで来れましたし」
「いえ、聖女様には必ず護衛をつけるようにと上から言われております。聖女様は国の宝ですから」
「本当? 私もう若くもないし、髪も短いし、美人じゃないけど」
「……? あの、私はあまり魔力が豊富ではないのですが……。聖女様の魔力はなんとなく感じとれます。温かくて包み込まれるような、そんな感じで。それってすごいことです」
衛兵は言葉を選びながら一生懸命伝えてくれる。
「それに、聖女様は雰囲気が穏やかで落ち着きます。とてもかわいらしいと思います」
衛兵は照れながら言った。レナは恥ずかしくてずっと下を見て歩いた。
レナはどこの街に行っても歓待された。教会を訪れ魔石に魔力をこめ、病気の人に治癒魔法をかける。皆が涙ながらに感謝し、心づくしのお礼を持ち寄ってくれる。
ドルーヴァン国では、ライアンに言われるまま魔石に魔力をこめたり、治癒魔法をかけたりしたが、特にお礼を言われたことはなかった。レナは平民だから、そんなもんだろうと思っていたのだ。
レナは、まだ自分が役に立つと知れて嬉しかった。
レナが少しずつ笑えるようになった頃、ラミタス王国の王都にたどり着いた。
王都に着くと、すぐに王の執務室に通される。
「聖女レナ様、よくお越しくださいました。長旅でしたが、お体は大丈夫ですかな?」
レナは驚きのあまり言葉が出なかった。前の国で、王族にこのように丁寧に対応されたことなどなかった。
「聖女レナ様、いかがなされました? ご気分が優れないようでしたら、お部屋に案内させますが」
「あ、いえ。ドルーヴァン王国では、このような扱いを受けてきておりませんでしたので……。私は平民ですし」
「あの国はどうかしておるのですよ。護衛もつけずに聖女レナ様を我が国まで追いやったそうではありませんか。全く信じられません。あんなことでは近々神に見捨てられるに違いありません」
王はふと思い出したようにつけ加えた。
「いや、もう既に見捨てられたかもしれませんな」
「え?」
「ライアン第一王子殿下がなにやらおかしな呪いにおかされ、部屋から出てこなくなったという噂です。王位は第二王子が継ぐとか」
「あっ……」
「それに、新聖女の力が弱く、魔物の出現が多くなっているとも」
「そうなんですね……」
「今しがた、ドルーヴァン王国から便りがあり、聖女レナ様の居場所を聞かれました」
王はまっすぐにレナを見つめた。
「聖女レナ様、レナ様はドルーヴァン王国にお戻りになりたいでしょうか?」
「いいえ、いいえ。私はもうドルーヴァン王国に二度と戻るつもりはありません。あの国では大切にされたことがなかった……。この国にきてからそれがよく分かりました」
王は安心したように笑顔を見せた。
翌日からレナは早速働き始めた。王や神官は、もう少し国に慣れてからでよいと言ってくれたのだが、レナは貧乏性なので働いていないと落ち着かない。
中央神殿の魔石に魔力をこめることから始め、徐々に結界石にも力を注いできた。今日は重い病いで苦しむ人たちを治癒するのだ。
教会の隣にある病院は、末期患者の療養所も備えられている。レナは院長に連れられて、病いの重い人から順番に治癒魔法をかけていく。
レナの魔力は多いけれど、末期患者を完治させるほどには潤沢ではない。呼吸の早い患者の胸に手を当てて、澱みを取り除いてあげるぐらいしかできない。
ひとりの患者にだけ魔力を注ぐわけにはいかないのだ。
「今日はここまでで充分です。聖女レナ様、貴重なお力を患者に与えてくださったこと、感謝いたします」
院長や看護師はレナの手を握って何度も何度も礼を言う。
レナは護衛を伴って病院を出て、隣の教会に入っていく。神に祈りたかったのだ。
レナは礼拝所で跪き、真摯に祈った。
「もっと魔力が増えますように。もっと多くの人を助けられますように」
力が欲しい、切実に思った。
礼拝所から出ようとして、レナは子供たちの歌声を聞いた。中庭に行くと、たくさんの子どもたちがひとりの男性を取り囲んで歌っている。淡い色彩の男性は木の下で椅子に座って、ポロンポロロンと小さな弦楽器を爪弾いている。
空気と溶け合うような優しい音楽だった。
ポロン 最後の音が鳴り終わり、レナはためらいがちに手を叩く。
子どもたちが歓声を上げながら走り寄り、あっという間にレナは子どもたちに取り囲まれた。
「レナ様、レナ様、今日はティム様がいらしてるのよ」
「ティム様、ほら聖女レナ様だよ」
「レナ様、早く早く」
子どもたちに押されて、レナは男性の前に押し出される。淡い白金の髪に、一度も日に焼けたことのなさそうな白い肌、淡い水色の瞳。光の中から現れたような人だった。
「レナと申します」
レナは、男性の尋常ではない美しさにかなり尻込みしながら、オズオズと挨拶する。
「聖女レナ様、初めまして。ティモシー・ラミタスです。どうかティムと呼んでください」
レナは慌てて跪いた。王国の名字を持つのは王族と決まっている。
「レナ様、お立ちください。聖女様は誰にも跪く必要はないのです。それに、私はしがない第三王子ですから」
ティモシーはレナに手を差し出し、木の下の椅子まで誘導する。その足取りがややおぼつかないことに、レナは気づいた。
「僕は生まれつき目が悪くてね。メガネをしないとほとんど何も見えないんだ。メガネをすると頭が痛くなるしね」
椅子に座ると、ティモシーはレナの首元に視線をさまよわせながら言った。
「執務はできることが限られているから、民の声を聞くようにしているんだ」
レナは病院での治癒が終わる度、中庭でティモシーと会話するようになった。
ドルーヴァン王国でのこと。毎日働いてばかりで趣味もないこと。王子にされた仕打ちのこと。そして、レナがやったささやかな仕返しのことも。
ティモシーは何も言わず、黙って聞いてくれた。レナが話し終わったとき、ティモシーはためらいがちにレナの髪に手を伸ばす。
「柔らかくて気持ちのいい髪だ。今この髪は何色なんだい?」
レナはくすぐったい気持ちになったが、じっとしていた。
「いつのまにか緑色はとれてしまって、今は元の黒色なの」
「そう、人々を眠りで守る夜の色だね。レナにピッタリだ」
ティモシーはそっとレナのまぶたに指をはわせる。
「もう痛みはない? そんなこと、二度としてはいけないよ」
「もう痛くはないわ。色は少し灰色っぽくなってきたの」
「そう、希望に満ちた夜明けの空の色だね。レナも少しは希望が持てるようになってきた?」
「ええ、今は毎日が穏やかで安らぐわ」
ティモシーは優しくレナの頬をなでる。
「もうソバカスはひとつも残ってないのかい?」
「それが、最近右目の下にひとつ出てきたのよ。精霊がキスしてくれたのかしら」
ティモシーがレナの右目の下を親指でなぞる。
「僕もキスしていいかい?」
「ええ……」
ティモシーはレナに顔を近づけ、ソバカスを見つけると軽くキスする。ティモシーはレナのおでこにコツンと自分のおでこを合わせた。
「レナの姿はよく見えないけれど、レナの声はすごく好きだ。ずっと聞いていたくなるよ」
ティモシーは柔らかくレナの口をふさいだ。
「この国に来てくれてありがとう。ずっと僕のそばにいてくれると嬉しいな」
レナは穏やかな日々を過ごしている。
鎖骨あたりまで伸びた黒髪はゆるくひとつにまとめている。
ソバカスは三つに増えた。毎日ティモシーはソバカス三つ、最後に唇にキスをする。
もうライアンを思い出すことはほとんどない。
仕返しをして、スッキリしたかというと、それがそうでもなかった。復讐は何も生まないというのは、本当なのかもしれない。
でもレナは後悔していない。あれは自分にとって必要な儀式だったのだ。
もう誰も好きにならない、そう思っていたけど……。
私の声を好きと言ってくれたティモシーの手を握る。
「何を考えているの、レナ?」
「あなたのことよ、ティム。あなたのこと」
レナはティモシーの肩に頭を乗せた。
テルマに会いに行きたいな、ふと思った。
一緒に泣くのではなく、愛しい人のことを話したいな、そう思った。