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月面少女と月下の魔女  作者: 吉田エン
最終章 月の見る夢
38/52

4.2. 4

 街道にも獣の死骸が点々と転がっていた。戌の位置にあった小さなオアシスは連中の餌食になり、全体が緑色に輝き始めている。しかしそこを過ぎると粘菌の姿は失せてきて、少し行った所にある小さなオアシスは難民で溢れていた。


 元々、西にある都市に何かがあって連絡が取れなくなってから、この周辺は廃れていく一方だったと聞いている。おかげで身を寄せる空き家は無数にあったが、食料もジュールも何もない。街道にはキャラバンが何者かに襲われた痕跡があり――袁山の化け物以外の何者かだ――血にまみれた死体が幾つか転がっている。


 徒歩で逃げ先を求める一団にも出会ったが、アカネには何もしようがなかった。半ば目を瞑ってアクセルを開け、真っ直ぐに酉の方向へと進む。


「セレネも降下してから、友だちくらい出来たでしょ。あれを見てどう」


 何も出来ない自分に腹が立って、思わず矛先をセレネに向けてしまう。狭いシートの後ろから足を投げ出していた彼女は苛立った様子で応じた。


「ニーチェもシェイクスピアも知らないような連中と、話が合うはずがないわ」


「あんた、そんなのばっか読んでたよね。それでこんな状況で使える言葉、何かある?」


 彼女は顎に手を当てて考え込んでから、答えた。


「自然でない行いは、自然でない混乱を生む」


『おお、それなかなかいい雰囲気ありますね!』唐突にピピが割って入った。『なんというか、人の過ちに関する言葉でしょうか。科学批判とも取れますが、あまり厳密な定義に基づいてはいませんねぇ。でも詩なんてそんなものかもしれません。雰囲気と語呂が重要だとワタクシは悟りました。そこで新曲、天然自然――』


「ねぇツクヨミ、こいつ黙らせるにはどうしたらいいの?」


「黙れって」


 相当苛ついていたらしい。セレネは大声で黙れと叫んだが、ピピは物怖じせずに応じた。


『ご主人様三号様、どうやら自律神経が弱っているようですね。オキシトシンって知ってます? ペットとふれあうことによってストレスが緩和されて――』


 遂にセレネは身を乗り出し、スピーカーのスイッチを切ってしまった。それでもキャノピーに言葉を浮かび上がらせて自己主張するピピに、彼女はため息を吐きつつ言った。


「なんでMMWがしゃべるの? 何かAIを仕込んだの? どんだけ暇だったのよ。鬱陶しいったらありゃしない」


「何もしてないんだって。それに慣れれば結構いい奴だよ。何度も助けられてるし」


『さすがご主人様一号様、やっぱりワタクシとご主人様は一心同体ですね!』


 つらつらと流れてくる文字列を脇に寄せ、アカネは正面に浮かび上がってきた影に目をこらした。


 袁山から西の領域に来たのは初めてだったが、キャラバンからだいたいの様子は聞いていた。山脈を越えてくる空気が乾燥しきっていて、砂塵で視界がきかなかった。黄色い靄の向こうにあるのは半ば放棄された酉の街で、崩れかかったジャンクの城壁から中に入っても人影は見えなかった。


 ここにも獣の集団は現れたようだが、極度の乾燥で何も出来なかったらしい。転がる骸から粘菌があふれ出る事もなく、ただ干からびて崩壊しかかっている。それでも茜は用心しながら大通りを進み、中央広場らしきところでピピを停めた。多少なりともジュールを補給できないかと周囲を探ったが、街の終焉はゆるやかに起きたらしい。大抵の住民は資産を抱えて移動できたようで、あるのは本当のガラクタ、そして移動も諦めて街と命を共にした人のミイラだけだった。


「それで、場所はわかってるの」


 空き家で一晩過ごし、翌日疲労の抜けきっていなそうなセレネに言われる。アカネはピピに乗り込み操作を加えた。以前は十分に活用出来ていなかったが、今はエキスパートモードに入ってコマンドラインで操作する手法も思い出している。最初に旧世界の地図を呼び出し、スペースXで得た座標を打ち込む。クチンという都市から南に五十キロほどの高地を月観測拠点としていたらしい。しかしこんな地図、二百年後の今では何の役にも立たない。そこでアカネは袁山から伸びる<ミハシラ>、次いで月の輪郭をターゲットし、相対座標を割り出す。結果としてここから更に北西五十キロほどという結果を得て、アカネはセレネを促しピピを発進させた。


 <月下>とその外を隔てている山脈が近づいてくる。どこかに西に続いている通称酉回廊があるはずだったが、砂煙のおかげで判然としない。だが間もなく山脈の尾根を伝うように走る一筋の線が見え始める。これは相当に困難な道だった。幅は狭く路肩は崩れ、時速二十キロくらいで走るのが精々だ。道ばたには放棄された車両が散在し、谷底に転がり落ちているコンテナも無数にある。


 西方世界との回廊は閉ざされたと聞いていたが、その実体は次第に明らかになった。山の襞は相当な範囲に渡ってが続いていたが、さらに西は一面砂と岩しか見えない。アカネは月から見た地球の姿を思い出していた。大陸の大半は氷に覆われてしまっていて、辛うじて残る生存可能な陸地の三分の一は砂漠に覆われていた。残りも頻繁に津波や洪水、火山の噴火に襲われている。とても安定した生活をおくれる場所はない。


 これでは問題の施設の場所に行っても何も残っていないのでは、と危ぶみ始めた頃、尾根の向こうに一つの集落を発見する。コンテナ住居が数棟あるだけだったが、岩場からこんこんと透明な液体があふれ出ている。周辺に高山性の植物が弱々しく生えていたが、人影は残っていなかった。


 目的地は近いはずだったが、これ以上の絞り込みは難しい。何か人工物の痕跡はないだろうかとコンテナ住居に登って見渡していると、辺りを歩き回っていたセレネが声を上げる。彼女が見つけたのは砂上に残る真新しいタイヤの跡だった。バイクらしい。辿っていくと湧き水の付近に、いくつかの足跡が認められる。<ホワイトスーツ>を操作してハイライトさせると、バイクは集落の外れから険しい谷の奥に下っていた。


 何者かは知らないが、追ってみるしかない。ピピに乗り込んで、砂利混じりの岩場を慎重に下っていく。


 やがて幾つか、見覚えのある代物が現れた。傾いだ電柱、錆びた看板、アスファルトの痕跡のような代物が、岩に押しつぶされるようにして埋まっている。タイヤの跡は谷底を回り込むようにして続き、やがて行き当たったのはコンクリートの塊だった。


 山肌から、小さなトンネルの入り口のようなものが突き出ている。恐らく相当に強固に作ったのだろう、地殻変動でも破壊されることなく、地震の度に浮力を受けて砂礫の中に浮かんでいるような状態らしい。


 当のバイクはトンネルに横付けされていた。ポータブルの風車と太陽電池パネルが展開されていて、充電が行われている。


「サルベージャかな」


 装備を改めながら呟いたアカネに、セレネはヘルメットを展開させて応じた。


「どうかな。用心して」


 内部は闇だった。<ホワイトスーツ>のライトを灯し、慎重に足を踏み入れていく。天井は幾らか剥落しているが、略奪された形跡はない。十メートルほど進むとフェンスに覆われた縦穴が現れた。エレベータらしいが、貨車は見当たらない。覗き込むと底から白い明かりが漏れていた。アカネはライトを消し、セレネに点検用の梯子を示してから慎重に下っていく。


 三階分ほどの高さを降り終えると、明かりはより強くなっていた。急造の研究所、あるいは司令所のような所だったらしく、ドーム状の天井から沢山のディスプレイがぶら下がっていた様子が窺える。だが殆どは落ちてしまっていて、机上のコンピュータ類も埃を被っている。


 明かりは奥にある個室から漏れていた。<ホワイトスーツ>のパネルを操作し、ブラスターを展開させる。そしてセレネと左右から挟むような形で扉に近づき、そっと中を覗き込んだ。


 何者かがコンピュータラックを背に立っていた。コンソールを開き、キーボードに指を走らせている。床には大型のポータブルバッテリーとLEDランタンが転がり、ラック内のサーバに電源を供給していた。それに照らされる相手のブーツは、汚れてはいるが見紛いようのない形状をしている。<ホワイトスーツ>だ。


「チャンウー? それともイシュチェル?」


 無事だったのか。そう思いながら身を露わにする。しかしスーツの上から汚れたコートを羽織る人物が振り向くと、背筋が凍って心臓が締め付けられた。モンゴロイド風の風貌に、大きな目が輝いている。顎が尖って鼻筋は高く、白髪交じりの髪がフードの下から飛び出していた。背筋を伸ばすと、視線がアカネと水平に合う。彼女はため息を吐いてフードを跳ね飛ばすと、ポケットから煙草を取り出して火を付けつつ言った。


「セブン? それともエイト?」


 青白い煙が室内に漂った。硬直して動けずにいるアカネとセレネを鼻で笑い、細く長い指で灰を落としながら彼女は続けた。


「その様子じゃ、何にも知らないみたいだね。わたしゃツクヨミ・フォー。六十年前に降下した、あんたの先輩だよ」


 明かりの中に姿を現した相手の相貌は、深い皺が刻まれている。しかしアカネそのものに違いなかった。

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