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月面少女と月下の魔女  作者: 吉田エン
三章 解かれる封印
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3.12. 拡散

 見た目以上に装甲車はダメージを受けていたらしい。砂漠を二百キロほど走ったところでエンジンが断続的に空回りし、程なく停止してしまう。


 アカネは降りて様子を見たが、機械系に異常はない。どうやら電気系のようだ。


「とにかく、少し休みましょう?」


 トキコに言われ、砂の上に座り込む。周囲を探りに出ていたエスパルガロは枯れ木の幹を見つけてきた。それを割って火を付けると、急激に緊張が解けて眠気が襲ってきた。


「食料は何もないわ。あるのはこれだけだ」


 装甲車の後部エリアを漁っていたトキコは、二丁の拳銃と懐中電灯、それにペットボトルに入った水を手に戻ってくる。アカネは欠伸をかみ殺しながら言った。


「車は無理くさい。工具も何もないし、直せるかわからないよ」


「どうにかしてすぐに亥の街に向かわないと」


 エスパルガロが言う。残してきた<アーカイバ>たちを心配しての事だろうと思ったが、どうやら違うらしい。彼は東の方向を指し示しながら続ける。


「あっちに相当な数の足跡があって、点々と化け物の死骸が転がっていた。きっと発狂した連中が四方に散ったんだろう。あれじゃ街が襲われる」


「そうは言われても――街道まであと五十キロくらいかな。多分修理するより歩いた方が早い」


「いいさ。何もしないよりマシだ。丸一日くらい何とかなる。それでこいつらはどうするんだ」


 適当なケーブルで縛り付けたマーティンとセレネを指す。


 とっくにセレネは目を覚ましていた。だが口を真一文字に結び、視線を逸らし、何も口にしようとしない。一方のマーティンは盛大にイビキをかいている。エスパルガロが彼の足を何度か蹴ると、急に飛び上がって慌てふためいた。


「わお! 何だ! どうなってる!」


 疲れ果てていて、誰も彼に応じる気力がなかった。しかしマーティンの見開かれた目を見た途端、一番近くに座っていたエスパルガロは瞬時に立ち上がり身を離していた。


「感染してる!」


 巨大な月の光の下、マーティンの目は燐光を放っている。しかし妙だ。緑に色づいているのは左だけで、右目は元通り青いままだ。


「いや、待て、落ち着いてくれ。話せばわかる」


 身を捩り、一同から少しでも距離を取ろうとする。アカネは即座にヘルメットを展開させ、抗おうとするマーティンの上半身を蹴り倒すと、馬乗りになって右目に懐中電灯をあてた。


「カラーコンタクト?」


 光彩が目に見えて盛り上がっている。頭をエスパルガロが押さえつけている間に慎重に指を滑らせると、やはり青い右目の下にも緑の光彩が走っていた。


「聞いてくれ! 頼む、何て話じゃないんだ!」


「いいじゃない。聞かせてよ」


 たき火の前に引きずってきて言うと、彼は観念した様子で喘いだ。


「とにかく、目は緑だけど、誰にも感染しない。そんな離れなくても大丈夫なんだって!」


 とはいえ相変わらず、彼の話は要領を得ない。繰り返し問い詰める事になったが、それでどうにか大まかな所は把握できた。


 マーティンは子供の頃、西の酉のあたりに住んでたらしい。親父はサルベージャ――というより変人で――<ミハシラ>にたどり着くためマーティンを伴って遠征を繰り返していたという。


 父親は怪物除けの装置を持っていた。恐らく<アーカイバ>たちが開発した物と似たような代物なのだろう。ある程度効果はあったらしいが、それでも時折襲われたらしい。だが父親の執念は相当なものだったようで、あるとき遂に<ミハシラ>にたどり着いた。


「でもそこで何かがあって、装置が壊れた!」マーティンは奇声を上げ、縛られた両手を掲げた。「後の事はよく覚えてない。何しろ十才かそこらだった。気がつくと目が緑になってて、知らない女に介抱されてた。今思うと、そいつは<魔女>だったんじゃないのか? おまえと似た感じの、背がでかくて目もでかくて、四十くらいのヤツだったかな――そいつは何か色々調べてたが、何かあったらしい。急におれを放り出してどっかに行っちまった」


 アカネがトキコに目を向けると、彼女は神妙な調子で言う。


「袁山から一人現れた緑目の少年。噂は聞いたことがある。でもそれ、私たちを怖がらせるための作り話だと思ってたわ。それで?」


「それで? 見りゃわかるだろ。こんな目じゃ何処にも行けない。盗みや何かで何とか生き延びて、カラーコンタクトって遺物があるのを知った。それを手に入れるのも大変だった。何とか言う盗賊の集団がいて――何だったかな――」


「そこはスキップ」


 長くなりそうなのを遮ると、マーティンは悲しそうに肩を竦めた。


「後は別に。目の色を変えても<月下>にいたんじゃいずれ素性がばれるし、<連合>に行くしかなかった」


「それで、何か身体に異常はないのか」


 最後に尋ねたエスパルガロに、ついにマーティンは癇癪を起こした。


「知るかよ! おれはもう、こうなってからの方が長いんだ! 誰と比べてどうとか、わかるはずがないだろ!」


「それは、そうかもね。今まで平気なら、特異体質か何かで。害はないのかも」


 宥めるようにトキコは言う。それでもエスパルガロは慎重姿勢を崩さなかった。


「いや。こんな状況だ。こいつは置いていった方がいい」


 アカネも同感だった。


「それにこの人の<魔女>嫌いは、あれでしょ? 子供の頃に見捨てられた恨みとか、そういうのがあって――だから<魔女>を狩り集めてたんだ。生かしておいたらろくな事にならないと思うよ。いつ寝首を掻かれるか――」


「そんな暇、あるか!」マーティンは叫び、不自由な両手をねじってトキコに両手を合わせた。「おれはただ、偉くなりたかっただけ。それだけなんだ! <魔女>とか<魔女狩り>とか、どうでもいいの! ただ<連合>のポイントを稼ぐ手段にしてただけ! そうだ、おれなんかより、そっちの女の方が問題だろう! <娘たち>! あんたらの宿敵だろうが!」


 相変わらず卑怯な論法だ。だが効果はある。一斉に目を向けられたが、セレネは無表情で身動き一つしない。


 アカネは一番エスパルガロの反応を危ぶんでいたが、それは杞憂だった。彼は冷たくセレネを見つめただけで、言う。


「そいつは重要な情報源だ。手放すわけにはいかない」


「おれも情報なら沢山ある! <連合>の考えとか、知りたいだろう? そうすりゃ<月下>だって、対応の仕方を考えたりとか色々出来るし――」


「馬鹿を言うな! <月下>はもう、おまえの所為で無茶苦茶だ!」


「おれの所為? それは違うだろ! おまえらが適当な装置しか作れなかったからあんな事に――それよりロッドは何処だ! あいつは何をやってる!」


「彼女がレールガンを使えなくして、装置に工作したんだよ」


 アカネが言うと、マーティンは理解できないというように表情を凍らせる。


「えぇ? 何で?」


「もういいです」大きなため息とともにトキコが宣言した。「無駄な議論に体力を使ってる場合じゃないわ。とにかく早く亥の街に戻らないと。誰も置いてはいきません。いいかしら?」


 トキコがそうと決めたなら、アカネは従うだけだ。装甲車に戻って使えそうな物は備え付けのバックに詰め込み、セレネの手かせに結いつけたケーブルを引っ張る。特に彼女は反抗しなかった。引かれるままに砂の上を一歩一歩進む。先頭をトキコが進み、マーティンの綱はエスパルガロが引いた。彼は歩くのよりも喋るのに体力を使い続けている。つまらない愚痴や戯言を口にし続け、苛立ったエスパルガロが何度か怒鳴りつける。


 アカネはわざと速度を落とし、前方との距離を置いた。そしてセレネに近づくと、小声で話しかける。


「大丈夫?」


 彼女はしかめっ面のまま吐き捨てた。


「大丈夫なわけ、ないでしょ。どうなってんの。ロッドが裏切ったって、本当なの」


「正確に言うなら、彼女は<母さん>に従ったの」


 そしてアカネは洗いざらい全てを説明した。降下中に<連合>の狙撃を受け、一時的に記憶を失っていたこと。ロッドはセレネの指揮に疑いを持ち、またアカネの声に靡くこともなかったこと。加えて自分たちをとりまく、様々な矛盾。セレネはそれをアカネの好奇心が変な方向に行っただけだと見なしていたようだったが、最後にスペースXで発見した過去の映像を見せると表情が変わった。


「何か変だよ、私らって。セレネだって妙に思ってたんじゃない? あんたは頭いい。<母さん>を信奉してるふりをしてただけで、実際は<姉妹たち>の間でリーダーシップを取りたかっただけでしょ。従順だったのは<母さん>の権威を利用したかっただけで――」


 それが優等生タイプというものだ。アカネは看破していたが、セレネはそこまで見破られているとは思いもしなかったらしい。必死に言葉を探るよう目を泳がせる。


「そんなことない。私は<母さん>を信じてる」だがそこで、ここに至って装うのは意味がないと悟ったのだろう。声を落とし、俯く。「でも色々と妙だとは思ってた。あなたの言うとおり、<魔女>は月に来る力はないし、その気もなさそう。とても月の脅威になるなんて思えなかった。でもツクヨミ、あなたは二百年前に何をやってたの? 私は? ロッドは? <母さん>は?」


「少なくとも施設の記録は嘘っぱちだよ。私らは英才教育を受けてキューブの建設に志願したわけじゃない。冷凍睡眠ってのも怪しいもんだよ。私らはクローンとか、何かそういう存在なのかも――」


「でもクローンじゃ、記憶はコピーできない。コピーできるのは遺伝子だけ。その、あなたの2020年の記憶っていうのは? 一体何なの?」


「わからないよ。それをどうにかして、探らなきゃならない」


 日が昇り、やがて<昼の夜>が訪れる。その頃になると化け物の死体が目に見えて増えてきた。


 普通の生物というのは、生命の危機に敏感だ。それは粘菌でも同じで、実験でも乾燥や塩気は避けて近づこうとしなかった。だから今までは連中が砂漠を越えてくることは希だったのだろうが、今度ばかりはわからない。アカネたちが入れてしまったスイッチに、どれだけ強制力があるのか。体力の続く限り走り続けられたら、相当不味い。


 だが状況は悪い方向に進んでいるとしか思えなくなってきた。亥の街は<月下>の周囲にある山脈からの川が流れていて、塩が洗い流されている土地が多い。やがて化け物の死体が緑色の粘液に覆われ、それが湿った砂に広がりつつある所に行き当たった。真水の川も近づいてくる。所々に植生も見えてくるが、それらは粘液に覆われ、緑の光を放ちはじめていた。日が落ちると獣の進路に従ってほのかな蛍光の筋が見えるようになり、やがてその行き先は橙色に色づく空へと繋がっていた。


 広く張り巡らされたジャンクの城壁前は、膨大な獣の遺骸で埋まっていた。文字通り足の踏み場もないほどで、廃材の山は所々でゴリラ熊によって崩されていて、内城は至る所で炎上していた。


 一同は城壁の上に登り、それを見下ろす。


「なんてこった」


 エスパルガロが呟く。亥の街は完全に壊滅していた。

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