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月面少女と月下の魔女  作者: 吉田エン
三章 解かれる封印
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3.10. 混乱の行方

 遂にゴリラ熊の一匹が円陣を突破し、ドーフ・ワゴンに掴みかかってきた。咆吼を上げつつ乱暴に揺らされ、マーティンは狂乱し叫んだ。


「止めろ、この音を止めろ!」


「やってるが反応がない! 中からじゃどうしようもない! 外のアンプを壊さないと」


「じゃあおまえが行け!」


 マーティンはエスパルガロの襟首を掴むと、鋼鉄製のドアを開き無数の銃弾の飛び交う外に彼を投げだそうとした。


 しかしその時、ゴリラ熊の渾身の揺さぶりを受け、ワゴンは遂に上下を失った。ゆっくりと傾いだかと思うと急激に横倒しになり、逆さまになり、繰り返し回転する。咄嗟にアカネは自らとトキコの<ホワイトスーツ>を操作し、ヘルメットを展開させた。それでも回転が収まった時は身体中に衝撃を受け、すぐに起き上がることが出来なかった。


 ようやく激しい背中の痛みが治まり、呻きながら身を上げる。折り重なるようになっていたエスパルガロは失神し、マーティンは額から血を流し譫言を口にしていた。


 このままじゃ死ぬ。


 アカネは身体をひねってサンルーフを蹴る。何度目かで歪んだヒンジが軋み、隙間が出来た。その頃にはトキコも自分の無事を確認していて、アカネに手を貸しエスパルガロを車外に押し出す。


 辺りはガソリンと硝煙と血の匂いに包まれていた。そこかしこに野犬とゴリラ熊と兵隊の断片が転がり、未だにあちこちで銃声と叫び声が響いていた。しかし狂乱に包まれた粘菌は、統制された動きを失っていた。当面の憂さ晴らし相手が見えなくなったと思うと四方に散ったらしく、先ほどのような野獣の塊は失せている。


 それでもいつ、煙の中から襲いかかられるかわからない。アカネは岩場の影から四方を見渡し、何か使える物がないかと探る。そして手近に比較的ダメージの少なそうな装甲車を見つけると、息を喘がせながら言った。


「トキコ。あれを使おう。トキコ?」


 反応がなく振り返ると、彼女はドーフ・ワゴンの中からマーティンを引きずり出そうとしていた。


「なにやってんの、そんな奴!」


「でも、生きてるわ!」


 まったく、トキコらしい。


 アカネは苛立ちを飲み込んで彼女に手を貸し、力なく何事かを呟き続けているマーティンを引っ張り出す。そして獣の影がないことを確認してから岩場から駆け出し、六輪装甲車に向かった。


 ひたひたとした足音に気づき振り返ると、野犬が牙を剥き出して襲いかかってくる。それを冷静に<ホワイトスーツ>のブラスターで吹き飛ばすと、半開きになったドアから車内に飛び込み、手早くスターターを回した。エンジンは無事だ。ギアをバックに入れ、起き上がってきた野犬を踏み潰す。そして岩場の影に車を回すと、エスパルガロが意識を取り戻し頭を振っていた。彼にマーティンを任せ、一緒に後部エリアに押し込む。


 その動きに、無為に死体を弄んでいたゴリラ熊が気づいた。のそりと上背を上げ、こちらを見つめる。だが何とか襲いかかられる前に速度を上げられた。跳ねる度に助手席のトキコが天井に頭をぶつけていたが、安全運転なんてしている場合じゃない。とにかく惨状を背にアクセルを踏み続け、もう大丈夫だろうかと疑い始めた頃、急に車両に衝撃を感じた。


 天井だ。恐らくゴリラ熊だろうと思い乱暴に車を左右に振ると、割れたサイドガラスから不意に何かが飛び込んできた。


 足、と思った時には、ヘルメットの側面を強かに蹴られていた。<ホワイトスーツ>のブーツ。それでアカネは相手が何者か悟った。


「ツクヨミ! この裏切り者!」


 血と硝煙にまみれた顔を狂気に歪め、セレネが馬乗りになっていた。怒りにまかせ、両手をアカネの首にかける。だが彼女はヘルメットの展開も忘れるほど冷静さを失っていた。アカネは息を詰めて頭を振りかぶり、頭突きをする。それでまた彼女も、気を失った。


 どれだけ闇雲に斜面を降り続けていただろう。ようやく霧が薄くなり頭上を覆う月の輪郭がはっきりしてくると、アカネは大きく息を吐いて渓谷の狭間に車を停めた。


 あまりに疲れすぎていて、それ以上動く気にならなかった。助手席のトキコも同じらしい。間に気を失っているセレネを挟み、一緒に月を見上げる。


「ねぇトキコ」


「うん?」


「私、<娘たち>なんだ」


 虚ろに言ったアカネに、彼女もまた力なく答えた。


「うん。そうじゃないかと思ってた」


 途端に涙腺が緩んできた。アカネは必死にそれをこらえつつ、言う。


「私、もう、どうしていいかわかんないんだ。昔の記憶が戻って、<姉妹たち>は変なやつばっかだけど、ずっと一緒に暮らしてて本当の姉妹みたいな感じがするし、でもトキコたちは大事だし、これしか手はないと思ったんだ。上手くいくと思った。でもロッドが――いや私が――彼女を受け止められなかった」


「そう」


「私にゃ無理だよ、トキコみたいなこと。<母さん>みたいな芝居なんて、私には出来ない。純粋なロッドをいいように使うなんてこと――畜生、あの詐欺師、いつか、絶対、ぶっ殺してやる」


 そこでトキコは身を捩り、アカネを見つめた。


「アカネなら出来ると思うわ」


 簡単に言ってくれる。


 アカネは鼻水を啜ってから笑い、ギアを入れて進路を北北西に向けた。

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