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月面少女と月下の魔女  作者: 吉田エン
二章 最終技術
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2.7. スペースX

 二日目の<昼の夜>になりかけた頃、ようやく袁山の傾斜が感じられるようになった。途端に空気が冷え、周囲が靄ってくる。こうなると余計に速度を落とさなければならない。アカネとトキコは荷台の覆いを外し、ピピに周囲の警戒を命じてから岩場に車を進めていく。


 やがて犬の遠吠えが聞こえ始めた。何度も遭遇している野犬は袁山の主要な獣らしい。トキコはその甲高い叫び声を聞く度に身を縮め、キョロキョロと乳白色に濁った周囲を見渡す。


「もしかして、来るの初めて?」


 その声にも驚いた様子で、トキコは跳ね上がってから応じた。


「え、えぇ。当然でしょう? 袁山に向かったサルベージャは普通、戻ってこないもの。奥深く――それこそ<ミハシラ>までたどり着いて戻ってきたのはただ一人だけって――緑目の少年ってお話があるんだけど――」


「不思議なんだけどさ。どうしてこんな寒くて何も生えてないような場所に、あんだけ大量の犬がいるの? 何食ってるんだろ」


「さぁ。それは考えたこともなかった」


 言った途端、霧に溶け込んでいた灰色の物体が飛びかかってきた。それはサイドガラスを覆っている金網にしがみつき、唾液に濡れた牙を露わにしながら激しく吠え立てる。目は緑に輝いていて、歪んでいた。


 悲鳴を上げて身を縮めたトキコ。アカネは彼女を座席に押さえつけながらコイル銃を取り出し、素早く引き金を引く。放たれた鉄の玉はサイドガラスを突き破り、野犬の口の中に吸い込まれていった。途端に弾き飛ばされ、背景と共に後に流れ去っていく。アカネはアクセルを踏み込んで加速させながら、耳に入れた通信機を叩いた。


「ピピ、何やってんの。いるならいるって言ってよ」


『そうは言われましても、赤外線センサーを修理いただいていませんので霧の向こうは何も見えませんですよ。自業自得というやつですねぇ』


 まったく、ピピの物言いにもだんだん苛ついてきた。しかし反論しようとしたところで、犬の遠吠えに代わり深い地響きが聞こえていた。慌てて車を停めると、タイヤが跳ねるほどの強烈な揺れに見舞われる。それは十秒ほどで収まったが、続けて硬い岩が地面に叩きつけられるような音に気づき、すぐにモーターをオンラインにする。


「雪崩、じゃない、その、あれよ!」


 トキコに腕を掴まれながら、ハンドルとアクセルを操る。霧の中からは無数の岩が転がり落ちてきていた。一度後輪付近に直撃を受けて横転しかかったが、なんとかこらえて直進する。ようやく地響きが収まって車を台地状の場所に停めると、トキコは顔を真っ青にして喘いでいた。


「あぁいうの、岩崩れ、で良かったかしら?」


 アカネも緊張で手足が震えていたが、虫の息で言うトキコが可笑しくていっぺんに収まった。


「うっかりしてたよ。山で地震に見舞われたことなかったから油断してた」次いで耳に差し込んだ通信機を叩き、ピピに尋ねる。「現在標高は?」


『そうですねぇ、気圧からするとだいたい三千メートルってとこでしょうか。でもこの辺は色々と妙ですからねぇ。よくわかりません』


「でも、だいたいこんくらいの場所だったと思うんだけどねぇ。あんたを修理するために危険なことしてんだ、頑張って探しておくれ」


『探す必要などございません。実はワタクシ、とても自分の手足がゴリラ熊のエサになりかけている状態は放置しておけませんでしたので、ご主人様が慌てふためいている間に信号発信器を射出していたのです! さすがピピ! と言ってくれていいのですよ?』


「いやいやいや、なんでそれならそうで先に言わないのさ! 無駄にうろうろしちゃったじゃん!」


『ワタクシ、ご主人様に学んだのです。勿体付けた方が色々とお得だと』


「あらあら。アカネから悪い影響を受けちゃってるわね」


 笑顔でトキコに言われ、口を尖らせながらハンドルを切る。ピピのナビゲーションに従っていくと、やがて霧の向こうが眩しくなってきた。例の粘菌植物の群生地だ。前回来たのは夜だったが、今はまだ月よりも太陽の明かりの方が強い。おかげで緑の光よりもなお目映く、殆ど白銀の絨毯と言ってもいいほどになっていた。


 トキコは目を見開き感嘆の声を上げる。一方のアカネは四方を見渡し、慎重にブレーキを踏んだ。


「運転よろしく。私はピピの面倒を見る」


 言って<ホワイトスーツ>のヘルメットを展開させつつ運転席から飛び降りる。粘菌植物を踏みしめる感覚は相変わらず奇妙だった。表面は柔らかいのに、突然硬質の地面に行き当たる。とにかく十分に研究された対象ではない。アカネはなるべく踏まないようにと飛び足で荷台に移ると、レールガンのステータスを確かめピピに言った。


「何か見えたら、容赦いらん。近づかれたら終わりだ、撃ちまくれ」


『おおっ! なかなか頼もしい台詞ですね! ワタクシ、ひたすら撃ちまくってやりますよ!』


「――いや、ちょっと待て。やっぱ今のナシ。私が撃てと言わない限り撃つな」


 例によって不平の声を上げたが、ピピは野放しというのが一番危険だ。アカネは重ねて注意をしてから、トキコに言った。


「じゃあ、奥の方に行こう。ゆっくりね」


 レールガンとピピを乗せた車は、静かに光の草原へ進み始めた。振り返ると、タイヤが踏みしめた跡が緑に塗れている。それはやがて鈍色になっていき、最後には地盤と同じ赤黒い固体になった。一体袁山はどれだけ粘菌の死骸で覆われているのだろう。もしこれが塩の砂漠を越えて広まるような事があれば大変だ。普通の農作物を作ることが出来ず、地を耕す事も出来なくなる。


 粘菌の野は、相当広がっている。見渡す限りが光の靄に覆われてしまい、太陽の方向もわからなくなりかけた時だ。一筋の影が差し、次第に大きくなっていく。


 件の施設だ。前回は部分的にしかわからなかったが、こうして光の下で見ると簡易的な施設だというのがわかる。骨組みは細く壁は薄く、あくまで臨時で建てられた代物らしい。


「アカネ」


 鋭くトキコに言われ、彼女の指し示す方向を見る。小さな岩のような影があった。ピピに命じてレールガンの砲塔を向けさせる。トキコは慎重に影に向かっていったが、その全容が確かめられる距離に近づいた時点で停車する。


「寝てるのかな」


 そう見えた。例のゴリラ熊には違いない。全長は二メートル以上、体重は五、六百キロはありそうだ。しかし今は四肢を大の字に広げ、巨大な腹を上下させている。緑色の目も閉じられていて、これならばペットとして飼うのも悪くないんじゃないかという気にさせられる。


 トキコはハンドルを切り、施設に近づいていく。ゴリラ熊は見えただけでも十数頭いたが、全部が全部、眠りこけている。


「トキコ、何か知ってる?」


「緑眼病の患者もそうだけど、太陽が出ている間は活動が鈍くなるの。ひょっとしたらその所為かも。ここまで大人しいのは初めて見たけど――」


 やがて車は何事もなく施設の前にたどり着く。傍らでは前回に見たままの姿で数個の貨物コンテナが崩れていて、ロボットのパーツらしき物がこぼれていた。ピピは奇声を上げて回収を急かしたが、それよりもアカネの目は施設の看板に釘付けになっていた。


 荷台から飛び降り、薄緑の粘液に覆われた表面を拭う。すると特徴的なサイバー的なロゴとXのアルファベットが露わになった。


「スペースX。なんでまた」


 呟くと、運転席を降りて寄ってきていたトキコが尋ねた。


「知ってる会社?」


「うん。イーロン・マスクって男がいてね。私の頃、NASA以上に宇宙開発に熱心だった会社」そして頭上を見上げ、次第に色濃くなってくる月の影を確かめる。「こんなとこで何してたんだろ」


『ご主人様一号様にご主人様二号様、それよりも早くワタクシの一部を回収しましょうよ! すぐに<昼の夜>になってしまいますよ? そうしたらゴリラ熊が目を覚ますのですよね?』


 ピピの相変わらず気に障る言葉に、トキコは両手を打ち合わせた。


「そうね。急ぎましょ?」


「トキコ任せた。私は中を探ってくる」


「えっ、アカネ?」


 もはや好奇心で頭が一杯になっていて、アカネは瓦礫を乗り越え崩れかけた壁の穴に向かった。


 内部もまたぬらりとした粘菌に覆われていたが、奥に進むに従って痕跡は少なくなってくる。やがて光が届かなくなると、埃が宙に舞い、乾燥した紙片が散らばり始める。ヘルメットの脇にあるスイッチを押し明かりを灯すと、慎重に一部屋一部屋改め始めた。


 天井が高い。きっと倉庫を兼ねていたのだろう。通路も広く扉も巨大で、天井には無数のケーブルが這っていた。しかし内部の殆どは空で、ようやく重量棚に乗せられたいくつかの樹脂ケースを見つけたが、中身は銀色の包装に覆われた宇宙食らしかった。


 賞味期限は2041年とある。確か宇宙食の賞味期限は五年程度だったはずだ。だとすると作られたのは、2030年台の半ば頃か。チョコレート味、というのに惹かれたが、さすがに腐っていて食べられないだろう。アカネはそれを投げ捨て、更に奥を探る。そして上に上る階段を見つけた頃、トキコから通信が入った。


『アカネ、ここにあるのは全部、マーク1ってピピのより相当古い物みたい。どうしたらいいかしら』


「新しい方が厄介だよ。古いなら何とか繋げられると思う。積めるだけ積んでて」


『アカネは? 何かありそう?』


 そこで階段の踊り場から明かりが漏れているのに気づいた。粘菌の光じゃない。アカネは慌ててヘルメットのライトを消しつつ、囁いた。


「ゴメン、少し黙るね」


『えっ、大丈夫なの?』


 通信を切って、慎重に階段を上っていく。踊り場の扉に身を隠し、そっと通路を覗き込む。驚いたことに天井の照明が灯っていた。全てではないが、長い通路の殆どが明るく照らしあげられている。


 人影はない。それでも念のためブラスターを装備し、慎重に進んでいく。やがて端に行き当たり、右に折れる。途端にアカネは目を見張った。


 そこは一階から五階までをぶち抜いた、巨大な空間になっていた。大半が崩れた天井の下敷きになってしまっているが、様々な重機械の痕跡があった。大きなタービンは、きっとジェットエンジンだろう。直径五メートルほどの錆びた円筒物はドラゴン2宇宙船のようにも見えるし、端の方にはロケットのフェアリングらしき物も窺える。


 だがアカネの目を釘付けにしたのは、何かの装置の前に立つ人影だった。


 周囲は工事用のライトが集められ、明るく照らし出されている。装置はMRIに似ていたが、何なのかはよくわからない。しかし電源が入っているのは確かで、円筒形の外殻が縦横無尽に動いては、飛び出たアームで何かを作ろうとしている。


 大型3Dプリンターの一種か? だとすればピピの四肢なんかより、よほどの収穫だ。


 だが問題は、機械の前に陣取る人影だ。


 いや、人じゃない。あれは間違いなく、二本足で立ち上がるゴリラ熊だった。

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